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第28話 査問会前夜

最終リハーサルが終わった夜。


特異職科の教室には、いつもより静かな空気が流れていた。


黒板には、まだフィン先生の文字が残っている。


【怒りは持っていけ。ただし、振り回すな】


俺――アキト・アオキは、その言葉を何度も目で追っていた。


怒りはある。


追放された怒り。

外れ職と笑われた怒り。

神殿に捕獲対象として扱われた怒り。

レオンやセリアやノルンに置き去りにされた痛み。

そして、勇者候補という役割で人間を縛る神殿への疑い。


全部ある。


消えない。


でも、それをそのまま明日の査問会に持ち込めば、俺は簡単に危険人物にされる。


神殿は、きっとそこを狙う。


俺が怒るように質問する。

俺が感情的に見えるように誘導する。

俺の言葉ではなく、俺の表情や声の震えを証拠にする。


だから、怒りは持っていく。


でも、怒りに喋らせない。


喋るのは、俺だ。


「寝なさい」


隣から、リュミエル・アークレインの声がした。


俺は黒板から視線を外す。


「まだ眠くない」


「嘘ね」


「分かるのか?」


「目が限界」


「そんなに?」


「ええ。今のあなた、死にかけの魔導書みたい」


「比喩が独特すぎる」


「崩れそうという意味よ」


「分かりやすいようで分かりにくい」


リュミエルは小さく息を吐いた。


彼女も疲れているはずだった。


旧記録保管庫での解析。

証人リハーサル。

俺の暴走を止める役目。

明日の査問会での証言。


背負うものは、俺だけじゃない。


それなのに、彼女はいつも俺の状態を見てくる。


ありがたい。


でも、少し申し訳ない。


「リュミエルも休めよ」


「私は後で休むわ」


「それ、休まない人の言い方だ」


「あなたに言われたくない」


「それはそう」


反論できなかった。


教室の奥では、トーヤが盾を横に置き、椅子に座って見張りをしている。

ミラは窓枠の上で丸くなっているが、耳だけは常に動いていた。

ノルンとセリアは、別室で仮眠を取っている。


フィン先生は、教卓に突っ伏して寝ているように見える。


だが、さっきから黒い茶のカップを倒さない位置で眠っているあたり、たぶん半分起きている。


器用すぎる。


「本当に、明日なんだな」


俺は呟いた。


「ええ」


「正直、怖い」


「でしょうね」


「そこは否定してくれないんだな」


「怖くない方がおかしいわ」


リュミエルは窓の外を見た。


夜の学園は静かだった。


白い塔が月明かりを受けて、青白く光っている。

中庭には薄い霧。

魔法灯の光が、淡く揺れている。


美しい景色だった。


でも、その裏に神殿の目があることを、俺はもう知っている。


「怖いまま行けばいいわ」


リュミエルが言った。


「怖いまま?」


「ええ。怖さを消そうとすると、無理が出る。怖いなら、怖いと分かったまま立てばいい」


「それで大丈夫なのか?」


「大丈夫かどうかは分からないわ」


「また正直だな」


「でも、怖さを知っている人間の方が、踏み越えてはいけない線も見える」


その言葉に、俺は黙った。


踏み越えてはいけない線。


本人の同意。

命に関わる緊急時。

記録と検証。

第三者確認。

深層編集の禁止。

そして、止めてくれる者。


俺はまだ未熟だ。


けれど、未熟だと分かっているからこそ、線を引くことができる。


「ありがとう」


そう言うと、リュミエルが俺を見る。


「勝ってから言う約束でしょう」


「今のは睡眠前指導のお礼」


「また別件なのね」


「便利だろ」


「便利に使いすぎよ」


ほんの少しだけ、彼女が笑った。


その瞬間、張り詰めていた胸の奥が少しだけ緩んだ。


俺はようやく、教室の隅に用意された簡易寝台へ向かった。


横になる。


目を閉じる。


だが、眠れない。


頭の中で、明日の査問会の場面が勝手に再生される。


白い法衣の神官たち。

冷たい視線。

神殿査察官。

質問。

誘導。

証拠。

証人。

沈黙。


俺は、ちゃんと答えられるのか。


怒らずにいられるのか。


怖さに負けずに立てるのか。


その時、腰の横に置いたタイムラインが、かすかに震えた。


最初は、疲労による錯覚かと思った。


だが、次の瞬間。


視界に赤い表示が浮かぶ。


【警告】


外部からの記録接続を検出しました。


対象:

タイムライン


接続属性:

神殿式偽装記録


実行内容:

未承認ログの貼付


「……っ!」


俺は跳ね起きた。


眠気が一瞬で吹き飛ぶ。


「リュミエル!」


叫ぶより早く、教室の空気が動いた。


リュミエルはすでに短杖を構えていた。

トーヤが盾を持って立ち上がる。

ミラが窓枠から音もなく降りる。

フィン先生も、突っ伏した姿勢のまま目だけ開けていた。


「来たか」


フィン先生が低く言った。


「何が起きた?」


リュミエルが俺のそばに駆け寄る。


「タイムラインに外部接続。神殿式の偽装記録が貼られようとしてる」


「偽装記録?」


俺はタイムラインを開いた。


黒い石板の表面に、見覚えのない白い文字が浮かび上がろうとしている。


【偽装ログ】


本日深夜。

アキト・アオキが学園結界の一部を不正編集。

証拠記録を隠蔽するため、旧記録保管庫の封印反応を改ざん。


記録種別:

禁忌の記述改変


俺の背筋に、冷たいものが走った。


「ふざけるな……」


これを貼られたら終わりだ。


俺が自分のタイムラインに、学園結界を不正編集した記録を持っていたことになる。


神殿は、明日の査問会でこう言うだろう。


見ろ。

この少年は証拠を隠すために、学園結界まで改ざんした。

やはり危険だ。

やはり管理が必要だ。

やはり禁忌職だ。


「消すか?」


ミラが短く聞いた。


俺は反射的に頷きかけた。


でも、止まった。


消したらどうなる?


外部から偽装ログを貼り付けられた痕跡も消えるかもしれない。

そうなれば、神殿は別の場所に同じ偽装を仕込む。

あるいは、俺が証拠隠滅したと言ってくる。


消すな。


これは攻撃だ。


なら、攻撃された証拠として残す。


「消さない」


俺は言った。


フィン先生が目を細める。


「判断は?」


「偽装ログ本体は受け入れない。でも、貼り付けようとした接続痕を保存します」


リュミエルが頷いた。


「正解だと思うわ。偽装記録と接続経路を分離できる?」


「やる」


俺はタイムラインに手を置いた。


「編集操作」


視界が青く染まる。


白い偽装ログ。

それをタイムラインに貼り付けようとする金色の糸。

糸の向こうにある神殿式の印。

さらにその奥に、送信元を隠すための薄い膜。


構造が見える。


だが、嫌なほど巧妙だった。


偽装ログを拒否すると、拒否反応だけが残る。

全部切ると、証拠も消える。

受け入れると、俺が不正編集した記録になる。


「性格が悪すぎる……!」


【システム表示】


編集対象を検出しました。


対象:

神殿式偽装記録貼付


構成:

【偽装ログ】

【未承認貼付】

【送信元隠蔽】

【拒否反応誘導】

【証拠化妨害】


実行可能操作:

【カット】

【コピー】

【証拠固定】


推奨処理:

偽装ログ本文を隔離。

接続痕をコピー。

送信元隠蔽を要約保存。

未承認貼付の証拠固定。


「いける」


俺は息を整えた。


まず、偽装ログ本文をタイムライン本体から分離する。


切るのではなく、隔離。


白い文字列を、タイムラインの端に作った仮置き領域へ移す。


「隔離」


白い文字がぐにゃりと歪み、黒い石板の中央から端へ押し出された。


次に、貼り付け線をコピーする。


「部分コピー」


金色の糸の形が、青い光としてタイムラインに刻まれる。


【コピー記録】

【神殿式偽装記録貼付線】


次に、送信元隠蔽。


これは剥がすと警報が鳴る可能性がある。


要約だけ保存する。


「要約ログ保存」


【記録ログ】

【送信元隠蔽術式・要約】


最後に、未承認貼付の証拠固定。


ここが一番大事だ。


「証拠固定」


タイムラインが強く光った。


【システム表示】


未承認ログ貼付の証拠を固定しました。


偽装ログ本文:

隔離済み


貼付線:

コピー済み


送信元隠蔽:

要約保存済み


証拠状態:

改ざん検知有効


俺は大きく息を吐いた。


「できた……」


その瞬間、白い偽装ログが赤く点滅した。


【警告】


偽装ログ隔離を検出。


自壊処理を開始します。


「自壊!?」


フィン先生が叫ぶ。


「記録を消す気だ! 固定しろ!」


「やってる!」


俺はタイムラインに両手を置いた。


白い偽装ログが燃えるように崩れ始める。


自壊されると、本文が消える。


だが、完全に止めようとすると、偽装ログそのものを受け入れることになる。


なら、本文を保存するのではなく、消えようとしている動きも含めてコピーする。


「自壊処理ごとコピー!」


【システム表示】


対象:

偽装ログ自壊処理


実行可能操作:

【コピー】


警告:

自壊処理を複製すると、保存媒体に損傷リスクがあります。


「リスク上等……!」


「上等じゃないわ!」


リュミエルが叫ぶ。


同時に、星の結界がタイムラインを包んだ。


フィン先生の保護結界も重なる。


トーヤが盾を構え、魔力衝撃に備える。

ミラが窓と扉を同時に警戒する。


俺は、消えかける白い文字を見つめた。


「コピー!」


白い炎のような記録が、タイムラインへ焼き付く。


指先が熱い。


頭が痛い。


でも、離さない。


【タイムライン】


証拠固定ログ:

【神殿式偽装記録貼付】

【偽装ログ本文・隔離写し】

【自壊処理発動記録】

【送信元隠蔽術式・要約】


保存完了。


偽装ログ本体は消滅しました。


「……終わった」


俺はその場に座り込んだ。


息が荒い。


手が震えている。


リュミエルがすぐに俺の手を取った。


「火傷は?」


「たぶん大丈夫」


「たぶん禁止」


「大丈夫」


彼女は俺の手を確認し、軽い治癒魔法をかけた。


「魔力焼けね。深くはない」


「よかった」


「よくないわ。寝る直前に何をしているの」


「俺のせいじゃない」


「それはそう」


ミラがタイムラインを覗き込み、低く口笛を吹いた。


「神殿、えげつないね。寝込みに偽のログ貼るとか」


トーヤの顔は険しかった。


「これを明日の査問会で出せるのか?」


フィン先生は腕を組み、しばらく考えた。


「出せる。だが、出し方を間違えると危険だ」


「どう危険なんですか?」


俺が聞くと、先生は黒板に歩きながら答えた。


「神殿はこう言うだろう。“その偽装ログとやらも、アキトの能力で作ったのではないか”とな」


「最悪ですね」


「想定内だ」


先生は黒板に書く。


【新証拠:神殿式偽装記録貼付】

用途:

・査問会前夜に、アキトを罪に陥れる偽装が行われた可能性

・外部からタイムラインへの未承認接続

・自壊処理の存在


注意:

・アキト単独の証拠に見せない

・リュミエル、フィン、ミラ、トーヤの立会い証言をセットにする

・証拠固定ログの改ざん検知を示す


「つまり、今この場にいた全員が証人になる」


フィン先生が言った。


「見張りを置いていて正解だったな」


ミラが肩をすくめる。


「単独行動禁止、大当たり」


「いや、当たってほしくなかった」


本当にそうだ。


もし俺一人だったら、焦って偽装ログを消していたかもしれない。

あるいは、うっかり受け入れていたかもしれない。


そうなれば、明日の査問会で終わっていた。


リュミエルが静かに言った。


「神殿は、明日まで待つ気がないのね」


フィン先生が頷く。


「向こうも焦っている。旧記録保管庫の外部履歴を見られたことで、予定が狂ったんだろう」


「つまり、この証拠は効く」


俺は呟いた。


先生は俺を見る。


「効く。だが、効く証拠ほど危ない」


「分かってます」


「ならいい」


その時、別室の扉が開いた。


ノルンとセリアが顔を出す。


「何があったの?」


セリアが眠そうな目をこすりながら聞く。


ミラが軽く手を振る。


「神殿から寝込みドッキリ」


「は?」


「アキトのタイムラインに偽の犯罪ログ貼ろうとしてきた」


セリアの顔から眠気が消えた。


「何それ。最悪じゃない」


「最悪だよ」


ノルンは青ざめる。


「神殿が、そこまで……」


その声は震えていた。


神聖科の生徒である彼女にとって、神殿は本来、信頼するべき場所だったはずだ。


その神殿が、証拠を偽装しようとした。


彼女の中で、何かがまた一つ崩れたのかもしれない。


俺はノルンに言った。


「まだ神殿そのものがやったと断定はできない」


フィン先生が即座に言う。


「本番でもその言い方をしろ」


「はい」


俺は続ける。


「でも、神殿式の術式だった。少なくとも、神殿式を使える誰かが、俺を陥れようとした」


ノルンは胸元の聖印を握った。


「……分かった」


その目は怖がっていた。


でも、逃げてはいなかった。


セリアは腕を組み、怒りを隠さずに言った。


「明日、その証拠も出すのよね」


「出す。ただし、順番は考える」


リュミエルが言う。


「最初から出すと、神殿側が防御姿勢に入る。まずは演習の救命処置を説明し、その後、証拠妨害の可能性として出すのがいいわ」


フィン先生が頷く。


「そうだ。切り札は、相手が“証拠は信用できない”と言い出した時に出す」


「相手に言わせてから出すんですね」


俺が言うと、フィン先生はにやりと笑った。


「そうだ。相手が自分で穴を掘ったところへ、そっと落とす」


「先生、時々悪役っぽいです」


「勝つためだ」


頼もしいが、ちょっと怖い。


俺はタイムラインを見る。


また証拠が増えた。


でも、それは同時に神殿が一線を越えた証でもある。


査問会は、ただの質問の場ではない。


もう、始まっている。


神殿は夜のうちから、俺を罪人にするための編集を始めていた。


なら、俺たちも編集し返す。


事実を、消されない形に整える。


偽りを、偽りとして残す。


「アキト」


リュミエルが静かに言った。


「今度こそ寝なさい」


「でも、この証拠の整理を――」


「寝なさい」


声が一段低くなった。


逆らえないやつだ。


「はい」


フィン先生も頷く。


「整理は俺とリュミエルでやる。お前は寝ろ」


「でも」


「明日、主役が倒れたら台本以前の問題だ」


主役。


その言葉に、少しだけむず痒くなる。


俺は主役になりたいわけじゃない。


でも、明日の査問会では、俺が立たなきゃいけない。


なら、寝ることも仕事だ。


「分かりました」


俺は簡易寝台に戻った。


横になる。


今度こそ目を閉じる。


まだ心臓は速い。


さっきの偽装ログの白い文字が、まぶたの裏に残っている。


でも、教室には人の気配があった。


リュミエルが近くで記録を整理する音。

フィン先生が黒板に文字を書く音。

ミラの耳が窓の外を警戒する微かな動き。

トーヤの盾が床に触れる重い音。

ノルンとセリアの小さな話し声。


一人じゃない。


それだけで、眠りに落ちるには十分だった。


意識が沈む直前。


タイムラインが、静かに一行だけ表示した。


【証拠固定完了】


神殿式偽装記録貼付は、改ざん不能状態で保存されています。


明日の査問会にて、使用可能です。


俺はその文字を見て、ほんの少しだけ笑った。


神殿が俺に罪を貼り付けようとしたなら。


その貼り付け跡ごと、証拠にしてやる。


それが、編集者の戦い方だ。

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