第255話 ある朝の行き倒れ(狐の訪問その1)
魔王を倒して数ヶ月過ぎた。
勇武神ケイカを信じる人は急激に増えて、信者数は数十万人。
大海神リリールの信者数は越えていた。
俺は力が溢れるのを感じながら毎日を過ごしていた。
願い事を叶えたり、村を発展させたり。
充実した日々を過ごしていた。
ある日のこと。
屋敷で一人でいたところ、狐獣人のマハルが尋ねてきた。ケイカ村の獣人長をしてもらっている。筆のようなふさふさの尻尾を二本持っていた。
玄関先で応対する。
「珍しいなマハル。獣人たちに何か問題でも起きたのか?」
「はい、いえ、獣人の問題のようですが、よくわからないのでケイカさまに相談に来たのです」
「ほう?」
「実はですね、今朝方、村の近くで行き倒れている獣人を保護しました。今は病院で治療しています」
「ふむ。獣人の旅人か。命に関わるのか?」
――それだと俺が魔法で治してやらないと。
「いえ、命に別状はありません」
「よかったじゃないか」
「ただ、その者は狐の獣人だったのですが、村出身の獣人ではなかったのです。そして私も知らない狐獣人でした」
「狐人族族長のお前がか?」
「はい。喋る言葉も獣人言葉ではないため話が通じず。ほとほと困っています」
「それで俺に相談に、と。まあ、回復したら出て行ってもらったらいいじゃないか。それぐらいの費用はケイカ村の収入で賄えるだろ」
「そう思ったのですが、ケイカさまに相談したのは、一つ気になった点があったからです。着ている服がケイカさまやミーニャ様のような服、どちらかというとミーニャさまの色違いだったので。ひょっとしたらと思いまして」
俺は眉間にしわが寄るのを感じた。
「……ミーニャの巫女服とそっくりの色違い? しかも狐獣人。まさか、白の上着に赤いスカートか?」
「え! よくご存知で。さすがはケイカさま。やはりお知り合いでしたか?」
「いやしらん。でも検討がついた。一度会ってみよう」
「助かります。それにしても私の尻尾に勝るとも劣らない立派な二尾でした」
マハルは自身の後ろに垂れた太くて大きな尻尾をふさり、と動かした。
「尻尾が2本……稲荷の誰かだな」
「え?」
「いや、なんでもない。それじゃ行こう」
「ご案内します」
マハルに連れられて屋敷を出た。
◇ ◇ ◇
ケイカ村の村の南東にある病院へとやってきた。
三階建ての大きな建物。白く塗られた壁は清潔さを感じられた。
俺が入るなり、受付に座っていたファルが立ち上がる。
「ケイカさん、おはようございます」
「変な狐獣人に会いに来た。今、大丈夫か?」
「はい、ちょうど朝食が終わったところです。二階の奥の部屋にいます。すぐご案内しますね」
ファルは立ち上がると、修道服を厳かに揺らして歩き出した。
二階奥の入院患者部屋に、狐獣人はいた。
立派な尻尾を2本持つ、巫女服を着た少女。12歳ぐらい。
ベッドでぼーっと窓の外を見ながら寝ていた。
ベッド脇まで来ると狐を見下ろす。
「あんず。久しぶりだな」
話しかけると尖った三角の耳がピコッと立った。
俺を見るなり、大きな茶色の瞳に涙を浮かべる。
「蛍河比古命さまぁ、おひさしゅうございます。お元気そうなお姿。あんずは会えて嬉しゅうございます」
むかーしむかし、俺の社がまだ存在してた頃、多くの神社と同じく境内に摂社として稲荷の社が付随していた。
その小さな社でずっといたのがこのあんずだった。古い知り合いではある。
「倒れてたそうだな。魔物にでも襲われたのか?」
「いえ、ケイカさまにお会いしたい一心でここまできたのですが、飲まず食わずだったので倒れてしまいました。ご迷惑お掛けしました」
しゅんと耳を垂らして頭を下げた。
ふと思いついて尋ねた。
「どうして魔法や神術を使わない? 倒れるほど困窮しなくて済んだだろ?」
「こちらの世界へやってまいりましたら、神通力がほとんど使えなくなっておりました。呪術も使えず、宇迦之御魂大神へ願いも通じず。困っておりました」
「なるほど。世界の理が違うから、神レベルでないと異世界では力が発揮できなくなるのか」
――俺だって自分の力である水と風しか使えなかったわけだし。
ただの眷属ではすべての加護を失って当然だろう。
なるほど。魔王ヴァーヌスが地球に復讐するため、名実共に神に成りたがったわけだ。
俺は入口付近にいるマハルを振り返った。
「こいつの待遇はどうなってる?」
「まだ保留中です」
「なぜ?」
「着ている服がミーニャさまと似ているので、勇者さまに迷惑かけるかもしれないと迷っていました」
「ふむ。まぁ、伏見稲荷大社の回し者だけど。……あんず、この世界に何をしに来たんだ?」
尻尾がはたはたと震える。
「あんずは、ケイカさまにお会いしとうございました。だから無理を言って、こちらの世界に来たのでございます……一応、摂社の申請書類もお持ちしましたが……」
杏はベッド脇に置かれた赤いランドセルを引き寄せると、中から書類を取り出した。
「それは仕舞っておけ。……たぶん摂社はしない」
「はう~。さようでございますか……」
悲しそうに俯きながらランドセルにしまった。
俺はマハルに言った。
「というわけだ。彼女はしばらく俺が面倒見ることにする」
「それがいいですね。ちなみにその少女の名前はなんという子でしょう?」
「ん? さっき言ったが。こいつの名はあんずだ」
「わかりました。代官のエトワールさまのも報告しておきます」
マハルが言う。
「ちなみに、その子は獣人なのでしょうか? 先ほどから知らない言葉で話されてましたが」
「知らない言葉? ああ、そうか」
――言語翻訳が機能していないんだな。
「うーん。獣人といえば獣人なんだが。狐の化身といったほうが正しいか。俺の屋敷に住まわせるつもりだから、何かあったら連絡してくれ」
「わかりました」
あんずに尋ねる。
「体調はどうだ? もう歩いても大丈夫そうか?」
すると、あんずがベッドから降りた。
紅白の巫女服を整えつつ、細い手足をもみ、豊かな尻尾を振った。
「はい、朝食をいただいて元気になりました。どこにも怪我はしておりません」
「じゃあ、一度戻るか――っと、その前に。――《言霊変換》」
あんずの頭に手を乗せて撫でた。柔らかな茶髪の心地よい感触。
彼女がぼんやりとした青い光に包まれる。
大きな狐耳をピッピッと動かして戸惑っている。
「これは、なんでございましょう?」
「言葉が通じるようになったはずだ」
「ありがとうございます! さすがケイカさまであられます」
ぺこっと頭を下げた。
急に言葉が通じるようになり、マハルとファルが驚いていた。
「じゃあ、帰るぞ。ついて来い」
「はい。……それでは人間さん。助けていただきありがとうございます。大変お世話になりました」
ファルに丁寧に頭を下げると、巫女服にランドセルを背負い、番傘を持った。
そして屋敷へ戻った。
◇ ◇ ◇
屋敷の庭に入ると、あんずが幼い顔いっぱいに驚きを満たして声を上げた。
「なんと賑わっておられるのでしょうっ。大変、風情のあるお社に境内ではありませんかっ! 周囲を囲む木々も重厚かつ神秘的。ケイカさまは神として、ご立派になられたのですね……」
目尻にキラリと涙が光った。心から喜んでくれているらしい。
確かに庭には参拝客が多かった。
魔物退治、家内安全、旅行安全、病気回復、商売繁盛、などを願っていく。
「まあな。勇者になって頑張ったからな」
境内へと入っていく。
彼女の履く赤いぽっくりが可愛らしい足音を立てた。太い尻尾は喜びのためか、ふりふりと動いていた。
あんずが庭の隅を見ながら、ぽつっと呟く。心なしか幼い頬が赤く染まっている。
「あんずの社が、あの辺りにあれば……いえ、なんでもありません」
「先に言っておく。悪いが摂社は無理なんだ、あんず」
「なぜでございましょう? たいていの神社には稲荷が付き物となっておりますが……」
太い尻尾が力なく垂れる。
「俺とご利益が被るからな」
「まあ、そうだったのでございますか! んん? 見たところ五穀豊穣はしておられないようですが……」
あんずは目ざとく物販販売所のお守りを眺めていった。
「こっちの世界じゃ、豊穣の神は大地母神ルペルシアがやっている。かなり世話になったから、競合する気はない」
あんずはがっくりと小さな肩を落とす。背負ったランドセルがカシャカシャと鳴る。
「残念でございます……ようやく昔みたいに一緒の神社でと……」
「こっちの世界じゃ神の姿は見える。だから神として目だった活躍をしていないと、摂社しても信仰してもらえないぞ?」
「さようでございますか……事情はわかりました。ただ、あんずは、ケイカさまとまた一緒に暮らしてみたかっただけでございます。ずっと身を案じておりましたから……」
あんずはそう言うと、俺の和服の袖をくいっとつまんできた。俺の少し後ろをしずしずと従う。
境内に清らかな風が吹いていく。彼女の茶髪と巫女服が頼りなく横に流れた。
「そうか。心配かけたな。……俺の社が廃止された後、どうしてたんだ?」
「日本全国32000ある社に非常勤で勤めておりました。あとは家内や会社屋上などの分祠に足を運んだり……大変忙しゅうございました。旅立ちの挨拶もできず、申し訳ございませんでした」
ぺこり、と申し訳なさそうに頭を下げた。
「宇迦之御魂大神は人使い荒そうだからな。まあ、しばらくゆっくりしていったらいい。バカンス休暇だ。ここでは人々と普通に触れあえるし、耳や尻尾があっても変な目で見られないからな」
「そういえば、マハルさんでしたか。あんずとよく似た狐のかたでしたね。なかなか立派な尻尾をお持ちでした」
「ああ、こちらには獣人と呼ばれる種族がいるからな」
するとバケツとスコップを持ったエルフがやって来た。フィオリアだ。胸が豊かに揺れている。
「おはようございます、ケイカさま。おや? そちらの子は?」
「こいつはあんずだ。まあ、古い腐れ縁ってところかな」
「そうでしたか。ケイカさまの……ん?」
あんずが目を見開いてフィオリアを見ていた。それから俺を見て金魚のように口をパクパクさせる。
「どうした、あんず?」
「こ、こちらのかたは、ひょっとしてエルフさんでは、あられませんか!?」
「そうだぞ。エルフのフィオリアだ。庭仕事をやってもらってる」
あんずが俺の袖を引っ張り、いつものおしとやかな口調のまま興奮して言った。
「なんということでしょう! お伽噺の中でしか見たことのなかったエルフさんが、目の前におられるなんて!」
「え、ええ!?」
「こら、あんず。フィオリアが戸惑ってるだろ」
「ですが、ケイカさまっ。エルフさんであられますよ!? 胸もたいそうご立派であらせますし! ケイカさまは、なんて果報者なんでしょう!」
目をキラキラさせて尻尾を振っていた。
俺はフィオリアに言う。
「まあ、少し頭おかしいけど、悪い奴じゃないから」
「は、はい。わかっております……エルフが珍しいところから来られたのですね……それでは仕事に戻りますので」
屋敷へ続く石畳を歩いていると、あんずが興奮して喋る。玉砂利を踏むぽっくりの足音が激しい。
「ひょっとして、エルフさんのほかにもいろいろおられたりするのでしょうか?」
「いるな。ファンタジーなものは一通りは揃ってたはずだ」
「はわわわわ! あんず、ちょっと冒険してきとうございますっ! こういうのは確か、冒険者ギルドに登録して冒険者になればよろしいのですね!? まずは薬草取りとゴブリン退治からだと聞いたことがございます!」
「この世界に冒険者ギルドはないな。あったけど魔王に潰された」
「あら、さようでございましたか。残念です。でもいろいろ見て回りとうございます!」
「んー、それもありか。わかった、俺がじきじきに案内してやろう。なかなか楽しい世界だぞ」
杏がささやかな胸を押さえて、心配そうに言う。
「あんずのためにそこまで……よろしいのでしょうか?」
「昔のよしみだ……というか、今思えば。ずっと傍にいて世話になったのに、何一つ返してやれなかったからな」
昔の暮らしを、昨日のことのように思い出す。
俺は人々の願いをほとんど聞かないくせに、俺を敬わない奴らばかりだと傲慢にも憤っていた。だめな神だった。
神社の屋根に寝そべっては、参拝客を見下していた。
そんな俺を口を酸っぱくして諌めたのが、あんずだった。
今と同じように巫女服を着て、ふさふさの太い尻尾をぶんぶん振って怒る。
「ケイカさまっ! もっと来てくださる人を大切にしなくてはいけませんよっ!」
「うるさいな、お前。俺がいるから稲荷もついでに参拝してもらえるんだろ。感謝しろ」
「もうっ! ケイカさまったら! どうなっても知らないでございますっ!」
口では怒りながらも、掃除や食事の世話をかいがいしくしてくれた。
まあ結局取り返しの付かないことになってしまったが。
摂社されていた稲荷神社は合祀されて生き延びたが、俺の神社は消滅。
廃止になって取り壊された時、彼女は怒らなかった。罵りもしなかった。
夕日が辺りを赤く染める中、確か彼女は何か言った。なんだったか。もう思い出せない。
ただ、とても悲しそうな顔をしていたのを覚えている。
自分の担当する神社がなくなって、また下っ端お使いになるから悲しいのかと思っていたが、今は違うと思える。
隣を歩くあんずの頭を優しく撫でた。柔らかな髪。
「まあ罪滅ぼしみたいなもんだ。――当時は本当に苦労かけた。それでも最後までいてくれたんだよな……ありがとう、あんず」
あんずが頬を染めながらも、びっくりしたように茶色の瞳を丸くしていた。
見上げる瞳を潤ませながら言う。
「あんずは、うれしゅうございます……ケイカさまは、強さと慈愛を兼ね備えた、本当に立派な神になられたのですね……」
「俺なんてまだまだだ。いや、謙遜じゃなくて本当にな」
「……もう、あんずが心配することは、なに一つございませんのですね」
そういって微笑む彼女の声は、なぜか寂しそうに響いた。
次話は今週日曜更新です。




