半神対偽神
お待たせして申し訳ありません。
12話目を投稿します。
「おどきなさい!」
ルーナマリーの声は良く通る。
びっくりして振り向いた兵士たちの視界には、ズラリと並ぶ巫女服姿の女性たち。
その手には思い思いに魔改造された大幣が握られ、一様に緊張した面持ちだ。彼女たちの視線は、魅狐の狐火による結界に閉じ込められた巨大な蛇に向けられている。
唯一、ルーナマリーのみが緊張ではなく奮起の顔つきだ。
「さあ皆さん! 魅狐様の御技に見惚れるのはわかりますが、本来ならばわたくしたちがやらねばならぬことなのです! 気合を入れてやりますわよ!」
「待って待って! 君たちは一体なんなのさ!?」
ルーナマリーに駆け寄った魔法騎士スヴァンは、初めて出会う自分よりも背の高い女性に気圧されつつも、ここは危険だと立ちふさがる。
「おどきなさい」
「い、いや、そういうわけには……」
「わたくしたちはイナリ教のシスターです。この異変に対応するため、魅狐様のお手伝いのためにここにいるのです。邪魔をするのであれば……」
「対応は我々が行う。宗教家の出る幕は無い」
近づいてきたゲラーテルが、スヴァンを押しのけてルーナマリーを正面から睨みつけた。
だが、その程度で怯むルーナマリーではない。
「ふん! 蛇本体には何もできず、虫を潰す以外のことができていないようではありませんか。わたくしたちの秘術で蛇の動きを止めてやろうというのです」
「そんなことが、できるのかい?」
「おい、スヴェン!」
思わず聞き返したスヴェンを止めようとしたゲラーテルだったが、その内容が気になるのか、いつものような強引さは無い。
「当然ですわ。魅狐様から伝授いただいたイナリ教の秘術は、妖はびこる斯様な事態でこそ役に立つのです! わかったらそこをどきなさい」
押しが強いにも程があるルーナマリーの態度に、思わず道を開けてしまたスヴェンたちを横目に、シスターたちは素早く進み出ると、横並びの陣形を組んで大幣を振りかざした。
「魅狐様が見られているのです、イナリ祝詞を!」
ルーナマリーの号令に、シスターたちは声を揃えて朗々と唱え始めた。
魔法のような派手な光も熱も無い。だが、裏庭に響き渡る声が大蛇に届くと、見るからに蛇の動きは鈍くなった。
「す、すごいな……さっきの火魔法も不思議だったが、これはもっとわけがわからない」
魔法には詳しいと自負心を持っていたスヴァンも、流石にイナリ教の秘術までは知識を持たない。
素直に感心する彼の隣で、認めざるを得ないか、とゲラーテルが首を振った。
「では、わたくしは魅狐様の元へ参ります。リリリアさん、案内を」
「は、はいっ!」
一部始終を呆然と見ていたリリリアは、突然声をかけられて我に返った。
「騎士と兵士の皆様には、シスターを守るという栄誉を差し上げますわ。……彼女たちが傷を負うようなことがあれば……わかっておられますわね?」
「ぜ、全力で護衛させていただくよ」
「よろしい。では行きますわよ、リリリアさん」
ヒールの音を響かせて去っていくルーナマリーを、二人の騎士が呆然と見送るが、その表情は違っていた。
「嵐のような女だな……」
苦々しい表情を浮かべるゲラーテルは、隣にいるスヴァンを見て、固まった。
顔を上記させたスヴァンは、真剣な目でルーナマリーの後ろ姿を見ていたのだ。
「美しい人だったな、ゲラーテル……」
女たらしだと噂される色男が見せた本気の視線に、ゲラーテルは悪いと思いつつも、引いた。
★☆★
一人の護衛騎士を連れた皇帝が屋上へ姿を表した時、オワルはまだ屋上の兵の上でごろりと横になっていた。
魅狐は一言も喋らず、真剣に大蛇ディナイラーを睨みつけている。
「オワル様」
「あ、皇帝」
起き上がったオワルは、ヒョイと飛び降りて皇帝の前にたった。
冴えない見た目の黒髪の男が、皇帝の前で膝もつかずに同じ視線で立っている事や、皇帝が敬称をつけて呼んだ事に、護衛の騎士は目を丸くしている。
「ここで見たことは忘れよ」
「承知いたしました」
間髪いれずに返答した護衛騎士に頷いた皇帝は、改めてオワルに向かって頭を下げた。
「聞けば、あれは私の愚弟とのこと。身内の不始末でオワル様へご迷惑をおかけしたこと、誠に申し訳ないと思っております」
「違うよ」
溜息を付いたオワルは、皇帝に頭を上げるように言う。
「頭を下げるべきは僕じゃないでしょ。何人か兵士が死んだ。城の一部が崩壊した時にも、犠牲が出てるかもしれない。それに……」
結界の中で身悶えるディナイラーを見つめたオワル。
「本当に謝るべきは彼だろうし、彼がああなった原因を作った者だと思うよ」
それは、皇帝に責任を取ることを迫ることはない、という監察官としての宣言でもあった。
皇帝は、その事に大して深く頭を垂れたあと、変わり果てた姿となった弟を見た。
「何者かが、この件の裏に存在すると……魔導具の存在について監査室員から聞きましたが、その出処に問題があると言われるのですね?」
「まだ、詳しくはわからないけれどね。出処はミヅディルの辺境伯だよ」
やっぱり、あそこは急いで調べる必要がありそうだね、とオワルは言い、その前にやらなくてはいけないことがある、と皇帝に視線を向けた。
「……既に、ここに来るまでに覚悟はできております。いえ、この言い方は間違いですな。皇帝として、民と兵士たちを守るため、どうか、オワル様の手で愚弟を“始末”していただきたい」
「……承知した」
慰める事もせず、オワルはただ一言だけ返した。
★☆★
「すまん!」
イナリ教本部へと戻ってきたマデッバン宮司長は、シスターたちの治癒により、何とか意識を取り戻した騎士、アレッドンに坊主頭を下げて詫びた。
民衆の避難誘導のために本部を出ていたマデッバンは、リィフリリー皇女の保護の報を受けたあとも、そのまま城の近くで誘導の指揮を取るために残っていた。そこで、皇女誘拐の連絡を受け、慌てて駆け戻ったらしい。
「今言っても仕方がないが、皇女様を保護した連絡を受けた時点で戻るべきだった! これはワシの失敗だ。頭を下げても仕方がないとはわかっているが……」
「それよりも、リィフリリー様は……」
傷はふさがったとは言え、失った血を取り戻せたわけではない。青い顔をしたアレッドンは、包帯だらけの震える身体を起こした。
「まだ起き上がってはいかん! ……皇女様の行方は、ワシらイナリ教徒が追っている」
「あれはとんでもない化け物だった。追うなどということができるのか?」
めまいがするのか、頭を揺らすアレッドンは、焦点が合わない視線を向けた。
「化け物だからこそ、痕跡を探していけるのだ。それよりも、この失態を取り戻すためにワシは追跡に協力する。騎士どのはゆっくり休んでおいてくれ」
「待て」
アレッドンは荒い息をどうにかおさめてから、ゆっくりと話した。
「リィフリリー様が誘拐されたのは、他の誰でもない俺の責任だ。部外者であるイナリ教の者たちには、何の責任もない」
「しかし……」
「俺にも誇りがある。失敗の責任を他人に取ってもらいたくはない。俺の失態の責めは全て俺に帰すべきものだ。勝手に騎士の仕事を奪わないでくれ……」
喘ぐように紡ぎ出された言葉に、始め目を見開いて聞いていたマデッバンだったが、その気持ちを知って、ニコリと微笑んだ。
「では、詫びではなく協力のために動くことを許可いただきたい。それではどうかな?」
「……ご協力、感謝する」
視線をそらしての返答だったが、マデッバンはしっかりと頷いた。
「承知した。では、皇女様を拐かした不届きものについて聞きたいのだが」
騎士アレッドンが、必死で思い出しながら語った内容は、市井の人間が聞いても信じられないものだっただろう。
馬の頭を持つ魔物など、この世界では誰も知らない。ましてや人語を話すなど、おとぎ話の世界だ。
「信じられないだろうが、これは事実だ」
「わかっているとも。むしろ、そういう化け物どもの相手こそ、ワシらの仕事だよ」
今は身体を治せ、と言い残し、マデッバンは部屋を出た。
廊下に出て、ドアをしっかりと閉めたところで、一人の男性が近づいた。
「宮司長」
「何かわかったか?」
「方向までは絞れましたが、恐ろしく速い相手ですので、追いつくのは不可能です」
痩せてメガネをかけた男性は、無表情で報告をした。彼は宮司というイナリ教内では上位の男性神職であり、多数の禰宜と呼ばれる男性神官を従えている中間管理職の地位にある。大した術は使えないが、冷静な判断力を評価され、マデッバンの補佐として動いており、今回もいち早く状況を判断してシスターや禰宜たちに追跡指示を出していた。
もたらされた報告は不十分だと思ったが、言っても詮無きことだとは、マデッバンにもわかっていた。
「戦闘が出来る者を集めておけ。あるいは、異形との戦いになるかもしれん」
「了解いたしました」
「それから、城へ状況を連絡しておいてくれ。場合によっては、オワル様のお力もお借りすることになるかもしれん」
予想していたのだろう。宮司の男性は努めて冷静に頷いた。
★☆★
「来てくれたみたいね!」
祝詞の響きを感じた魅狐は、ディナイラーの動きが明らかに鈍くなったことに快哉を叫んだ。
そして、力尽きたように倒れ込むのを、オワルが後ろからしっかりと抱きとめた。
「お疲れ様」
「まったくよ。ちゃんと後で癒してもらわないと割に合わないわ。そして、アサ坊……いえ、皇帝」
「はい」
額に浮かんだ汗を拭いながら、魅狐は皇帝へ声をかけた。
「話す余裕は無かったけれど、貴方の言葉は聞いていたわ」
皇帝は、再び頭を下げた。
「言いたいことは大体オワルが言ってくれたから、あとは一つだけ。皇帝は最上の地位でもあるけれど、それは民がいてこその高みであることを忘れないように」
「肝に銘じておきます」
「貴方はちゃんとわかっているみたいだけど、念のために、ね」
魅狐が片目を閉じた瞬間、激しい音が鳴り響く。
屋上へ出るドアが弾けるように開いたと思ったら、大柄な人物が魅狐に向かって弾丸のように飛んできた。
「魅狐様! ご無事ですか!」
自分の胸ほどまでの身長しかない、子供サイズ状態の魅狐をへし折らんばかりの勢いで抱きしめたのは、ルーナマリーだった。
遅れて、リリリアが姿を見せる。
「遅くなりましたぁ……」
中庭からずっと走って上がってきたリリリアは、震える膝を押さえて、肩で息をしている。
「ご苦労様。それじゃ、シスターたちが大変だから、急いで終わらせるとしようか」
オワルの言葉に、リリリアは息を飲んだ。
今から、オワルは魅狐を食べるのだ。
「ぷはっ!」
胸に埋もれていた顔を話した魅狐は、ルーナマリーに微笑む。
「良く来てくれたね」
「当然のことですわ。むしろ、時間がかかってしまって申し訳ありませんでした」
「いいの。それより、今からあの蛇を倒すから、お手伝いをお願いしたいのだけれど」
自分より遥かに強い魅狐が、自分に助力を依頼することに首をかしげたルーナマリーだったが、直ぐに何かに気づいた。
そして、オワルを睨めつける。
「貴方! まさか魅狐様を!」
「マリー。お願いだから」
「くぅ……」
魅狐に頼まれては、ルーナマリーは断ることなど出来ない。いや、考えることすらできない。
「わかりましたわ! ただし、わたくしは目を瞑っておりますから!」
宣言通りにまぶたを閉じたルーナマリーは、仁王立ちのままで六尺棒な大幣を握り締めた。
「オワル」
「わかった」
ルーナマリーの前に立つ魅狐は、オワルに一度だけ声をかけると、右腕を差し出した。
「優しくしてね」
「善処しよう」
オワルは差し出された魅狐の右手に恭しく口づけを落とした。
そして、口が裂けたという表現が生ぬるいほど、顔全体が割れたと言っていい大きさに口を開くと、肩口までを一口で食いちぎった。
「いたたた……。マリー、お願いね」
「承知! ……掛巻も恐き稲荷大神の大前に恐み恐みも白く」
ルーナマリーは大幣を構えたまま、良く通る声で祝詞を唱えていく。魅狐の血が止まり、ゆっくりと傷がふさがっていく。
それでも痛みは消えないのだろう、先ほど拭った額には、大粒の汗が浮かぶ。
「リリリア、良く見ておいてね。これが私たちのやり方。そして貴女がこれから付き合っていくと行った、オワルの姿よ」
魅狐の言葉に、リリリアは返答をする余裕も無かった。
魅狐の片腕を食らったオワルは、あっという間に身体が倍の大きさになり、やせ型だった身体は、岩の塊のようなゴツゴツとした巨漢へと膨れ上がっていたのだ。
「話には聞いたことがあるが、これほどとは……」
皇帝が驚きを口にしている間にも、オワルはさらに巨大化していく。
「これがオワルの中に眠っている神の力の“ほんの一部”よ! 神力が強すぎて、私という神体を使っても、なんとか制御するのが精一杯!」
だから、そうそう使いたくは無いのだという魅狐に、リリリアはハンカチを取り出しながら近づき、その身体を支える。
「でも、攻撃したら虫が……」
リリリアが不安を口にすると、その柔らかな唇に、魅狐の細い指が当てられる。
「日本の神様を舐めちゃダメよ」
さらに巨大化するオワルは、屋上から飛び降りた。
そして、10mほどの大蛇に匹敵する大きさにまで急激に巨大化する。
オオオオォォォォォォ……!
雄叫びが皇都に響いた。
至近距離にいた魅狐たちは、全身にその咆哮による振動を感じている。
「あれがダイダラボッチ様の力! 日本という国を造った神様の力よ!」
「国造りの神様……」
それはまさに岩石でできた巨人。
全身に比べてもさらに巨大な手足は、叩きつけるだけで大抵の相手は潰せるだろう。
その姿と歩くたびに揺れる地面に、シスターたちの術式が崩れ、ディナイラーが自由を取り戻した。
困惑と怒りの視線を向けてくるディナイラーに対し、巨人は構うことなくゆっくりと近づいて行く。
「なかなか見ることが出来ないから、みんな良く見ておきなさい。神様の戦いなんで、そうそう見られるものじゃないんだから」
言われるまでもなく、ルーナマリーも含めた全員が、その巨体に釘づけになっていた。
「さあ、半神と偽神の闘いが始まるわよ」
お読みいただきましてありがとうございます。
繁忙期が終われば、もっと速いペースの更新が出来ると思います。
隙を見てちょいちょい更新していきますので、よろしくお付き合いくださいませ。