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第20話 勇者候補の証言

夜の特異職科は、昼間よりもさらに異様だった。


古い校舎の窓には、青白い魔法灯の光。

壁一面の本棚からは、乾いた紙と薬草の匂い。

黒板には、査問会の想定問答がびっしりと書かれている。


【問:あなたは神の加護を人間が編集してよいと考えるか?】

【問:レオン・グランベルへの干渉は不正ではないのか?】

【問:あなたの能力は神殿の管理下に置かれるべきではないか?】

【問:禁忌職ではないと証明できるのか?】


見れば見るほど胃が痛くなる文字列だった。


俺――アキト・アオキは、黒い魔導記録板【タイムライン】を机に置き、深く息を吐いた。


「これ、本当に査問会で全部聞かれるんですか?」


フィン先生は黒すぎる茶をすすりながら、あっさり言った。


「全部どころか、もっと嫌な聞き方をされる」


「聞かなきゃよかった」


「知った方が死ににくい」


「説得力が嫌すぎる」


先生は平然としている。


その横で、リュミエル・アークレインが魔導紙を整理していた。


彼女の前には、今日集めた証拠が並んでいる。


ノルンの治癒副記録の要約。

訓練迷宮の記録コピー。

神殿式閲覧印の痕跡。

レオンの外部補強に関する解析メモ。


どれも大事な証拠だ。


だが、どれも決定打ではない。


神殿はきっと、こう言う。


記録は解釈次第だ。

治癒師の所見は未熟だ。

特異職科の解析は信用できない。

禁忌職の能力で作った証拠など、むしろ危険性の証明だ。


想像するだけで頭が痛い。


「査問会って、真実を確認する場じゃないんですね」


俺が呟くと、フィン先生は片眉を上げた。


「そんな綺麗な場所なら、神殿が主催するわけないだろ」


「辛辣ですね」


「経験だ」


リュミエルが静かに言う。


「神殿査問会は、事実確認の場であると同時に、権威を守る場よ」


「権威を守る」


「ええ。神殿が間違っていた、とは簡単に認めない。だから、こちらは“神殿が間違っている”ではなく、“勇者候補を守るために再検査が必要”という形で押す」


「相手の逃げ道を残す」


「そう」


リュミエルは頷いた。


「逃げ道のない正論は、相手を追い詰める。追い詰められた権力者は、だいたい面倒なことをするわ」


「経験ある言い方だな」


「少しだけ」


彼女はそれ以上言わなかった。


俺は、彼女の右手首に隠された【神約の呪印】を思い出した。


神殿。

エルフの里。

巫女候補。

神に縛るための呪印。


リュミエルもずっと、誰かが書いた台本の中で生きてきたのかもしれない。


その時、教室の扉が軽く叩かれた。


こん、こん。


全員の視線が扉へ向く。


ミラ・クロウは窓枠から音もなく降り、短剣に手を添えた。

トーヤ・ラインハルトは盾を立てる。

リュミエルは短杖を握った。


フィン先生だけが、いつも通り面倒くさそうに声を出した。


「開いてる」


扉がゆっくり開く。


そこに立っていたのは、ノルン・エルシアだった。


白い神官服。

胸元には聖印。

顔色は少し悪いが、目はしっかりしている。


「ノルン」


俺が立ち上がると、彼女は小さく頭を下げた。


「夜遅くにごめんなさい」


フィン先生が手招きする。


「入れ。廊下で立っている方が目立つ」


ノルンは教室に入り、扉を閉めた。


その手は、胸元の聖印を強く握っていた。


「記録、無事か?」


俺が聞くと、ノルンは頷いた。


「うん。まだ見つかってない」


「よかった」


「でも……」


ノルンは言いにくそうに視線を落とす。


「神殿の監査役が、治癒記録を回収したあと、レオンに会いに行ったみたい」


空気が変わった。


フィン先生が目を細める。


「証言の打ち合わせか」


ノルンは小さく頷いた。


「たぶん。レオンは剣術科の特別療養室にいる。まだ右腕の検査中だけど、神殿の人が面会していた」


「内容は?」


「分からない。でも、レオンの様子が……変だった」


「変?」


ノルンは唇を噛む。


「何かを言おうとして、言えないみたいだった」


俺の胸がざわついた。


何かを言おうとして、言えない。


その言葉に、嫌な記憶が重なる。


ノルン自身もそうだった。

セリアもそうだった。

俺も、レオンに追放された時、言葉を飲み込んだ。


でも、今のレオンの場合は違うかもしれない。


神殿式補強。

外部編集。

証言者。

査問会。


「先生」


俺はフィン先生を見る。


「レオンに、何か証言を誘導する術式がかけられている可能性はありますか?」


「ある」


即答だった。


「神殿はそんなこともできるんですか?」


「できるかできないかで言えば、できる。やるかやらないかで言えば、相手による」


「今回は?」


「やる理由がある」


嫌な答えだった。


リュミエルが静かに言う。


「証言誘導の術式は、完全な洗脳ではないわ。けれど、特定の言葉を言いにくくしたり、別の表現へ誘導したりするものは存在する」


「言葉の編集……」


俺は呟いた。


神殿も、編集している。


人の能力を貼り付ける。

証拠の見え方を変える。

証言の言葉を誘導する。


俺の【編集操作】とは違う形で。


もっと制度的で、もっと冷たい編集。


フィン先生が俺を見た。


「アキト。レオンに会うか?」


「いいんですか?」


「いいか悪いかで言えば、かなり悪い」


「じゃあなぜ聞いたんですか」


「必要かもしれないからだ」


先生は黒板を指差す。


【証人:レオン・グランベル】


「査問会でレオンが“アキトに不正干渉された”と証言すれば、かなり不利になる」


「はい」


「逆に、レオン自身が“暴走していた”“救命処置だった”と認めれば、こちらはかなり楽になる」


「でも、レオンがそれを言うとは思えません」


正直に言った。


レオンはプライドが高い。

俺に助けられたことを認めたくない。

自分の力に疑問を持つことも、たぶん怖がっている。


そんな彼が、査問会で俺を助ける証言をするとは思えない。


フィン先生は頷いた。


「だから、無理に味方にする必要はない」


「え?」


「大事なのは、レオンが嘘をつかない状態に近づけることだ」


嘘をつかない。


それなら、まだ可能性があるのかもしれない。


俺はしばらく考えた。


レオンに会う。


正直、気が重い。


また見下されるかもしれない。

責められるかもしれない。

助けたことを否定されるかもしれない。


でも、会わなければ分からない。


彼の証言が神殿に誘導されているのか。

彼自身が何を見て、何を感じているのか。


「行きます」


俺は言った。


リュミエルがすぐにこちらを見る。


「一人では駄目」


「分かってる」


ミラが手を上げる。


「私も行く?」


フィン先生が首を振った。


「今回は目立たない方がいい。アキトとリュミエルで行け」


「私ですか?」


リュミエルが聞く。


「神殿式の証言誘導を見るなら、お前の解析が要る。それに、レオンもミラがいるよりは話すだろう」


ミラが肩をすくめる。


「まあ、私は煽っちゃいそうだしね」


「自覚があるなら直せ」


「やだ」


即答だった。


フィン先生は俺に小さな札を渡した。


「特異職科教員の許可証だ。剣術科の療養棟に入れる。ただし、長居はするな」


「分かりました」


ノルンが俺に近づく。


「アキトくん」


「何?」


「レオン、たぶん今すごく混乱してる」


「だろうな」


「でも、悪い人だけじゃないの」


その言葉に、胸が少しだけ痛んだ。


ノルンは続ける。


「だからって、アキトくんがされたことが消えるわけじゃない。それは分かってる。でも……」


「分かってる」


俺は言った。


「俺も、レオンをただの悪者だとは思ってない」


ノルンの表情が少しだけ緩む。


「でも、許したわけでもない」


「うん」


「そこは、まだ別だ」


「うん。それでいいと思う」


ノルンは小さく頷いた。


俺とリュミエルは、夜の廊下へ出た。


特異職科の校舎を出ると、学園の中庭は静まり返っていた。


空には大きな月。

尖塔の影が石畳に落ちている。

魔法灯が淡く揺れ、夜風が木々を鳴らしていた。


リュミエルは俺の隣を歩きながら言った。


「無理にレオンと和解しようとしなくていいわ」


「分かってる」


「本当に?」


「たぶん」


リュミエルの視線が刺さる。


「分かってる」


言い直した。


彼女は小さく息を吐く。


「あなたは、相手の傷を見つけると、自分の傷を後回しにするところがある」


「そう見えるか?」


「見えるわ」


「厄介だな」


「ええ。かなり」


遠慮がない。


でも、ありがたかった。


「リュミエル」


「何?」


「もし俺が、レオンの証言誘導を見つけたとして」


「ええ」


「それを切るべきだと思うか?」


リュミエルはすぐには答えなかった。


月明かりの下、彼女の銀に近い髪が静かに揺れる。


「本人の同意があるなら、可能性はある。でも、同意がないなら切るべきではないわ」


「査問会で俺が不利になっても?」


「それでも」


彼女は俺を見る。


「あなたが自分で決めた倫理規定でしょう?」


俺は頷いた。


【人の心を都合よく編集しない】


その言葉を思い出す。


証言誘導を切ることは、相手を自由にする行為かもしれない。


でも、やり方を間違えれば、レオンの心や言葉を俺の都合で編集することになる。


俺は神殿と同じになりたくない。


「分かった。まず本人に確認する」


「それがいいわ」


しばらく歩くと、剣術科の療養棟が見えてきた。


神聖科の治療棟より簡素だが、頑丈そうな建物だった。

入口には剣術科の紋章。

夜間警備の生徒が二人立っている。


リュミエルがフィン先生の許可証を見せると、警備の生徒は驚いたように俺を見た。


「特異職科の……」


またそれか。


もう慣れたくないのに慣れてきた。


「レオン・グランベルに面会したい」


リュミエルが淡々と言う。


警備生徒は少し迷ったが、許可証を確認して道を開けた。


「短時間なら」


「ありがとう」


中へ入る。


廊下は静かだった。

木の床が、歩くたびに小さく鳴る。

奥の個室からは、微かに薬草の匂いがした。


一番奥の部屋。


扉の前で、リュミエルが足を止める。


「準備は?」


「できてない」


「正直ね」


「でも行く」


俺は扉を叩いた。


「誰だ」


中からレオンの声がした。


いつもより少し弱い。


「アキトだ」


しばらく沈黙。


それから、低い声が返ってきた。


「何しに来た」


「話をしに来た」


「俺にはない」


「査問会で、お前が証人になると聞いた」


また沈黙。


長い。


やがて、レオンが言った。


「入れ」


俺は扉を開けた。


部屋の中は、思ったより質素だった。


ベッド。

机。

椅子。

壁に掛けられた剣。

窓から差し込む月明かり。


レオンはベッドに座っていた。


右腕には白い包帯。

その上から、薄く金色の紋様が見える。


さっきよりも落ち着いているが、顔色はまだ悪い。


彼は俺を見る。


次にリュミエルを見る。


「アークレインまで来たのか」


「証言誘導の確認のためよ」


リュミエルは隠さなかった。


レオンの眉が動く。


「証言誘導だと?」


「神殿の監査役が来たのでしょう」


「……来た」


「何を話したの?」


「お前たちに話す義務はない」


いつものレオンだ。


でも、その声には以前ほどの勢いがなかった。


俺は一歩前に出た。


「じゃあ、一つだけ聞く」


「何だ」


「査問会で、お前は俺に何をされたと証言するつもりだ?」


レオンの表情が険しくなる。


「お前は俺の力に干渉した」


「それは事実だ」


「勝手にだ」


「それも事実だ」


「なら、それを証言する」


俺は頷いた。


「それでいい」


レオンがわずかに目を見開いた。


「何?」


「事実なら、それでいい」


俺は続けた。


「俺が聞きたいのは、その先だ。お前は、自分の力が暴走していたと思うか?」


レオンの顔が強張った。


部屋の空気が、ぴんと張り詰める。


彼は口を開こうとした。


「俺の力は――」


その瞬間。


レオンの喉元に、金色の文字が浮かんだ。


細い鎖のような文字列。


俺の視界に、システム表示が走る。


【システム表示】


編集対象を検出しました。


対象:レオン・グランベル


状態:

【証言誘導印】


効果:

特定情報の発話抑制。

神殿式補強への疑義表明を阻害。

査問会における証言方向の誘導。


実行可能操作:

【カット】


警告:

対象の称号【勇者候補】および神殿式補強と接続されています。


安易な編集は、対象の発声機能・魔力回路に影響を与える可能性があります。


俺は息を呑んだ。


あった。


本当に、神殿はレオンの証言に印をつけていた。


レオンは苦しそうに眉をひそめる。


「俺の力は……神殿から与えられた、正当な……」


言葉が途切れる。


彼の右手が、包帯の上から腕を握る。


「正当な……はずだ」


最後の言葉だけが、ひどくかすれていた。


リュミエルの表情が鋭くなる。


「見えたのね」


俺は頷いた。


「証言誘導印」


レオンが顔を上げる。


「何だ、それは」


「お前の喉に、神殿式の印がある。神殿式補強への疑いを口にしにくくしている」


「馬鹿な」


レオンは即座に否定した。


だが、その声は震えていた。


「そんなものがあるはずがない。神殿が、俺に……」


また言葉が止まる。


喉元の金色の文字が、ぎり、と締まるように光った。


レオンが苦しそうに咳き込む。


「レオン!」


俺は反射的に動きかけた。


だが、リュミエルの手が俺の腕を掴む。


「勝手に切らないで」


その声で、俺は止まった。


そうだ。


勝手に切るな。


これはレオンの言葉に関わる。

彼の証言に関わる。

彼自身の意思に関わる。


神殿の印を切ることが正しいとしても、俺が勝手にやれば、俺もまた彼の証言を編集することになる。


俺はレオンを見る。


「レオン」


「……何だ」


「お前の喉にある印を、俺は切れるかもしれない」


レオンの目が揺れる。


「だが、危険がある。称号や補強と繋がっている。下手に切れば、お前の喉や魔力回路に影響が出るかもしれない」


「脅しているのか」


「説明している」


俺は一度、息を吸った。


「そして、俺はお前の同意なしには切らない」


レオンは黙った。


月明かりが、彼の顔を半分だけ照らしている。


勇者候補。

俺を追放した男。

神殿に補強されたかもしれない少年。

自分の強さを疑い始めた、ただの十代の人間。


しばらく、誰も喋らなかった。


やがて、レオンが低く言った。


「切れば、俺は本当のことを話せるのか」


「分からない」


正直に答えた。


「印の効果は弱まるかもしれない。でも、何を話すかはお前次第だ」


「お前に都合のいい証言をしろと言うのか」


「違う」


俺は首を振った。


「俺に都合のいいことを言えとは言わない。嘘をつくな。それだけだ」


レオンの目が、俺を射抜く。


「俺はお前を追放した」


「ああ」


「謝っていない」


「そうだな」


「それでも、俺を助けた」


「助けた」


「今度は、俺の証言まで助けようとしている」


「証言を助けるんじゃない。お前の言葉を、お前のものに戻すだけだ」


言った瞬間、自分でも少し驚いた。


お前の言葉を、お前のものに戻す。


それが、今の俺がやるべきことなのかもしれない。


神殿の台本ではなく。

俺の台本でもなく。

レオン自身の言葉。


レオンは、長く沈黙した。


拳を握りしめている。


包帯の下で、金色の紋様がかすかに光る。


やがて彼は、小さく言った。


「……俺は」


声が震えていた。


「俺は、自分の力を疑いたくない」


それは、初めて聞く本音だった。


「勇者候補として選ばれた。神殿に認められた。家も、剣術科も、皆が俺に期待した。俺は強くなければならなかった」


レオンの声が、少しずつ崩れていく。


「だから、お前のような外れ職に助けられたなど、認めたくない」


俺は黙って聞いた。


「だが……あの時」


レオンは右腕を見る。


「俺は、自分の体が自分のものではないように感じた」


喉元の金色の文字が、また締まる。


レオンが苦しそうに顔を歪める。


「言えない……」


俺は、拳を握った。


切りたい。


今すぐ切ってやりたい。


でも、待つ。


本人の同意を。


レオンは荒い息を吐きながら、俺を睨んだ。


「アキト・アオキ」


「何だ」


「俺は、お前を許していない」


「分かってる」


「俺も、お前に許されるとは思っていない」


「そうか」


「だが」


彼は、苦しげに言った。


「俺の言葉を、神殿のものにはしたくない」


レオンは右手で喉元を掴む。


そして、はっきり言った。


「切れ」


俺は息を止めた。


「本当にいいのか?」


「二度言わせるな」


その声は震えていた。


だが、確かに本人の意思だった。


俺はリュミエルを見る。


彼女は真剣な顔で頷いた。


「私が補助する。発声と魔力回路を保護するわ」


「頼む」


リュミエルが短杖を構える。


星の薄い結界が、レオンの喉元を包む。


俺はタイムラインを手に取り、レオンの証言誘導印へ意識を集中した。


「編集操作」


視界が青く染まる。


レオンの喉元。

金色の鎖文字。

称号【勇者候補】。

神殿式補強。

証言誘導印。


全部が絡み合っている。


【システム表示】


編集対象:

【証言誘導印】


構成:

【発話抑制】

【疑義表明阻害】

【証言方向誘導】

【神殿式固定】

【勇者候補称号接続】


実行可能操作:

【カット】


警告:

深層接続あり。

対象の発声機能に負荷。

対象の称号補正が一時的に不安定化する可能性。


成功率:

四十二パーセント


低い。


でも、リュミエルの結界が入る。


星の光が、金色の鎖の周囲を包んだ。


成功率が変化する。


四十二。

五十六。

六十一。


【成功率:六十一パーセント】


まだ完璧じゃない。


でも、やる。


全部切るな。


勇者候補の称号は切らない。

補強全体も切らない。

喉の発声機能にも触れない。


切るのは、証言方向誘導。


特定の言葉へ誘導する鎖だけ。


「レオン」


俺は言った。


「少し痛むかもしれない」


「構わん」


「息を止めるな」


「命令するな」


「今だけ聞け」


レオンは舌打ちした。


でも、ちゃんと息を整えた。


俺は金色の鎖の中から、一本だけ異様に光る線を見つけた。


神殿に不利な言葉を言おうとすると、喉を締める線。


それを選択する。


「カット」


ぶちん。


金色の線が切れた。


レオンが激しく咳き込む。


「ぐっ……!」


「レオン!」


リュミエルの結界が強く光る。


喉元の金色の文字が暴れた。


まだ残っている。


発話抑制。

疑義表明阻害。

証言方向誘導。


一つ切っただけでは足りない。


だが、全部切れば危険だ。


俺はタイムラインを握りしめる。


「次、疑義表明阻害だけを切る」


「やれ……!」


レオンが咳の合間に言った。


俺は再び線を探す。


今度は、神殿式補強への疑いを言おうとした時に締まる線。


見つけた。


「カット!」


二本目が切れる。


レオンの喉元から、金色の火花が散った。


彼は苦しそうに片膝をつく。


だが、喉を押さえながら、震える声で言った。


「俺の……力は……」


金色の文字がまだ抵抗する。


でも、さっきより弱い。


レオンは歯を食いしばり、絞り出すように続けた。


「俺の力は……神殿に、何かを……貼られている」


言えた。


部屋の空気が震えた気がした。


レオン自身も、自分の言葉に呆然としていた。


まるで、ずっと閉じ込められていた言葉が、初めて外へ出たみたいに。


【システム表示】


対象:【証言誘導印】の一部解除に成功しました。


残存効果:

弱い発話抑制

神殿式固定

称号接続


警告:

完全解除には上位編集権限が必要です。


俺は息を吐いた。


完全には切れなかった。


でも、十分だ。


レオンはまだ咳き込んでいたが、意識はある。


リュミエルがすぐに保護魔法をかける。


「喉に傷はない。魔力回路も大きな損傷はないわ」


「よかった……」


俺はその場に座り込みそうになった。


しかし、次の瞬間。


部屋の机の上に置かれていた白い紙片が、突然燃え上がった。


神殿の式紙。


白い炎が立ち上がる。


その中に、文字が浮かんだ。


【警告】


証言誘導印の損傷を検出。


対象:

レオン・グランベル


外部干渉者:

不明


中央神殿へ自動通報します。


「まずい」


リュミエルが短杖を構える。


俺は反射的にタイムラインを伸ばした。


「通報線を切る!」


視界が青く染まる。


白い炎から、細い金色の線が天井へ伸びている。


【システム表示】


編集対象を検出しました。


対象:神殿式自動通報線


実行可能操作:

【カット】


成功率:

三十八パーセント


低い。


だが、やるしかない。


「カット!」


金色の線が震える。


切れない。


抵抗が強い。


「くそ……!」


その時、レオンが立ち上がった。


まだ顔色は悪い。


だが、彼は右腕を押さえながら、白い炎を睨んだ。


「神殿に、伝えるな……!」


その瞬間、レオンの【勇者候補】の称号が淡く光った。


神殿式の力。

本来なら彼を縛るはずの力。


しかし今だけ、その力が通報線の流れを乱した。


成功率が変化する。


三十八。

四十九。

六十二。


今だ。


「カット!」


ぶちん。


金色の通報線が切れた。


白い炎は一瞬激しく揺らぎ、そのまま消えた。


部屋に、静寂が落ちる。


誰もすぐには喋らなかった。


レオンは荒い息を吐きながら、俺を見た。


「……今のは」


「たぶん、完全には通報されてない」


「たぶん?」


「俺のたぶんは、最近あまり信用がない」


リュミエルが小さく言う。


「本当にないわ」


「今言うか」


少しだけ、空気が緩んだ。


だが、状況は重いままだ。


神殿の証言誘導印を切った。


しかも、その自動通報線まで切った。


これがバレれば、査問会どころではない。


レオンはベッドに座り直し、低く言った。


「アキト」


「何だ」


「俺は、お前に謝らない」


「今それを言うのか」


「まだ、謝れない」


正直な言葉だった。


腹は立たなかった。


むしろ、無理に謝られるよりずっといい。


「分かった」


「だが」


レオンは、自分の喉に手を当てた。


「査問会で、神殿に言わされるつもりはない」


俺は彼を見る。


「自分の言葉で話すのか?」


「ああ」


レオンの目には、まだプライドがあった。


怒りもあった。

屈辱もあった。


でも、その奥に、初めて自分自身への疑問と向き合おうとする意志が見えた。


「俺は、お前を許さない。お前も俺を許さなくていい」


レオンは言った。


「だが、俺の力が神殿に貼り付けられたものなら、それは俺が確かめる」


俺は頷いた。


「それでいい」


その瞬間、タイムラインが淡く光った。


【システム表示】


対象:

レオン・グランベル


証言誘導印の一部解除を確認。


本人の同意に基づく編集を実行しました。


【編集倫理・初稿】が更新されます。


追加項目:

本人の言葉を取り戻す編集は、本人の同意と安全確保を前提に許可。


俺はその表示を見て、小さく息を吐いた。


完璧じゃない。


まだ危ない。

まだ未熟だ。

まだ間違えるかもしれない。


でも、少しだけ前に進んだ気がした。


その時、リュミエルが窓の外を見た。


「誰か来る」


俺とレオンが同時にそちらを見る。


廊下の奥から、足音が近づいていた。


複数。


重い足音ではない。

だが、規則正しい。


神殿関係者か。


それとも剣術科の教官か。


リュミエルが低く言う。


「長居しすぎたわ」


レオンはすぐに表情を戻した。


いつもの勇者候補の顔。


だが、喉元の金色の印は、少しだけ薄くなっている。


「アキト」


「何だ」


「裏口から出ろ。俺が時間を稼ぐ」


「いいのか?」


「勘違いするな。お前のためじゃない」


レオンは、月明かりの下で静かに言った。


「俺の言葉を、俺のものにするためだ」


俺は頷いた。


「分かった」


リュミエルが窓を開ける。


夜風が部屋に流れ込む。


俺は窓枠に足をかける直前、レオンを振り返った。


「査問会で会おう」


「ああ」


レオンは短く答えた。


俺とリュミエルは、夜の闇へ身を滑らせた。


背後で、部屋の扉が叩かれる音がした。


神殿の台本に、初めて小さな破れ目ができた。


だが、その破れ目から何が溢れ出すのか。


俺たちは、まだ知らなかった。

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