閑話 ダリアのドルアース案内(第五章エピローグ代わり1)
第119話でダリアにスーベニアを頼んだあとの話。
港町ドルアース。
ナーガ族長のダリアは、辺境ナーガの族長スーベニアを連れて泳いでいた。
人とナーガがどのように共存しているかを教えるため。
そして2人は外洋船が停泊する港へ来た。
そこではナーガたちが働いていた。泳いで船を押していた。
スーベニアが尋ねる。
「あれは何をさせられているのだ?」
「最近始めた新しい仕事だ。船の来航が多くなって、衝突事故が出るようになったからな。商人ギルドに依頼されたのだ」
港では、ナーガたちが入港する帆船を5人がかりで押していた。帆は閉じられている。
また出港する船を後ろから押すナーガたちもいる。
船は湾内では、まだ帆を広げていなかった。
つまりタグボートの役割をナーガたちがおこなっていたのだった。
スーベニアが、ちゃぷっと海面を波立てながら眉をひそめる。
「こき使われているだけではないか……」
「何を言うか。ちゃんと賃金は貰っている。しかも人の2~5倍もな」
「な、なんだと! ――じゃあ、あれもそうだというのか!?」
スーベニアが指差すのは、湾の外を泳ぐナーガ。手に槍を持っている。
「当然だ。近海の警備をしている。転覆した船の救助もする。我らは知っての通り1週間ぐらい寝なくても平気だからな。1日交代で警備をすれば余裕だ。警備の賃金は安いが、魔物を退治すれば素材の売却益は全部もらえるし、船を助けると大金貨1枚(10万円)の褒賞が出る」
「大金貨とは、どれぐらいの価値だ?」
「ん? 辺境にはないのか? 大金貨1枚で一家4人の1~2ヶ月分の食費になるな」
「そんなにか!」
するとダリアは、くくくっと笑った。
「あっちを見ればもっと驚くだろう」
「なんだ?」
ダリアは湾内から出て河口へと回った。後ろをスーベニアがついていく。
川の岸壁には桟橋があり、10メートルほどの川船がずらりと並んでいた。色は赤と青が多い。王都直通便と各駅便の違いだった。
荷役夫が荷物を積み込んでいく。
船の船首にいるナーガが、牽引ロープの強度を確かめていた。
そして、船長が合図をし、ナーガが川へ飛び込む。
桟橋と船を繋ぐ縄が解かれ、ナーガは船を引いて上流へと向かう。始めはゆっくり。しだいに速度を上げる。
蛇体をうねらせて、ぐいぐいと船を引っ張って行った。
船が見えなくなってからスーベニアが呟く。
「これは……重労働をさせられているだけに見えるが」
「ケイカさまの考えられた、ナーガの泳ぐ力を存分に発揮する高速輸送船だ。王都まで船を運ぶのだ。人々の役に立つとともに、高給が約束されている。みんなこの船を引きたがる」
「幾らぐらいもらえるのだ?」
「往復すると大金貨1枚だ」
「そんなにか!」
「当然だ。高速船ができるまでは、人間は川を下るのに3日、上るのに1週間かかっていた。それが今や半日で行ける。もちろん荷物運搬料は人の船より高い。下りで2倍、上りで3倍取っている。しかし毎日満載だ」
「……」
スーベニアは言葉を失っていた。
ダリアは話を続ける。
「最初の頃は一日掛かっていたが、今は半日になった。船を改造して引きやすくなったのと、荷物の積載位置を考慮して震動を減らしたおかげでな。速度が倍ぐらい出せるようになった。副族長のイエトゥリアはナーガの中でも非力なので一日掛かってしまうが」
「弱いナーガが副族長なのか?」
「ケイカさまの寵愛を受けておるからな。我の100倍可愛いだと。どうも人から見ると美しいらしい」
「なるほど。――美的感覚の違いというやつか」
「くっ! ケイカさまの寵愛を受けられるなんて、イエトゥリアが羨ましいぞ!」
ダリアは拳を握り締めて震えた。
スーベニアがゆるゆると尻尾をくねらせて泳ぎつつ言う。
「毎日満載と言うが、そんなに急いで運ぶものがあるのか?」
「ある。特に今は鮮魚が多いな。昔は干物しか届けられなかったが、今は朝一で取れた魚が、王都の昼の食卓に並ぶ。朝一の高速便は3隻出しているが運びきれていない。さらに増やすか検討中だ」
「す、すごいな……ナーガの数、足りなさそうだな」
「60人いるが、警備もとなると足りない。もっといても構わないな」
ダリアはニヤッと白い歯をみせて笑った。
スーベニアの眉間にしわが寄った。
「しかし、人に使われて誇りを失わないのか」
ダリアが強面な笑顔で答えた。
「我らは強い。人から金を奪うのは簡単だ。しかし人を喜ばせてお金が稼げる。こんな素敵なことはあるだろうか? ケイカさまにはナーガたち全員が感謝しているのだ」
「喜ばせてどうなるというのだ?」
ダリアは広い肩をすくめて苦笑した。
「くどい奴だな。――そろそろ昼か。昼飯を食いに行こう」
「今、金は持っていない」
はははっ、とダリアは豪快に笑う。
「奢りに決まっているだろう! 遠慮なく食べてくれ! いい店を知っているからな」
ざぁっと水しぶきを上げて尾を力強く振った。
2人は岸へと近付いていった。
川から上がり、さらに街中へと入っていく。
ダリアは堂々と前を歩くが、スーベニアは緊張していた。
「こんなに人がいる。騒がれないのか……?」
「最初だけだ。今はもう馴染んだ。人の適応力の高さゆえかも知れんな」
ナーガ2人は石畳の大通りを進んでいく。
人が行き買い、店からは活気のある声が響く。
「ダリアさん、元気~?」「よお! ダリアさん。いい魚が入ったぜ、どうだい?」「そこのナーガさん、髪飾りなんてどうだい?」
ダリアは手を振って挨拶をしていった。
そして一軒の酒場に着いた。
店内はわりと埋まっていた。船乗りや荷役夫らしい、荒そうな男たちが飲み食いしている。
ナーガ2人は壁際の席に案内された。ナーガ用なのか席の幅が他よりも広かった。
「ここは昼から酒を出してる。料理の味もいい! 特に肉が柔らかくてうまい!」
白い歯を光らせてダリアは笑った。
「何を頼んだらいいのだ?」
スーベニアが尋ねると、ダリアは大きな声で厨房へ向かって叫んだ。
「親父ぃ! ステーキ4枚頼む! オススメで!」
「今日はスラッシュホエールが入荷したぜ! それでいいか?」
「おおう、またすごいの入荷したな。それで頼む! ミディアムで! あと酒だ!」
「おうよ!」
厨房から威勢のいい声が帰ってきた。
スーベニアは肉の種類がよく分からないらしく、首を傾げた。
「それは珍しいのか?」
「スラッシュホエールは全身に剣のような鋭い突起があるクジラで、網は破るし銛ははじく。近づけないところへ魔法攻撃してくる。捕獲はほぼ不可能なのだ」
「ほほう、そうなのか」
実はルーナが倒したのだが、そのことは誰も知らなかった。
スーベニアが店内を見回しながら言う。
「人とナーガが肩を並べて食事している……」
視線の先には、3人のナーガが船員と思われる男たちと飲んで歌って騒いでいた。
「人は知らないものを怖がる。お互い打ち解ければ、ああやって仲良くなれるのだ」
店員が酒を2杯持ってきた。大ジョッキ。中には苦味のある酒が入っていた。
「ナーガ族と人の未来に、乾杯!」
ダリアはジョッキを掲げると、グイッと飲んだ。
しばらくすると厨房から店長が出てきた。手には4枚のプレート。湯気を立ち昇らせるステーキが乗っている。
「へい、お待ち! 脂が乗ってすごくうまいからな!」
「スラッシュホエールなんて、よく仕留めたな」
「いや、話に寄ると切り裂かれて死んだのが浜に打ち上げられたらしいぜ」
「そうだったのか――さあ、喰おう」
ダリアはナイフとフォークを持って、大きく切り取り、かぶりついた。
「うむ、うまい! この滴る脂がなんとも!」
「味が濃厚でおいしい。こんな調理法があったとは」
スーベニアも目を輝かせて喜んでいた。
しばらくは黙々と食事をした。肉汁あふれる肉が美味い。
ある程度食べて落ち着くとスーベニアは店内を見回しながら言った。
「本当にナーガと人が共存しているのだな……」
「ああ、そうだ。なぜだかわかるか?」
「わからぬ。なぜだ?」
「楽しいからだ。ナーガたちだけでいるよりも、人と触れ合って生きたほうが格段に楽しいからだ。力になり支えられ、頼り頼られて生きる。そして馬鹿げた話で笑い合う。本当に楽しいのだ」
「そうなのか……。そうかも知れんな」
スーベニアは、店内の向こうで騒ぐナーガと人を見ていた。
ダリアはぐいっとジョッキを飲み干すと、豪快な声で言った。
「ここにいる奴らはみんな馬鹿だが、とっても楽しい奴ばかりだ! ――みんな、飲んでるか!? 全員に一杯奢ろう!」
おおお! と酒場に喜びの声が響く。
「さっすが姐さん!」「ダリアさん、わかってるぅ!」「ごちになりやす!」
ダリアを茶化しながらも敬う声が各所から起こる。
わいわいと騒ぐ声が大きくなる。
店員が忙しく動いて、全員に酒を配っていく。
それから、しんっと静まり返った。
ジョッキを持ったダリアが立ち上がり、朗々とした声で言った。
「こうやって人とナーガが酒を飲めるのも、勇者ケイカどののおかげだ。そして受け入れてくれた人々の温かい気持ちのおかげだ。……これからもナーガたちをよろしく頼む。お互いの繁栄を祈って――乾杯!」
「「「かんぱ~い!」」」
人々はグラスやジョッキをぶつけあって、それから酒を飲んだ。
楽しげな笑い声が起こる。
踊り出す人がいる。
とてもいい雰囲気だった。
――と。
突然、ダリアがテーブルの皿を横に押しのけると、右手を出して肘を付いた。
「で、スーベニア、おぬしは族長だといったな?」
「そうだ」
「このドルアースへ引っ越してくるのだろう?」
「できればそうしたい」
「だったら、どっちが族長になるか、勝負しようではないか」
腕相撲をするかのように、肘を付いて構えるダリア。
「何の勝負だ?」
「船員達の間で流行っているどっちが強いかを競い合う方法、腕相撲だ。今、我がしているように右手を出せ」
「こ、こうか?」
ダリアとスーベニアはがっちりと右手を組んだ。腕相撲の姿勢になる。
「でだ。お互いが手を握り合って、内側へ押し倒す。相手の手の甲を机に付けた方が勝ちだ」
「ふむ。簡単だな……しかし、いいのか? 後から来た私が族長になってしまうぞ?」
「ふふん、スーベニアに負けるようであれば、我はその程度のナーガであったということだ。もちろんそなたが勝てば我が部族の者達に文句は言わせないから安心しろ」
「私だって一族を率いてきたプライドがある。負けるわけにはいかんのだぞ?」
「わかっている。我もそうだ。一族を率いていく自信がある。――だからこそどっちが上か決める必要がある」
ニイッとダリアは歯を見せ付けるような強い笑顔を作った。
すると周りの人々がざわめき出す。
「お、おい。ダリアさんが腕相撲するみたいだぜ」「最強のあの人が!」「マジかよ!」「どっちが勝つ!? 賭けられないのか!?」
あっという間に、賭け会場に変わる。
どこからかボードが持ち込まれ、掛け金とオッズが書き込まれていく。
頃合いを見て、ダリアが言った。
「店員よ、審判をお願いしたい」
「わかりました、引き受けます。――お互い、くすぐりとか、足蹴りとかはなしですよ~」
「足はないがな!」
ダリアの返答に「あははっ!」「違ぇねぇ!」などと見守る客たちが笑う。
ナーガの2人が握り合う手に、店員が手を添えた。
酒場の中の歓声がうねるように高まる。
「じゃあ、行きますよ~? 力の限り~、レディー……ファイッ!」
店員が手を離すと、2人は全力で力を込めた。
太い腕が丸太のように膨れ上がる。
ギシギシと机が鳴り、互いの骨がきしむ。
「く……っ! やるではないか!」
「そちらこそ!」
ふんっ、とダリアは鼻息荒く力を込める。力瘤が盛り上がる。
スーベニアは歯を食い縛った。腕を震わせて豪腕に耐える。
「いいぞ! ダリアさん、いけー!」「お、おい! 新人、頑張れ!」「負けるな~!」
やんややんやと応援と野次が酒場に飛び交う。
スーベニアが力を込めて、ダリアの腕を押し返す。
「これでも族長……私を信じて、ついてきてくれた者達のため……ま、負けられん……くぅっ!」
「我も同じだ! ナーガたちのために!」
ダリアは、ギリッと歯を噛み締めて押し返す。
二人の力が拮抗し、腕がぶるぶると震えた。
そして3分後、ついにダリアが額の緑の鱗に汗を光らせて叫んだ!
「はぁぁぁあっ!」
太い腕に筋肉を盛り上がらせて、ダリアが仕掛けた。
ぐっと左へと倒す。
「くぅっ!」
スーベニアが体を倒して、右へと押し返そうとする。汗が散って光った。
ダリアが叫ぶ。
「ナーガ族の友人のために、ケイカさまのために、未来のために、我は負けぬっ! ふぬぁぁぁあ!」
鼻息荒くダリアが全力を出した。
スーベニアは眉をしかめて必死で耐えていた。しかし何かに気付いたように「あ……っ」と呟く。
そして、ふうっと力を抜いた。
ダリアが押し切る。
スーベニアの手の甲が机に当たった。
ゴツッと鈍い音がして、テーブルがへこむ。
店員が叫んだ。
「勝者、ダリアさん! おめでとうございます!」
「よっしゃぁ!」「うぎゃー、昨日の稼ぎが!」「マジ、ぱないっす!」
戦いの結果を受けて、酒場の中が嵐のように騒がしくなった。
ダリアは、額に汗を光らせつつ、荒い呼吸をしながら言った。
「スーベニア。最後、力を抜いたな? 諦めたのか?」
「いいや。――そなたの心意気に負けたのだ……背負っているものが違いすぎた」
「ふふん、言うではないか」
ダリアはテーブルの上に手を伸ばした。
スーベニアもまた手を伸ばす。真剣な顔でダリアを見つめる。
「私の部族を――よろしく頼む」
「ああ、共に生きよう!」
2人はガシッと力強く握手した。
特にダリアの手は分厚くて、包み込むように温かかった。
初めてケイカと出会ったときは相手の手を壊そうとして握手したのに、今は相手を救うために優しく頼れる握手をしたのだった。
二人を祝福するように、酒場の人たちが笑顔で騒ぐ。
スーベニアは周囲を見回してから、またダリアへと戻して、独り言のように呟く。
「……ここには、未来があるのだな……」
笑顔で握手を続けるスーベニアの目には、希望の涙が光っていた。
こうして辺境ナーガ族は平和裏に、ダリアの傘下に入った。
その後、スーベニアはイエトゥリアと同じ副族長として迎えられた。
本編に入りきらなかったので。同じナーガ族の族長でも見ているものが違ったという話でした。




