第238話 Prayer of the world ――世界の祈り、希望の歌
浮遊大陸の中央になる建物で、俺はセリカに抱かれて横たわっていた。
魔王の痛烈な一撃を喰らって、命は風前の灯だった。
けれど、セリカの祈りが世界へと届く。
それに応えて、世界中から暖かい力が俺の心へと流れ込んできた。
『ケイカさま、頑張ってくれぇ!』『わ、我を娶るまでは死ぬことは許さんぞ! 生きるのだ!』『死なないで、勇者さま。人魚のために、世界のために、幸せな未来のために。お願いっ』
港町ドルアース。
ナーガのダリア、イエトゥリア、そして人魚のアリアが祈ってくれた。
もちろん街のあちこちで、ナーガと人々が手を合わせて祈ってくれていた。
体の芯が、ぼうっと温かくなる。
『ケイカさま、あなただけが頼りです』『ケイカさまこそ最後の希望です』『死なないで……頑張って……!』
エルフの村でヤークト族長やフィオリア、リィが祈っていた。
右腕が少し動いた。
辺境大陸の村人たちも祈っていた。
『ケイカさま、神さま! 決して、負けない!』『神の使い、太陽の使い、ケイカさまは死なない!』
『僕より先に死なないで……っ! まだあなたからもらった恩を、何一つ返せていないから!』
族長の声、部族たちの声、幼く澄んだリオネルの声。
左腕を動かすことができるようになった。
寒い世界からも、暖かな祈りが届く。
『あなたの本気はそんなものではないはずよ。もう少し頑張ってみてもいいじゃないかしら?』『勇者さん、死んじゃダメだから! また勝負するんだからぁ~!』
霜巨人ティッキーが、巨大魔法少女フレイヤが祈っていた。
右足が少し動いた。
はるかな次元の向こうから、祈る声が聞こえた。
『勇者さま、あなたのしてきたことに間違いはなく、これからも間違わないでしょう』『勇者さま~、がんばってください』『死なないでください』
月の人形たちが、花の咲き乱れる月面から祈っていた。
左足が動いた。
妖精たちの声もする。
『私が認めた勇者なのです。ここで死んではなりません』『ケイカどの、負けないでくれ!』『いかん! 負けてはいかん! 頑張るのじゃ!』『ぼく、信じるです~』
妖精女王オルフェリエ、マージリア、ヘムルじいさんにハーヤ。
みんなの心配する声を受けて、体の感覚が戻った。
人魚の島から祈りが聞こえる。
ドラゴンの住むグリーン山からも願いが届く。
各地の村々から、インダストリアの職人たちから、王様も王女も貴族も奴隷も、みんなが心を合わせて祈った。
『ケイカさま、アタクシを置いていかないでくださいませっ』『ゾンビにしてでもアタシとの約束守ってもらうんだからっ!』
ケイカ村にいるエトワールとステラの声だ。
侯爵の傲慢な声まで聞こえた。
『我輩にライバルと認められた以上、我輩の許可なく死ぬことは許さん! 一生、競い続ける地獄を味あわせてやる、ふははははっ!』
俺は、困難に立ち向かう勇気を思い出した。
――ああ。
こっちの世界に来ても、結局わがままに振舞ってきたのに。
どうしてこんなに暖かいんだろう……。
どうしてここまで俺を信じてくれるんだろう……。
「ケイカお兄ちゃんは、死なせない! 私の未来だから!」
誰よりも純粋で、誰よりも力強い意思。
俺の巫女ミーニャ。
細い手足をしなやかに動かして舞い続ける。
魔法の灯りだけが照らす黒い広間に、白衣と黒袴の巫女服が神秘的に揺れていた。
未来か……。
俺はずっと信じてくれる信者を得ようと頑張った結果、みんなの未来を生み出してきていたんだな。
そしてみんなから見守られていたんだな。
――俺は、ずっと一人じゃなかったんだ。
どんどん暖かい力が流れ込んでくる。
すべての父親は、明日のために祈った。
すべての母親は、子供たちのために祈った。
すべての少年は、まだ会ったこともない人のために祈った。
すべての少女は、夢に見た神秘的な彼のために祈った。
誰かが、誰かのために祈った。
世界は祈りに包まれた。
――すべてはケイカのために。
ケイカの未来のために。
この星の、未来のために。
……未来で遊ぶ、子供たちのために。
急速に力が、失われていく以上の力が流れ込んでくる。
俺は床に落ちていた太刀を握り締める。
だが、力が戻っただけで、胸の大穴は治っていなかった。
力が、まだ足りない。入った分だけ胸の穴から抜けていく。
「ば、ばかなっ! どうしてあの致命傷から復活できる――!」
無残に死ぬところを眺めると言っていたヴァーヌスは、お腹を押さえつつ取り乱した。
「はわわっ! ヴァーヌスさま、取り乱してはだめなのですっ!」
創世神アトラがヴァーヌスの傍へ向かおうとする。
しかし、ラピシアの噛み付き攻撃の効果がまだ切れておらず、水の中を進むように遅かった。
そんな状況の中、ラピシアが泣きながら叫び続けていた。
俺の胸にか弱い手を当てて叫ぶ。
「きゅあああ! きゅあああああああ!!」
しかしチートな回復量をもってしても、じわじわとしか傷口は塞がっていかなかった。
もう死んだものと判定されたのかもしれない。
回復魔法で死体は生き返らない。
それでもラピシアは、幼く澄んだ切実な声で唱え続ける。
眉間に必死なしわを寄せて、全力で叫ぶ。
本能的に良いと悪いを感じ取る少女ラピシア。
一瞬回復したけれど、根本的に治っていないと気付いているらしい。
だから必死になりながら、涙が止まらないのだろう。
ヴァーヌスが離れた場所から俺を見下ろしてあざ笑う。でも、ほっと安堵の息を漏らしたのは見逃さなかった。
「あ~、びっくりした。その雑魚が君たちの希望だったんだよねぇ? 世界の希望だったんだよねぇ? 結局無駄じゃないか! ――違うって言うなら、早く傷を直してみせてよ! やらないと死んじゃうよ? あははははっ」
お腹を抱えて笑い出した。
きゅああ、と叫んでいたラピシアが、金色の瞳からぼろぼろと涙をこぼす。
「なんで! なんでなの! ラピシア、とっても悲しいっ!」
憤りながら頭を振る。青いツインテールが激しく乱れた。
そして、幼い肢体が、白光に包まれながら明滅している。
――レベルアップしようとしてるのか……。
次は確か「愛を知る」だっけな……。
ヴァーヌスのあざ笑う笑いが響く中、せっかく祈りによって戻った力が、傷口から抜けていく。
声を発することができない。
そもそもなんて声をかけてやればいいんだ。
ラピシアは俺の和服を掴みながら叫んだ。
「みんないつか死ぬ! だから、鳥はおいしい! 豚もおいしい! 牛もおいしい! ケイカも死ぬのは当たり前! でも、ケイカが死ぬのは悲しい! なんで!? ラピシア、すっごく、ずるいっ!」
必死な叫びと共に、淡い涙が辺りに散った。
そういえば、助けられなかった鳥を食べることに躊躇しなかった。
命は粗末にしない、いい子だと思った。
それがラピシアの愛なのかと思った。
――でも、違った。
大切な人に、一秒でも長く生きていて欲しいと願う。
それが、きっと、ラピシアの『愛』なんだ……。
動けない俺は、眼差しにその思いを込めて、見つめた。
微笑んでいたかもしれなかった。
伝わったかどうかはわからない。
なだらかな幼い頬に、新たな涙が流れただけだった。
……結局、神としてなにも成せなかった異世界の旅。
一人の少女をそこそこ立派な神にすることができただけでも、その甲斐はあったのかもしれないな。
そう考えたら、自然と笑みが零れた。
これほど自然な笑みは、久しぶりかもしれなかった。
――と。
ラピシアは俺を見つめて、ぼろぼろと涙を零し、張り裂けるように叫ぶ。
「苦しい! ラピシア、ずるい子! ――ケイカ、死んじゃイヤっ!!」
その瞬間、黒い石に包まれた暗い部屋を、真昼のような光が照らした。
ヴァーヌスもアトラも、突然のことに目を覆う。
「目がー! 目がー!」と叫んでいた。
慣れていたセリカとミーニャだけが目を閉じて防いだ。
そして、俺の懐にある【勇者の証】が明滅して、最後の事実を知らせた。
『パーティーメンバー・ラピシアがレベルアップしました』




