それぞれの戦い
20話目です。
よろしくお願いします。
「馬の顔に貴族の恰好……お前が、皇女誘拐犯か……」
「ほほう。私のことを知っているとは……役人とは聞いていたが、貧しい恰好の割にはそれなりに序列が上と見える」
オワルの言葉に、アムドゥスキアスはオワルの服装を馬鹿にしながら嗤う。
黒のスラックスに白シャツ、フロックコートという恰好は、この世界では多少浮くが、地味であることには変わりない。
「軽く痛い目を見てもらってから、どこまで知っているか教えてもらうとしよう。もっとも、今降参するというのであれば、それでもかまわんがね」
大仰な身振りをしながら語るアムドゥスキアスに対し、オワルは煙管を取り出してぼんやりと見ていた。
「僕の方は、お前が死んでても構わないんだけどね。死体からでも、まだ脳みそが壊れてなければ情報は取り出せるし」
「……そんなこと、お前にできるわけがない。強がりもいい加減にした方が良いぞ。降参する時に余計に情けない思いをすることになる」
「馬面さんよ」
ぱし、と音を立てて煙管から灰を落とす。
「舞台俳優ばりの自賛をするのは構わんのだけれど、こっちは時間が惜しいのさ。相手はしてやるから、さっさとかかってきなさい」
あからさまな挑発に、アムドゥスキアスは鼻から湯気を噴いて怒りを表した。
「ふ、ふふ……小物の割には口が達者なようだな……。痛みに呻いて、後悔するがよい!」
鋭く短いラッパの音が響き、アムドゥスキアスの姿が消えた。
一瞬遅れて土埃が舞い上がる。
それと同時に鈍い音がして、オワルの腹を細い刃が貫いた。
「私の姿を見ることすらできなかっただろう? 痛みと後悔で震えるがよい」
にやり、とアムドゥスキアスがオワルの顔を見ると、先ほどと同じ、眠そうな瞼でへの字口をした顔がある。
そのまま右手を振りかぶったかと思うと、レイピアが刺さっていることなど意にも介さない様子で一歩踏み込み。思い切りぶん殴った。
「あぶっ!」
想定外の反撃を受けたアムドゥスキアスは無様に転がり、レイピアも手放した。
「な、何が……」
「“それなりに序列が上”の奴が、護衛の兵も連れずに少人数で移動しているんだから、腕が立つことも想定すべきじゃないか?」
動揺はすれど、ダメージは少ないようで、アムドゥスキアスは素早く立ち上がった。レイピアを探して視線をぐるりと巡らせる。
探し物は、オワルの腹に刺さったままだ。
「一応、役職の決まりとして自己紹介はしておく」
水っぽい音を立てて、レイビアがずぶずぶとオワルの腹へと飲み込まれていく。
「僕は帝国監察官のオワル。とりあえずは暴行と皇女リィフリリー誘拐の容疑で話を聞かせてもらう。抵抗せずに大人しくいう事を聞けば、痛い目を見ないで済むぞ」
「帝国監察官……だと? まさか実在するとは」
その発言を聞いて、オワルはアムドゥスキアスが帝国貴族に属する者かと推測する。
「僕の肩書に聞き覚えがあるらしいね。なら、話が早い。おとぎ話の現実を知るより早く、吐いてしまった方が良いけど?」
「魅力的な提案だとは思う。だが、私ももはや普通の人間ではない! ここで引き下がるわけにもいかんのだ!」
破裂音のような音を立て、周囲にラッパのメロディが響き渡る。
オワルの目ではアムドゥスキアスの速さを捉えることはできず、声もあちこちから聞こえてくる。
「君はリスク以外の何物でもないようだ! ここで処分させてもらおう!」
激しいタックルがオワルの胸に突き刺さり、軽く十メートルは転がっていく。
街道から外れて荒れた地面に摺り付けられたオワルの身体は、あちこちから出血し、手足も折れているのが一目でわかる。
「あー……確かにこの速さは、僕じゃ見えないな」
「今さら気付いたところで……」
嘲笑するつもりだったアムドゥスキアスは、折れたはずの手足を伸ばして何事も無かったかのように立ち上がるオワルに絶句する。
「まあ、それしか無いみたいだから、次で終わらせる」
「み、見えてもいない癖に、強がりを!」
再び土煙を上げて姿を消したアムドゥスキアス。
直進してきたのか、見えなくなったとほぼ同時にオワルの眼前に現れ、今度は握りしめた右手をオワルの顔面に打ち込んだ。
左目あたりを捉えた拳は、骨と肉を砕き、脳に到達するまで刺さる。
だが、口を開いたのはオワルの方だった。
「捕まえた」
残った右目でまっすぐにアムドゥスキアスを見つめたまま、オワルが呟く。
異様な寒気を覚えたアムドゥスキアスが慌てて距離をとろうとするが、生暖かい血肉に包まれた右手が抜けない。
「な、なんだこれは……」
「剣が無くなったから直接来ると思ったら、案の定だったね」
左顎も折れているらしく、カクカクと奇妙な動きで開閉する口で淀みなく話すオワルは、そのまま拳を頭部に取り込んだまま、砕けた左顔面を修復していく。
「う、うおおおおおおお!」
腰の後ろに隠し持っていたらしいナイフを、なんとか左手で抜いたアムドゥスキアス。
一度はオワルの顔を突き刺そうとしたが、寸前で止めた。
「どうした? そのまま刺せば良かったじゃないか」
ケタケタと笑われ、馬面の首から汗を垂らしたアムドゥスキアスは、鼻から思い切り息を吸い込み、自らの手首に刃を突き立てた。
「ぐぅ……あああ!」
迸る血を無視して、手首の関節にナイフを滑り込ませ、気合と共に切り離す。
「おっと」
勢いで二歩ほど後ずさったオワルに対し、アムドゥスキアスは転がるように後退する。
「思い切ったことをするなぁ」
血をしたたらせる切断面を、鼓のように叩いて頭の中に取り込む。
「でもさ。これじゃ足りないんだ」
オワルは、あっという間に元の状態に戻った左目をぐるりと回し、膝をついたアムドゥスキアスをしっかりと見据えた。
ゆるゆると右手を伸ばし、相手を指差す。
「お前の頭を取り込まないと、情報がわからないからね」
差し出された人差し指が槍のように伸びてアムドゥスキアスを襲う。
「くぉっ!」
痛む手首を押えながら、かろうじて避けたアムドゥスキアスは、青い顔をしたまま立ち上がった。
「こ、ここは退くとしよう。監察官、いずれ右手の礼はさせてもらう」
言うが早いか、アムドゥスキアスはラッパの音を奏でながら走り去った。
「……案外あっさり退いたな」
しばらくは攻撃を警戒していたオワルだったが、完全に去ったと判断すると、倒れた馬車の陰に隠れていたリリリアのところへ。
「大丈夫?」
「はい。なんともありません。ありがとうございます」
怪我をした様子も無いリリリアに、オワルが安堵した表情を見せる。
「そうしていると優しい人だとわかるんですけど……戦い方が完全に悪役ですよね」
「ひどいなぁ」
頑張って戦ったのに、とブツブツこぼしながら、オワルはゲーデと戦うことになった魅狐へと視線を向けた。
★☆★
魅狐にとって、今はあまり戦闘をしたくないというのが正直なところだった。
右腕はまだまだ回復に時間がかかるうえ、魔力的にも回復に大分持って行かれている状況では、心もとない。
(とはいえ、オワルはオワルで忙しそうね)
馬面と対峙しているオワルの方をちらりと確認する。
リリリアも向こう側にいるため、あちらから助力は難しそうだ。
片車輪も完全に壊れてしまっているので、期待はできない。
「仕方ないわね。相手してやるわ」
小さな狐火を大量に躍らせながら、魅狐は大人の姿へと変身。どこからか取り出した大幣を両手に構えた。
それを見ていたゲーデは、大きく開いた顎から涎を垂らす。
「いいねェ。小さいのを無理やり組み敷くのも悪かァねェが、やっぱ胸は揉み甲斐があるにこしたこたァねェしなァ?」
「馬鹿ね。私の胸に触っていいのは、一人だけなのよ」
狐火が次々とゲーデを襲うが、ボロの山高帽を振り、火を散らしていく。
「おもしれェ魔法だが、この程度じゃなァ!」
ゲーデが山高帽を投げ、その陰から回り込んだ蹴り。
腕で脇腹を狙った足を防いだ魅狐は、大幣で帽子を叩き落し、ゲーデの顔に向かって狐火をぶつけた。
「うわっぷ!」
両手で顔を押えながらよろけた隙に、大幣で鳩尾を突く。
「ちィッ!」
後ろに下がって勢いを殺したゲーデは、突然頬を膨らませると、口から液体を吹き出した。
「きゃっ!? なに、お酒?!」
「クヒヒヒヒ……俺の大好物さ。たっぷり九十四度のアルコール。いいニオイだろォ? 火を近づけただけで燃えるぜェ」
「あうッ」
下卑た笑いをあげながら、目に入ったアルコールを懸命に拭き取ろうとする魅狐を殴り飛ばすゲーデ。
「あんま顔がボコボコんなっても萎えるからなァ。あとは腹か?」
近づいてくるゲーデの背中に、前触れなく狐火が叩きつけられた。
「あっちィ!?」
「別に私の傍じゃないと発動できないわけじゃないのよ」
言いながらも、魅弧は懸命に目をこする。声を頼りに発動しただけで、まだ良くは見えていないのだ。
焼け焦げた背中のピリピリとした痛みに、ゲーデは怒り心頭の表情で口を開いた。
だが、声が出たのはその口からではない。
「どっち見てんだァ?」
「えっ?」
声は、まだ馬車に張り付いている片車輪の顔から発せられた。
思わずそちらに向かって構えた魅狐を、ゲーデが後ろから羽交い絞めにする。
「ヘッヘェ……捕まえたァ……」
襟をつかまれて首を絞められ、魅狐は苦しげに声を漏らした。
「俺ァ、他人の口を借りて声が出せるんだよォ」
「こんなふうになァ」
苦しみもがく魅狐の口から、ゲーデの声が出た。
「まァ、自分の声しか出せねェから、こんな使い方しかできねェけどよ」
耳元でささやくように語るゲーデ。その口からこぼれた涎が、魅狐の肩に落ちる。
「き、汚いわね……」
「そんな嫌わなくていいじゃァねェか。今からもっと違うところもたっぷり濡らしてやるぜェ?」
ゲーデが締め付ける力を強くした瞬間。
「げェッ?」
悲鳴を上げたゲーデの腕が緩み、魅狐は肘打ちを入れて拘束を逃れた。
「まったく……こんな奴から仕事を貰ってたなんて、最悪だな」
締め付けられた時の涙でようやく視力を取り戻した魅狐は、剣を構えているドーナの姿を見つけた。
血が滴る剣を見て、ゲーデの背中を斬りつけたらしいと魅狐は判断した。
「てめェ……雑魚が出しゃばってんじゃねェ!」
ゲーデが両腕の鋭い爪を突出し、ドーナへと向かう。
「くっ……」
地力ではゲーデが強いらしく、防戦一方となったドーナは、気合を込めて剣を振り回し、間合いが広がったところで変身した。
剣はつかんだまま、蛇のような瞳と下半身。
それを見たゲーデは、首をひねっている。
「あァ? てめェは仲間じャねェのか?」
「あんたみたいな下種の仲間なんてお断りだね」
振り回した尻尾の先が、ゲーデの腿を強かに打つ。
「ぅがっ……効くかよォ!」
その場で耐えたゲーデの突きが、ドーナの剣を弾き飛ばした。
「あっ!」
「ちょっとだけェ、焦ったぜェ。背中がまだ痛ェが、その分キモチヨクさせてもらうからなァ!」
再び飛んできた尻尾を踏みつけたゲーデが、ドーナに迫った瞬間、ゲーデの背中の傷から勢いよく炎が噴き出した。
「うぎァあああああ!」
「いい加減に、しなさいよね……聞いてて不愉快極まりないわよ……」
残った魔力を狐火に注ぎ込んだ魅狐は、膝をついた。
「あとは、お願い、ね」
それは、ドーナへの言葉ではない。
「ああ、任せとけ」
手をついて空を仰ぎ見た魅狐の頭上を、オワルが飛び越えた。
転げまわって何とか火を消したゲーデが起き上がる前に、一枚の布のように広がったオワルが覆いかぶさる。
「な、何だァ?!」
「悪いけど、ちょっと許せないな、あれは」
平坦な言葉に怒りを込めて、オワルは全身を使って布で包むようにしてゲーデを文字通り絞りあげる。
「一反木綿なら、締め付けるだけで終わりけど、僕はちょっと違うからな」
「や、やめろ!」
全身を余すことなく締め上げられ、抵抗どころか動くことすらままならないゲーデの叫びは、オワルの体内からむなしく響く。
「あァ!? 溶ける? やめろ! 頼む、助けて!」
「だーめ」
いつもならあっという間に噛み砕くなり吸収してしまうだけで済ませるが、魅狐への言葉が聞こえていたオワルは、すぐに殺す気にはなれなかった。
ぬるりとした肉壁に押しつぶされながら、溶解液でじりじりと焼かれていく痛みが、ゲーデを混乱に陥れる。
自分が焼ける臭いを嗅ぎ、半狂乱で身体をゆするが、圧力は増すばかりで脱出などできない。腕や足の骨がいくつも砕け、痛みが気絶を許さない。
リリリアやドーナが顔を背け、魅狐が安心してばったりと大の字に倒れてからたっぷり十五分。
「嫌だァああ……」
本人にとっては何よりも長く感じただろう時間が過ぎたときの、その叫びが、ゲーデ最期の言葉となった。
お読みいただきましてありがとうございました。
次回もよろしくお願いします。