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第18話 消される証拠

「本日の演習に関する治癒記録を回収する。ノルン・エルシア、ただちに同行せよ」


扉の向こうから響いた声に、面談室の空気が凍った。


ノルンの顔から血の気が引いていく。


俺――アキト・アオキは、黒い魔導記録板【タイムライン】に手を添えたまま、扉を見た。


早すぎる。


神殿はもう動いている。


いや、違う。


神殿から見れば、これが普通なのかもしれない。


都合の悪い記録を先に押さえる。

証言者を孤立させる。

台本にない言葉を、舞台に上がる前に消す。


やり方が、あまりにも手慣れている。


「新人くん」


部屋の隅にいたミラ・クロウが、小さく呼んだ。


いつもの軽い声ではない。


猫耳はぴんと立ち、尻尾は低く揺れている。

彼女は扉の向こうの人数と位置を、音だけで測っていた。


「外に三人。たぶん神聖科の監査役が二人と、護衛が一人」


「逃げ道は?」


「窓。あと天井裏。ただしノルンちゃんを連れてだと厳しい」


ノルンがびくりと肩を震わせた。


「私……逃げたら、もっと疑われる」


「そうだな」


俺は頷いた。


逃げれば、神殿の思う壺だ。


ノルンが証言を拒み、治癒記録を隠し、特異職科と共謀して逃げた。


そういう筋書きにされる。


神殿が欲しいのは真実じゃない。

都合のいい形だ。


「じゃあ、どうするの……?」


ノルンの声は震えていた。


彼女は治癒師だ。

戦う人間ではない。


そして、神殿に逆らうことの怖さを、俺よりずっと知っている。


俺は、昨日の自分を思い出した。


レオンに剣を向けられた時。

何も言えなかった。

地図も食料も奪われて、置き去りにされた。


言葉を飲み込む怖さは、俺も知っている。


だからこそ、今度は飲み込ませたくなかった。


「まず、扉を開ける」


俺は言った。


ミラが少し目を細める。


「正面突破?」


「違う。正面対応」


「似てるようで違うやつだ」


「逃げると悪者になる。でも、黙って渡すと証拠が消える」


ノルンが不安そうに俺を見る。


「証拠……治癒記録の写し、まだ作れてない」


「今作る」


「今?」


「神殿の監査役の前で」


ミラが、にっと笑った。


「新人くん、わりと性格悪くなってきた?」


「必要に迫られてるだけだ」


俺はノルンを見た。


「治癒記録の写しを作る正式な手続きはあるんだよな?」


「う、うん。担当治癒師が、患者の状態確認のために副記録を作ることは認められてる。でも、記録室の水晶を使わないと……」


「この部屋からでも接続できる?」


「簡易端末なら。面談室にも小さな確認水晶があるから」


ノルンは壁際の棚を見た。


そこには、手のひらほどの白い水晶が置かれていた。


「でも、閲覧できるのは簡易情報だけ。詳細記録を写すには、認証がいる」


「ノルンの認証でできるか?」


「できると思う。でも、時間がかかる」


扉がもう一度叩かれた。


どん、どん。


「ノルン・エルシア。聞こえているはずだ。速やかに扉を開けなさい」


声に苛立ちが混じり始めている。


時間はない。


俺は深く息を吸った。


「ノルン。俺は手伝えるかもしれない。でも、君の治癒記録に触れることになる」


ノルンの目が揺れた。


俺は続けた。


「勝手にはやらない。君が嫌ならやらない」


ミラがちらりと俺を見る。


たぶん、時間がないのに何を確認しているんだ、と思ったのかもしれない。


でも、ここだけは飛ばせなかった。


ノルンの意思を無視して記録を編集したら、俺は神殿と同じになる。


ノルンは震える手で、胸元の聖印を握った。


数秒。


長い沈黙。


そして彼女は、小さく頷いた。


「お願い。私の記録を、消されないようにして」


その言葉に、俺は頷いた。


「分かった」


俺は棚の白い水晶に手をかざした。


ノルンも隣に立ち、祈るように手を重ねる。


水晶が淡く光った。


【治癒記録端末】


担当治癒師:

ノルン・エルシア


記録対象:

レオン・グランベル


治療時刻:

本日演習終了直後


記録種別:

魔力回路損傷確認

治癒処置ログ

加護異常反応


「加護異常反応……」


俺は呟いた。


ちゃんと残っている。


ここに、真実の端がある。


ノルンの声が震える。


「詳細記録を開くには、私の認証と、記録室側の承認が必要なの」


「記録室側?」


「通常は担当教員か神聖科監査役が承認する」


「今、その監査役が外にいるわけか」


最悪だ。


いや、逆に言えば。


外にいるなら、承認させればいい。


ただし、相手に気づかれない形で。


俺は水晶の表示を見る。


表面に並ぶ記録項目。

その奥に、細い魔力線が伸びている。


記録室へ繋がる申請線。

承認待ちの封印。

ノルンの認証。

監査役の承認権限。


編集対象として見える。


だが、これは危険だ。


神聖科の記録に干渉すれば、それこそ不正干渉になる。


全部を切るな。

承認を偽造するな。

記録を改ざんするな。


やるべきことは一つ。


すでに存在する「担当治癒師の副記録作成権限」を、正しい手順で前面に出す。


隠された権限を見える位置に持ってくる。


「編集操作」


視界が青く染まる。


【システム表示】


編集対象を検出しました。


対象:治癒記録端末


構成:

【担当治癒師認証】

【詳細記録】

【副記録作成権限】

【監査承認待ち】

【外部回収命令】


実行可能操作:

【カット】

【ペースト】

【タイムライン解析】


警告:

神聖科記録への不正改変は、重罪に該当します。


「改変はしない」


俺は小さく呟いた。


切るのは、監査承認ではない。

回収命令でもない。

記録本体でもない。


見つけるのは、正規の抜け道。


副記録作成権限。


それは存在している。

ただ、監査承認待ちの層の下に隠れているだけだ。


俺はその権限を、上の層へ引き出すイメージを持った。


【システム表示】


未習得操作に類似する編集を検出。


暫定処理:

【簡易レイヤー調整】


成功率:

六十七パーセント


「またレイヤーか……!」


正式にはまだ使えない。

でも、似たことはできる。


表面に出すだけ。

壊さない。

書き換えない。


ノルンが震える声で聞いた。


「アキトくん……?」


「大丈夫。記録は変えない。君が持ってる正規権限だけを前に出す」


「そんなこと、できるの?」


「できるようにする」


外から三度目のノック。


「開けなさい。命令違反として扱うぞ」


ミラが扉の前に立つ。


「あと十秒くらいかな」


「十分」


本当は全然十分じゃない。


俺は水晶の層に指を伸ばす。


副記録作成権限。

それだけを選ぶ。


「前に出ろ……!」


水晶の中で、淡い白い文字が浮上した。


【副記録作成権限】


担当治癒師による緊急確認用の写しを作成できます。


作成しますか?


選択肢:

【はい】

【いいえ】


ノルンが息を呑んだ。


「出た……!」


「押して」


「うん!」


ノルンが【はい】を選ぶ。


白い水晶から、薄い光の板が一枚浮かび上がった。


そこに治癒記録が刻まれていく。


【副記録】


対象:

レオン・グランベル


治療所見:

右腕魔力回路に過負荷反応。

外部加護補強とみられる魔力流入痕あり。

演習中に補強魔力が異常増幅。

魔力回路損傷寸前。


処置前状態:

暴走傾向あり。


処置後状態:

過負荷反応が低下。

魔力回路損傷は回避。

外部からの過剰魔力流入が一部遮断された形跡あり。


担当治癒師:

ノルン・エルシア


俺はその記録を見て、胸の奥で息を吐いた。


これだ。


これがあれば、少なくとも俺がレオンを壊したという筋書きには対抗できる。


「タイムラインに保存できるか?」


俺は水晶の記録に手をかざす。


【システム表示】


対象:治癒副記録


実行可能操作:

【コピー】


警告:

【コピー】は未習得です。

完全複製はできません。


代替処理:

【要約保存】が可能です。


保存しますか?


コピーはまだ使えない。

でも要約保存ならできる。


「保存」


タイムラインが淡く光る。


【タイムライン】


記録ログ:

【レオン治癒副記録・要約】を保存しました。


これは素材ではない。

証拠ログだ。


切って貼るためのものではなく、見せるための記録。


扉の外で、声が荒くなる。


「開けるぞ」


ミラが俺を見る。


「もう限界」


「開けていい」


「ほんとに?」


「ああ」


俺はノルンを見る。


「記録の光板は隠せるか?」


ノルンは頷いた。


「治癒師の聖印に一時保管できる」


「やって」


ノルンが聖印を水晶にかざす。


副記録の光板が小さく折りたたまれ、彼女の聖印へ吸い込まれた。


次の瞬間、扉が開いた。


白い神官服を着た中年の男が二人。

その後ろに、槍を持った護衛。


先頭の男が、部屋の中を見回した。


「ノルン・エルシア。遅い」


ノルンは立ち上がった。


顔はまだ青い。


でも、さっきより目に力があった。


「申し訳ありません。治療後の確認をしていました」


「確認?」


男の視線が俺に向く。


「なぜ特異職科の者がここにいる」


「演習の当事者として、治療状況を確認していました」


俺は答えた。


声を震わせないように意識する。


監査役の男は、俺を見下ろした。


「お前がアキト・アオキか」


「はい」


「神殿査問会の対象者が、治癒記録に関わるとは感心しないな」


「関わったのは治療ではなく、確認です」


「言葉遊びか」


「事実確認です」


空気が冷える。


ミラが壁際で、いつでも動ける姿勢を取っている。


監査役はノルンに向き直った。


「本日のレオン・グランベルに関する治癒記録を、神聖科記録監査部が回収する」


「はい」


ノルンは小さく答えた。


「記録室へ同行しろ。以後、この件に関する個人的な記録作成は禁止する」


俺の心臓が一瞬跳ねた。


禁止。


つまり、やはり副記録を作らせないつもりだった。


だが、もう遅い。


ノルンは震えながらも、はっきりと言った。


「承知しました」


監査役は彼女の胸元の聖印を一瞥した。


俺は一瞬、息を止める。


バレるか?


聖印に保管した副記録が見つかるか?


だが、監査役はそれ以上追及しなかった。


「来なさい」


ノルンは歩き出す。


すれ違いざま、彼女はほんの一瞬だけ俺を見た。


その目に、もう涙はなかった。


怖がっている。


でも、折れてはいない。


俺は小さく頷いた。


ノルンは監査役たちと共に部屋を出ていった。


扉が閉まる。


足音が遠ざかる。


しばらくして、ミラが大きく息を吐いた。


「はー……心臓に悪い」


「同感」


俺も椅子に座り込みそうになった。


指先が震えている。


正面から対応しただけなのに、戦闘より疲れた。


ミラが俺を見て、にやっと笑う。


「でも、やったじゃん。証拠ゲット」


「ああ。ノルンが頑張った」


「新人くんもね」


「俺は手伝っただけだ」


「そういうとこ、ほんと甘いね」


「褒めてるのか?」


「半分くらい」


半分か。


まあ、今はそれでいい。


俺はタイムラインを確認する。


【タイムライン】


記録ログ:

【レオン治癒副記録・要約】


保存素材:

空き

空き

空き


記録は残っている。


完全な写しではない。

でも、ノルンの聖印には副記録がある。


これで、神殿が治癒記録を回収しても、すべては消せない。


一つ、台本にない証拠を残せた。


その時。


タイムラインが、わずかに震えた。


【システム表示】


証拠ログを保存しました。


新規機能の成長条件を一部達成。


条件:

対象情報の記録。

情報の要約保存。

改ざん耐性のある媒体化。


候補解放:

【コピー Lv.1】


進行度:

1/3


「コピー……」


俺は小さく呟いた。


まだ解放ではない。


でも、近づいている。


情報を複製する力。


それがあれば、神殿の改ざんに対抗できるかもしれない。


ミラが扉の方を見た。


「戻ろっか。長居するとまた面倒なの来そう」


「そうだな」


俺たちは面談室を出た。


廊下は静かだった。


だが、治療棟全体に、どこか張り詰めた空気が漂っている。


神殿の手が、ここまで伸びている。


その事実が、重くのしかかった。


外へ出ると、夕暮れの光が学園を赤く染めていた。


白い校舎も、石畳も、噴水の水も、すべてが淡い血の色に見える。


ミラが隣で言った。


「新人くん。神殿って、思ってたより敵に回すとやばいね」


「最初からやばいとは思ってた」


「どれくらい?」


「ダンジョンで毒スライムに囲まれた時くらい」


「それ、だいぶやばいね」


「ああ」


でも、あの時とは違う。


あの時は一人だった。


今は、リュミエルがいる。

フィン先生がいる。

ミラがいる。

トーヤがいる。

そして、ノルンも少しだけ、自分の意思で動いてくれた。


小さな違いかもしれない。


でも、その小さな違いが、俺を前に進ませる。


特異職科へ戻る途中、俺はふと足を止めた。


中庭の向こう。


剣術科の校舎の前に、レオン・グランベルが立っていた。


右腕には包帯。

顔色はまだ悪い。


彼はこちらを見ていた。


数秒、視線が合う。


レオンは何も言わなかった。


俺も何も言わなかった。


ただ、その瞳には昨日までと違う色があった。


怒り。

屈辱。

混乱。


そして、ほんのわずかな疑い。


自分の力に対する疑い。


その疑いは、たぶん彼を苦しめる。


でも、そこから目を逸らしたら、彼はまた神殿の台本に戻される。


俺は小さく息を吐き、歩き出した。


「新人くん?」


ミラが首を傾げる。


「何でもない」


「勇者様、気になる?」


「敵か味方か、まだ分からない」


「じゃあ何?」


俺は少し考えた。


そして答えた。


「たぶん、神殿に編集された被害者」


ミラは少しだけ目を細めた。


「それでも、君を捨てた加害者でもある」


「分かってる」


両方だ。


レオンは俺を傷つけた。


でも、彼もまた神殿の手で何かを貼り付けられている。


加害者であり、被害者。


物語は、そんなに単純じゃない。


だからこそ、ちゃんと見なければならない。


都合よく切り捨てずに。


俺はタイムラインを握った。


神殿は証拠を消そうとしている。


レオンを証人に仕立て、ノルンの記録を押さえ、俺を不正干渉者にする台本を書いている。


なら、俺がやることは一つ。


その台本の継ぎ目を見つける。


そして、そこから切る。


夕暮れの学園に、鐘の音が響いた。


査問会まで、あと二日半。


神殿の舞台は、もう幕を上げている。

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