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「なかなか筋がいい。もっと前から教えておけば良かったな。名手になれるかも知れないぞ。伸び代もありそうだ」
仮病を強いられ退屈な公爵のチェスの相手はなかなか骨が折れる。ルナは昨日からかなりの盤数を重ねている。
チェス盤を駒が打つ音が寝室に響く。暖炉は部屋を暖め、緩やかな時間が過ぎているところだ。
「お褒めにあずかり有難うございます」
「うむ……」
公爵の手が止まる。長考に入ると、横から公爵の持ち駒を動かす手が伸びる。
「……なるほど」
「あぁ! フィンリー様、邪魔をしないで下さいませ! せっかく(やっと初めて勝てそうだったのに)!! 」
思わず負けん気の声を張り上げてしまった。抗議の勢いでフィンリーを見上げると、フィンリーが笑っている。
「ルーク(ルナ)、負けず嫌いな上に執念深いんだね。父上に勝ちたいなら私の手解きを受ける方が早いかも知れないよ」
「フィン、それは困るぞ。邪魔をするな。わしには丁度いい好敵手なのだ。成長過程を見るのも楽しみの1つだ。お前の様な全く敵わん相手じゃ、やる気が削がれる! 」
「なんですか、二人して私を除け者にして」
そうフィンリーは不貞腐れたふりをする。
「……水を変えてきます。お茶を淹れましょう」
ルークと偽名をつけられたルナは、チェスの駒を最初の並びに組み直すと、水差しを持って、公爵の寝室を退室した。
フィンリーと交代の時間だ。
草花のモチーフが幾何学に織られた絨毯が敷かれている長い廊下を迷いなく進み、小さな給仕用のキッチンにルナは入る。
多くの召使いに会わぬ様、妖精たちが人気がないタイミングを教えてくれるが、そこに、クラミーが背後から現れた。
「ルナ、小姓の格好しても分からないわけ無いだろう」
後ろに束ねた髪をクラミーに掴まれて、思わずルナは振り向くと、顎の下を掴まれる。
「お前が男爵家に向かう日に、別嬪に仕上げられた姿は脳裏に焼き付いてるよ。上手く化けるもんだなと。まぁ、厚く化粧をしなくても、よく見れば見るほど、なかなかキレイな顔をしてるって気がついたんだがな」
「近寄らないでくださいませ」
顔を右に左に向きを変えられ、キッチンの隅に追い詰められ、ルナは沸騰し始めたポットをクラミーに突きつける。
「おいおい、穏やかじゃ無いな。俺の愛人に納めてやってもいいんだぞ。贅沢ぐらいさせてやる。なんなら、妻の座でもどうだ? 未来の公爵様の妻だ。女は好きだろう?お姫さまが味わえるぜ」
なんでこうも、長男なのに下品なのかしら……真面目にやっていれば保証される次期公爵の身分。その不肖ぶりで問題視されるなんて……熱いポットを握り警戒しながら、思わずクラミーに同情してしまう。
ジリジリとクラミーがルナとの間合いを狭めると、突然二人の間に閃光が走った。
バチッ!!!
「なんだ!? 」クラミーが怯む。
小さな雷。妖精たちがクラミーに攻撃を開始し始めた。
『ルナ、もういいよね? 』
小さな雷、立て続けに二人の間に閃光が走る。
バチバチッ……バチッ……!!
「くそっ、呪われた血か!? 」
『あっ!のろわれたちっていった! ようせいのちをのろわれたちっていったよ! こいつ、ゆるさない!! 』
クラミーが妖精の逆鱗を逆なでしてしまった。
バリバリッとクラミーの身体に雷撃が走ると、クラミーが激痛に叫び声をあげた。
「妖精たち、止めて!」
『……おっけー! おもったよりもつまんなーい! こいつよわすぎー!』
クラミーが、失神して倒れてしまった。脅しで放っていた雷が全てクラミーに当てられていたら、死なせていたかもしれない。
クラミーとの一幕を、キッチンのドアを音なく開けて見ていたフィンリーと公爵が、中へ入ってくる。
「ルナは大丈夫か?」
「大丈夫です」
フィンリー様の声が軽い。心配してる訳でもないくせにと思いながら、ルナはポットをコンロに戻した。
「実際に目の当たりにすると、なかなか心痛いものだな」
公爵は苦々しく顔のシワを深くすると、ルナは申し訳ない気持ちになった。
クラミーの悲鳴にジェイスが駆けつけると、居合わせた顔触れに驚いた顔をする。そして、クラミーが倒れているのを見るなり、ジェイスが容態を確認して、ため息をついた。
「多分、気を失っているだけです。それにしても旦那様、脚を刺されたと報告を受けていましたが、しっかり立ち歩かられておられますね。薄々分かっておりましたが。私にまで虚言を張るとは……」
「悪かったな」
執事のジェイスがクラミーの容態の確認を終えて立ち上がり、悪びれないフィンリーに慨嘆を漏らす。
「これは、フィンリー様が考えたんですか? 引っかかるクラミー様もどうかと思いますが」
と、言った目線が、ルナを分け知った顔で見るのだった。