第237話 私が必要としたすべてはあなたでした
浮遊大陸の中央都市。
俺たちは薄暗い部屋の中で魔王と戦っていた。
ついに魔王の隙を突いて、奴の弱点に魔王撃滅閃を叩き込んだ。
そう、目の前にはセリカのフローズンレイピアによって氷漬けになった魔王ヴァーヌスが……。
唐突に、視界が揺れた。
「え……?」
ぐらっ、と体が前のめりに倒れていく。
力が入らない。
そして、鉄臭い液体が喉の奥から込み上げてくる。
――かはっ!
俺は倒れていく黒い床に何かを吐いた。とたんに、赤い鮮血が花のように散った。
隣にいたセリカが悲鳴を上げる。
「け、ケイカさまぁぁぁ!!」
胸を見下ろすと、大穴が開いていた。
まるで後ろから砲撃でも喰らったかのような……。
倒れながら肩越しに振り返ると、手を真っ赤な血で染めたヴァーヌスが、ニタニタ笑いながら背後に立っていた。
「こんなので僕を倒そうって言うんだから、笑えるよねぇ~!」
「ケイカさま、ケイカさまっ、ケイカさまっ!」
セリカが金髪を乱して倒れた俺を抱き起こす。
たわわな胸が顔に押し付けられた。意識が遠のく中での心地よい感触。
――いったいなにが……?
ヴァーヌスは心底楽しそうに笑う。
「残念だったねぇ~! でも、僕って不死身だし、瞬間移動もできちゃうんだなぁ~! 愚か者が死んでいく姿を見るのは、本当に楽しいよ!」
遠くから弾ける声援が聞こえる。
「はわわっ! さすがヴァーヌスさまなのです! 無能な物たちは生きてる資格がないのですっ! 今回のことを執筆すれば、またベストセラー間違いなし、なのです!」
目の前を見れば氷の像は外側だけで、中はもぬけの殻だった。
――そうだった。
最初にラピシアを狙って背後に立ったときも瞬間移動してたな……。
セリカが青い瞳から美しい雫を流しつつ泣き叫ぶ。
「ケイカさまっ! ダメですっ! 死んではダメですっ!」
子供のように訴える。
しかし、俺を抱える手は見る見るうちに赤く染まっていった。
喉がひゅうひゅうと鳴るのを感じながら、ただ一つの指示をする。
「に……逃げろ……」
しかしセリカは金髪を揺らし、音を立てて首を振る。
「イヤですっ! ケイカさまがいない世界なんて、存在しないも同然です! わたくしには、わたくしには! ケイカさまが必要なのです――ッ!」
するとヴァーヌスが、笑いながら言った。
「安心しなよ、君が死ぬまでは手出ししないから! ――僕はね、無能な者が無意味に足掻くのを見るのが大好きなんだ! もっと僕を楽しませてよ! ほら、見ててあげるからさぁ!」
あはは、とヴァーヌスはお腹を押さえつつ、心の底から笑った。
「身も、心も……く……腐ってやがるくせに……特に、脇腹がな」
俺の言葉にヴァーヌスが笑い声を止めた。目を細めて薄笑いを浮かべる。
「よく気がついたねぇ。そこだけは褒めてあげるよ」
そう。
ヴァーヌスの腹は腐っていた。
きっと繭からの羽化が不完全だったに違いない。
その腐臭をごまかすため、最初現れたときに香炉を炊いていたのだ。
でも、直撃を避けられたとは言え、魔王撃滅閃は命中していた。
なのにダメージを受けた様子がない。本当に不死身なのかもしれない。
……やはり、俺では倒せないのか。
もう、意識を保てなかった。
すると、シャラン……ッと涼やかな音が響いた。
目の端で追うと、ミーニャが不思議なステップを踏んでいた。
二刀流の包丁をきらめかせて様々な剣舞を披露しながら、俺の周囲を回り始める。
そのとたん、体の中心が熱くなるのを感じた。
神に捧げる奉納舞――神楽剣舞連か。
少しだけ意識がはっきりする。
ミーニャはネコ耳と尻尾を震わせて淡々と言う。
「絶対、助ける。ケイカお兄ちゃんは、死なせない!」
黒い壁と床の広間に決意の声が響き渡った。
でも、体に大穴が開いた今、体力を全回復させる神楽剣舞すら焼け石に水だった。
入る力より、傷口から流れていく力のほうが多い。
もう……時間の問題だな。
くくくっ、とヴァーヌスのおかしそうに喉を鳴らす音だけが不愉快だった。
――と。
遠くから、どたどたと走ってくる音がした。
白いワンピースをひらひらと舞わせてラピシアが走ってくる。
「きゅあああ! きゅああああああ!」
一途に唱える癒しの呪文。
ラピシアは金色の瞳に涙を浮かべていた。
俺の傍まで来ると、小さな手のひらで胸に開いた大穴を押さえた。
傷口だけではなく、全身が温かく癒されていく……。
でも、チートな回復魔法ですら、何の足しにもならなかった。
まるで底の抜けたコップに水を注ぎ続けているよう。
力が入る端からどんどん抜けていった。
セリカに抱かれるままになる。
もう指先一つ動かせなかった。
体の感覚がない。空気のように溶けていけそうだった。
遠のいていく意識の中で考える。
頑張った。偶然来た異世界で頑張った。
結局、無駄に終わったけれど頑張ったよな。
やれるだけはやったはず……?
ぽたり、ぽたり、と頬に何か温かいものが当たった。
薄目を開けると、セリカが青い瞳から大粒の涙をこぼしていた。
そして全身を徐々に光らせ始める。
「ケイカさま……っ。ケイカさまが、本当の神さまなら、きっと世界は応えてくれますっ!」
「な……なにを……」
セリカが何か命を投げ打つような、とんでもないことをしそうな気配がした。
――やめてくれ。俺は負けたんだ。
逃げてくれ……一秒でもいい、長く生きてくれ……っ!
しかし俺の願いは虚しく、セリカが華奢な肢体から光を迸らせた。
頭の上のティアラが光る。
人智を越える魔力が消費されていく。
――まさか、乙女祈願か?
「む、無駄だ……やめろ……」
かすれた声で伝えた。
俺を復活させるなんて無理だ。
セリカの命が持たない。やめれくれ……!
しかしセリカは首を振る。金髪が広がり、涙がはかなく散った。
「いいえ、わたくしはやってみせます。ケイカさまのいない世界なんて生きる意味がありません! ケイカさまこそ、わたくしのすべて! ――ケイカさまからいただいた愛を見ていてください――っ!」
パキィンッ!
何かが壊れる音がした。
ヴァーヌスが眉をひそめる。
「ん? 何の音かなぁ? どうせ無駄だけど。……溺れて死んでいく豚を見るのはとっても楽しいねぇ! くふふっ!」
セリカは薄暗い天井――その先の天空を見上げた。
音がした薬指から、膨大な青い光が迸る。
「な……っ!」
ヴァーヌスが目を見開いて驚いていた。
セリカは凛とした声で言い放つ。
『世界のみなさん、見ていたでしょう? 今こそ祈るときです! 愛を、想いを、未来を! すべてをケイカさまに願うのですわ!』
青い魔力の本流が、世界にあまねく伝わっていく。
意思を伝える姫騎士スキル――全軍伝達!
それを使って全世界の人々に届けたんだ!
黒い石でできた広間が青い光に照らされる。
その中で、ふと一つの事実を思い出した。
――そうか。
あの指輪だ。
収穫祭の夜店で買った、セリカへのプレゼント。
魔力を供給する祈願の指輪!
こんなところで命懸けのセリカを助けてくれるなんてな。
そして、鈴虫のようにかすかな声が、俺の心に優しく届いた。
『勇者さま、頑張って』『勇者さま、死なないで!』『頑張ってくれぇぇぇ!』
見れば、王都の人々が祈っていた。
少し痛みが遠のいた。
世界がセリカの呼びかけに応えて、一つの祈りに集約しようとしていた。
次話は明日の昼に更新です。




