誓い・別れ
21話目です。
よろしくお願いします。
「おのれ……」
這う這うの体で隠れ家へと飛び込んだ時点で、アムドゥスキアスはかなり血を失っていた。
くらくらとぼやけて揺れる視界を鬱陶しいと思いながら、傷口に薬を塗り、布で乱暴に縛りあげて、倒れるようにベッドへと飛び込む。
もはや変身した状態を保っていることもできず、元の人間の姿へと戻っていたアムドゥスキアスは、くすんだ金髪をなでつける余裕も無く、ひたすら傷がふさがるのを待つ。
「今は、傷を治すのが先決だ」
薬が染みて、痛みが若干和らいでくる。
貴族の邸宅とはいえ、人目を憚るために用意した部屋は、清潔であっても古く草臥れていた。ベッドの軋みが部屋に響き、変色したカーテンからこぼれる日差しが、古ぼけたカーペットの上に伸びる。
そこへ、前触れなく壁をすり抜けてきた者がいる。
「フルーレティか……何の用だ?」
「敗れたと聞きましたが、お加減はいかがですか?」
「良いように見えるか?」
大粒の汗を額に浮かべ、立ったまま見下ろすフルーレティを睨む。
「しばらくは動かれない方が良いでしょう。後は私に任せて、ゆっくり傷を癒してください」
食事と薬です、と布の袋につめた食料をアムドゥスキアスの枕元に置き、フルーレティは背を向けた。
「待ってくれ! あの男……オワルを狙うつもりか?」
「それが“あの御方”のご命令ですので」
「あいつは私が倒す。だから……」
フルーレティはアムドゥスキアスの言葉を遮るように言葉を重ねた。
「ゲーデは死んだようです。その下の駒も。これ以上の損害をあの御方は喜びません。イレギュラーは早々に排除すべき、とのお考えです」
「ぐぅ……」
抑揚のない言葉で伝えられた内容に、アムドゥスキアスはそれ以上の抗議ができなかった。
「……わかった。同じ目的を持った者として助言させてもらうが、あの“オワル”という男には気を付けろ。あれは、私たちとは違う意味での化け物だ」
アムドゥスキアスが、自らが戦った内容について説明をすると、黙って聞いていたフルーレティは、ゆっくりと頭を下げた。
「貴重な情報をありがとうございます……ですが」
フルーレティの目が、縦に倍以上見開かれた。
うっすらと肌の色が濃くなり、室内の温度がどんどん下がる。
「私も貴方も、あの御方から素晴らしい力をいただいた、選ばれた人間なのです。それを化け物と呼ぶなど……次は許しませんよ」
痛みを感じたアムドゥスキアスが視線を向けると、足の先に霜ができている。
「わ、わかった。謝罪しよう。申し訳ない……」
その言葉を聞いて、フルーレティが満足げに頷く。
室温は、次第に元の温さへと戻りつつあった。
「では。お大事に」
入ってきたときと同様に、ぬるりと壁をすり抜けて出ていくフルーレティ。
安堵のため息をついたアムドゥスキアスは、後に残された冷え切った食料袋の中から、パンを取って一口齧り、水を飲む。
不意に、涙がこぼれた。
「情けないものだな。敗者というのは……」
だが、不思議とアムドゥスキアスには自信があった。
フルーレティの言う“あの御方”自身ならともかく、フルーレティや彼女の配下では、オワルには勝てないだろうということを。
そして、フルーレティが敗れた時が、復讐の機会である。
「そのためには、傷を癒すことが先か」
ガツガツと食い物をむさぼり、乱暴にベッドに倒れる。
睡魔は、すぐに彼の意識を奪った。
★☆★
「かたじけねぇ、かたじけねぇ」
と泣きながら、片車輪はオワルの中に取り込まれていった。オワルの体内で欠けた車輪部分が回復するまで休息することになったのだ。
戦闘が一段落したところで、片車輪は涙ながらに自分がもっと早く気づいていれば、と消耗した魅狐に謝り倒していた。
魅狐としては、撃退には成功したし、危険がある可能性は織り込み済みだったので、気にしないで良いとは言っていたが、どうやら片車輪としては自分が情けなくて仕方ないらしい。
「僕の中で延々泣かれても鬱陶しいから、しばらく寝ておきなさい」
「へぇ、申し訳ありやせん」
腹に巨大な口を開いたオワルに飲み込まれていくのを、ドーナは興味と恐怖の混じった目で見ていた。
「本当に……どういうつくりの身体してるんだろ」
「さあ、わたしには想像もつきません」
リリリアがドーナの質問に困り顔をしている。
馬車は予備の車輪を付ければ、幌は破れていたものの走行には支障が無く、馬も無事だった。
車輪を付け直して馬車を起こすと、魔力切れでふらふらになっていた魅狐は、さっさと中に入って寝入ってしまった。
「大丈夫なの?」
「魅狐さん本人が、眠っていれば大丈夫と言われましたから、問題ないかと」
「あの車輪が治せるなら、魅狐さんもオワルさんの中に入ればいいんじゃないの?」
「んん?」
ドーナの言葉を聞いて、言われてみれば、と考え込んだリリリアだったが、何か違和感がある気がして、素直に同意できなかった。
「そりゃ無理な話」
車輪を飲み込み、いつも通りのシャツにスラックス、フロックコートという姿に戻っていたオワルが、馬車と馬をつなぐ器具を確認しながらドーナの提案を否定した。
「魅狐はああ見えて結構上位の存在なんだよ。元は妖怪でも、今は神の眷属であり神そのものの一部でもある」
食事の用意をするため、馬車から道具を降ろし、簡単な竈を作った。
「対して、僕は半分妖怪半分人間。妖怪や人間の修復はそれなりにできるけど、神様の一部なんて無理ってこと」
「あれ? でもオワルさんは神性すらも取り込んだんでしょ?」
人間の形に戻ったドーナは、リリリアと共に食事の準備に参加する。代わりにごちそうしてもらうよ、と笑いながら。
「取り込みはした。でも僕の力でそれを修復することもできないし、その力を利用するにも制限がある。というより、力を呼び起こすための神力が逆に必要になるくらいだよ。自分で作りだすなんて、とてもとても」
「なるほど、それで……」
リリリアはようやく自分の中に生まれた疑問に答えを見つけた。
自分が作れる力だけでは、あの岩のような巨人の力を呼び起こすことができない。だから、同じレベル、性質を持つ魅狐の一部を取り込んで呼び水にするのだ。
「今はイナリ教が広まって、信仰心が力の下支えになっているから回復も早いけど、こっち来た頃は大変だったよ」
湯がぐらぐらと煮える鍋の中に、干し肉や乾燥野菜を放り込みながら、オワルは目を細めた。
オワルと魅狐が飛ばされてきた当初はまだ、大陸は大小の国家や集落がひしめき、あちこちで戦闘が繰り返されていた時代だった。度々戦いに巻き込まれて、負けたりすることはまるで無かったが、精神的に草臥れた、とオワルはこぼした。
「仲良くなった子が兵士に乱暴されて殺されたり、泊まっていた宿に夜盗が集団で乗り込んできたり……今でも言うほど治安が良いとはいえないけどさ、もっと考えられないくらい酷かったよ」
日本に戻れない苛立ちもあったから、そういう“降りかかった火の粉”には、魅狐と二人で怒りに任せてきっちり仕返しをしたよ、とオワルは笑ったが、リリリアとドーナは本気で怒ったオワルと魅狐の“仕返し”を想像してしまい、乾いた笑いしかできなかった。
食事が終わり、片付けが済むと、オワルとリリリアは馬車へ乗り込む。
「ドーナ。やっぱり、同行しないか? さっきの奴を逃がしてしまったし、君の顔も商会を通じて知られている可能性もある」
馬車から顔を覗かせるオワルの言葉に、リリリアも頷いていた。
「ドーナさんの出自を考えれば、帝国で身元を引き受けることもできますが……」
「それってお役人になるってことでしょ? ちょっとねぇ」
頬を掻いて渋るドーナに、オワルがニヤリと笑う。
「給料が出て、安定した生活ができるぞ?」
「うっ、それは魅かれ……いやいや、あたしは自由を愛する女なのよ! ……気が向いたら、訪ねても良い?」
「もちろん」
「お城の監査室に来てください。歓迎しますよ!」
互いに手を振って、ミヅディル辺境伯領を目指して進む馬車を見送り、ドーナは少しだけ涙ぐんだ。
「ちょっとだけ良い男だったけど、さすがに横恋慕はできないなぁ。頑張れ、リリリア」
背を向けて、町へと帰る。
「さて、次はどこへいこうかな?」
新しい仕事を貰うのに、皇都へ行くのも悪くない、とドーナは足取り軽く歩き続けた。
★☆★
ミヅディル辺境伯領は、帝国の北西部にあり、広い荒野を抱える帝国内でも一二を争う広さをもつ大領地だ。
数多くの町や村があり、鉱石などの地下資源と、それを加工した商品、特に希少な鉱物を使用した魔導具が主な産業となっている。
反面、荒野の乾燥した厳しい気候と観光資源の乏しさから、商人以外の人の出入りは少なく、周囲は小貴族の領地が多いため、家格が会わずに付き合いも左程無いのが現状だと帝国政府では把握している。
「そんな環境だから、変に旅人やらを装って入っても怪しまれるだけ。商人も、最近はかなり制限されているみたいだからね」
すっかりと荒地の様相を呈してきた光景を見ながら、馭者台のリリリアの隣で、オワルは文字通り首を伸ばして遠くを見ながら話していた。
リリリアは、小さいころにこういう首の長いお化けが出てくるお話があったなぁ、と妙な懐かしさを覚えていて、そんな自分が可笑しかった。
「では、どうしますか?」
「本来の身分を明かして入るって手もあるんだけど……」
オワルが馬車の中に入り、眠っている魅狐を起こさないようにそっと荷物から取り出したものを広げて見せた。
「それって……」
「イナリ教のシスター服。まあ、本来は巫女装束なんだけど、魅狐が自分と同じ名前に聞こえるからって、こっちでの呼び名を変えちゃったんだよね」
言いながら、緋色の袴と真っ白な小袖をひらひらと揺らす。
「これを来て、新しく配属されたシスターってことで通せば、いけるんじゃないかな? 魅狐も教会の状況を見に行く用事があると言っていたし、今の魅狐を休ませるのに、教会が一番都合が良いと思う」
ふむふむ、と聞いていたリリリアだが、一つ疑問が浮かんだ。
「オワルさんはどうするんです? 宮司さんの服を着て入るんですか?」
「いや、僕は別行動をとるよ」
服を手渡したオワルは、リリリアに着替えさせるために馭者を代わる。
「わたしと魅狐さんで教会へ入って、その間どうされるんですか?」
荷物の陰でもそもそと着替え、慣れない帯に悪戦苦闘しながら問う。
「魅狐が休んでいる間に、あちこち調べてくる。うまくすれば、リィフリリーの居場所もわかるかも知れない」
「……あまり、危険な真似はやめてくださいね」
オワルは、リリリアの言葉を真剣に受け止めながらも、煙管を取り出して咥えながら、心配ない、と微笑んだ。
「これでも、僕は中々腕も立つんだよ?」
おどけて見せたオワルの前に、着替え終わったリリリアが、慣れない袴捌きにもじもじとしながら姿を見せた。
「ど、どうですか?」
「ああ、良く似合ってる。可愛いと思うよ」
素直な褒め言葉に、リリリアは赤面して俯く。
「でも、多分帯の結び方が違う」
「えっ、やっぱりそうですか?」
緋袴の帯が、前後両方とも前で結ばれて、どうやったらそうなるのか、片結びでひざ下まで長く垂れている。
「僕もわからないから、魅狐が起きたら教えてもらおうか」
揺れる馬車の中、静かに笑いながら、オワルは戦いを予感していた。
そして、そこにリリリアはいて欲しくない、とも思った。
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