第57話 外れ職ではなかった
拍手は、すぐには止まらなかった。
中央演習場に響くその音を、俺――アキト・アオキは、どこか遠くの出来事のように聞いていた。
魔力が抜けている。
頭の奥が熱い。
指先が少し震える。
立っているだけで、けっこうきつい。
いや、正確には立っていない。
トーヤ・ラインハルトが背後から支えてくれていて、リュミエル・アークレインが横から俺の腕を掴んでいる。
つまり、自力で立っている風に見えて、実際はほぼ支えられている。
外れ職から脱却した直後に、足腰が外れ職みたいになっている。
締まらない。
「アキト」
リュミエルが低く言った。
「顔色が悪いわ」
「知ってる」
「倒れる?」
「倒れたい」
「駄目」
「厳しい」
「倒れるなら、医療班の前で倒れて。ここではまだ少し我慢」
「それも厳しい」
けれど、その声に少し救われる。
拍手。
ざわめき。
視線。
さっきまで俺を外れ職として見ていた生徒たちが、今は別の目で見ている。
驚き。
困惑。
畏怖。
そして、ほんの少しの敬意。
その変化が、肌で分かった。
「今の、見たか?」
「演習場全体の暴走を止めたんだよな?」
「いや、止めたっていうか……何か文字を入れてなかった?」
「注釈って表示されてた」
「注釈で校閲杭を止めるって何だよ」
「外れ職じゃなかったのか?」
「むしろ、あいつがいなかったら全員やばかったんじゃ……」
外れ職じゃなかった。
その言葉が耳に入った瞬間、胸の奥が少しだけ熱くなった。
たった一言。
でも、その一言を聞くために、俺はここまで来たのかもしれない。
追放された。
置き去りにされた。
毒で死にかけた。
いらないと言われた。
隅にいろと言われた。
その全部が消えるわけではない。
でも、少なくとも今この場所で、俺は「いなくてもいい存在」ではなかった。
「アキトくん!」
ノルン・エルシアが駆け寄ってきた。
彼女の白い法衣は少し汚れていて、額には汗が浮かんでいる。
「治癒符、貼るね。精神疲労と魔力枯渇に効くやつ」
「ありがとう」
「無茶したね」
「した」
「でも、すごかった」
ノルンは、涙目で笑った。
「私も、声を出せたよ」
「見てた」
「うん。アキトくんが見てくれてたから」
その言葉に、何か言おうとして、うまく言葉が出なかった。
代わりに頷く。
ノルンは、沈黙した治癒師ではなかった。
ちゃんと声を上げた。
その姿を、他の神聖科の生徒たちも見ていた。
少し離れた場所で、神聖科の女子生徒がノルンを見ている。
さっき、赤黒い記述に縛られて動けなくなっていた子だ。
彼女はおずおずと近づいてきた。
「ノルンさん」
「え?」
「さっき、ありがとう。私、声が出なくて……でも、あなたが言ってくれたから」
ノルンは一瞬驚いたあと、少しだけ顔を赤くして微笑んだ。
「ううん。無事でよかった」
その光景を見て、胸がまた温かくなる。
ざまぁというなら、これもそうだ。
誰かを叩き潰すだけじゃない。
「沈黙していろ」と言われた人が、声を上げて、誰かに感謝される。
それは、とても静かで、でも確かな逆転だった。
「アキト」
今度はセリア・フレイムロードがやってきた。
赤い髪を揺らし、腕を組んでいる。
表情はいつも通り強気だが、どこか嬉しそうでもある。
「倒れてないじゃない」
「半分倒れてる」
「まあ、支えられてるわね」
「見れば分かることを言うな」
「でも、悪くなかったわ」
「悪くなかった?」
「かなり、悪くなかった」
セリア基準では最大級の褒め言葉らしい。
少し離れた魔導科の生徒たちが、セリアを見ていた。
「セリア、さっき火力抑えてたよな」
「いつもなら全部焼いてたのに」
「いや、あれ制御すごかったぞ」
「特異職科にいるから変になったんじゃなくて……むしろ強くなってないか?」
セリアの耳がぴくりと動いた。
聞こえている。
彼女は少しだけ顔を赤くして、俺を睨んだ。
「何見てるのよ」
「嬉しそうだなと思って」
「嬉しくないわよ」
「そうか?」
「……ちょっとだけよ」
正直でよろしい。
ミラ・クロウが屋根からひらりと降りてきた。
「いやー、最高だったね。新人くん、外れ職ざまぁ作戦、大成功じゃん」
「その作戦名は正式じゃない」
「でも成功したでしょ?」
「否定しにくい」
実際、成功した。
少なくとも、学園中の空気は変わった。
俺だけじゃない。
特異職科全体への見方も変わった。
トーヤはただの盾ではなく、守る対象を選んだ。
ミラは逃げ道を作り、全体を見ていた。
ノルンは沈黙を破った。
セリアは炎を制御した。
レオンは神の剣ではなく、守る剣になった。
リュミエルは器ではなく、自分で選ぶ者として俺を支えた。
その全部が、観客の前で示された。
俺一人の成果ではない。
むしろ、そこがいい。
俺が一人で無双したわけじゃない。
全員が、自分で書いた現在記述の通りに動いた。
俺は、それを繋いだだけだ。
「アキト」
レオン・グランベルが近づいてきた。
剣を鞘に収め、静かに俺を見る。
周囲の剣術科生徒たちがざわつく。
「レオン様……」
「さっき、神の剣って記述を拒んでたよな」
「勇者候補が退いたんじゃなくて、守った」
「アキトが呼び戻したんだ」
レオンは、その声を聞いていた。
だが、もう揺れない。
彼は俺の前で立ち止まり、はっきりと言った。
「助けられた」
周囲が静かになる。
剣術科の生徒たちが、驚いたように目を見開いた。
レオン・グランベル。
勇者候補。
その彼が、外れ職と呼ばれた俺に、公開の場でそう言ったのだ。
「レオン」
俺は少し戸惑った。
「今それを言うと、また噂が」
「構わない」
レオンは言った。
「噂を訂正するには、本人が言うのが一番早い」
彼は一度、周囲を見た。
そして、演習場に届くような声で言った。
「アキト・アオキは、俺を操っていない」
ざわめきが止まる。
「むしろ、俺を縛っていた神殿式の異常を見抜き、俺自身の意思へ戻してくれた」
観覧席の一部が静まり返った。
神殿関係者の顔が、はっきり強張る。
レオンは続けた。
「俺は、自分の意思でここにいる。特異職科に協力している。今日それを、全員の前で証明した」
その声は震えていなかった。
ただ、強かった。
俺は何も言えなかった。
レオンもまた、自分の台本を書き換えようとしている。
勇者候補。
神の剣。
勝利のために前進する者。
その役割から、自分の名前を取り戻そうとしている。
剣術科の生徒たちが、戸惑いながらもレオンを見ていた。
中には、納得できない顔もある。
でも、誰も笑わなかった。
それだけで十分だった。
その時、ヴァイス・ローレンがゆっくり近づいてきた。
魔導科上位生徒。
俺を外れ職と見下していた男。
そして、さっき俺が暴走を止めた相手。
彼の顔は、かなり複雑だった。
悔しさ。
屈辱。
認めざるを得ない苛立ち。
全部混ざっている。
「アキト・アオキ」
「何だ?」
「一つ確認する」
「何?」
「君は、私の魔術を奪ったのか?」
周囲がざわつく。
ヴァイスの声には、恐れも混じっていた。
無理もない。
他人の能力を切り取る。
魔力を編集する。
そう聞けば、誰だって怖い。
俺は首を横に振った。
「奪ってない」
「では、何をした」
「君の魔術に絡んでいた敵性記述を切った。最大火力を強制する命令だけだ。魔術制御は君自身がやった」
ヴァイスの目が揺れる。
「私自身が……?」
「ああ。最後に魔法を収束させたのは君だ。俺は、暴走の命令を剥がしただけ」
俺はタイムラインの簡易ログを表示した。
【対象:ヴァイス・ローレン】
【敵性記述:最大火力/破壊せよ】
【解除対象:強制命令】
【保持:本人の魔術制御】
【結果:収束成功】
周囲の魔導科生徒たちが表示を見る。
「魔術を奪ったわけじゃないのか」
「むしろ、制御を戻した?」
「ヴァイスが自分で収束させたのか」
「でも、それを可能にしたのはアキト……」
ヴァイスは、長い沈黙のあと、唇を噛んだ。
そして、小さく言った。
「……なら、訂正する」
「訂正?」
「君を、ただの外れ職と呼んだことを訂正する」
演習場が静かになる。
ヴァイスは、ものすごく不本意そうな顔をしていた。
だが、言葉ははっきりしていた。
「君は、危険だ」
「そこは訂正しないのか」
「しない。危険ではある」
「まあ、否定しにくい」
「だが、役に立たない存在ではない」
ヴァイスは俺を見た。
「少なくとも今日、私は君に助けられた」
それだけ言って、彼は顔を背けた。
「礼は言わない」
「今言ったようなものだろ」
「言っていない」
「はいはい」
ミラが横でにやにやしている。
「素直じゃない魔導師くん、ちょっと面白いね」
「黙れ、獣人」
「影の獣じゃなくて、逃げ道を残す斥候でーす」
ヴァイスは言い返せず、微妙な顔をした。
ざまぁ。
これは、たぶんざまぁだ。
ただし、相手を完全に叩き潰す形ではない。
見下していた相手に助けられ、認めざるを得なくなる。
プライドが折れるのではなく、曲がる。
そこに成長の余地が残る。
俺は、それでいいと思った。
完全に潰すだけが物語じゃない。
誰かが変われるなら、それも編集だ。
ただし。
全員が変わるわけではない。
高台の神殿関係者の一人が、静かに立ち上がった。
白い法衣。
細い目。
神殿査問会にもいた男。
彼は演習場へ向けて声を張った。
「今回の異常については、まだ原因が確定していません。アキト・アオキ氏の能力が演習場術式に影響を与えた可能性も――」
その瞬間、フィン先生が動いた。
先生は高台の中央に立ち、神官を真正面から見た。
「今、何と言った?」
声が低い。
冷たい。
演習場全体が静まる。
神官は一瞬怯んだが、すぐに表情を整えた。
「可能性の話です。彼の能力は未知数であり、演習場の広域術式と干渉した可能性も――」
「記録を見ろ」
フィン先生が言った。
「演習場地下の校閲杭は、アキトが能力を使う前に起動している」
評議会記録官の一人が、慌てて記録水晶を確認する。
「……事実です。地下術式異常は、アキト・アオキの注釈挿入より前に発生しています」
フィン先生は続けた。
「さらに、アキトは安全規定を再固定した。演習場の本番化を止めた。被害を拡大したのではなく、抑えた」
神官の顔色が少し変わる。
「しかし、彼の表示した情報が正しいとは限りません」
「なら、学園術式の記録を見る」
カサンドラ副院長の声が響いた。
高台の奥から、彼女が姿を現した。
淡い紫の髪。
深い藍色の瞳。
いつもの柔らかな微笑み。
ただし、目は笑っていなかった。
「学園評議会記録官、地下制御石のログを開示なさい」
記録官たちが一斉に動く。
空中に、演習場の公式ログが表示された。
【中央演習場制御石ログ】
異常発生:
校閲杭・広域型に類似する外部干渉を検出。
発生時刻:
合同演習第三小隊、広場到達直後。
外部干渉内容:
演習役割設定の上書き。
安全制御の一部解除試行。
観測者介入制限。
対抗処理:
アキト・アオキによる注釈挿入。
安全規定再固定。
本人意思優先条項追加。
広域本番化の無効化。
結果:
安全制御復旧。
演習場結界正常化。
被害最小。
演習場が静まり返った。
公式ログ。
つまり、学園の記録が証明した。
俺は原因ではない。
止めた側だ。
神官は口を閉ざした。
ヴァイスが小さく笑った。
「これでも外れ職のせいにしますか?」
その言葉に、周囲の魔導科生徒たちが少しざわついた。
神官の顔が、悔しそうに歪む。
だが、言い返せない。
カサンドラ副院長は、柔らかく言った。
「本件は、学園保護契約に基づき、アキト・アオキの安全運用実績として記録します」
安全運用実績。
その言葉が、俺の胸にじわりと染みた。
危険能力者ではなく。
管理対象ではなく。
安全に使える力を示した者として。
記録される。
フィン先生が俺を見て、ほんの少しだけ口元を上げた。
「よかったな」
「先生」
「ざまぁだ」
「そこで言います?」
「必要だろう」
否定できない。
演習場の空気は、もう完全に変わっていた。
さっきまで俺を外れ職として笑っていた生徒たちは、気まずそうに視線を逸らしている。
一部は、俺を見る目を変えている。
尊敬とまではいかない。
でも、少なくとも侮りではない。
「外れ職って言ってたやつ、誰だよ」
「俺は言ってない」
「いや、昨日言ってただろ」
「でも、あれは……」
「助けられたのは事実だしな」
小さなざわめき。
それは、評価が反転していく音だった。
俺は、その音を聞きながら、少しだけ目を閉じた。
全部が報われたわけじゃない。
追放された痛みも、死にかけた恐怖も、神に異物と呼ばれた傷も消えない。
でも。
外れ職という言葉に、初めて公の場で傷を入れられた。
それは、確かな一歩だった。
リュミエルが隣で言った。
「よく耐えたわね」
「倒れそう」
「それは耐えていないわ」
「今から耐える」
「医療班へ行きなさい」
「はい」
素直に従おうとした、その時だった。
タイムラインが、かすかに震えた。
俺は足を止める。
「アキト?」
リュミエルがすぐに気づく。
「どうしたの」
「タイムラインが……」
黒い石板に、小さな表示が浮かぶ。
【解析完了】
広域校閲杭の外部干渉ログから、送信元断片を検出。
識別:
【校閲杭・広域型】
【転生者狩り系統】
送信元:
学園外部ではありません。
俺の背筋が冷たくなった。
「外部じゃない……?」
表示は続く。
【推定送信元】
王立アルカディア魔導学園内部。
さらに。
【関連権限】
合同演習準備委員会
演習場術式管理担当
神殿派遣監査補助
俺は息を呑んだ。
演習場に仕掛けられた広域校閲杭。
それは外から撃ち込まれたものではない。
学園の内部権限を使って仕込まれていた。
つまり。
敵は、もう中にいる。
俺は顔を上げた。
拍手とざわめきの向こう。
観覧席の影。
教官席。
記録官席。
神殿関係者。
準備委員の生徒たち。
そのどこかに、転生者狩りへ通じる者がいる。
リュミエルの表情が険しくなる。
「今の情報は?」
「……内通者がいる」
俺は小さく言った。
「この学園の中に」
さっきまでの勝利の熱が、一瞬で冷えた。
ざまぁは成功した。
評価は反転した。
でも、敵は一枚上手だった。
こちらに勝利を与えながら、次の疑念を残していった。
誰が、演習場に校閲杭を仕込んだのか。
誰が、学園の内部権限を使ったのか。
そして。
その人物は今も、俺たちの近くで拍手しているのかもしれない。
タイムラインの最後に、赤い文字が浮かんだ。
【未回収の謎】
学園内部の協力者。
重要度:
最大
俺は、演習場の歓声の中で、静かに拳を握った。
外れ職という評価は、今日少しだけ書き換えた。
次に編集すべきは。
この学園の中に潜む、見えない裏切り者だ。




