閑話 エビルスクイッドのSS(第五章エピローグ代わり2)
(第二章ごろの話)
ある日の海の底。
巨大な海底洞窟の中で、魔王四天王にして海を支配する巨大なイカ、エビルスクイッドがいた。
傍には家ぐらいもある大きな机。書類が積みあがっている。
体長20メートル、丸太のように太い10本の触手には、それぞれ巨大なペンや書類、依頼書、休暇届、海洋地図や資料本、虫眼鏡を持っていた。吸盤に貼り付けて。
空いた2本の手で頭(胴体)をかきむしりながら言う。
「ぬああ! また魔王軍西方部隊に物資輸送願いだと! ゲアドルフの奴、この間、送ったばかりではないか! ええい、誰かがちょろまかしておるに違いない! シェルクラブ部隊を付けて見張らせろ! ――承認、と!」
ペタンと書類にはんこを押す。
「次はなに、辺境大陸に緊急物資輸送!? あ! 先月送り忘れたか!? くっ、我としたことが――承認!」
ペタンとはんこが押される。
「ソードフィッシュ隊から休暇願いだと……ええい、この忙しいときに遊びへ行くなどっ! 我はもう午前休すら数年取っておらんのだぞ! ――くぅっ、承認!」
ペタン。
「備品の追加発注!? ……今年度の予算はもうない、来年度にまわせ! ――却下!」
ペンで大きなバツを書く。
「商船沈没のノルマが前年比割れ!? くぅ、予算が削減されてしまうな、廃船でも沈めて辻褄を合わせろ! ――確か、ここと、あそこに……メタルグラディウス隊で行け!」
拡大鏡で地図を見ながら紙に巨大なペンを走らせて、指令書を書いていく。最後にはペタンとはんこを押す。
ぐいっと目の上を触手で拭う。
机に積みあがる書類をうんざりした目で見る。
「……まだこれだけあるのか。というか昨日より増えてないか?」
手のようなヒレで書類を掴んだ部下の魚が泳いで寄ってくる。
「大変です、エビルスクイッド様!」
「なんだ?」
「ドルアースの入り江占領部隊が勇者によって全滅させられました! 逃げたかもしれませんが」
「な、なんだと! ……忙しくて部隊編成を怠ったツケが回ったか……皇帝クラゲに再占領の指示を出す――ハンドイルカ隊がクラゲを押せ」
書類に指示を書き込み、はんこを押して部下に突っ返した。
――と。
魚やエビ、シャチに半魚人などが駆け込んでくる。10人以上いた。
「エビルスクイッド様! 部隊内で暴動がおきました!」「ナーガ族がドルアースで暮らし始めたとの報告が!」「シャチ隊が聖女に全滅させられました!」「ドルアースにいる勇者の討伐命令が出ました!」「インダストリアの奴隷商から、魔物奴隷の要望が!」「ドルアースの祭りに咎人が使われるようです!」「エビルスクイッドさま! ――!」「エビルスクイッド様……!」
部下達に囲まれたエビルスクイッドは触手を振り回しながら絶叫した。
「ぬわぁぁぁ! 仕事が多すぎて手が回らん! ――腕が10本欲しいっ!!」
「「「ありますよっ!!」」」
部下から総ツッコミを突っ込みを受けるエビルスクイッドであった。
◇ ◇ ◇
だいぶ前のエビルスクイッド。
深夜、仕事を終えると海岸へ向かった。
人気のない岩場。
波を被る数メートルの岸壁の上に黒いマントに燕尾服を着た男が斜に構えて立っていた。
エビルスクイッドはぬうっと胴体の下の顔を覗かせて言った。
「待たせたな、侯爵」
「ふんっ、貴様ごとき、待つほどの価値もないわ! 我輩はただ海を眺めておっただけだ! ありがたく思え!」
エビルスクイッドは苦笑しつつ謝罪を述べる。
「すまんな。心遣い感謝する……ところで、考え直してはくれないか?」
「またその話か。酒がまずくなる! ――だがしかし、今年取れたぶどう酒を樽ごと飲ませてやろう! 酔って隙だらけになるが良い!」
「おお、新酒か。侯爵はさすがだな。ありがたくいただこう」
侯爵の後ろにある酒樽に触手を伸ばして持った。
酒樽の上の板に別の触手の吸盤を貼り付け、すぽんと抜く。
体を持ち上げ、下にある口からグイッと飲む。
「うむ。香りが豊かでうまいな」
「ふふん、当然だ。三種類の肥料を与えた、新農法で作ったからな」
ぐびっ、ぐびっ、とエビルスクイッドは酒を飲んだ。
巨体に荒々しい波が打ち寄せては、白い飛沫となって砕ける。
ぷはーっと熱い息を吐いて言った。
「なあ、侯爵よ。これだけの酒を造れるという、部下を統制できる力があるのだから、魔王軍に入ってみないか? 四天王の地位は約束しよう」
「ふん。我輩は誰の指図も受けぬ! 唯一絶対の存在なのだ! ――だいいち魔王四天王のイスは埋まっておるではないか」
エビルスクイッドは頭を振った。
「グレウハデスはただの筋力馬鹿だ。部下を率いるという意味が分かっておらん。ただ暴れておるだけだ。もう一人、バリアムークはただの傀儡だ。本来なら隊長程度」
「人材がいなくて数合わせというわけか。魔王軍もとんと落ちぶれたものだな。霜巨人の王ヨトゥンや暗黒騎士ファルカンの代わりがいないとはな」
「返す言葉もない。ゲアドルフは頭は良いが、自分のことを一番に考えておる。もう少し、魔王様が復活した後のことを考えて欲しいものだ。全部我に皺寄せがくる」
はぁ~、と溜息を吐く巨大イカ。頭の三角が力なく垂れる。
侯爵はワイングラスを傾けながら、ニヤリと意地悪く笑う。
「ならば、我輩が魔王になってやろうか?」
「ぬ……それは……ダメだ。魔王様を裏切ることはできぬ」
「結局、そういう奴だ、お前は」
「仕方ない。魔王様の聡明さに惚れたのだ。この方についていけばきっと魔物たちは幸せになると。人間を裏から操り、奴隷のように従えられると思ったのだ」
「操り奴隷になってるのは魔物も同じかもしれないがな」
侯爵は遠い目をしながら酒を飲んだ。
エビルスクイッドは、一瞬目を吊り上げたが、すぐに触手の力を抜いた。酒樽を口へ運ぶ。
「……そうかもしれん。魔王様がお隠れになってから、少しだけ心配になってきた。だからこそ部下達には幸せになって欲しい」
「ふんっ! 甘いぞエビルスクイッド! 弱いものに生きる資格などないわ! 弱者は地獄の苦しみを味わいながら一生、這いずり回れば良いのだ! ――この我輩の地獄でな!」
ふははははっ、と高らかに笑う侯爵。
エビルスクイッドは侯爵の地獄の実体を知っているのか、苦笑しながらまた酒を飲む。
「侯爵の地獄か……さぞおそろしいのであろうな」
「当たり前だ! 最近では勤続十年を超えた職人に、一番良いと噂される同業者のところへ旅立たせておる。そこで圧倒的な技術差を思い知り、一角の人物になったという自信と幻想を木っ端微塵に打ち砕いてやるのだ! どうだ、おそろしいだろう! ふははははっ!」
それ、ただの技術研修や視察旅行じゃねーかっ! とケイカならツッコミを入れただろう。
「さすが侯爵。もっと早く出会っていれば……いや、なんでもない」
「……エビルスクイッド、一つ忠告しておこう。イカだろうとヴァンパイアだろうと関係ない! 一番大切なのは自分自身がこの世界をどう楽しむかだ! 弱者になど構ってる暇はない! 我らは世界をより楽しめる力を手に入れたのだからな! フハハッ!」
エビルスクイッドはまた苦笑する。
「侯爵はいつも楽しそうだな。――ただ、残念だが我は楽しむために力を求めたのではないからな」
「ほう? では、ただのイカがなんのために強くなったというのだ?」
「同胞のためだ。イカ、タコ、クラゲのような柔魔族たちのためだ」
ぐいっと酒樽を煽ると、熱い酒の息を吐く。
侯爵が眉をひそめる。
「どういうことだ? いまいち話が読めん。言いたくないなら言わなくてもよいがな」
「侯爵なら言っても構わないだろう……我が子供の頃、大海支配者はメテオホエールだった」
「隕石を降らす巨大鯨か。なかなかの強さであったな」
「そうだ。鯨のエサは何か知っているか?」
「髭の生えた鯨が小さいエビみたいな奴で、歯の生えた鯨が――なるほど」
強い波が岸壁に当たり、ざぁっと音を立てて崩れた。
「その通り。鯨のエサはイカタコクラゲだ。天敵が海の頂点に立っておったのだ。子供時代は逃げ回る日々だった。誰かに守って欲しいと思った。助けて欲しいと願った。――しかし誰も助けてはくれなかった。そして――」
「どうした?」
「ある日、イカの村がメテオホエールの一行に見つかった。我と兄弟だけが砂に隠され、母はおとりとなって目立つように泳いだ。メテオホエールは圧倒的に強くて母の反撃も無駄に終わる」
「弱肉強食の世界だ。仕方あるまい」
ワイングラスをくるくると回す侯爵。
「ああ、そうだ。仕方がない。仕方がないが、しかし! 目の前で母が食い散らかされるのを見たとき、涙を流しながら初めて気が付いたのだ。誰も助けてなんかくれない、と。だから我は決心した。誰も守ってくれないなら、我が眷族を守ってやる! 誰よりも強い力を手に入れてやるとな!」
「……お前は強いな。この先、誰かに勝てないことはあっても、負けることはないだろう」
「褒め言葉と受け取っておく。――いささか、おしゃべりが過ぎた。酔いが回ったようだ」
エビルスクイッドは酒樽を上に向けた。一樽飲み干していた。
岸壁に空き樽を置くとすぐに二杯目へ触手を伸ばす。
本当に酔ったせいか力の加減を誤って、ギシッと樽が軋んだ。
侯爵はつまらなそうに回すワイングラスを見る。
「そういう生き方もありか……一番いいのはお前が――」
そこで口をつぐむ。お前が魔王になることだ、と言おうとしたのだが、言っても意味がないと気付いたからだった。
「なんだ、侯爵?」
「気にするな。ただの戯言だ」
「そうか? まあ、侯爵は自分の地獄が大切か。でも、魔王軍に入りたくなったらいつでも言ってくれ。侯爵の場所は空けておく」
「ふふん、よかろう。気が向いたら四天王になってやろう」
そう言って侯爵はワイングラスを掲げた。
もちろん意味のない口約束だというのは侯爵もエビルスクイッドも分かっていた。
エビルスクイッドは新しく開けた酒樽を持ち上げてワイングラスとぶつける。
カツッと乾杯の乾いた音がした。
そして、また酒をぐびっと飲むのだった。
◇ ◇ ◇
深夜。
エビルスクイッドは、海底洞窟にいた。
カチャっと音を立てて魔王製モノクルを右目に付ける。
巨大な鏡を見ながら、右、左と顔を向けて確認した。
「この装備も懐かしいな。ゲアドルフに魔王様のためと言われたが……はたして」
――と。
「エビルスクイッドさま……行かれるのですか?」
突然、後ろから声がした。
魚体の下半身をうねらせて、人魚のクリスティアが泳いでくる。紫の髪が波打つように流れていた。
巨体ごと振り返り、宝石のように小さな人魚を見る。
「ああ、内通者のジャンから伝達があってな。勇者の入れ知恵で、生贄の咎人がすりかえられているらしい」
「……無事に、帰ってきてくださいね」
「何を言う。我は大海の支配者。誰にも負けはしない」
あっはっはと豪快に笑うエビルスクイッド。
でも、どこかしら虚しく洞窟に響いた。
「あの子達のこともありますから……」
クリスティアは後ろを降り返る。とても小さなクラゲ頭の子供が、洞窟の入口にイソギンチャクのように張り付いていた。
「おお。ルーナ、マーリン、プルラ。――いつ見ても、母に似て可愛らしいな!」
「「「おとーさんっ!」」」
ルーナたちが滑るように泳いできて、柔らかい巨体にしがみつく。
あっはっは、とエビルスクイッドは体を揺らして笑った。
エビルスクイッドから見れば、触手の先のように小さな子供たち。
クラゲ頭がふるふると揺れるのを目を細めて、楽しそうに眺めている。
「家族が元気だと我まで元気になるな。いい子たちだ」
「うん!」「元気だよ!」「だお!」
小さなルーナたちは父の巨体の上を飛び跳ね回った。
しばらくして、エビルスクイッドは触手を優しく動かすと、子供たちを離れさせた。
「さあ、これから父さんは仕事だ。遊びはまた今度な」
「「「うん!」」」
子供たちはキラキラした目で、尊敬する父を見ていた。
エビルスクイッドは巨大な目で、じーっとルーナを見て言う。
「ルーナ、強くなるんだぞ。弟妹や母さんを守れるぐらいに」
「え? ――うん! あたい、おとーさんみたいに強くなる!」
ルーナは赤いクラゲ頭を揺らして可愛く笑った。
「マーリンもプルラも、頑張って生きるんだぞ」
「任せて!」「まかせちぇ!」
エビルスクイッドは太い触手で我が子3人の頭を撫でると、すいっと入口へと向かった。
独り言のように呟く。
「お前たちはきっと……我がイカの子たちには頼れんからな」
エビルスクイッドとそっくりな体をした小さなイカたちはいた。その中で、ルーナ3人だけが全然違う体で生まれた。いや、本質も魔獣ではない気がしていた。
それだけが、エビルスクイッドの心配事だった。
入口へと巨体を運びながら、一瞬立ち止まる。
「そうだ、クリスティア」
「なんでしょう? エビルスクイッドさま」
「たまには人魚の島へ里帰りしてみるといい。この子たちを連れて」
「え……っ!?」
口を押さえて絶句するクリスティア。
エビルスクイッドは半身になって振り返ると、片方の巨大な目を向けてニヤッと笑う。
「どうした? 我に無理矢理連れてこられて妻にさせられたんだ、もっと喜ぶがいい」
「……本当に嫌なら、いつでも逃げ出せましたわ。エビルスクイッドさまは仕事ばかりですもの」
「それはすまなかったな。――魔王様が戻られるまでは、我が頑張らねばならんのだ」
「ええ、わかっています」
クリスティアは紫の髪を揺らして頷いた。
「では、行ってくる……子供たちを頼むぞ」
エビルスクイッドは巨体を入口へとすべりこませた。水を吹き、一気に加速する。
暗い海の底、遠ざかる巨体はどんどん小さくなっていく。
クリスティアは泳いできて入口の壁にしがみつくと、とても大きかったはずなのに、か弱いほど小さくなっていく背中へ、そっと呟いた。
「……行ってらっしゃいませ…………あなた」
その声は、届いたのか、届かなかったのか。
エビルスクイッドは歯を食い縛って一度も振り返らず、すべてを振り払うように港町ドルアースへと向かった。
もしかしたら振り返ることができなかったのかも知れなかった。
これまた二章の頃から書きたかったけど本編に入らなかったエビルスクイッドの話でした。
第六章はプロットがまだできておらず、明日は休みます。
でももう少しなので、明後日の土曜日からの更新になります。たぶん。




