対策
31話目です。
よろしくお願いします。
「正直に言って、“丸飲み”などという治療法があるとは知らなかったよ……」
怪我の癒えたアムドゥスキアスことレーゲル卿は、復活した右手の具合を確認しながら、精神的な疲労で青い顔をしていた。
オワルに取り込まれて小一時間。ペッ、と吐き出されたレーゲルは、傷がすっかりふさがり、軽い貧血を起こしている程度ではあったが、回復したこと以上に“喰われた”ショックの方が大きかったらしい。
「君に右手を喰われていたから、まだ多少はマシだったが、これが初めての経験だったら、正気でいられたかどうかわからないな」
乾いた笑いを浮かべつつも、レーゲルは寝かされていたベッドから立ち上がった。
「とにかく、私の治療をしてくれたこと、心から感謝する。それと、聞けばイレーナの治療も君の手によるものだとか……まさか、食べてはいないだろうね?」
「内臓の病気だったからね、ちょいと鼻から入って内臓を切り取っただけさ」
「切り……」
自分が経験した物とはまた違う、想像を絶する内容に、レーゲルは眉間を押えてしばらく唸っていた。だが、治療が成功したらしい事は間違いなく、妹が助かったことには変わりない、と自分を納得させる。
それよりも問題なのは、自分がやってきた事に関してだった。
「妹のことも、本当にありがとう。私は、何もできなかった愚かな兄だ……。できることは他にももっとあったはずだが、焦りというのは恐ろしいものだな。……碌でもない連中に加担する間違いを犯してしまった」
力なくベッドへ腰を落としたレーゲルは、目の前に立つオワルを見上げた。
「罪は償う。どんな罰でも受けよう。……正直、妹が助かった以上、私のやるべき事は終わったのだ」
「そういうの、ちょっと身勝手じゃない?」
部屋に入ってきた魅狐の手には、オートミールと牛乳が載せられた盆がある。
「貴方はこれから、助かった妹さんと二人で生きていかないといけないのよ? 終わったつもりでいるけど、妹さんの人生はこれから何十年と続いていくんだから」
ベッドサイドのテーブルに盆を置いた魅狐は、オワルの隣に並び、腰に手を当てている。右手は、まだ回復していない。
「罪を償うって、何をするつもり? もしそれが命を捨てようって話なら、それをイレーナがどんな気持ちで受け止めないといけないかわからない? 貴方がイレーナを失いたく無かったように、彼女も貴方を失いたくないってことくらい、想像できるでしょ?」
「だが、私がやったことは……」
「まあ、そのまま許すわけにはいかないね」
皇女誘拐犯としては、とオワルが煙管に煙草を詰めると、魅狐が火を点けた。
「ただね。皇女を誘拐したのは馬面の魔物であって、普通の貴族とかじゃないんだよね」
「そ、それは……」
「まあ、最後まで聞いてよ」
煙を燻らせ、オワルはレーゲルを止めた。
「流石にこのまま見逃すわけにはいかないんだよね……だから、協力をしてもらえたら、交換条件で減刑って形が一番良いんじゃないかと思うんだけど」
「協力か……いや、悩むようなことでは無いな」
レーゲルは床に跪く。
慣れた動きとは流麗で、いかにも貴族という気風が感じられる。しっかりと目を閉じたその表情には、迷いは無い。
「私と妹の命を救っていただいたのだ。贖罪の意味もあるが、それよりも恩を返したい。何なりと協力させていただきたい。よろしく頼む」
オワルは、レーゲルの肩を軽く叩いた。
「協力してくれって話だから、部下になれってわけじゃないんだから、もっと気楽にやってよ」
「……感謝する。それで、まず何をすればよいのだ?」
オワルは、頬を掻いて視線を逸らした。
「んじゃ、しばらくはイレーナさんと話でもしててよ。二、三日は教会に泊まってもらってさ」
「それは……」
「正直、準備するのにそのくらいかかりそうなんだよね。だから、しばらくは待機ってことで」
しばらくはキョトンとした顔でオワルを見ていたレーゲルは、ふふ、と笑みをこぼして立ち上がった。
「敵わないな、君には。では、いつでも指令を受けられるように待機しておくとしよう。シスター・ストークスにはお世話になる旨、私自身で伝えておく」
一礼して部屋を後にする姿は、完全に回復したことを示していた。
「……で、どうするつもり?」
「ムルルムを護衛に付けて、リリリアに近くの帝国軍駐屯地へ行ってもらったから、明後日にはそれなりの人数が揃う。彼女たちが戻ってきたら、始めるよ」
「軍を使うの?」
「そうさ」
煙管を咥えて、煙を噴き上げる。
「そろそろ、僕も我慢の限界だ。辺境伯が何かをやろうとしていること。関係者が皇女を攫った事は確定したんだ。ちまちま調査する必要なんて、もう無いよ」
ニヤリと笑うオワルの顔に、楽しげに魅狐も笑ってみせた。
「派手にやるつもりね。久しぶり」
「大人数で派手にやった方が、僕らもコソコソ動くのに楽だからね」
さて、とオワルは煙管を丸ごと飲み込むと、のんびり立ち上がった。
「壁の修理でも手伝いますかね」
★☆★
辺境伯邸でフルーレティと別れたバルバトスは、午後の街中を歩いていた。
魔導具の影響から脱した彼は、どこにでもいそうな青年の顔をして、麻の簡素な服で、ぶらぶらと街の住人に溶け込み、果物を一つ買って齧りながら目的地を目指していた。
ふと、さりげなく路地へと入る。
路地は細く先へ伸びていて、両脇の土壁が酷く圧迫感を与えてくる。
奥へ奥へと進んで行くと、突き当りに古い木製の扉があった。
バルバトスは、念のため振り向き、誰かに尾行などされていないことを確認し、独特のリズムでノックを四回叩いた。
目の前の小窓が開き、すぐに閉じる。
そして、閂を外す音。
「入るぜ」
返事を待たず、扉を押して入る。
薄暗い部屋の中は狭く、殺風景な部屋に、一人の老翁が座っていた。
「閂を掛けなおしてくれ」
しわがれた声でバルバトスに言うと、薬を煎じたらしい妙な臭いのする湯を飲んだ。
鼻の奥に沁みるような香りに眉をひそめながら、バルバトスは使い込まれた木の棒を掴み、戸の金具へ差し込んだ。
「ジャレトか……貧乏人が、何の用だ?」
欠けた歯の隙間から空気を漏らしながら喋る老人は、バルバトスの本名を呼ぶ。
「おっと。俺はもうジャレトって名前は捨てたんだ。バルバトスって格好いい名前を貰ったんだから、これからはそっちで呼んでくれよ」
それに、とバルバトスは懐から包みを取り出し、老人の手元で逆さにして中身を零した。
一枚の金貨と数枚の銀貨が広がり、老人の濁った瞳が素早く金額を確認する。
「バルバトス? また妙な……。それに、こんな金を半端者のお前がなぜ……」
「客の詮索はしないのが、爺さんの店の決まりだろ? それとも何か? 表通りにでも店を構えるつもりなのか?」
ジャレトは昔からこの町で悪さをしながら育ってきた。その中で、自然と良くない連中との付き合いが増え、この店を知った。
違法な品など、あまり周りに知られたくないような物を手に入れるための店だ。その分、値も張るので、バルバトスは数えるほどしか利用したことが無いが。
「……何が欲しい?」
「弾丸だ。それも、化け物に効くやつを」
「だんがん……?」
この世界、銃は無くは無いが、全く一般的ではない。
実験的に作られた大砲が数門あるだけで、個人が取りまわす鉄砲などは、ほとんど存在しない。弾丸という言葉は、誰も使っていない。バルバトスにしても、たまたまそういう知識とライフルを、魔導具による身体の書き換えの際に手に入れただけだ。
「ああ、え~っと」
ごそごそと探って、ポケットからバルバトスが取り出したのは、小さな丸い鉛の弾だ。
これはバルバトス自身が自作した道具で作ったもので、変身の恩恵で銃に関することについての知識が備わった時に、熱中して大量に作成した一つである。
「これと同じものが欲しいというのか?」
「同じ丸い形で、同じ大きさで、化け物に効くのが欲しい」
それを、この金で買えるだけ用意してもらいたい、とバルバトスは老人に依頼した。
弾丸をつまみ、目の前に持ってきた老人は、歯の隙間から息を漏らして笑う。
「随分と妙ちくりんな依頼だが……化け物、か……」
弾を置き、また湯を一口啜ると、老人は考え込んだ。
「……そうじゃな。不死系のモンスターを効率よく殺すために、聖浄銀というもので作った武器ならあるが……高いぞ?」
帝国が訓練された兵士たちを使って、定期的にモンスター討伐を行うのだが、その中でも不死系のモンスターに対する武器として、定期的に生産され利用されるのが、聖浄銀で作成された武器だ。
硬度は武器としては柔らかすぎるのだが、不死系の魔物には効果が高い。
老人が提案したのは、兵士たちから少数の横流し品が出回るので、それを使ってはどうか、という話だった。
「この金で、どれくらい用意できる?」
老人の頭の中で、最も安価に手に入るナイフが思い浮かぶ。だが、聖浄銀の武器と言っても、基本的には表面に薄く貼られているだけだ。金額の割に大した量は無い。
同じように、鉛の弾の表面に貼る事になるが、聖浄銀の扱いができる職人も限られてくる。
「……五つかそこらだな」
「少ねぇよ」
「加工賃も考えろ。それ以上は無理だ」
嫌なら帰れ、と言わんばかりの態度に、バルバトスは腹を立てたが、ここで暴れてもどうしようもない。
「……わかった。それで頼む。どれくらいかかる?」
「モノはある。加工には……明後日までかかるだろうな」
「それでいい。じゃあ、また明後日来るぜ」
テーブルの上の硬貨にバルバトスが手を伸ばすと、その手首を老人が掴んだ。
「……なんだよ」
「半分は前金だ。そのくらいは憶えておけ」
広げられた硬貨の丁度半分を掴み、老人は懐へと放り込む。
憮然とした顔で、残った金を袋に入れたバルバトスは、無言のまま老人に背を向けて、閂を外した。
「何と戦うつもりかしらんが」
不意に声を掛けられ、バルバトスは振り向く。
「あまり自分が理解できる範囲を超えたモノに近づくものじゃないぞ。凡人はどこまで行っても凡人だ。多少強くなろうが、金があろうが、全然違うところに立っている連中ってのはいるんだ。それを理解しないと、死ぬぞ」
バルバトスを睨みつけながら告げられた言葉に、バルバトスは笑い飛ばすことで応じた。
「ハッ、じゃあ俺は、その違うところに立てる男だ。ワルから散々金を巻き上げてきた爺が、なにを説教じみたことを言ってやがる」
出て行ったバルバトスの足音が離れたことを確認した老人は、ゆっくりと立ち上がって閂を刺し直した。
再び椅子へ座り、次の客を待つ。
「……お前じゃ、無理だ」
一言つぶやいた老人は、冷め切った湯を飲んだ。
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