第三十四譜 比翼連理 破
「ごほッ……!!」
大量の真っ赤な血反吐が乾いた大地に染み込んでいく。
身体は一瞬でボロボロとなり、少しでも動かそうものなら全身に突き刺すような痛みが走る。
しかし、動かないと確実な死が待っているだけだった。
「避けろ!!」
「ッ……!!」
珍しく声を荒げるアッシュ。
【ハルピー】が翼を一振り。たったそれだけで、一瞬で間合いを詰められ、鋭い三又の足が二人を踏み潰そうとする。
神経がズタズタに千切れそうな痛みを必死に噛み殺しながら、手を繋いだまま二人は大地を駆ける。そこに先ほどまでのキレはない。
ひどく緩慢になってしまった動きに、今だけはエトナは自分自身を憎む。
「クソ、クソ、クソ!! 馬鹿じゃないの私! あんなに息巻いといて【ハルピー】のこと忘れるとか、何のために身につけた知識よ!」
「後悔は後で一緒にいくらでもすればいい! 今は足を動かすんだ!!」
愚かさを血反吐と共に吐き捨て、二人は生にしがみつく。体はまだ軋んでいるが、不甲斐ない己への怒りという原動力が、少しだけ痛みを忘れさせた。
だからと言って、【ハルピー】の攻撃に対処できるかと言えばそうではない。振るわれる翼が巻き起こす強烈な風に、二人は吹き飛ばされ、地面に思いっきり打ち付けられた。
「この……! ふざっけんな……! たかが風一つでこんな……!」
「カマイタチじゃなかっただけマシだ! 今は生きることだけを最優先に! エトナ、【ハルピー】の特徴を思い出して!」
「【ハルピー】の攻撃は、あの剣みたいな【羽】の遠隔攻撃と【翼】が巻き起こす風! それから脚と、私たちが喰らった怪音波! けど、怪音波の方は溜めが必要だったはず! っていうか、乱発できるなら私たちはもう死んでいてもおかしくない!」
「よし、僕の頭の中にあるやつと同じだ! なら、そこから戦い方を見出す! 出来るよね!?」
「当たり前!!」
たった数合で分かった彼我の力量差。
ハスタを下に見ているわけではないが、彼が一人で生き残れたのは奇跡に近いだろう。
【ハルピー】の攻撃性はエトナたちを一秒後にその辺の残骸と同じにしてもおかしくない。
それでも、まだ生きていられるなら、何かしらの対応は出来る。それだけを希望に、二人は今まで生きてきた全てを賭して『一秒』を繋げ続けるのだ。
「ここだ!!」
「お返しよ!」
風の猛威を掻い潜り、二人はやっとの思いで【ハルピー】の内側へ。それぞれガントレットに〈合力〉を宿してガラ空きの胴体を殴りつける。
カァァァァァァンッと、乾いた音が響き渡った。
「かった……!!」
「一つ、眼が増えただけでこれか……! そりゃ、ハスタたちもああなるわけだ……!」
思わずアッシュも悪態をつかずにはいられない。
これまで数百体の【隷獣】を粉砕してきたその拳に痺れを与えるほどの硬度。そこから何度も、掻い潜っては殴る蹴るの超高速連撃を与えるが、意味を成さない。
硬質な音だけが鳴り、かすり傷すら付いていなかった。
「それでも……!」
「私たちが弱くて、アナタが強いなんて分かりきってることなのよ!!」
こうなるのは当然の結果だと、二人は最初から受け入れている。それでも、諦めたくない・野望を叶えるために今戦っているのだ。
更に攻撃を重ねる。【ハルピー】の意識をほんの僅かでも防御の方に向ける様に。
一秒、一秒と二人は死に抗っていく。二人で未来を掴み取る懸命な生への執着。
そんなものは【ハルピー】には関係ない。
ここからが【ハルピー】の本領発揮というべきか。周囲の【邪気】を取り込み、なんと【ハルピー】が三倍の大きさに巨大化した。
そのまま【ハルピー】が空を飛び、名剣――あるいは魔剣の如く禍々しく鋭利な紫白銀の翼を大きく広げ、【羽】という名の刃を無数に展開する。
「ッ……! 全力回避!!」
喉から血が出る勢いでアッシュは声を張り、エトナの手を握って回避に専念するリードを取る。
超攻撃からの即時反転。無茶な体の動作だが、二人なら可動域は広い。それを利用し、剣雨を回避する。
「――――」
「――――」
装備が裂ける。外套が消滅する。胴体に傷が入る。頬の肉が削げる。
逃すまいと円を描く様に降り注ぐ【羽】が二人に傷を生んでいくが、痛みを覚える暇はない。決して手を離さず、回避することだけに意識を集中させていた。
「上!!」
活路をアッシュが見出す。
ほんの僅かに生まれた剣雨の隙間。そこに向かって思いっきり跳躍し、【ハルピー】よりも上を取る。
ここならば【羽】が降り注ぐことはない。眼下に広がる、墓標のように【羽】が突き立てられた地面。
それに対して何かを思うことも許されない。【ハルピー】が安堵する暇は与えてくれなかった。
いつの間にか二人よりも更に上を取っていた【ハルピー】が宙にいる二人を蹴り砕こうと、その強靭な太い足を振り抜く。
「――乗って!!」
「ッ……!」
防御不可能。回避の道筋もないと、エトナが即座に見抜き、二人は巨大化している【ハルピー】の三又の足に着地。
蹴りに合わせて、自らその足を蹴って衝撃を逃した。
――だが
「ガッ!!」
「あぐッ……!!」
後追いされる形で振り抜かれたもう一本の巨大な足が放った空気の大砲が、宙を舞う二人を地面に叩きつけた。
地面が深く陥没し、円心状に無数の深い亀裂が入るほどの威力。これがミィシャを吹き飛ばした攻撃だろう。
全身に強烈な重い痛みを響かせ、軋む身体を互いに支えにしながら二人は起き上がる。
既に満身創痍という言葉が尽きない。
フラフラの二人の前に、悠然と【ハルピー】が降りてくる。その姿にはいっそ、神々しさすら生まれていた。
「冗談……って言いたくなるね……」
本で読んだ知識を思い出していたことで【ハルピー】の巨大化そのものに驚くことはない。
だが、大きいというのはそれだけで威圧感となり、否が応でもこちらを恐怖させてくる。
死の予感が、強くなった。
「……」
「(〈英雄〉には、なる。なるつもりだ。けど、物事には段階ってものがある……。それを考えたら、今の僕たちのレベルじゃとても……。せめてエトナだけでも――)」
自分が死ぬこと以上に、アッシュはエトナが死ぬことが怖い。無意識に、オルガから貰ったチョーカーに触れる。隣をチラリと見れば、エトナもチョーカーを触っていた。
『あなたのモノ』以外にも、魔除けを意味するそのアクセサリーに縋ってしまうのだろう。
そうアッシュは思ったが、違うとすぐに気付く。
彼女は今、絶望を塗り潰すような不敵な笑みを浮かべていた。
「エト、ナ……?」
「あぁ、ごめんアッシュ。この顔よね。えぇ、自覚はあるわ。こんな状況で笑ってる場合じゃないってのは分かってるんだけど。分かってるんだけどさ――」
血化粧で頬を濡らしながらも、諦めの色は微塵もない。
【隷獣】と同じ色の瞳でありながら、生に満ちた意志を爛々とぶつけていた。
「あれを超えたら絶対に〈英雄〉に近づけるんだって思ったら、つい――ね。それを想像するだけでもう楽しくなっちゃってさ……!! あぁ……たかが〈グロウズ〉、それも赤眼の私が【四ツ眼】を倒したら、みんななんて言うかなぁ!!」
「――――」
凄惨な笑みすら浮かべ、ハイになっているエトナ。決して、自暴自棄や感情が暴走しているわけじゃない。
ただ、信じているだけだ。最底辺から『上』に上がる反骨精神が昂り、自分が輝かしい未来を手に入れるんだという可能性を。
「だから、やるよアッシュ!! ここでアイツを倒す! 私たちならそれが出来るし、大体ミィシャにあんな啖呵切っといて、今更引き下がれるわけないでしょ!」
「あぁ…あぁ、そうだねエトナ! それでこそ僕が愛するエトナだ! いいよ、どこまでも付き合うさ! おかげでやりようも見えたからね!!」
微塵も諦めていないエトナの姿に、彼女を好きになった幼少期に見たあの日の輝きを思い出す。
女々しくも触っていたチョーカーから手を離し、力強くエトナの手を握ってアッシュも歯が見えるほどの笑みを浮かべる。
〈合力〉の出力が増す。
それに合わせるかのように【ハルピー】が口を開く。怪音波の攻撃動作だ。
「「エトナ/アッシュ!!」」
待っていたと言わんばかりに、二人が舞う様にその場で蹴り技を放つ。白い光の軌跡が宙に描かれ、幾重にも重なったそれが空気と〈合力〉による膜を作った。
ヒントは【ハルピー】が教えてくれた空気の大砲。あれを無理やり真似ただけだが、効果はあった。
怪音波の振動と空気の膜がぶつかり合い、激しい衝撃波が【ハルピー】とエトナたちに同様に襲いかかる。
それすらも二人は利用する。その波を足場として宙を駆ける。
「ここで!」
「アナタを破壊する!!」
昂った感情が放つ一撃。
僅かに、しかし確実に外殻に亀裂が入る感触が拳から伝わってきた――




