第236話 空を飛ぶ勇敢な者
本日更新二回目
浮遊大陸の中央にある建物で俺は魔王と戦っていた。
しかし太刀を掴まれて攻撃を封じられ、世界を映し出すスクリーンで展開される最後のときを眺めているしかなかった。
エルフの隠れ里がある大森林が、軽自動車ほどもある巨大な蟻の大群に襲われていた。
そして蟻はある一点に向かって木々を伐採しながら突き進んでいく。
――俺が視線で知らせてしまったエルフの村へ。
教えなければ神話竜アウロラが間に合ったかもしれないのに。
神として人々を守ってやれない。
足下が崩れそうな気がする。
横にいるセリカが必死で叫ぶ。
「ケイカさま! 諦めないでくださいませ!――まだ、終わったわけではありません! まだ戦えます! ケイカさま、どうか……!」
何かを訴えかけるように、セリカは健気な声援を送り続ける。
絶望的な状況の中にあって、まだ俺を信じている声。
かろうじで足を踏みとどまり、腕に力を込めた。
しかしヴァーヌスに捕まれた太刀は動かない。
腐ったような匂いに気分が悪くなる。
エルフや世界樹が倒されたら、俺は邪神になる。
ならなかったとしてもどうやって倒せばいいんだ……。
が――。
画面の向こう、大森林の上空に人影がよぎった。
「やれやれ。あなたたちの勝てる確率は0%だというのに、いい加減にして欲しいですね――詠唱法陣起動4・6・14・殺虫雲」
ゴォォォッ!
森を覆うほどの白い雲が生まれて、大森林を包んでいく。
蟻たちは逃げる間もなく、次々と倒れていく。
巨体から伸びた六本の足を折り畳んでひっくり返る。
キチキチと間接を軋ませ、苦しげにもがいた。
ほぼ壊滅状態。
これはむしろ村を目指して一方向に集中していたため、一網打尽にできたようだ。
大森林の上に黒いローブを着た長身の男が浮かんでいた。体正面に魔法陣を展開して殺虫雲を維持し続けている。
「ダークレイヴン……」
ダークは長い髪を書き上げると、つまらなそうにつぶやく。
「ティルト、数匹そっちへ行きましたよ」
「わかってらぁ!」
元気な声で答える少年エルフ。
緑の短髪を軽快に揺らして、雲から逃れた蟻へと迫る。
「はぁっ! ――火炎拳!」
「……ティルト」
握った拳に炎をまとい、鎧のように固い外骨格を砕いては燃やしていく。
悪態をつくのはいつもどおりだが、端整な少年顔は美しいほどに真剣だった。
「魔法の使えないオレでもなぁ、大切なものを守れる程度にゃ強くなってんだ! ――今、見せてやるっ!」
足に炎をまとって連続蹴りを放った。炎舞脚だ。
ドンッ、ドゴォッ!
巨大な蟻の胸や腹を吹き飛ばして、辺りに緑色の体液を撒き散らした。
へっ、と鼻の下を擦って余裕を見せるティルト。
しかし、一瞬の隙を突いて、殺虫雲からトラックほどの巨体が飛び出した。
見るからに女王蟻。
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【ステータス】
名 前:サガン
種 族:魔法蟻族
職 業:女王蟻
クラス:クイーンLv99 悪魔Lv60
属 性:【魔】【穢地】
攻撃力:2万8000
防御力:4万4000
生命力:3万6000
精神力: 1500
【スキル】
噛み付く(スラッシュファング):大きな牙で噛み千切る。防御値無視攻撃。
爆砕鉄鎚:地面を砕く強烈な一撃で範囲攻撃。
強酸吹突:相手を溶かす液を吐く。
異空召喚:手下を呼び出す。
命換卵生:人間を一人食べるごとに、一つ卵を産む。
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こいつも桁違いの強さ。
ティルトの横を駆け抜ける。
「しくった――! ちぃ!」
追いかけようとするものの、次から次へと蟻が襲いかかる。
女王蟻はエルフの村へ一直線。
――と。
その進路上、大木の陰から青年が青い髪を揺らして颯爽と現れる。
「申し訳ないですが、ここは通行止めです」
白い歯を光らせながら剣を抜き放つ。
「まあ、おいしそうな男だこと。死なせるのが惜しいわぁ」
「手加減してくれるのでしょうか?」
「いいえ、生きたままじわじわと食べてあげたくってよ!」
女王蟻は速度を上げて突進する。落ち葉が舞い、大木が音を立てて倒れた。
レオは苦笑しつつ言う。
「一度死んだ身ですから。もう死にませんよ」
短いマントを揺らして剣を振った。
キィン――ッ!
見惚れるようなレオの剣撃。
女王蟻の前足が切り飛ばされて宙を舞う。
「ギャァァァア! わた、わたしの美脚がっ! なぜ攻撃が通る――!」
「言ったでしょう? ここは通行止めですって」
青い髪を揺らしてレオが追撃した。
上空でダークが雲を維持しつつ、ティルトへ指示を出す。
ティルトは飛ぶように森を駆け抜け残党を倒した。
浮遊大陸の薄暗い広間の中、ヴァーヌスは怒りで体を震わせた。
「あいつもこいつも無能だらけ! ようやく世界樹を殺せると思ったのにっ!」
太刀の刀身を掴む手に力が入った。
どす黒い血がつうっと流れる。
その様子に疑問が浮かんだ。
――なぜ世界樹にそこまでこだわる?
尋ねようかと思ったが、その前にセリカの悲鳴に打ち消された。
「ああ! エーデルシュタインが! みなさん、逃げてっ」
山々に囲まれた高原にある小さな国。
のどかなはずの春の風景に、魔物が空と大地を埋め尽くしていた。
あれを押し返せる力はない――。
ヴァーヌスが画面へ顔を向ける。
「ふぅん。まあ、いいかぁ。手順が違っただけで、あとからフォローすればいいんだ。……さあ、彼女の国が滅んだら、君はもう神でいられる資格はないよねぇ?」
俺は思わず頼んだ。その声はかすれて震えていた。
「ヴァーヌス……やめてくれ……」
「んん~? 聞こえないなぁ! もう一度言ってくれる?」
「ケイカさま、いけませんっ! きっと、きっと……諦めなければ、希望はありますからっ! フレイヤちゃんやオルフェリエさまを思い返して、冷静になってくださいませ!」
セリカは確信したような口調で断言する。金髪が揺れて花のような香りがした。
――なぜ、霜巨人の魔法幼女フレイヤの名を? 妖精女王オルフェリエの名を?
関係ないはず……。
セリカは青い瞳で必死に何かを伝えてくる。
そんな時、暗い部屋に浮かぶ無数のスクリーンから爆発音が聞こえた。
「「「ギャアアアア!」」」
耳障りな断末魔。
見れば、エーデルシュタインを襲っていた魔物たちが次々と倒されていた。
空を飛びながら魔法を放つのは、ライオンの体に蛇の尻尾、鷹の翼を持つ魔獣。
――グレスギー!
ライオンの口から火の玉を吐き、蛇の尻尾からは毒霧を吐いた。
さすが強者といわれる魔獣キマイラ。
弱い魔物を次々と倒していく。
ただ、グレスギーは、魔王軍で副司令官までしかなれなかった魔獣。
ルーナやレオたちほどには強くない。
事実、攻撃を放ちながらも、逆に攻撃され、体中に無数の傷を作っていく。
血を流しながら爪を振るい、鋭い牙で噛み砕く。
それでもグレスギーは、口の端を上げて笑っていた。生き生きとしていた。
「俺も焼きが回ったな。……ミスト――ミスッターの言う、死に場所がついに巡ってきたというわけか……うむ。悪くないな」
楽しさと安堵の入り混じる笑顔。ふて腐れて生きてきた者とは思えない態度だった。
すると獅子の顔を持つ魔物が現れた。巨大な斧を持ち、二足歩行をしていて鎧を着ている。
――死霊騎士ファルカンほどではないが、桁違いの強さを持つ悪魔だった。
「グレイバロン、魔王さまに逆らって勝てるとでも思っているのか? 諦めて投降するがよい」
「ザウナロク、久しぶりだな……確かに魔王には勝てぬ。が、貴様は魔王そのものではない!」
「ほう? 人間のために戦うというのだな?」
「いいや、友が守ろうとしたもののためにだ。彼、彼女は失いたくないだろうからな」
「なんの話だ? グレイバロン」
グレスギーは答えずに天高く舞い上がると、ザウナロク目掛けて飛来する。
「一つだけ言わせて貰おう。――俺のことは グ レ ス ギ ー と呼べっ!!」
叫んだとたん、全身が炎に包まれた。火の玉となって落下する。
画面越しに見ている俺は息を飲んだ。
――魔力だけじゃなく、生命力まで燃やしている……っ!
ザウナロクも気付いたらしく、巨大な斧を振り回しつつ逃げ腰になる。
「なっ! や、やめろ! 来るな!」
グレスギーは燃えながら高らかに笑った。
「はっはっは! ――ミスッター、それにチーシャ女王! 貴様たちの生き様は見事だったぞ! 俺も見習わせてもらおう! ――ガァァァ!」
「うわぁぁぁ!」
ザウナロクは斧を放り出して逃げたが、その背中に火の玉となったグレスギーが激突した。
次の瞬間、画面が閃光に包まれた。
遅れて届く轟音と衝撃。
灼熱の炎が地獄のように燃え踊った。
そして光と煙が晴れると、大半の魔物が消え去っていた。
……グレスギーの姿もなかった。
司令官を失った魔物たちは右往左往し始める。
死ななかった魔物もダメージを受けてフラフラになっていた。
――これなら騎士団だけでも勝てる。
そう思ったとき、王都に控えていた騎馬隊が槍先を揃えて出撃してきた。
グレスギーが育て上げた百戦錬磨の軍団。人と獣人の混合部隊。
若き騎士団長のシュバウワーが槍を掲げて叫ぶ。
「グレスギーさまの願いを無駄にするな! ――者ども、命を賭けて続けぇぇぇ!」
「「「うおぉぉぉ!!」」」
嵐のような雄たけびを上げて突進した。
手負いとは言え人間と比べたらはるかに強い魔物たちを、次々と仕留めていった。
ヴァーヌスが俺たちの剣を掴んだまま叫ぶ。
「なんでだい!? どうして諦めずに面倒なことをするんだ! 僕の予定が狂っちゃうじゃないか! ほんとにイライラする!」
悔しげに地団太を踏んだ。辺りに腐臭が漂う。
セリカが震える声で呟く。涙ぐんでいた。
「ありがとうございます、グレスギーさん……」
俺は信じられなかった。
「なぜ……なぜそこまで頑張る?」
セリカは涙を流しつつ、必死で訴えた。
「ケイカさまっ! 皆さんは自分のために戦っているのではありませんわ! 守りたい誰かのために、命を賭けているのです! だから、ケイカさまも、諦めないでくださいませ! 必ず勝つ方法はありますから!」
俺は、はっと息を飲んだ。
――そうだ、仲間のために、誇りのために、未来のために。
誰もがみんな必死で生きてる。
俺が諦めてどうするんだ!
ぎりっと奥歯を噛み締める。
「俺が間違っていた。最後の最後まであがいてやる!」
「そうですわ、ケイカさま! わたくしもフレイヤちゃんやオルフェリエさまのようにサポートいたしますわ!」
涙を散らしてセリカは言った。端整な顔が美しく輝く。
――が。俺は首を傾げた。
また出た突然の名前。意味がわからなかった。
……いや、違う。
魔王に気付かせずに、何かを伝えようとしているんじゃないか?
フレイヤの特性といえば、魔法少女。
違うな、いまいちピンとこない。
とするなら、冷気で周りを凍らせる能力――凍らせる!?
そしてオルフェリエは花の妖精。香り。
匂い?
――というか、さっきから時々漂う腐臭はなんだ?
――まさか!?
セリカが『そうですわ、さすがケイカさま!』とでも言うように、青い瞳に決意を光らせて頷いた。
俺は頷き返しつつ、心の中で呪文を唱える。
ヴァーヌスが溜息を吐きつつ俺たち見た。
「もういいかなぁ。身の程を知らない愚者たちには呆れ返るよ! 遊びはここまでにして、さっさと死の世界へと導いてあげる!」
俺は太刀をしっかりと握り締めた。
「いくぞ、セリカ!」
「はい! ケイカさま! ――イヤァァァ!」
セリカが凛々しい声で叫ぶ。
そのとたん、ヴァーヌスに掴まれていた細剣――フローズンレイピアが青く輝いた!
すべてを凍らせる吹雪が発動する。
「わっ、えっ!?」
掴んでいたヴァーヌスの左手が一瞬にして凍りついた。腕、肩へと氷が広がっていく。
俺は口角を上げて笑った。
「当たらなければ、動きを止めればいい! しかもお前『早すぎたんだ腐ってやがる』だな!」
ヴァーヌスの目が驚愕で見開かれる。
「な、なぜそれを知って――」
「覚悟しろヴァーヌス――魔王撃滅閃水月斬!」
右手の指を切り飛ばして自由になると、太刀を下段から降り抜いた。
切っ先が、魔王の腹をえぐる!
ドヴォォォ――ッ!
まるで腐った肉を叩いたような音が広間に響き、黒い石の床に赤い血が散った。