接触
18話目です。
よろしくお願いします。
「リリリア、その人は?」
魅狐が宿に戻ると、リリリアは食堂で一人の男性と向かい合って話しているようだった。
入口に背を向けていた男性が振り向くと、魅狐を見て笑顔で立ち上がる。
「こんにちは。貴女が魅狐さんですね?」
「そうだけど。貴方は?」
「私は、アライスト商会のゲーデと申します。この町の支店を任されておりまして……ドーナさんからお三方のお名前をお伺いいたしまして、お礼にとお伺いさせていただきました次第です」
夜分に突然の訪問で申し訳ない、と頭を下げるゲーデ。訪ねたら女性一人で留守をしているということだったので、部屋ではなく食堂で話をしていたのだと言う。
「それはご丁寧に。でも、私たちも役人の端くれとして当然の行動をしたまでだし、結局は商会の人たちも助けられなかったのだから、お礼を言われるまでもないわよ」
リリリアの隣に座った魅狐は、座りなおしたゲーデを正面から観察した。
さわやかに微笑む優男。と最初の印象を受けた魅狐だったが、そこに妙な違和感を感じた。商人というが、なぜか死の匂いがする。
だが、具体的に指摘する部分も無い。商売でのし上がっていく上で、裏の仕事に関わるというのもの珍しくは無いので、そういうことかとも考えた。
「いえいえ。昨今、現金をしっかり保護して返却されるなど、悲しいことですが中々ありませんのでね。ドーナさんにも感謝していますし、彼女を助けてくださった皆さんにも、ぜひお礼を申し上げたいと思いまして」
すらすらと流れるように話しているゲーデの様子は、見目が良いことも相まって、まるで俳優がセリフを紡いでいるかのようだ。
「そして、これはお礼としてお持ちした物です。どうぞお受け取りください」
パンパンに張った麻袋を、テーブルの上に置く。
貨幣が詰まっているのは、置かれた時の音でわかる。
魅狐がリリリアを見ると、彼女は頷いてゲーデに麻袋を押し戻した。
「ありがたいお話ですけれど、これは受け取れません。わたしたちはこの国の公僕として帝国の国民に奉仕することを仕事としております。特定の誰かを助けることもいたしませんし、それで報酬などをいただくことはいたしません」
「……そうですか」
ゲーデは拍子抜けするほどにあっさりと袋を引っ込めた。
「素晴らしい心がけだと思います。これは愚痴になりますが、お役人の中には隠すことなく賄賂をねだるような方も少なくありませんし、実際にそういった方法でお話がスムースに行くことが少なくありませんので……。貴方方のような方が増えれば、もう少しお客様がお買い上げになられる商品も安くできるのですが」
困ったものです、と首を振る。
「では、食事などをご馳走させていただくというのはいかがでしょうか? その、個人的にもお近づきになりたいと思うのですが」
「お生憎様」
魅狐はウインクして、ゲーデに微笑む。
「私はもう伴侶がいるし、リリリアも気になる人がいるのよ」
「そうですか。ひょっとして、オワルさんという方が……」
「ええ、私の伴侶。彼との付き合いは長いのよ。貴方が想像しているより、ずっと」
魅狐ののろけ話に、ゲーデが一瞬顔を歪めたが、すぐに元の微笑みに戻った。
「なるほど。私の入る隙間はなさそうだ」
ゲーデは立ち上がると、一礼する。
「何かご入用の物がございましたら、ぜひ我がアライスト商会をご利用ください。オワルさんという方にも、よろしくお伝えいただけますか?」
「ええ、確かに」
「ありがとうございます」
金が入った袋を抱えたゲーデが宿を出て行ったのを見送り、二人は顔を見合わせた。
「若い割に支店長とは。やり手みたいね」
「あんな大金持ってくるなんて……びっくりです。それにしても、急にお誘いされるとは思わなくて、びっくりしました」
「勝手に断っちゃったけど、良かった?」
魅狐が尋ねると、リリリアは困った顔をした。
「逆に助かりました。ああいうお話は苦手で……」
「にしても、この世界はロリコンが多いのかしら?」
「どういうことですか?」
「今の私の姿」
あ、とリリリアは魅狐の全身を見た。
普段の魅狐の姿は、十~十二歳くらいの見た目で、一言で言えば“子供”だ。話し方だけは大人びているが、子供が背伸びをしているようにも見える。
「クローセルといい、さっきの支店長といい。ろくでもないわね」
「ということは、さっきの話でオワルさんは魅狐さんがもっと小さいころから……って話になるわけで……」
今度は、魅狐の方が口を開いて固まった。
★☆★
ずるずると人間の形を取り戻し、左目もしっかり付け直したオワルが最初に口にした言葉は、「何ともないの?」だった。
安心感でベッドに腰を落としたドーナの返事は、
「それより、説明してほしいんだけど……その目、見えてたの? そしてそれはいつからこの部屋にあったの?」
という言葉と、冷たい視線だった。
「申し訳ございませんでした」
「わかればよろしい」
床に正座したオワルが、深々と頭を下げると、ドーナはため息交じりに許すと言った。
「助けてもらったのはありがたいけれど、のぞきみたいな真似はやめてほしいね。裸になったりはしなかったけれど、それでもさ」
「ごめんね。でも、ちょっと気になったもんだから」
「なにそれ。あたしに気があるの?」
ジト目で見られ、オワルは両手を振って否定した。
「違う違う!」
「そんなに否定されてもムカつくんだけど」
ドーナの許可を得て座りなおしたオワルは、ドーナが自分で引き抜いた魔導具を指差した。
「話を戻すけど、体はなんともない?」
「その言い方だと、これが何かを知ってるみたいだけど」
魔導具をもてあそぶドーナに、オワルはその特性を説明する。そして、その出所と思しき場所に向かっていることも。ただ、リィフリリーの事は伏せた。
「化け物に変化する、か。この針でねぇ」
じっと魔導具を見るドーナの瞳が、蛇のような目に変化する。
オワルはその様子をじっと見つめるだけで、話しかけることはしない。
二度、三度と赤く輝いた瞳が元のパッチリとした透き通る青い色に戻ると、ドーナは魔導具をオワルに手渡す。
「……確かに、普通の人間だったら、かなり強い影響を受けそうだね」
「普通の人間なら、か」
「オワルさんはあたしが怪しいと思って、監視してたんでしょう? いつまでも疑われたままじゃ気分が悪いし、敵対しない証明だけでもしておかないとね」
再び、蛇のような瞳を見開いたドーナが立ち上がると、みるみる両足が伸びていく。いつの間にか下半身が青いうろこに覆われた蛇へと変化し、瞳は赤く染まっている。
「それが、君の本当の姿か」
「そうだけど……普通は目の前でこんなのを見たらもっとリアクションとかあるんじゃないの? 何のんびりパイプふかしてんのさ」
「これは煙管。パイプとはちょっと違う」
ドーナの変身を興味深く見ていたオワルは、いつの間にか煙草をくゆらせていた。
「濡れ女? でも上半身あるし……」
「あたしはエキドナ。これでもギリシア神話じゃ結構有名なんだから」
「西洋の妖怪か。なるほど、なるほど」
「妖怪扱いはやめてよね」
腰に手を当てて、ドーナは意を決してカミングアウトしたのに、オワルの反応がいまいち薄いことに腹を立てていた。
「そういう貴方はなに? スライムみたいに液状化するし、目玉を外して監視するとか……考えてみれば、貴方の方がよっぽど化け物ね。正体は何? 教えてくれても良いと思うけど」
「正体、か。自分でもよくわからないけど。元々は普通の人間だよ」
への字口の端に煙管をひっかけ、眠そうな目をじっとドーナへ向ける。
「冗談でしょ」
「すごく真面目」
煙が、ゆらゆらと室内で漂う。
「もう何百年も前だけど、狐に憑りつかれて、それからずっといろんな妖怪とかを吸収してきたんだ。もうどれくらいかも憶えてないくらい。人間を吸収したときは記憶を読み取る程度しかできないけど、妖怪なら能力を使えるようになる」
そうしているうちに、元人間だと言いながら、自分が何かはわからないまま、ごちゃまぜの自分のままでいる。
「この世界のモンスターは沢山見たけれど、まさか自分以上の化け物を見ることになるとは思わなかったよ……ところで、狐とか妖怪とか言うあたり、日本から来たってことよね」
やっぱり、とオワルは言う。
「ドーナ。君も地球からこの世界に飛ばされてきたクチか」
「そうよ。お昼寝して目が覚めたら、いつの間にか知らない森の中。なんとか人のいる町まで出て、日雇い仕事をして……難儀したわよ」
西ヨーロッパの田舎町で、人間に化けてのんびり過ごしていた時に、飛ばされてきたらしい。
見も知らぬ場所に飛ばされ、モンスターに襲われて何とか撃退はしたものの、力をかなり失った状態だったため、命からがら人里までたどり着いたらしい。人化の能力と生まれつきの鑑定能力は残っていたものの、人間の状態では人並みの力しか出なくなってしまったという。
「念のため聞くけど、元の世界に戻る方法とか、知らないよね?」
オワルは、残念ながら、と首を振る。
「二百年、この帝国をうろついているけれど、聞いたこともない。しかも、他の世界から来たという人物の記録すらない」
「そうなの?」
「一緒に飛ばされてきた……魅狐のことだけど、彼女以外に会ったこともない、な」
オワルの言葉を聞いて、ドーナは腕を組んで考え込む。
「おかしいなぁ……。その魔導具、あたしと似たような波動を感じたんだけど……」
「どういう意味?」
「多分……その魔導具、あたしたちと同じ世界から来た奴が作ったものだと思う」
沈黙が部屋を支配し、オワルは煙管をぴょこぴょこと上下させながら考え込んでいた。
★☆★
「あれは、異物ですね」
店へと戻ったゲーデは、自室へと入るとため息をついた。
リリリアと話している間は、彼女が単なる役人の一人で、取るに足らない小娘だという評価でしかなかった。だが、魅狐という少女は別だ、とゲーデは判断した。
少女にしか見えない容姿ではあったが、普通ではない、自分よりも上位の存在のような雰囲気すら感じていた。恋人だというオワルの存在も気になる。
「私が始末しなくてはいけないかもしれませんね。面倒なことです」
そして、ドーナの件を任せていた者がまだ戻っていないことにも失望の色を見せる。
「これは……失敗しましたか」
デスクに向かい、引出しから書類を取り出すと、サラサラと二人の名前を書くと、紙の端に指を置き、魔力を送る。
ゆらり、と文字が揺れ、溶けるように消えた。
「両方とも死にましたか。これで魔導具の行方もわかれば良いのですけれど」
そういう魔導具が発明されたとは、寡聞にして聞かない。
「問題は、二人が誰に殺されたのか、ですね」
ゲーデが知る限り、ドーナ程度の能力では向かわせた二人を撃退することは難しいはずだった。
考えられるのは、何かで手駒が失敗したか、誰かがドーナを助けたか。
「やれやれ……中間管理職は大変です。ですが、頼れる上司がいるというのは幸運というべきでしょうね」
魅狐の件も考えると、もはや自分だけの判断で動くべきではないかもしれない、と考えたゲーデは、新たな魔導具を取り出した。
それは小さな水晶が台座に据え付けられた物で、魔力を通すと、水晶が震えて声が響いた。
「どうかしたかね、ゲーデ君」
「ええ、少しイレギュラーが発生いたしまして……ご協力いただけませんでしょうか、アムドゥスキアス様」
通信を終えたゲーデは、魔導具を仕舞う。
静まりかえった部屋の中、ゲーデは微笑む。
「いざとなれば上司といえど、使えるものは使わせてもらいませんと、ね」
効率を考えれば、早いうちにドーナたちの状態を調べておくべきか、とゲーデは再び出かけて行った。
お読みいただきましてありがとうございます。
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