表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
転生消防士と、世界を焼く選別の王  作者: もしものべりすと


この作品ページにはなろうチアーズプログラム参加に伴う広告が設置されています。詳細はこちら

PR
9/24

第九章「手から手へ」

「裏の井戸から、逃げるぞ」


俺は、宿の裏手へ走った。蹄の音が、表の通りを、埋めていく。灰王の兵は、この都を、包囲するつもりだ。井戸を開けて回る、水の男を、逃がさないために。


だが、俺には、兵にはない目がある。


地下の水の筋が、視える。水の筋は、都の外へ、いくつも延びていた。そのうちの一本いちばん細く、いちばん古い筋が、都の西の崖のほうへ続いていた。人が通らない忘れられた水路の跡だ。


「こっちだ。水の筋に沿って、逃げる」


俺は、ネルとガランを連れて、崖の裂け目へ滑り込んだ。狭い岩の間を、水の匂いをたどって、下へ下へと降りていく。背後で、兵の松明が、都を照らしていた。だが、この裂け目までは、追ってこられない。地下の水の道を知る者しか、通れない道だった。


狭い岩肌に、肩がこすれた。ネルの息が、荒くなる。ガランは片目で、暗い岩の間を、器用に進んだ。俺は、掌に感じる水の冷たさだけを、頼りにした。水の筋が、右へ折れれば、俺たちも右へ。左へ流れれば、左へ。水はいつもいちばん低くて、いちばん安全な道を、知っている。


背後の松明の光が、遠ざかっていった。兵の怒号も、岩に吸われて、消えた。


どれだけ、降りただろうか。


裂け目を抜けると、目の前が、開けた。


谷だった。切り立った崖に囲まれた、小さな谷。その底に、集落があった。焦げた空の下で、そこだけ、緑があった。細い川が、谷を流れている。灰禍の火も灰王の兵も、この谷までは、届いていないらしかった。


「こんな場所が……」ネルが、目を見張った。


集落の人々が、俺たちに気づいて、集まってきた。みな腕や顔に、火傷の痕があった。焼け残りたちだった。灰禍を生き延び行き場をなくした者たちが、この谷に隠れ里を作って、暮らしていたのだ。


その夜、集落の広場で、火が焚かれた。


だが、俺が見たのは、火だけじゃなかった。


集落の者たちが、川から、水を汲んでいた。一人が、桶に水を汲み、隣の者に渡す。隣の者は、また隣へ。そうして水は手から手へ、渡っていって谷の畑のいちばん奥まで届いていた。


バケツリレーだ。前の世界で消防団が、川から火事場まで、そうやって水を運んだ。一人では、大河は運べない。だが、手を繋げば水は、どこまでも届く。


俺はその光景を、しばらく動けずに、見ていた。


胸の奥が、震えた。俺が何日もかけて乾いて、割れそうになりながら、一人でやってきたこと。それをこの谷の者たちは、当たり前のように、手を繋いでやっていた。子どもが老人が女が、火傷の残る手で、桶を次の手へ渡していく。


誰も、燃え尽きていなかった。誰も、乾いて、割れていなかった。


一人の英雄が、大河を運ぶんじゃない。たくさんの手が、一杯ずつ、渡していく。それが、この谷の暮らしの形だった。


俺は、ずっと、間違えていたのかもしれない。強くなって、一人で、全部を掬おうとしていた。あの窓の右端を、この身一つで、償おうとしていた。だが、掬うというのはそういうことじゃ、なかったのかもしれない。


「昔から、こうしてるんだ」集落の古老が、俺に言った。白い髪の目の澄んだ老婆だった。「一人が、いっぺんに全部を運ぼうとすれば、腰を痛める。こぼす。だが、手渡しならこぼした分は、次の手が拾う。誰も、燃え尽きない」


こぼした分は、次の手が、拾う。


その言葉が、胸にまっすぐ、届いた。ガランが、俺に言ったことと、同じだった。一人で全部を掬うな。器を、増やせ。水を汲む手を、増やせ。


俺は、木の椀を、取り出した。ガランの親父の形見の椀。それで、手渡しの列の水を、掬ってみた。


火明かりの中で、椀の水が、揺れて光った。


赤い火の色を映して、椀の中の水が、金色に揺らめいた。ただの欠けた古い椀だ。ガランが、無駄な力だと言い続けた、俺の力で掬ったただの一杯の水。だが、その一杯が火明かりの中で、宝物のように光って見えた。


一杯の水は、小さい。だが、渇いた者にとっては、命だ。そして、その一杯を手から手へ渡していけば、谷の奥まで届く。


一杯の水。それが、手から手へ、渡っていく。俺の力は、地下の水を呼ぶことだ。だが、呼んだ水を一人で全部、抱えようとするから乾いて割れる。呼んだ水を、この手渡しの列に、渡せばいい。そうすれば、俺の器は、空にならない。


「なあ、婆さん」俺は、古老に聞いた。「あんたたちは、なんでこの谷を、見つけられた」


古老は、川のほうを、顎で示した。


「水を、たどってきたのさ。焼け残りは、行き場がない。焼かれるべきだったと、追われる。だから、水のあるところを、探して探してこの谷にたどり着いた」老婆は、目を細めた。「そして、この谷には、言い伝えがある。ずっと昔、この大陸が一度、大きな火に呑まれかけたことがあった。大水禍、と呼ぶ。そのとき、一人の水守が地の底の大きな水を、呼び覚まして火を鎮めたそうだ」


「地の底の大きな水」


俺の胸が、鳴った。台帳のあの空白。すべての水が集まる、大陸の中央の視えない水。


「その水は、今、どこにある」


「さあ。言い伝えでは、水の道、と呼ぶ。地の底を、大陸のすみずみまで巡る、大きな水の道だそうだ。だが、いつのころからか、封じられた。誰が封じたのか、なぜ封じたのかそれは、伝わっておらん。今では、水の道は、ただの昔話さ」


水の道。


俺は、その名を、頭に刻んだ。台帳の空白は、その水の道の入り口かもしれなかった。すべての水が集まる、大陸の中央。そこに、封じられた、大きな水。それを、呼び覚ませば。


「婆さん。その水の道は、どこから、入れる」


古老は、俺を、じっと見た。それから、静かに言った。


「――王都の地の底だそうだ」


王都。灰王の都。俺の目から、水を隠している、あの場所。


すべてが、一つの点を、指していた。灰王が、なぜ水を奪って回るのか。なぜ、水の道を、封じたのか。強き者だけを残す選別を、邪魔されないために。この世界を、思いどおりに焼くために。灰王は、いちばん大きな水を、封じて隠していた。


俺は、椀の水を、飲み干した。


行き先が、決まった。王都だ。水の道を、開けに行く。


ネルが、隣で、俺を見ていた。手渡しの列を、見ていた目のまま。


「ヒヤマ。あたし、さっきのあれ、いいなと思った」ネルが、言った。「手から手へ、水を渡すの。あれならあたしみたいな力のない焼け残りでも、水を運べる」


「ああ」俺は、うなずいた。「あれが、答えかもしれない。一人の大きな力より、たくさんの小さな手だ」


古老が、火の向こうから、俺たちを見ていた。


「あんた、王都へ、行くつもりだね」老婆は、静かに言った。「水の道を、開けに。だが、覚えておおき。灰王はその水の道を、誰よりも、恐れている。だから、封じた。あんたが水の道を開けようとすれば、灰王は持てる火の全部で、あんたを焼こうとするだろう」


「それでも、行く」俺は、言った。「水の道を開ければ、この大陸じゅうに、水が巡る。乾いた町も、乾いた心も、掬える。灰禍を、止められる」


老婆は、しばらく、俺を見ていた。それから、皺だらけの手を、俺の椀にそっと添えた。


「昔大水禍を鎮めた水守も、あんたと同じ目をしていた、と伝わっている。……行っておいで。この谷の者もいつか、あんたの手渡しの列に、加わろう」


その言葉に、集落の焼け残りたちが、火を囲んでうなずいた。腕の火傷を、隠さずに。


俺は、胸が、熱くなった。乾いていない熱だった。器が、乾くのとは、逆の。誰かと、繋がるときの熱だった。


火がぱちりと爆ぜた。


手渡しの列は、まだ、続いていた。谷の奥まで、一杯ずつ水を、届けていた。


その列を見ながら、俺は王都の地の底を思った。水の道はそこに、封じられて、眠っている。


――待ってろ。必ず、開けてやる。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ