第256話 妖精のお茶会(狐の訪問その2)
日本から俺を訪ねてきた昔馴染みの狐、あんずを連れて屋敷に戻った。
姿は12歳ぐらいの少女だが狐の尻尾に耳を持ち、紅白の巫女服に赤いランドセルを背負っていた。
正面玄関へ入ると、巫女服を着たミーニャが待っていた。
「おかえり、ケイカお兄ちゃん……。――っ!!」
あんずを見るなり黒い尻尾がぶわっと逆立つ。
黒い瞳がギラッと光る。
ひっ、とあんずが悲鳴を上げた。
「この猫さん、とってもおそろしゅうございますっ!」
「俺の巫女、ミーニャだ。こっちは、知り合いのあんず」
「この狐、巫女じゃない。神でもない。何者……?」
「知り合いの神の眷属だな。まあ神のお使いだ」
「ふぅん……ケイカお兄ちゃんになんのよう?」
あんずは俺の後ろに隠れて顔だけ出す。
「せ、摂社のお願いと、ケイカさまに一目お会いしたくてお訪ねしただけでございますっ! ――どうしてこの猫さん、こんなにも睨んでこられるのでしょうっ」
「まあ、ある意味あんずは俺の商売敵になるからな。巫女としては黙ってられないだろう」
「ひゃふっ」
びくっと華奢な体を震わせて俺の腰にしがみついてきた。ランドセルがガシャッと鳴り、怯える体温が温かく伝わってくる。
ミーニャは腰に手を当てて見下ろす。
「ケイカお兄ちゃん。この狐、どうする?」
「しばらく屋敷に泊めるつもりだ。観光案内もするかもしれん。つまり俺の客人になるから、仲良くしてやってくれ」
「……わかった、もう敵意向けない」
素直に頷くと、自室へと帰っていった。しかし足音にはまだ不満が残っていた。
あんずがほっと息を吐く。
「仲良くなれますでしょうか……心配でございます」
「まあ、悪い奴じゃない。ちょっと信仰心が激しいだけだ。約束は必ず守る子だしな――じゃあ、どこへ行くか話し合うか」
「はいっ、ケイカさま」
屋敷に上がり、廊下を歩く。
その間、あんずは珍しそうに屋敷をキョロキョロと眺めていた。
応接室に入ってソファーに座った。テーブルを挟んであんずがちょこんと座る。ふわふわの尻尾を枕のように膝の上に置く。
「この世界はかなりファンタジーだ。なにか見たいものがあったら言うといい。エルフの隠れ里とか、世界樹の切り株とか。ナーガや人魚もいるな。妖精の国もある」
「ふぉぉぉ! まさに異世界っ、でございますね! ――ケイカさまは勇者になって魔王を倒されたとお聞きしましたが、思い出に残った場所はございますでしょうか? あんずも見てみとうございます」
俺は顎に手を当てて考える。
「そうだな……やっぱり四天王と戦った場所は記憶に残ってるな。セリカを助けた森、港町ドルアース、世界樹の切り株、火を噴くファスラナフト山……そして魔王を倒した浮遊大陸か」
あんずが目を可愛らしく丸くした。ピコピコと狐耳が動く。
「浮遊大陸でございますか! 見てみとうございます!」
「ふむ。じゃあ、妖精の扉を使って逆順に辿るか。だとするとまずは妖精界だな」
「はいっ! おともいたします!」
筆のように太い尻尾がふぁさっと揺れた。
俺はソファーから立ち上がりつつ言う。
「俺の冒険だが、姫騎士の王女や、さっきの猫獣人の巫女、神の子ラピシアを連れて旅をした。――どうだ? 俺の冒険をなぞる旅をするというなら、彼女たちも一緒に連れて行こうか?」
あんずは、膝の上におしとやかに手を置いて言った。
「ケイカさま、わがままを言わせていただいてもよろしいでしょうか?」
「構わないが」
「できれば、ケイカさまとお二人だけで見て回りとうございます」
「あんずがそれでいいなら、二人で行こうか」
「はいっ。ありがとうございます、ケイカさま」
ほころぶような微笑みを浮かべて杏は立ち上がった。
赤いランドセルに番傘をしまうと、カチャカチャ鳴らして背負った。
応接室を出ると、隣の部屋から出てきたセリカと会った。
「おはようございます、ケイカさま」
「セリカ、おはよう」
「……そちらの子は?」
「古い知り合いの、あんずだ」
あんずが、ぺこっとお辞儀をする。茶髪が垂れた。
「あんずと申します。しばらくお世話になります」
セリカが目を細めて微笑む。
「まあ、可愛らしいお知り合いですわ」
突然、あんずがセリカに近寄り、くんくんと匂いを嗅いだ。
そして口角を吊り上げて、目を見開く。
「……ケイカさまの匂いがいたします」
「なぜ俺の匂いでフレーメン反応みたいな顔をする! ――まあ、同じ匂いなのはたぶん。セリカは俺の……妻だからだ」
旧知の知り合いに妻を紹介するのはなぜか恥ずかしかった。
頬を掻いていると、セリカが微笑む。
「ふふっ。ケイカさまったら」
あんずはセリカの間近から大きな胸を見上げる。
「確かに、とても立派な豊穣のシンボルをお持ちであられますね。触ってもよろしいでしょうか?」
「ええ!? まあ、子供ですから……」
「では、ご無礼をお許しくださいませ」
ぺたぺたと腰や足、胸や背中を医者が触診するように触った。
最後にふむっと頷く。
「立派な母体です。ケイカさまにふさわしいお方でございましょう」
「あ、ありがとうございます」
妙な褒められ方にさすがのセリカも戸惑っていた。
ふと思いついたので言った。
「ちなみに、あんず」
「はい? なんでございましょう?」
「このセリカ。ファンタジー的な説明で言うところの姫騎士だぞ」
すると、あんずが前のめりになって目を見開く。
「くっ、ころ! ですか!? くっ、ころ! とお言いになったのであられますか!?」
「え、えっと……どういう意味なのでしょうか?」
俺は杏の首根っこを掴んで、ぐいっと引っ張った。
「興奮しすぎだ、あんず」
「ぐえ……申し訳ありませんです……」
尖った狐耳が、へにゃっと垂れた。
「じゃあ、セリカ。あんずをあちこち案内してくる。二人だけで回りたいそうだ」
「そうですか。お気をつけていってらっしゃいませ」
「行くぞ、あんず」
「はいっ!」
セリカと別れ、俺は杏を連れて妖精の扉をくぐった。ちゃんとパーティーに入れて。
◇ ◇ ◇
妖精界に出ると、すぐには浮遊大陸に向かわず、地上へと上がった。
花の咲き乱れる草原の中、瀟洒なお城が立っていた。白い壁に青い屋根。
とてもメルヘンチックな雰囲気をしている。
辺りには当然のように様々な妖精たちがいた。羽根をぱたぱた動かして荷物を運ぶ羽妖精や、花の世話をする四頭身ぐらいの妖精たち。
あんずは、茶色の瞳をきらきら輝かせていた。
「ふぁぁぁ! なんて美しいのでしょう! 幻想です、ファンタジーでございますっ!」
「俺が来たときはアンデッドの徘徊する廃墟だったんだがな」
「そ、そのようなことになっておりましたのですか!?」
すると、背後から声が掛かった。
「ええ、すべて勇者ケイカさまのおかげですわ」
振り返れば、白いドレスを優雅に揺らす妖精女王オルフェリエがいた。背中の透明な羽根が光を受けて金色の粒子を放っている。
あんずが目を手で覆いつつ驚く。
「な、なんと眩しいお方でしょう。きっと素晴らしい方に違いありません」
「こいつは妖精女王のオルフェリエだ」
オルフェリエはドレスの裾をつまんで深々とお辞儀した。
「ようこそ妖精界へお越しくださいました……いつも素通りされるだけなので、寂しい思いをしておりましたわ」
「それはすまなかったな。今度、暇を見てお茶でも飲みに来るよ」
ふふっと彼女は笑うと、あんずを見た。
「今度と言わず、今お飲みになってはいかが? 珍しい客人もおられるようですし」
「どうする、あんず?」
「ぜ、是非おもてなしを受けとうございますっ!」
狐耳を興奮でピコピコと動かして言った。
「ええ、ではこちらへ」
優雅に踵を返して城へと向かう。
彼女の後に従って歩いていると、あんずが袖を引っ張ってきた。
「妖精です、妖精の女王様が目の前を歩いておられますっ!」
「お前もある意味、妖精みたいなもんじゃないか」
「あ、あんずはただのお使いですから。素敵な羽根もないですし」
「その代わり、立派な尻尾あるじゃないか」
俺は手を伸ばしてふさふさの尻尾を掴んだ。
ひゃうっ、と可愛い悲鳴を上げた。頬を染めて俺を上目遣いで見る。
「も、もう! もっと優しくお触りになってくださいまし!」
「すまなかったな――どれ」
尻尾の表面を付け根から先へと撫でた。
あんずが爪先立ちになって震える。顔を真っ赤にして、子供がイヤイヤをするように首を振った。
「だ、だからといって、そんなに優しくお触りにならないでくださいっ。あんずが変になってしまいます!」
すると前を歩くオルフェリエが肩越しに振り返った。
「とても仲がよろしいのですね」
「まあ、昔馴染みの腐れ縁だからな」
「く、腐ったのはケイカさまだけです。あんずはちゃんと新鮮なままでございます!」
「そうだな……俺よりずっと偉い」
「あ……っ」
頭を撫でると尖った狐耳がピッピッと跳ねた。けれども、あんずの顔には後悔に似た悲しそうな表情を浮かべていた。
城の庭でお茶会となった。
猫足のテーブルと椅子。ポットやカップまですべて白一色だった。
あんずは、ずずずっとお茶をすする。そして、はうっと安らぎの吐息を漏らした。
「心から温まる味と香りです。素敵なお茶でございます」
「ありがとう、あんずちゃん。妖精界で取れるハーブを使っているのよ」
「そうだったのですか。そのような一品を振舞っていただき、まことにありがとうございます――ちなみに、ケイカさまとはどこでお知り合いになられたか、聞いてもよろしいのでしょうか?」
オルフェリエは微笑みつつ、少し遠い目をした。
「私は魔王の罠にはまって石にされておりました。そして恐ろしい悪行をさせられていたのです……本当に心が壊れそうになるほど辛い日々でした。それをケイカさまが救ってくださったのです」
「俺がまだこの世界に来て数週間だったな」
「その後、魔王によって死霊のはびこる廃墟となっていた妖精界を、ケイカさまが浄化してくださいました。そのおかげで今のような美しい世界を回復できたのです」
あんずが茶色の瞳をうるうる潤ませて、俺を見上げる。
「昔では考えられない優しさです……本当に、素晴らしい神になられました」
「いや、俺のためでもあったからな。打算的な行為であって、褒められるようなことじゃないんだ」
事実を言っただけだが、なぜかオルフェリエとあんずは優しい微笑みを浮かべていた。
その後も冒険のことを聞かれたので、最初からかいつまんで話した。
勇者試験、港町とナーガ、レオとドラゴン、世界樹とエルフ。外輪船に妖精界。貴族の反乱に、氷竜と霜巨人。月世界旅行と魔王住む浮遊大陸。
あんずは膨らみかけの胸をぎゅっと抱き締めて「あんずも、おともしとうございました」とけなげなことを言っていた。
お茶会が終わると、あんずはテーブルに白魚のような手で、三つ指を着いた。
「結構なお手前でございました」
そう言って、ちょこんと頭を下げたのが、妙に印象的だった。
それからオルフェリエと別れ、妖精の扉をくぐる。
次の目的地は浮遊大陸だった。




