第36話 食卓のあとに残るもの
特異職科の歓迎会は、思っていたより静かに終わった。
いや、途中まではかなり騒がしかった。
ミラは焼き菓子を三つ隠し持っていたし、セリアはそれを見つけて「子供なの?」と呆れ、ミラは「備蓄だよ、備蓄」と胸を張った。
トーヤはスープのおかわりを黙々と配ってくれた。
ノルンは全員の顔色を見ながら、疲れていそうな人に治癒茶を渡していた。
フィン先生は「歓迎会だ」と言いながら、自分だけ黒すぎる茶を飲んでいた。
レオンは最初、完全に場違いな顔をしていたが、ミラに「勇者様、パン取って」と雑に扱われてから、妙に諦めた表情でパン籠を回していた。
少し前までなら、ありえない光景だった。
追放された俺。
追放したレオン。
見下していたセリア。
黙っていたノルン。
俺を拾ったリュミエル。
特異職科の面々。
その全員が、一つの食卓を囲んでいる。
仲間。
そう呼ぶには、まだ早い。
傷は残っている。
言えていないこともある。
許せていないこともある。
それでも、同じスープの湯気を見ているだけで、何かが少しだけほどけていく気がした。
「アキト」
食事が一段落した頃、レオンが俺を呼んだ。
「何だ?」
「少し、話がある」
教室の空気が少しだけ変わる。
ミラが耳をぴくりと動かし、セリアがレオンを見る。
ノルンは不安そうに手を止めた。
リュミエルも静かにこちらへ視線を向ける。
レオンはその視線に気づいたのか、少しだけ眉を寄せた。
「別に、決闘を申し込むわけではない」
「その前置きが必要な時点で、普段の行いって大事だな」
俺が言うと、レオンは嫌そうな顔をした。
「お前、前より口が悪くなっていないか」
「追放されると人は多少ひねくれる」
「……それを言われると返せん」
レオンが言葉に詰まる。
教室の空気が、少しだけ重くなった。
俺も、言ってから少しだけ胸が痛んだ。
軽口のつもりでも、そこには本物の傷がある。
まだ笑い話にはできない。
たぶん、しばらくは。
フィン先生が教卓から面倒くさそうに言った。
「話すなら廊下にしろ。ここでやると全員が聞く」
ミラが即座に手を上げる。
「私は聞くよ?」
「だから廊下にしろと言っている」
「ちぇー」
ミラは不満そうに尻尾を揺らした。
俺はレオンを見た。
「分かった。少しだけなら」
リュミエルが立ち上がりかける。
俺は首を振った。
「大丈夫。すぐ戻る」
「本当に?」
「本当に」
「無茶をしたら通知が来るわ」
「俺、もう完全に警報装置つきだな」
「自分で望んだことでしょう」
「はい」
反論できない。
俺とレオンは、特異職科の廊下へ出た。
古い木の床が、歩くたびに少しきしむ。
窓の外には夕闇が広がり、遠くの魔法灯がぽつぽつと灯り始めていた。
レオンはしばらく黙っていた。
こういう沈黙が似合わない男だと思っていた。
いつも前に立ち、言葉も態度も強く、迷いなんて見せない。
でも今は違う。
彼は、言葉を探している。
「アキト」
「何だ」
「俺は、まだ謝れていない」
その一言で、胸の奥が静かに痛んだ。
「そうだな」
俺は答えた。
レオンは拳を握る。
「謝るべきだと分かっている。だが、言葉にすると、自分が何をしたのかを認めることになる」
「もう認めてるんじゃないのか」
「頭ではな」
レオンは苦しそうに言った。
「だが、心が追いつかない。俺は自分が正しいと信じていた。勇者候補として、不要なものを切り捨てる判断をしたのだと」
不要なもの。
その言葉は、やはり刺さった。
レオンも気づいたのか、苦い顔をする。
「すまない。今の言い方も違う」
「いや」
俺は首を横に振った。
「たぶん、それが本音だったんだろ」
レオンは黙った。
「俺は、お前に不要だと思われた。それは事実だ」
言葉にすると、やっぱり痛い。
でも、目を逸らしたくはなかった。
「神殿式補強の影響があったかもしれない。指揮威圧や勝利強迫が、お前の判断を歪めていたかもしれない。でも、それだけじゃない」
「ああ」
レオンは小さく頷いた。
「俺自身が、お前を見ようとしなかった」
廊下に沈黙が落ちる。
夕闇の色が、少しずつ濃くなっていく。
「俺は」
レオンは、何度も言葉を飲み込みながら続けた。
「お前がいなくなった後も、すぐには間違いだと思わなかった」
その告白は、正直だった。
そして残酷だった。
「演習でお前に助けられても、認めたくなかった。査問会でお前の記録に救われても、まだ認めたくなかった」
「だろうな」
「だが、今日の訓練で分かった。俺は、自分の力すら見ていなかった。自分で積み上げた剣技と、貼り付けられた補強の区別もつかないまま、他人の価値を決めていた」
レオンは、深く息を吸った。
そして、俺をまっすぐ見た。
「アキト・アオキ」
「何だ」
「俺は、お前を捨てた」
その言葉は、まっすぐだった。
逃げも言い訳もなかった。
「お前が死ぬかもしれない場所に置き去りにした。お前の役割を見ようとせず、外れ職だと決めつけた」
レオンの声が、わずかに震えた。
「すまなかった」
深く、頭を下げた。
勇者候補が。
白銀のレオン・グランベルが。
外れ職と呼んだ俺に、頭を下げていた。
胸の奥が、ぎゅっと締めつけられる。
これを待っていたのかもしれない。
でも、いざ目の前に来ると、どうしていいか分からない。
怒りが消えるわけじゃない。
恐怖が消えるわけでもない。
ダンジョンの冷たい床も、毒の痛みも、見捨てられた絶望も、全部まだ残っている。
でも。
この謝罪を、なかったことにはしたくなかった。
「謝罪は受け取る」
俺は言った。
レオンは頭を下げたまま動かない。
「でも、許せるかはまだ分からない」
「当然だ」
レオンは静かに答えた。
「許してほしいと言える立場ではない」
「それでも、謝ったんだな」
「ああ」
「なら、受け取る」
レオンは、ゆっくり顔を上げた。
その顔には、少しだけ疲れたような、でもどこか軽くなったような表情があった。
「アキト」
「何だ」
「俺は、自分の補強式を調べる。神殿が何をしたのかも、俺自身の弱さも、全部見る」
「きついぞ」
「分かっている」
「分かってないかもしれない」
「かもしれないな」
少しだけ、レオンが笑った。
以前のような自信満々の笑いではない。
弱さを知った人間の、ぎこちない笑いだった。
「だが、もう見ないふりはしない」
その言葉は、俺の中に静かに残った。
「ああ」
俺は頷いた。
「なら、俺も見る。お前を勇者候補としてだけじゃなく、レオン・グランベルとして」
「妙な言い方だな」
「編集者だからな」
「便利な言葉だ」
「最近よく言われる」
廊下の空気が、少しだけ緩む。
その時、教室の扉が少しだけ開いた。
ミラの猫耳が隙間から覗いている。
「終わったー?」
「聞いてたな?」
俺が言うと、ミラの耳がぴくっと跳ねた。
「聞いてないよ。見守ってただけ」
「耳が廊下向いてたぞ」
「耳は自由だから」
「言い訳が強い」
ミラの後ろからセリアの声がした。
「ミラ、堂々と盗み聞きしないの」
「セリアも後ろにいるじゃん」
「私は止めに来たのよ」
「嘘だあ」
「うるさい!」
教室の中から、ノルンの慌てた声も聞こえる。
「ふ、二人とも、扉から離れようよ」
トーヤの低い声。
「廊下に声が漏れている」
リュミエルのため息。
「全員、聞いているではないの」
フィン先生の声が最後に落ちてきた。
「お前ら、盗み聞きが下手すぎる」
俺とレオンは顔を見合わせた。
そして、どちらからともなく小さく息を吐いた。
緊張が、少しだけ崩れた。
教室へ戻ると、全員が妙に何もなかった顔をしていた。
ミラは焼き菓子を食べている。
セリアは腕を組んで視線を逸らしている。
ノルンは明らかに目が潤んでいる。
トーヤは真面目に机の木目を見ている。
リュミエルはいつも通り涼しい顔だが、耳の先がわずかに赤い。
全員、聞いていた。
まあ、いい。
隠すような話でもなかったのかもしれない。
フィン先生が黒板の前に立った。
「さて、感動の謝罪会は終わりだ」
「先生、言い方」
「感動しただろう?」
「しましたけど」
「ならいい」
先生は黒板に新しい文字を書いた。
【今後の調査方針】
一、レオン補強式の段階的解析
二、リュミエルの神約の呪印の非侵襲観察
三、旧記録保管庫・上位封印記録への接触方法
四、アキトの編集操作基礎訓練
五、学園内協力者の確保
「やることが多すぎる」
俺が呟くと、ミラが明るく言った。
「大丈夫。一個ずつ死なない程度にやればいいよ」
「基準が死なない程度なのが特異職科だな」
「ようこそ」
もう正式所属なので、否定しきれない。
リュミエルが黒板を見ながら言う。
「旧記録保管庫の上位封印記録に触れるには、正式な許可が必要です。神殿式の楔がある以上、無理に触ればまた追跡されます」
フィン先生が頷く。
「そこで必要になるのが、カサンドラ副院長だ」
「また副院長ですか」
俺の脳裏に、穏やかな笑顔で首輪の相談をしてくるような女性が浮かんだ。
味方にすると便利。
信用しすぎると食われる。
フィン先生の評価が的確すぎる人だ。
「副院長は学園上層部への通り道だ。旧記録保管庫の上位閲覧許可を取るなら、あいつを通すしかない」
「簡単に許可してくれると思います?」
「思わん」
即答だった。
「代わりに条件を出してくるだろうな」
「研究協力ですか」
「おそらく」
俺は少しだけ息を吐いた。
副院長の草案。
学園の保護と研究協力。
封印措置の条項。
暴走した時、誰に止めてもらうのか。
あの話はまだ終わっていない。
むしろ、査問会を経て本格的に始まるのだろう。
フィン先生が続ける。
「ただし、今のお前には交渉材料がある」
「何ですか?」
「神託試問の記録だ」
教室が静かになる。
「神が直接現れ、試問を行い、判定を保留した。これは学園にとっても神殿にとっても重大事件だ。副院長は必ず記録を欲しがる」
「それを交換材料に?」
「全部は渡すな。閲覧条件をつける。学園側の保護強化、研究協力範囲の明文化、旧記録保管庫の閲覧許可。これらをセットにする」
セリアが眉をひそめる。
「それ、かなり政治の話じゃない」
「そうだ」
「アキトにできるの?」
「できなければ食われる」
「厳しい」
俺もそう思う。
ただ、逃げるわけにはいかない。
神殿だけではない。
学園も、俺の力を研究対象として見ている。
カサンドラ副院長は敵ではないかもしれないが、完全な味方でもない。
なら、自分の条件を持つ必要がある。
「俺一人で交渉するんですか?」
俺が聞くと、フィン先生は呆れた顔をした。
「お前一人で行かせるわけないだろう。即日で契約書に変な条項を貼られて帰ってくるぞ」
「信用がない」
「前科が多い」
「そんなにあります?」
「ありすぎる」
リュミエルが静かに言った。
「私も同席します」
「助かる」
「隠し条項は私も見るわ。あなたは見えるものが多すぎて、逆に引っかかることがあるから」
「それ、今日の訓練でも言われたな」
「事実よ」
見えすぎることも弱点。
それは、今後ずっと課題になりそうだった。
その時、教室の窓から白い鳥が飛び込んできた。
紙でできた式鳥。
神殿のものではない。
羽に学園の紋章がある。
式鳥はフィン先生の前でくるりと回り、一枚の魔導紙へ変わった。
フィン先生がそれを開く。
目を通した瞬間、眉が少し動いた。
「来たか」
「何ですか?」
「カサンドラ副院長からだ」
やっぱり。
先生は内容を読み上げる。
「本日夕刻、特異職科所属アキト・アオキ、および関係者数名に対し、学園保護契約と能力研究協力契約について面談を行う」
「早いですね」
「向こうも神託試問の記録を逃したくないんだろう」
先生はさらに読み続けた。
「なお、面談には王立学園評議会の記録官が同席する」
リュミエルの表情がわずかに険しくなる。
「評議会の記録官……学園上層部も本格的に関わるのですね」
「そういうことだ」
ミラが尻尾を揺らす。
「神殿の次は学園の偉い人たちかあ。新人くん、大人気だね」
「人気の種類が全部しんどい」
本当に。
追放されていた頃は誰にも必要とされなかった。
今は、必要とされすぎている。
しかも、だいたい管理か研究か査問の対象として。
人生の振れ幅が激しすぎる。
レオンが立ち上がった。
「俺も行く」
全員が彼を見る。
「関係者だろう」
フィン先生は少し考えた。
「お前は剣術科の生徒だ。学園保護契約には直接関係しない」
「だが、補強式の検証対象だ」
「自分で言うか」
「事実だ」
レオンは俺を見る。
「俺の補強式の記録を使うなら、俺も条件を確認する」
俺は少し驚いた。
以前のレオンなら、自分が検証対象だなんて絶対に言わなかっただろう。
プライドが許さなかったはずだ。
でも今は違う。
彼は、自分の状態を自分の問題として扱おうとしている。
フィン先生は頷いた。
「いいだろう。だが、余計なことは言うな」
「分かっています」
セリアがぼそりと言う。
「分かってる時のレオン、だいたい危ないのよね」
「セリア」
「何よ。事実でしょ」
レオンは言い返せず、微妙な顔をした。
ノルンが小さく笑う。
この空気も、少し前ならなかったものだ。
俺はタイムラインに触れた。
すると、表示が浮かぶ。
【予定ログ】
本日夕刻:
カサンドラ副院長との保護契約面談。
重要論点:
・学園保護範囲
・研究協力の任意性
・編集操作の記録管理
・緊急封印措置の条件
・神託試問記録の閲覧権限
・旧記録保管庫上位閲覧許可
推奨:
事前に交渉条件を整理してください。
「タイムラインにも予定が出た」
俺が言うと、フィン先生が満足そうに頷いた。
「なら、次は交渉訓練だな」
「また訓練ですか」
「歓迎会は終わった。現実だ」
「現実が休ませてくれない」
ミラが笑う。
「異世界転生って大変だね」
その一言に、教室が一瞬だけ静まった。
そうだ。
神託で、俺が異世界から来たことはみんなに知られている。
笑って流せる話ではない。
でも、ミラの声はいつも通りだった。
俺は少しだけ救われた。
「大変だよ」
俺は答えた。
「でも、こっちにも変なやつらがいて助かってる」
ミラがにっと笑う。
「それ褒めてる?」
「かなり」
「ならよし」
リュミエルが静かに言う。
「変なやつら、という表現はどうかと思うけれど」
「じゃあ、世界の規格から外れた人たち?」
「それはそれで嫌ね」
「難しいな」
フィン先生が黒板に大きく書いた。
【交渉訓練】
その下に、さらに一行。
【自分を安売りするな】
その文字を見た瞬間、胸に少しだけ重みが生まれた。
自分を安売りするな。
外れ職として捨てられた俺には、少し難しい言葉だった。
必要とされると、つい応えたくなる。
役に立てるなら、多少無理をしてもいいと思ってしまう。
居場所を失いたくないから、条件を飲みそうになる。
それを、見抜かれている気がした。
フィン先生は俺を見る。
「アキト。今日の交渉で一番大事なことを言う」
「はい」
「学園に守ってもらうことと、自分を差し出すことは違う」
その言葉は、深く刺さった。
俺は黙って頷く。
「お前の能力は価値がある。危険でもある。だから、相手は欲しがる。神殿も学園も、今後は他の勢力もだ」
「他の勢力……」
「貴族、冒険者ギルド、軍、研究機関、転生者狩りの組織。いくらでもある」
最後に不穏な単語が混じっていた。
「転生者狩り?」
俺が聞き返すと、フィン先生は少しだけ目を細めた。
「昔話だ。今は置いておけ」
「置いておけない響きでしたけど」
「今聞くと話が散る」
確かに。
だが、覚えておく。
転生者狩り。
また新しい不穏な言葉が出てきた。
タイムラインが小さく震えた。
【未回収の謎】
・転生者狩り
・神の直接校正
・勇者候補補強式 第七版
・リュミエルの神約の呪印
・旧記録保管庫 上位封印記録
「謎が増えた……」
俺は小さく呟いた。
ミラが笑う。
「編集者の仕事が増えてよかったね」
「よくない」
でも、少しだけそう思っている自分もいた。
知りたい。
この世界がどう書かれているのか。
神が何をしているのか。
俺はなぜここに来たのか。
そして、俺の【編集操作】は何のために存在するのか。
フィン先生がチョークを置いた。
「よし。交渉訓練を始める」
俺は姿勢を正した。
神の台本を書き換えるには、まだ力が足りない。
でも、その前に。
自分自身の契約書くらい、自分の言葉で読めるようにならなければならない。
今日は剣も魔法も使わない。
けれど、間違いなく戦いの日だった。




