マーブルストライプ
ユズルヒノがコンソールに浮かぶ木星を凝視している。
数度操作を繰り返し、大赤斑の部分を拡大する。フォーカスを調整して鮮明度を上げると、また見入る。
「御執心だな」
ジュニアが声をかける。
「大赤斑、好きなのか?」
「お、兄ちゃん、いいところに来たな」
ユズルヒノはニコニコ顔で振りむいた。
「マーブルケーキ作ってくれ」
――そっちかよ
「…作るけどさ。赤でマーブルなんてあまりないからな。クランベリーとかでいいのか?」
「何言ってんだ、兄ちゃん」
ユズルヒノが口をとんがらして抗議した。
「マーブルケーキ、って言ったら、チョコマーブルに決まってるだろ。赤いケーキなんかいらない。ケーキは、見かけより味だよ。大事なのは味と量だ」
「あら、また、ケーキなの?」
キッチンに入ってきたダーが、キッチンテーブルの上を一瞥して声をかけてきた。
「分量からすると…、パウンドケーキかな? チョコが湯煎してあるからチョコマーブルね」
「あたり。木星見てたら、食べたくなった、ってユズルヒノに言われた」
「あら、まあ」
と、ダーが笑う。
「そういう優しいところは、ほんとうにお父さんそっくりね」
「そういう件で、似ていると言われたことはないな」
「世間の人は見る目がありませんからね。実際、ジムドナルドほど優しい人には、いまだ会ったことはありません」
「では、私の秘蔵のブランデーを供出しましょう。香りつけにどうぞ」
いつの間に現れた、エイオークニの手にあるコニャックのラベルを見つめ、ジュニアは苦笑した。
「ちょっと、ケーキに使うには高級すぎやしないか?」
「そりゃあ、本格的なブランデーケーキに使われたら、私だってがっかりですがね。お嬢さんたちにはまだ早いでしょうし、ほんの香りつけですよ。アルコールはよく飛ばしてください」
ジュニアはエイオークニから受け取った瓶の蓋を開け、ほんのひと振りボウルに注いだ。そのまま瓶をエイオークニに返そうとすると、横からダーが手を出した。
「これは、わたしが預かっておきますね」
当たり前のようにダーが言う。
「飲みたいときはいつでも言ってください。オードブルも合わせてお出ししますから」
「それはとても良い考えですが」
言葉とは裏腹にエイオークニの口調は非難がましかった。
「気付け薬というかですね。少し含んで気分を昂揚させるといった用途もあるわけでして…」
「そういうときは、言ってくだされば、良いお薬をさし上げます。お腹が空のときにアルコールだけを摂取するのは、体に障りますから」
そう言い残すと、ダーはすたすたと去っていってしまった。
「気の毒したな」
小声で耳打ちしたジュニアに、エイオークニは、ニヤリと笑んだ。
「なあに、気にすることはありませんよ。ああいうものはね、1本だけ、ということはあり得ないのです。とくに正統派の酒飲みにとってはね」
そう言ってエイオークニは、上着の襟を少しだけ開いてみせた。内ポケットの端からバーボンの小瓶がのぞいていた。
精進しとくよ、と言って、ジュニアはケーキだねを手早くかき混ぜた。ほのかに甘くブランデーの香りが鼻腔をくすぐる。
「うわぁぁぁ」
カットされて、真っ白な皿の上に美しい縞模様を見せるマーブルケーキに、カオルヒノが感動でうち震えている。
「ジュニアは?」
心配そうにアンヌワンジルが口をはさむ。
「味見で腹いっぱいだから、アタシらだけで食えってさ」
言いつつ、ケーキの一片をつまんで口に運ぶユズルヒノ。
負けじとカオルヒノも手を伸ばす。
「紅茶はいかが? カオルヒノはホットミルクでしたね」
ダーは小盆の上にのせたティーセットとマグカップを、皆の前に配っていく。
ありがとう、と言って、アンヌワンジルは、まず、紅茶を口に含んだ。
「木星は初めて?」
「ええ」
ユズルヒノとカオルヒノがケーキに夢中なので、自然とダーの質問に答えるのはアンヌワンジルになる。でも、アンヌワンジルの目もマーブルケーキを追っているわけで、気づいたダーは2切れ、ケーキを小皿に取り分けてアンヌワンジルの前に置いた。
「わたしも初めて」
「え?」
「木星はわたしも初めてです」
ダーがそう言うのを聞いて、アンヌワンジルは何だか不思議な気分になった。
アンヌワンジルとしては、ダーは何でも知っていて、そしてずっと昔からいる、そんな存在だと勝手に思い込んでいた。だからダーが、初めて、と言ったことがとても不思議に思えた。
「ジュニアとは、うまくいってる?」
アンヌワンジルの手が止まり、ティーカップをテーブルに戻した。
「どうかな? あまり、よくわからない」
そう、とダーは微笑んだ。
「うまくいってるみたいで安心しました」
え? という顔のアンヌワンジル、双子は2人の会話を気にも留めずにケーキに没頭している。
「ジュニアはとても難しい子だから」
と、ダーは笑う。
「よくわからない、程度ですんでいるのなら、上出来ですよ」
どう答えて良いのかわからない、アンヌワンジルは、笑ってごまかした。
「あんま、気にすんなよ。姉ちゃん」
3切れめのマーブルケーキを平らげたユズルヒノが、紅茶を飲みほして言う。
「ばあちゃんは心配性だからな。兄ちゃんみたいなのは、宇宙全体でも何人もいないから、わからなくて当然だよ」
「そうです、そうです」
こっそり5切れめを食べ始めたカオルヒノが尻馬に乗って訳知り顔をする。
「お兄さんは、本気で問い詰めないと、すぐごまかそうとしますから、油断できません」
「ジュニア、って嘘ついたりするの?」
驚くアンヌワンジルに、カオルヒノは首をぶんぶん横にふった。
「嘘なんかつきませんよ。嘘つくぐらいなら可愛げもありますけど、本当のことを言わないだけです。だから、始末に悪いのです」
「食うか?」
ジュニアの差し出したマーブルケーキを、ゴーガイヤはつまんで一口にほおばった。
「こんな洒落たもん食ったのは、ひさしぶりダ」
ゴーガイヤは食べながら、笑う。
「うまいゾ。ありがとウ」
「気に入ってくれたんなら、何よりだ」
「光子体のときは、食いものなんか、食えなかったからナ。それで慣れちまったから、励起子体になっても、あまり食わなかっタ」
「励起子体は、食っても、食わなくても、どっちでもいいからな」
「どっちでもいいの知ってるのに、何故、食わそうと思っタ?」
「どっちでもいいのに、何故、食ってみようと思った?」
ゴーガイヤはジュニアを見つめた。
ジュニアもゴーガイヤを見つめ返した。
そして、2人は、同時に笑い出した。
「オマエ、ほんとうに親父サンにそっくりだナー」
「そりゃ、どうも」
ひとしきり笑ったゴーガイヤは、ジュニアに言った。
「やっぱり、氷の星には行ったほうがイインダな」
「無理にとは言わないが、できればな」
「無理ではなイ」
もう、ゴーガイヤは、笑ってはいなかった。
「オレはいろんなものから逃げてきタ。オマエの親父―ジムドナルドが、逃げてもいい、と言ったんダ。もちろん、いつかは逃げるのをやめなきゃならなイ。それぐらいはオレも知ってル。そして、オマエが来タ」
ゴーガイヤの双眸に、淡い光がともった。
「オレは、これからどうなル?」
「なりたいものになるさ」
ジュニアは答えた。
「俺もあんたも、けっきょく、それしかできないからな」