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辺境伯領

22話目です。

よろしくお願いします。

 イナリ教シスターの長であるルーナマリーのフルネームは、ルーナマリー・マリー・ルースといい、ルース侯爵家の長女として生まれ育ち、貴族向けの寄宿舎学校を優秀な成績で卒業した後、親の反対を無視してイナリ教が主催するシスターのための修道施設へと入所。そこでも元来の頭の良さとリーダーシップを評価され、シスターとして働き始めてからあっという間に今の地位へと就いた。

 イナリ教へ没頭するきっかけは謎だったが、寄宿舎学校時代に魅狐との接触があり、傾倒していったと思われる。

 修道施設への入所以降は実家との接触はほとんど無く、実父であるルース侯爵が引退を宣言し、仕事のほとんどを長男ルーカスへと譲った現在でも、それは続いている。

 唯一、ルーナマリーが実家の施設に頼っていたのが、自らの馬の世話についてだった。

「これはこれはマリーお嬢様。ご無沙汰しております」

「お嬢様という歳でもないのですけれど……コマちゃんは元気にしているかしら?」

「ええ、ええ。相変わらず手のかかる、可愛らしい奴ですよ」

 ルース侯爵家本邸とは離れた、皇都近くの草原へと続く門にほど近い場所にある専用厩舎には、百頭を超える馬が飼育されている。侯爵やその家族、私兵の中でも指揮官職にあるものや、預かった馬などだ。

 その中に、ルーナマリーの愛馬もいる。

「どうぞ、どうぞ。お嬢様の顔を見れば、コマも喜びますよ」

 厩舎の責任者であるバーンズは、深い皺が刻まれた顔をくしゃくしゃにしてはしゃいでいた。

 以前よりもどこか小さく見えた厩舎長を見て、ルーナマリーは少しだけ寂しくなった。

「苦労をかけましたね。ありがとうございます」

「何をおっしゃいますか! コマほど立派な奴もいませんからな。あれの世話は楽しくて、誰にもやらせたくないんですよ」

 バーンズの先導で向かった厩舎は、他の厩舎に比べて屋根が高く、広い。

 知らぬ者が見れば、侯爵家当主の愛馬のための特別な厩舎に見えるかもしれない。だが、実際はルナマリーの愛馬“コマ”のための厩舎だった。

「久しぶり。なかなか会いに来ることができなくてごめんなさい」

 鼻先をルーナマリーの頬に擦り付けてくる巨大な馬。

 それは鹿毛の牡馬で、形だけ見れば通常の乗用馬となんら変わるところはなかったが、高さが二メートルを超える巨体に、近づいてみればわかる引き締まった筋肉。他の馬とは二回りほどサイズが違い、距離感を失いそうな大きさだった。

「コマはでかい分、良く食べるし力も強いんですがね。他の馬と喧嘩することも無いし、飼育員に乱暴な振る舞いもしない、良い奴です」

 久しぶりに主人と顔を合わせて喜ぶ仕草を見せるコマの背中を、バーンズは優しく撫でた。

「コマとお出かけされるのですか? 今の時期は草原の向こう、丘のあたりの風も穏やかで気持ちが良い時期ですが」

「コマちゃんと旅に出るつもりなのです。馬具を用意してください」

 目を丸くして驚くバーンズ。

 過去、ちょっとした遠乗り程度の経験があるのはバーンズも知っているが、ルーナマリーが他の町へと行くこと自体が珍しく、まして旅に出るのは初耳だったからだ。

 これはバーンズが知らないだけで、修道施設での修行時代に他の町々を回った経験はあるのだが、コマを伴っての旅は初めてだ。

「し、しかしコマはモンスターとの遭遇は経験がありませんし、長旅の経験も……」

「落ち着きなさい、バーンズ」

 低く威厳のあるルーナマリーの声に、バーンズは整った顔を見上げた。いつの間にか、少女はもう大人の女になっている、と改めて寂しさと喜びを噛みしめた。

 大人になったどころか、今のお嬢様はあの最大宗教であるイナリ教を束ねる立場にいるのだ、とバーンズは初めて、情報ではなく実感として認識できた気がした。

「失礼いたしました。考えてみれば、コマは賢い奴です。お嬢様……いえ、ルーナマリー様の旅に、充分耐えられるでしょう」

「我儘を言ってごめんなさい。でも、コマちゃんにはどうしてもついてきて欲しいのです」

 にこにこと微笑みながら、バーンズは「馬具を用意します」と言って、去って行った。

 ルーナマリーは丁寧にブラッシングされたきれいな毛並みの背をなでながら、口の中でバーンズに礼を言う。

「よろしくね、コマちゃん。わたくしに協力してね」

 言葉がわかっているはずもないが、まるで返事をするかのようにコマは鼻先を振って応えた。


 翌日、数名の武装シスターを連れて、ルーナマリーは皇都を出発した。

 目的地は、魅狐が向かっているはずの、ミヅディル辺境伯領だ。


★☆★


 ミヅディル辺境伯領の中心にある町、ミヅディル。

 荒野に囲まれた辺境ではあるが、他の都市とも遜色のない、二十万人以上の人口を有し、中央には三階建てながら東西に大きく広いミヅディル辺境伯の屋敷がある。

 皇都のような派手さこそ無いが、職人と肉体労働者の町として、石造りで飾り気のない頑丈そうな家が並んでいる。

 出入り口での検閲は厳しかったが、荷物はほとんどが食料品と調理道具であり、馬車に乗っているのも二人のシスターだけだったのもあり、特に問題なく通過できた。

「町には無理なく入れましたね。これからどうしますか?」

 着慣れない巫女装束に腰をもぞもぞさせながら、馭者のリリリアが振り向くと、むっつりとした顔の魅狐が胡坐をかいていた。

「とりあえず教会へ行きましょう。この大通りを進んでいけば、右側にあるはずだから」

「……何を怒ってるんですか?」

 リリリアが想像以上に人通りが少ない大通りを注意しながら馬を進ませる。

「オワルのことよ。寝てるからって、黙って行くことないじゃない」

 町が見えてきた頃から、オワルは別行動を取っていた。

 具体的にどうするのかをリリリアは聞かされなかったが、馬車の影に潜り込んだオワルが、検問を抜けたところで町の建物の影へと移っていた。

「魅狐さんもお疲れでぐっすりお休みでしたし、わざわざ起こすのは忍びないって言われてましたから……」

「そんなの気にしなくていいのに」

 少しの間の眠りなら、顔を見ておいた方が元気が出るのに、とブツブツ言っている魅狐に苦笑しながら、馬車を進めること十分弱。目標の教会が見えてきた。

「着きましたよ」

「話をつけてくるから、建物の裏に馬車を回しておいてくれる?」

「了解です」

 一度停車した馬車から飛び降りた魅狐は、勝手知ったるという足取りで鳥居を潜り、狐の像の間を抜け、建物へと入っていく。

「こんにちは」

「いらっしゃいませ……あ、あなたは!」

「久しぶりね。ストークス」

 ショートカットの濃い青髪のシスターが、魅狐を見るなり部屋の奥から小走りで駈け寄ってきた。

 体の線が出にくい巫女装束だというのに、胸がワンテンポ遅れて揺れるのがよくわかる。

「ご無沙汰しております、魅狐様!」

 ストークスというシスターは、少しも速度を落とさずに魅狐に抱き着き、豊かな胸に魅狐の顔をしっかりと包み込んだ。

 息ができずに暴れる魅狐がようやくストークスを引きはがす。

「苦しいっての! なんだか大変なことになってるって聞いたけど、全然変わってないわね……」

「ああ、申し訳ありません! つい魅狐様のお顔を見たら!」

 ベシャっと床に座り込み、ストークスは深々と床に額を擦り付けた。

 解放された魅狐は、すみませんを繰り返すストークスを無理やり立たせた。

「いい加減にしなさい。怒ってないから」

「本当ですか! ありがとうござ……って、どうされたのですかその右手! み、魅狐の右手が、右手が……!」

 すっぱりと無くなっている魅狐の右手を見て、ストークスは泡を噴いてばったりと倒れてしまった。

「……よくこれで教会の責任者ができるわね……」

 別のシスターを呼び、魅狐は馬車を置いてストークスの回復を待つことにした。


★☆★


 ミヅディルの町、入り口近くにある二階建ての建物の影に入りこんだオワルは、周囲に人がいないことを確認して影の中からずるりと抜け出した。

「さてさて、町の様子をみてから、辺境伯とやらの顔を見にいきますかね」

 さっさと終わらせないと、魅狐の機嫌がまた悪くなるぞ、とリリリアたちが通り過ぎていった町の大通りに出る。

 町への入り口から入ったところまでは馬車の影の中にいたので、魅狐がぷりぷり怒っていたのは聞こえていたのだ。姿を見せるわけにもいかなかったので、後で何かお詫びを用意しないといけないな、とオワルは頭を掻きながら、商店を冷やかしながら歩く。

「うーむ……」

 初めは魅狐やリリリアへの手土産でも、と思っていたオワルだったが、並んでいる商店が食堂などの飲食店の他は、日用品ばかりでアクセサリーや菓子店などがまるで見当たらないことに頭を抱えた。

 喫茶店でもあれば、情報収集がてらに入ってみようかとも思っていたのだが、筋骨隆々の男たちが飯を掻っ込む姿が見えるばかりで、その店主も似たような体格の男むさい店ばかり。とても一杯飲みながら会話を楽しむような雰囲気ではない。

「参ったね、どうも」

 ずいぶん前に来たときは、もう少し女性向けの店があったのを覚えていたのだが、仕方ない、と昼から開いていた酒場へとぶらりと入る。

 テーブルが四つと八人分のカウンターがある、この世界では割とポピュラーな形式のパブだった。

 目つきの悪い男ばかり、八人ほどの客がテーブルで飲んでいる。その間をテクテクと歩くオワルに、視線が集中する。

「なんにする?」

 カウンターに座ったオワルに、「いらっしゃい」の言葉も無い。

「喉が乾いてるんだ。エールをくれないか」

 コインをカウンターに放ると、木のジョッキにぬるいエールがなみなみと注がれた。

 ひげ面のマスターは、接客は終わったとばかりにしかめ面で食器を洗っている。

「久しぶりにこの町に来たんだけどさ。どっか適当な宿を知らないか?」

 突然馴れ馴れしく口を開いたオワルを、マスターは睨みつけるように見た。

「……金は?」

「仕事だからね。気にしなくていい」

 再びオワルを睨みつけたマスターは、食器を置いて紙きれを取り出すと、何かを書き込む。

「これが、この店だ」

 書かれたのは地図だった。

 一つの四角形を指さし、その横に引かれた線をなぞる。

「通りに出て右へ行け。途中にある服屋から右へ入ったところに宿がある。多少は高いが、ちゃんと護衛がいる店だ」

 ごつごつとした指先で一つずつポイントを説明していくマスターに、オワルは微笑む。

「ありがとう。助かるよ」

「エール代の釣り代わりだ」

 ぷい、と顔をそらして洗い物の仕事に戻ったマスター。

 だが、オワルはエール代としては妥当な金額だと知っていたので、マスターのセリフが単なる照れ隠しだとわかって、なんだか嬉しくなった。

 色の濃いエールを、一気に半分ほど呷ったオワルは、さりげなく店内の客を盗み見た。

 二つのテーブルに四人ずつ座っており、一つのグループはカード賭博に夢中のようだ。

 問題は、もう一つのテーブル。

「ひょろい奴だが、金は持ってるみたいだぜ」

「久々にカモが来たな」

 と、小声で話しあっている。

 オワルが店を出たところで襲い、金を奪うつもりのようだ。

(そんなにヒョロく見えるかね……)

 襲撃の相談よりも、そっちの方が気になってしまう。

 オワルの見た目は痩せ気味の日本人そのままで、少し長めの癖っ毛に、眠そうな目とひねた性格に見えるへの字口。とてもじゃないが、強そうにも怖くも見えない。

 出会ったばかりでオワルの能力を知らなかったルーナマリーにも散々貶されたし、敵に舐められることも少なく無い。

「筋トレでもするべきか? 効果は無いかもしれないけど」

 残りのエールを流し込んでいると、再びマスターがオワルの前へとやってきた。

「さっきの地図な。少し間違えていた」

 そう言いながら出された紙に、マスターは“テーブルの連中に気をつけろ”と書いてくれた。

 にやりと笑ったオワルは、マスターの手からひょい、とペンを抜き取る。

 その手つきに驚いたマスターだったが、すぐに元の不機嫌顔に戻ったのを見て、オワルが口を開いた。

「店の名前を教えてくれないか?」

「カールの宿、と看板に書いてある」

「カールの宿、ね」

 そう言いながら、オワルが紙に書いた文字は宿の名前ではなかった。

“ありがとう。でもあいつら程度じゃ練習相手にもならないよ”

 目を丸くするマスターの顔を見ながら、ジョッキを空にする。

「ごちそう様」

 メモをポケットに押し込み、チップとして追加のコインをカウンターに置いたオワルが、入ってきたときと同じように軽い足取りで店を後にする。

 すぐに後を追ってきた四人組の足音を聞きながら、適当な路地に入る。

(恨まないでくれよ。そっちが先に仕掛けてきたんだから。ありがたくこの町の情報収集に活用させてもらおう。脳みそから直接な)

 オワルが入っていった路地へと、にやにやと下品な笑みを浮かべながら飛び込んできた四人の男たち。

 その目の前に立っていたのは、解剖された動物のように腹を大きく広げ、脈打つ内臓を見せたオワルの姿だった。

お読みいただきましてありがとうございました。

次回もよろしくお願いします。

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