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プロローグ



朝の五時二十分、まだ外は夜の残り香をしつこく窓ガラスに貼りつけたままで、新聞配達のバイクが遠くの角を曲がる音すら眠気を引きずっているように聞こえる時間帯だというのに、私の一日は主婦らしく目覚まし時計のかわいらしい電子音で始まることもあれば、異世界産の甲殻猪が裏庭の向こう側で木柵をひっかいている耳障りな音で始まることもあり、今朝に至ってはその両方だった。


つまりどういうことかといえば、寝起き一分で布団を跳ねのけながらパジャマの裾を片手で押さえながら階段を駆け下り、寝室で「んん……おはよう……」と布団に顔を半分埋めたまま平和そのものの声を出している夫に「おはよう、今日は鮭にするね」と実に家庭的な返事をしつつ、心の中では鮭どころか甲殻猪をどう解体したら一番うまく味噌漬けにできるかを真剣に考えていたわけで、われながら情報量の多い朝だなあと、玄関脇の古い飾り棚に立てかけてある柳刃包丁の柄をつかみながらしみじみ思っていたのである。


念のため申し上げておくと、私は専業主婦である。


私をひとことで説明するなら、たぶん「全国主婦図鑑の三ページ目あたりに載っていそうな女」である。


少し年季の入った一軒家で、夫とふたり暮らし。平日の朝は寝ぐせのまま台所に立って、卵焼きの焼き加減とウインナーの本数に全神経を集中させながら夫の弁当を完成させる。


洗濯物を干すころには、私の視線はすでに新聞折込の特売チラシにロックオンしている。豆腐が一丁三十八円。となれば今夜は湯豆腐か、…いや待て、ひき肉が冷凍庫にあったはずだから麻婆豆腐も捨てがたい。たった一丁の豆腐が夕飯の運命を左右してくるのだから、主婦の世界は意外とドラマチックなのだ。


町内会の回覧板が回ってくれば、ただ判子を押して終わりでは味気ないので「いつもありがとうございます」なんて一言を添えて、いかにも感じのいい人を装いながら次のお宅へ回す。昼下がりにはぬるくなった麦茶を新しく作り替えつつ、「今日は床の雑巾がけまでやるべきか、それともこれは明日の私に託すべき案件か」と、誰にも褒められない重大な会議をひとりで開催する。


そして夕方になると、夫の帰宅時間を軸に汁物、主菜、副菜の完成タイミングを頭の中で組み立て始める。味噌汁は先に温めすぎると悲しいことになるし、焼き魚は早すぎるとしょんぼりするし、煮物はちょっと置いたほうが機嫌がいい。そんなふうに台所のあらゆる鍋とフライパンの都合を取りまとめている私は、つまるところ全国の住宅街のどこにでも一人はいる、見事なくらい生活感にまみれた、ごくごく普通の主婦なのである。


ただし、ひとつだけ困った違いがある。


夕飯のメイン食材が、たまに「まもの肉」なのである。


もっとも、こんな話を町内会の集まりでうっかり口にしようものなら、「真柴さん、最近お疲れじゃない?」「少し休んだほうがいいわよ」と遠回しに心配される未来しか見えないので、私はこの重大な事実を夫どころか近所の誰にも話していないし、話す予定もいまのところない。主婦に必要なのは家計簿の整合性とゴミ出しの曜日の記憶力と、秘密を秘密のまま台所の換気扇よりも自然に回し続ける冷静さであって、自分の正体を無駄に発表して暮らしをややこしくする勇気ではないからだ。


そもそも主婦の秘密というものは、たいてい「ちょっと高いプリンをひとりで食べた」とか「推しのグッズをこっそり通販した」くらいがちょうどよく、床下収納の奥に異世界への通路があって、その先で翼の生えた蜥蜴を狩って晩ごはんのおかずを確保しているなどというのは、秘密としては明らかに過積載であり、もう少し分量を考えたほうがいい気はしているのだけれど。


……まあ、起きてしまったものは仕方がない。人生には、説明書も返品窓口もついていない出来事というものがある。そしてそれが起きたのは、私たち夫婦がこの家を購入してから、たった三日後のことだった。


引っ越し直後の家というのは、家ではない。ほぼ巨大な段ボール置き場である。リビングの隅には「たぶん台所」「もしかすると洗面所」「開けるのが怖い・その他」と書かれた箱が積み上がり、私はフライパンの蓋をどの箱にしまったのか完全に見失っていた。というか、そもそも本当に自分でしまったのかすら怪しかった。夕方には体力も気力も限界で、「今日はもう料理という文化をいったん見送って、スーパーのお惣菜文明に全力で乗っかろう」と真顔で決意しかけていた、その頃である。


問題の場所は納戸の奥だった。しゃがみ込んだ拍子に、床板のうち一枚だけが妙に新しいことに気づいたのだ。周囲の板は年季の入った木目で落ち着いているのに、その一枚だけが「私は最近ここに来ました」とでも言いたげに、妙に若々しい。前の住人さんが傷んだところを自分で直したのかな、くらいの軽い気持ちで、私は少し浮いていたその板に手をかけた。


持ち上げた瞬間、下の暗がりから湿った土と草と、錆びた鉄みたいなにおいがむわっと一気に吹き上がってきた。うわ、嫌な予感しかしない。私は反射的に「やだ、シロアリ? それとも配管? いや最悪、家の終わりのにおいでは?」と脳内会議を開催したのだが、その会議はすぐ閉会した。


なぜなら、そこにあったのは床下ではなかったからだ。


床下であるはずの場所に、どう考えても床下のスケールでは収まらない、石造りの階段がずっと下へ続いていたのである。石造り。階段。下へ。どれを取っても「一般家庭の納戸の下」とは絶望的に相性が悪い。私はその場で三秒ほど口も閉じたまま、脳みそだけが「は?」「え?」「なんで?」を繰り返す時間を過ごした。


そしてようやく出てきた第一声が、

「中古住宅って、思ってた中古住宅と違うな」

だった。


今思えばもっとこう、「これは事件だ」とか「警察?」とか「逃げよう」みたいな、もう少し知性のある反応ができたはずである。けれどそのときの私には無理だった。引っ越し疲れで判断力が煮崩れていたし、何より目の前の光景が現実離れしすぎていて、まともな感想を出すには脳の準備がまったく追いついていなかったのだ。


普通なら悲鳴を上げるとか、夫を呼ぶとか、不動産会社に電話するとか、そういう順当な選択肢が頭に浮かぶべきだったのだろうけれど、そのときの私は引っ越し疲れで正常な判断力が薄くなっていたのか、それとも昔から新しい鍋や調味料を見ると試さずにいられない料理人めいた好奇心が悪い方向に発揮されたのか、「ちょっとだけなら見てもいいよね、ちょっとだけなら」と自分でも信用ならない独り言を唱えながら懐中電灯を持って階段を下り、そのまま夕飯の買い物に行くつもりだった主婦としては明らかに装備不足の格好で異世界デビューを果たした。


そこから先のことを詳しく語り始めると、プロローグのつもりが年表になってしまうので、ひとまず要点だけ申し上げると、階段の先には青白い霧の立ちこめる森があり、森の向こうには石造りの城壁都市があり、都市には魔物とギルドと剣と魔法と、あと妙においしい岩塩があり、私は初日から野犬みたいな顔をした二足歩行の何かに襲われ、必死で振り回した物干し竿で偶然急所を突き、その死骸から採れた肉を恐る恐る持ち帰って照り焼きにしてみたところ、これが信じられないほど柔らかくてうまかったので、人生の歯車はそういうときこちらの事情など聞かずに「はい、決まり」と勝手に噛み合ってしまうのだなあと実感したという点である。


あれから一年と少し。


人は環境に適応する生き物だと聞いたことはあったけれど、まさか自分がここまで見事に“台所と狩場の両対応型”へ進化するとは思わなかった。いまの私は朝食用のだし巻き卵をくるりと巻くあの手首の返しのまま、片刃剣もそこそこきれいに振れる。今日の献立を頭の中で組み立てながら、目の前をうろつく魔物の足運びや警戒範囲を観察することもできる。市場でも森でも、保存の利く肉、逃げ足の速い魚、香りの勝っているきのこ、煮込みに向く骨つき肉を見れば調理法が最低でも三通りは浮かぶ。焼くか、煮るか、干すか、あるいは香草と酒で誤魔化すか。主婦としてもハンターとしても、たいへん実用的な人材に仕上がってしまったわけである。成長の方向性がだいぶ癖強めなのは自分でも認める。しかし認めるのと直すのとは話が別だ。


そんな私の今朝の仕事始めは、裏庭の向こうで木柵をがりがり引っかいていた甲殻猪とのご対面だった。


——いや、正確に言えば、あれは木柵を引っかいていたわけではない。家の裏にある古井戸、そのさらに向こう側。こちらとあちらの境目がどうにも薄くなるあの妙に空気の冷たい場所へ、硬い鼻先をずるずる突っ込んでいただけだ。この家に住み始めて以来、ああいう“向こう側の生き物”が時々こちらへにじみ出ようとするのは、もはや季節の風物詩みたいなものである。迷惑な風流もあったものだ。


ただし、今日の相手は当たりだった。


甲殻猪は気性こそ荒いが、肉質がいい。特に肩ロースは脂にほのかな甘みがあって、焼けば香ばしく、煮ればほろりとほどける。しかも殻の内側に沿って張りついた筋を丁寧に掃除すれば、ぷるぷるの煮こごりまで取れる。主婦目線で言わせてもらうなら、朝一番に現れる魔物としてはだいぶ優秀だ。いわば移動式食材。しかも高級寄り。


私はまだ半分寝たままの頭で裏口の鍵を開けながら、これはもはや朝の襲撃ではなく食卓のほうからやって来た挨拶ではなかろうか、などと都合のいいことを考えてつつも、寝ぼけ眼にパジャマ、そこへカーディガンを一枚引っかけただけという対魔物用としてはまったく推奨されない格好で外へ出た。


「朝からありがたいけど、柵はやめなさい、修繕費がかかるでしょう」


春先の朝は指先の節がじんわり冷えるくらいにはまだ寒くて、庭の草むらには夜露がびっしり残っていた。うっかり裸足で踏み込めば、寝ぼけた足裏が一発で現実に引き戻されるあの容赦のない冷たさである。物干し竿に洗濯物をかけるにはまだ早い。シャツの裾がしっとり湿気を吸って、どうせ「乾いたような、乾いてないような」という一番腹の立つ仕上がりになる。東の空はようやく薄い桃色を帯びはじめ、夜が帰り支度を始めたくらいの頼りない明るさで庭全体が水で薄めたような色をしていた。


そんな朝っぱらから、灰色の甲殻猪が庭先で仁王立ち……いや、猪なので四つ足で低く身を沈め、今にも飛びかかる寸前の格好でこちらを睨んでいた。体長はざっと二メートル半。軽トラの荷台を脚付きにして、そのまま凶暴性を詰め込んだような図体だ。額の角は鉈みたいに太く、先端は私の腹を迷いなく貫けそうな角度でこちらを向いている。鼻を鳴らすたびにフン、フン、と白い息が漏れ、そのたびに土の匂いが濃くなるという見るからに「朝食前の軽い運動に人間を轢きますが何か?」という顔をしているのだけれど、問題はその角の付け根だった。昨夜どこでどうしたのか、細い小枝が一本、ぴょこんと刺さっているのである。よりによってそこか。おかげで凶悪な魔物のはずなのに、第一印象が「うわ、間抜けな飾りついてる」になってしまった。たぶん私はハンターとして、命のやり取りに必要な緊張感の何割かを、どこかの買い物かごに置き忘れてきてしまっているのだろう。


もちろん、甲殻猪が笑って済ませられる相手でないことくらいは知っている。あれは突進に入った途端、さっきまで十歩先にいたはずの巨体が次の瞬間には目の前にいるほどの予想に反したすばしっこい生き物だ。あの加速を最初に見た時は本当に驚いた。正面から受ければ普通の盾なんて乾いた煎餅みたいに割れるし、森の若木なら二、三本まとめてへし折って、そのまま「障害物ありました?」みたいな顔で走り抜ける。だから本来なら足場を見つつ動きの気配を読んできっちり間合いを取りながら仕留めるべきなのだが、こちらにはこちらの事情がある。主婦の朝は戦場より時間割が厳しい。私は六時十分までに米を研いで炊飯器に突っ込み、六時二十五分には出汁を温めて味噌汁を火にかけ、六時四十分には二階で布団と同化している夫を物理的かつ精神的に起こしに行かねばならない。つまり庭で猪と見つめ合っている時間は本来、一秒たりとも計上されていないのである。こっちは暇じゃない。なのに相手は待ってくれない。世の中って、ほんとうにそういうこちらの献立も事情もまるで考慮しない作りになっている。


私は物置の陰へわずかに体を滑り込ませるように半歩ずれ、朝露を吸った土の湿り気が足裏へじんわり伝わってくるのを感じながら、こちらを轢き潰す気まんまんで鼻息を荒くしている甲殻猪の前脚の踏み込みの癖と突進に入る寸前に肩がほんの少し左へ落ちる嫌な予兆を観察しつつ、「前脚に変な重さがあるし、肩の入りも鈍いし、さては昨日あたり調子に乗って崖でも滑ったわね、見た目ほど完璧じゃないの、ちょっと親近感湧くじゃない」と、命のやり取りの真っ最中とは思えないどうでもいい感想を心の中で転がしていた。猪が地面を蹴った衝撃で小石を弾き飛ばしながら一直線に突っ込んできたそのぎりぎりのところで膝を落として身を沈め、額の角が私の髪先をかすめるより早く軌道の外へ紙一重で流れ込み、その勢いが前へ抜けた一拍の隙へ、右手に握った柳刃包丁を殻と首筋の境目、つまり見た目は分厚く頑丈なくせに生き物としては意外と正直に柔らかさが残る場所へ、台所で鯵を三枚におろすときよりも迷いなく、しかも気持ちとしては今日の夕飯のメイン食材を確保する主婦の責任感をたっぷり込めて、ずぶりと深く差し込んだ。


包丁、と言葉にするとどうしても「はいはい、台所の道具ですね、せいぜい大根でも刻むんでしょう」という温和な響きになるのだけれど、この一本に限っては話が別で、見た目だけなら年季の入った木箱から出てきた古道具市の掘り出し物みたいに地味な代物に見える。柄には細かい傷がいくつも走り、刃の根元には長い年月をくぐった鉄特有の鈍い色艶が沈んでいて、正直なところ最初は「こんなの研ぎ直して刺身包丁にできるかな」くらいにしか思っていなかったくせに、いざ握って振れば鉄板みたいな甲殻を湯豆腐の表面みたいにすうっと裂いてしまうのだから、実家の仏壇に写真だけ残っているご先祖さまの中にとんでもない鍛冶師でもいたのか、それともこの家に越してきた私の人生が知らないうちに妙なファンタジー方面へ角を曲がっていて、包丁までその流れに巻き込まれてしまったのかと変に勘繰ってしまった。理屈はまるでわからないままなのにとにかく切れる、よく切れる、怖いほど切れる、そして主婦にとって「よく切れる」はほとんど祝福に近い性質なので、理由なんか二の次で結果オーライどころか結果が優秀すぎてむしろ神棚に上げたいくらいだった。甲殻猪は喉の奥で短く空気の潰れるようなくぐもったうめきを漏らし、そのまま巨大な前脚をもつれさせるようにして前のめりに倒れ込み、庭土をざりざりと深くえぐりながらようやく動きを止めたので、私はすぐにしゃがみ込んで鼻先へ手をかざしながら荒い熱気のような呼吸がもうないことを確認した。そうして角の根元に間の悪い飾りみたいに引っかかっていた細い小枝をつまんで抜き取り、「はい、お疲れさま、暴れる元気があるならもっと山のほうで元気にしていてほしかったけど、来てしまったものは仕方ないわね」と、こちらの都合を一方的に押しつける形で労いの言葉をかけ、肉の鮮度が落ちる前にさっさと収納しようと庭と裏口のあたりへ視線を走らせた。


収納、といってももちろん冷蔵庫の話ではなく、こんな体長二メートル超えの甲殻猪をそのまま収められる家電が一般家庭に置かれていたら、まず配達員さんが泣くだろうし、電気代の請求書を見た夫が静かに座り直して家計会議を始める未来しか見えないので、私が使うのは異世界で拾った黒革のベルトポーチであり、これがまた見た目だけならくたびれた工具入れか古い財布の親戚くらいの地味さしかない。そのくせに中身は下手な納屋より広く棚まであって、しかも時間の流れが少しばかりのんびりしているらしく、採れたての肉も朝摘みの香草も泥つきの根菜も町のスーパーで買ってきた食材よりずっと機嫌のいい状態で保ってくれるという、主婦目線で評価するならほとんど災害級に便利な代物だった。その便利さに人間は驚くほどあっさり馴染むもので、最近の私は「家の冷凍庫そろそろ整理しないとなあ」と考えるより先に「ポーチの第三層の塩蔵棚、昨日の雷鳥もどきの腿肉と燻製用の香木、ちゃんと分けて置いたっけ」と確認するようになっていた。自分の生活が家事の延長線上を走っているつもりなのに気がつけば文明の分岐点をひとりで妙な方向へ全力疾走している感じがあり、便利って怖い、ほんとうに怖い、主婦を駄目にするのはだいたい収納力と時短性能だなあと、私は甲殻猪の巨体をポーチへ吸い込ませながらしみじみ思った。


甲殻猪をいつもの革ポーチにぐいっと押し込み、庭土にべったり散った血を井戸水でじゃぶじゃぶ洗い流すついでに、さっき勢いよく押し開けたせいでうっすら赤い筋がついてしまった裏口の取っ手まできゅっきゅと布巾で拭き上げてから台所へ戻ると、家の中は拍子抜けするほど静まり返っていた。つい数分前まで裏庭で猪型の魔物を解体しかけていた主婦が今しがた帰還しました、などという事実はどこにも見当たらず、湯気も匂いも光の差し方も全部が「はい、こちら平和で清潔な一般家庭の朝です」と澄ました顔で整列していた。


私はそこでようやく息をひとつ吐き、ずれたエプロンの紐を引っ張って締め直す。米びつから米を量って研ぎ、鍋に水を張って昆布を沈めたあとに冷蔵庫から卵と豆腐を取り出しながら、ああもう私はこの落差に慣れすぎてしまったなと、妙なところでしみじみしてしまう。異世界の森から帰ってきた足で台所に立つ時はとくにそうだ。ついさっきまで魔物の甲殻の隙間に刃を入れていた指先で今度は大根の皮を薄く長く途切れないように桂むきしていると、ときどき自分がいったい何の生き物なのかわからなくなる。わからなくなったところで流し台に置いたままのボウルが勝手に片づくわけでもなければ味噌汁の具が増えるわけでもないので、自己同一性の危機より先に朝食を完成させるのが主婦という職業のつらいところであり、同時にたくましいところでもある。


それにしても夫という生き物は、どうしてこうも平和的にできているのだろう。


いやもちろん、世の中の夫がみんなそうだなどとは言わない。仕事でくたびれて帰ってきて返事が半拍遅い日もあるだろうし、靴下を「なぜよりによってそこへ」という地点に脱ぎ捨てる習性を持つ個体もいるだろうし、麦茶の残りがコップ一杯しかないのに冷蔵庫へ戻すという、もはや家事への静かな挑戦状みたいな行動を取る者もきっといる。けれどうちの夫――真柴恒一という男は、そのあたりの角がびっくりするほど丸くて、おおむね「人のよさ」という抽象概念をネクタイを締めて革靴を履かせ、そのまま会社へ通わせていますみたいな仕上がりをしている。


朝目を覚ませば、いつも寝癖の残る顔で「おはよう、今日もいい匂いするね」とこちらが出汁を引いているだけなのか、洗いたてのシーツの匂いなのか、あるいは私そのものを雑に褒めているのか判然としないまま、それでも聞いた側の機嫌だけはきっちり上向きになる台詞をにこにこと言うし、弁当を手渡せば「これがあるから午前の会議、なんとか人間でいられる」と本気で感謝してくるし、夕飯を出した日には一口目でぱっと目を丸くして、「え、ちょっと待って、なにこれ、やわらかっ、え、どうして? 歯が仕事を失業した」と大げさなくらい感動する。そして私が「安かったからまとめ買いしておいたの」と、だいたい事実の半分くらいしか含まない説明を添えると、「君の買い物の才覚はもはや経営者レベルだよ」と、まるで株主総会で承認されたみたいな勢いで褒めてくれるのだから、ありがたいを通り越して、たまに申し訳なくなることがある。経営者レベルの才覚で調達している相手が、早朝の異世界で仕留めた猪型魔物です、などと知られた日には、その褒め言葉もたぶん別の方向へ急旋回するだろう。「経営」じゃなくて「討伐」だね、などと、笑顔のまま一歩引かれる未来が見える。


六時四十分。私は予定通り寝室へ向かい、カーテンの端を少しだけ開けて、やわらかい朝の光を控えめに差し込みながら、「起きてー、朝だよー」と声をかけた。すると夫は、布団を鼻の頭までずり上げたまま、「うぅ……今日、水曜だっけ……」と、この世の曜日制度に対して何ひとつ有効な働きかけをしない寝言をもごもご漏らしたので、私はベッド脇に立ったまま「木曜です。水曜なら、もうちょっと世界は優しかった」と返し、ついでに肩を軽く揺すってやる。すると彼はようやく電池の切れかけた人形みたいにのろのろ半身を起こし、焦点の合いきらない目でぼんやりこちらを見上げてから、「澪、今日もかわいいね」と、寝起きの人間とは思えない完成度の高い台詞を、まるで歯磨きの前に言っていい言葉を熟知しているみたいな自然さで口にした。


私は一瞬、「この人、さては前世で徳を積んでいるな」と本気で思ったが、同時に寝起き一発目でそんなことをさらりと言える男を社会へ送り出していいのかという、妙な責任まで感じてしまう。しかも本人はまったく計算していない顔で、まだ半分眠ったまま私を見ているのだからずるい。こちらはついさっきまで甲殻猪の血抜きと解体の段取りを頭の中で反芻していたというのに、そんな凶悪寄りの現実を全部ふわっと包んで、「ああ、この人の前ではせめて味噌汁の具くらい平和にしておこう」と思わせるのだから、夫という存在は不思議である。ほんとうに呑気で、善良で、ちょっと間が抜けていて、だからこそ守りたくなる。守る対象が会社員の夫で、守る手段が魔物狩りなのは、まあ、だいぶ説明しづらいのだけれど。 


世の中を見渡せば、愛する人のために剣を抜く騎士だの、虐げられた民のために旗を掲げる英雄だの、果ては世界を救うというだいぶ荷が重そうな使命に胸を燃やす若者だの、いかにも物語の表紙を飾りそうな人材がそこらじゅうに転がっているものだけれど、こと私に関して言えば、「朝いちばんに寝ぼけた声で“今日もかわいい”とか言ってくる夫に、せめて昼休みくらいは口角の上がる弁当を持たせてやりたい」という、英雄譚というより台所の隅に貼った買い物メモみたいなこぢんまりしているくせに妙に生活感だけは満点な理由で剣を握っているので、動機のスケールという意味ではたいへん慎ましやかである。


もっとも、動機が壮大であることとそれを毎日きっちり続けられるかどうかは別問題だ。世界平和を掲げても三日で挫折する人はするし、私は私で「夫にうまい昼飯を食べさせたい」という炊飯器の湯気と同じくらい家庭的な志ひとつで、気がつけば一年以上も異世界に出入りしては獲物を仕留めながら台所に立ち、ついでに家計と塩分濃度のバランスまで取っているのだから人間というものはわからない。少なくとも私は、自分がこんなに継続力のある女だったとは結婚するまで知らなかった。


その日の朝食は、豆腐とわかめの味噌汁、ほんの少し甘めに焼いた卵焼き、昨夜のうちに塩加減をなじませておいたきゅうりの浅漬け、ぱりぱりの焼き海苔、そして、いかにも「昨夜の残りものですけど何か?」みたいな奥ゆかしくも実直な顔をして食卓の隅に収まっている鶏そぼろ——と言いたいところだが、実際のところあれは一昨日、異世界の山裾でしとめた羽角鶏のそぼろである。


羽角鶏というのは見た目だけなら「鶏がちょっと調子に乗って神話寄りになりました」みたいな生き物で、尾羽は妙に長いし頭には飾りみたいな角があるし、やたら足が速いくせに鳴き声だけは拍子抜けするほど間抜けなのだが、肉の質は実に優秀で、脂はさらりと軽く、それでいて旨味は普通の鶏より一段も二段も深い我が家のレギュラーメニューの一角である。これが本当に美味しいのだ。噛めば噛むほどにこくが増すし、最後にほんのわずか山椒を思わせる青い香りが舌の奥にふっと残る。こういう食材に出会うと、「ああ、危険を冒してでも狩りに行く価値ってあるな」と、命のやり取りをしてきた事実をだいぶ都合よく美食に回収してしまうので、自分でも現金な性格だと思う。


炊きたての白米の上にそのそぼろをのせ、湯気ごとふわりと立ちのぼる香りをまとわせた茶碗を夫の前に置くと、夫は一口目を食べた瞬間わかりやすく背筋をぴんと伸ばし、まるで会議中に突然“重要案件”の文字を見つけた会社員みたいな顔になって、「……これ、普通のそぼろじゃないよね」と、かなり核心に近いところまで踏み込んできた。


…危ない危ない。


私は味噌汁をよそいながら、できるだけ平静を装って「愛情かな」と答えた。


すると夫は少しだけ目を細めて、心底うれしそうに「その答え、すごくいい」と呑気そうに笑った。


——よし。


今日も勝った。


何に勝ったのかと問われると、そこは私にも説明が難しい。秘密がばれずに済んだことかもしれないし、朝から夫をにこにこさせることに成功した達成感かもしれないし、あるいは「異世界産の謎肉を日本の一般家庭の朝食に自然に紛れ込ませる」というあまり人に誇れない高度技能に対する自己満足かもしれない。とにかく勝利の鐘は私の中で鳴った。鳴ったものは仕方がない。


朝食を終えると、今度は手際よく弁当の支度に移らなければならない。湯気の残る白米を詰めながらその上にそぼろをこんもりと乗せ、形のいいだし巻き卵を端に据える。昨日のきんぴらを彩りよく寄せ、ブロッコリーの胡麻和えで緑を足し、すき間ができれば遠慮なく埋めていく。弁当というのは小宇宙だ。おかず同士の距離感、汁気の管理、色の配分、食べる順番まで計算しはじめると終わりがないし、実際私はかなり真剣にやっている。戦場での立ち回りも大事だが、昼休みの一段目を開けたときに「おっ」と思わせる配置もまた、妻として譲れない戦術なのである。


最後に保冷剤を添えて包みを整え、身支度を済ませた夫を玄関で見送る。ネクタイを締めた夫はついさっきまでそぼろの正体を探ろうとしていた人と同一人物とは思えないほどきちんとしていて、会社という場所は本当に人を社会的な見た目に仕上げるのがうまいなあと毎朝感心する。


行ってきますのキスは、結婚六年目ともなると、初々しいというより「やるのが自然すぎて逆にちょっと照れる」というなんとも説明しづらい領域に入っている。お互いに少しだけ気恥ずかしい、でもやらないとそれはそれで調子が狂う、そんな長年使った急須みたいな馴染み方をしていて、結局その日も軽く唇を触れ合わせ、夫が「行ってきます」と笑い、私が「いってらっしゃい」と返し、ドアが静かに閉まった。


そのあと私はしんとした玄関に背を預けて、ふう、と長く息を吐いた。


ここからが私にとってのもうひとつの午前中である。主婦の時間が終わり、兼業・異世界狩猟者の時間が始まると言うと字面が急に物騒だが、実態としてはだいたいそんな感じだ。


まずは現実世界の家事を片づける。


朝食の食器を洗ってシンクの水滴をきっちり拭き、三角コーナーの様子を確認してゴミをまとめ、洗濯機を回しながらついでにベランダの空模様と回覧板まで確認する。このへんを適当に済ませるとあとで戻ってきた自分が困る。異世界から帰還したあとに待っているのが血なまぐさい戦利品の処理だけならまだしも、ぬめった排水口まで加わるとさすがに心が折れるのだ。


時計の針が九時を少し回ったころ、私はようやく居間の隅へ向かった。そこには家を買ったときからずっと置いてある、昔ながらの電話台がある。今どき固定電話もほとんど鳴らないのになぜか妙に存在感だけはある木製の台で、引き出しの開閉音まで古めかしく、まるで自分が“秘密をしまうために生まれました”と言いたげな顔をしている。私はその引き出しを開け、奥にしまってあった古びた真鍮の鍵を取り出した。


その鍵は、家を購入した当初からずっとそこに入っていた。不動産屋さんも「前の持ち主さんの置き忘れでしょうかねえ」と、営業用の愛想笑いを浮かべつつ首をかしげていたけれど、いま振り返れば置き忘れというにはあまりにも“できすぎた”佇まいをしていたと思う。


だってそうだろう。

 

ふつう前の住人の忘れ物というのは、もっとこう現実的なものだ。使いかけの電池とかどのリモコンのものかわからない蓋とか、なぜそこにあるのか本人にも説明不能だったであろう謎のネジとか、その程度で済む。なのにあの鍵だけは違った。重みがあるし、何より古い。くすんでいるのに妙な品がある。そして何より、「あなたの平凡な日常はここから少しだけ逸脱します」とでも告げるような、静かで図太い存在感を放っていた。


日常の中には、たまにそういうものが紛れ込んでいる。


一見すると暮らしの景色にちゃんと溶け込んでいるのに、よく見ればその一点だけ、どうにも“物語の匂い”がするもの。たとえば、誰も使っていないはずなのに不自然なくらい磨かれている銀のフォーク。古い家なのに、その一枚だけ妙に新しすぎる床板。何十年も開けていないような棚の奥に、なぜか新しい花の香りだけが残っている小箱。そして引き出しの底に転がっている、用途不明のくせに妙に重く、見れば見るほど「私にはまだ出番があります」と主張してくる真鍮の鍵。


そういうものを見つけるたび、私は思うのだ。


人の暮らしというのは案外うっすらと物語に接していて、こちらが気づいていないだけで、台所の隅にも玄関の下駄箱にも場合によっては自治会の回覧板の裏にだって、異世界へ続く入口くらい平気な顔で混ざっているのかもしれない、と。


そして残念ながらうちにあったその鍵は、比喩ではなく本当にそういう類いの代物だった。



私は納戸に入る。


正直に言って、こんなにも生活感と秘密主義が仲良く同居している場所を、私は他に知らない。昼間だというのに妙に薄暗いその部屋には、予備の洗剤だの、夏をとうに通り過ぎたくせに「まだ私の出番ある?」みたいな顔でしまわれている扇風機だの、法事でもない限りめったに座られない来客用の座布団だの、夫の学生時代のアルバムがぎっしり詰まった段ボールだの、いったいどんな局面で使えば正解なのか主婦歴を重ねてもなお判断に迷う大皿だの、そういう「家という組織の末端を黙って支える縁の下のメンバーたち」がやけに行儀よく並んでいる。けれどその整然とした日用品の気配のいちばん奥、壁際の床板だけが、初めて見つけたあの日からずっとみんなで口裏を合わせて何か隠しているみたいに、ほんのわずかに色を違えているのだ。


私はそこへしゃがみ込み、床板の端にある知らない人が見たら絶対に「木目かな?」で済ませるような、絶妙に見つけづらい穴へ鍵を差し込む。差し込むたびに思うのだけれど、どうして我が家の納戸には秘密通路の解錠ギミックが標準装備されているのか、本当に意味がわからない。意味はわからないが、いまさら驚いても仕方がないので私はいつものように静かに鍵を回した。


カチリ。


それは爪先で小石を弾いたくらいの、拍子抜けするほど小さな音だった。なのにその瞬間、部屋の空気がすっと裏返る。さっきまでそこにあった洗剤の清潔な匂い、古い木材の乾いた匂い、締め切った部屋特有の少しこもった匂い、そういう「どこまでも日本の一般家庭です」と言わんばかりの空気の裏側から、湿った土の冷たさや長い時間を吸い込んだ石の匂い、どこか遠くで燃えている薪の煙、そして名前も知らないくせに妙に甘くて印象に残る花の香りが、順番を守らず一斉に忍び込んできた。床板の継ぎ目が青白く病人みたいな顔色でじわりと光りはじめ、やがて観念したようにゆっくりと口を開いた。


何度見ても、変な家だ。


いや、変という言葉で済ませていいのかも怪しい。

納戸の床が異世界へ続くなんて住宅情報誌に載っていたら事故物件扱いでは済まないだろうに、私はいま、そのとんでもない仕様をだいぶ日常の一部として受け入れてしまっている。


それでも私はその口を開いた床板の奥に現れた階段へ足をかける。ためらいがないと言えば嘘になるし、毎回きっちり「やっぱりこの家おかしいな」と思うのだけれど、慣れたかと問われれば、胸を張って「ぜんぜん」と答えられる程度には慣れていない。


ではなぜ下りるのか。


理由はきわめて単純、そして切実で、今夜の献立がまだ完全には決まっていないからである。世界の神秘より夕飯。主婦の優先順位として、私はこれをわりと真面目に正しいと思っている。


昨日仕入れた月光きのこがあるので、あれはもうバター炒めで決まりだろう。火を入れると傘の縁がふわっと青く光って、見た目は完全に「食卓に出してはいけない発光体」なのに、食べると驚くほど上品できのこのくせに妙な気品がある。問題は主菜だ。今日はぜひ甲殻猪を使いたい。名前だけ聞くと猪なのか蟹なのかはっきりしてくれと言いたくなるが、あれは厚切りにして塩麹ふうの漬け床で一晩とはいかずとも半日ほど馴染ませ、表面をこんがり焼いて脂をじゅわっと立たせてもいいし、逆に薄く削いで生姜焼き寄りに仕立てればごはん泥棒として十分な説得力を発揮する。しかも夫は最近どうにも仕事が立て込んでいて、帰宅した顔が「人間の顔です」と言い切るには少し元気が足りない日が続いているから、今日はほんの少し甘めに噛んだときに肩の力が抜けるような味つけにしたい気もする。そうなると異世界側の市場で蜜根草を買っておきたい。あれをすりおろしてタレに混ぜると味の角がふっと取れて、肉の旨味だけが丸く前へ出てくるのだ。さらに言えばスープ用の香菜も欲しいし、余裕があれば干し木の実も見たい。朝のうちに市場まで行って昼前には戻って、下ごしらえを済ませて、夕方には焼くだけの状態にしておけば完璧である。段取りのよさに関して言えば私はたぶん並の魔術師より強い。少なくとも「今日の夕飯どうしよう」を三手先まで読める点で、かなり特殊技能寄りだと思う。


階段を下り切ると、そこはいつもの石室だ。


いつもの、という言い方にもだいぶ問題がある。普通の人生では「いつもの石室」なんて語彙、そうそう出番がない。けれど我が家では出出てしまう。壁面には細い蔦が這っていて、その葉脈のあたりが淡く発光し、まるで誰かが見えないところで夜光塗料でも塗って回ったみたいに静かに石の表面を照らしている。天井のひびから落ちてくる水滴は、ぽつ、ぽつ、と規則的なようでいて微妙に間を外しながら石床を打ち、その一滴ごとの落ち方が、外の世界よりほんの少しだけゆっくり時間を刻んでいるように見えるから不思議だ。ここへ来るたび、時間というものは案外、世界ごとに性格が違うのではないかと思う。せっかちな国の時間もあればのんびりした時間もあるのだろう。少なくともこの石室の時間は私より落ち着いている。ちょっと見習ってほしい気がしないでもないが、まあそれはそれとして。


石室の扉を押し開ければ、その先は森だ。


朝日が濃い緑の葉を透かして光の筋をいくつも地面へ落とし、空気の中にはまだ朝の冷たさがうっすら残っている。鳥に似ているけれど、よく考えると嘴の数が合わない何かの鳴き声が高く響き、どこか遠くでは川が流れているらしい水音がして、風が吹くたび葉擦れの音がざわざわと頭上を渡っていく。日本の裏山っぽいなと思う瞬間もあるのだけれど、やはり決定的に違う部分がいちいち強い。木の幹に生えているきのこが金色に脈打っていたり、空を飛ぶ虫がどれもこれも「そのサイズ、自然界が許可したの?」と問い詰めたくなるほど大きかったり、地面の草むらの陰から時おりこちらをうかがう目の数が、常識的な二つを軽々と超えてきたりするので、慣れていない人が「ちょっと森林浴でも」と軽い気持ちで入っていい場所では断じてない。森林浴どころか、うっかりすると森林側から観察されかねない。


腰のベルトをきゅっと締め直し、ポーチの位置を確かめ、包丁――さすがにそのままだと物騒すぎるので、いまは戦闘用の短剣らしい顔つきに擬装してある――の柄を軽く叩いてから森道へ出た。


異世界での私は、どうも名前がひとつでは済まないらしい。ギルドでは「灰白の狩人」と呼ばれている。響きだけ聞けば、だいぶ出来る人だ。実際には特売の根菜を見逃さない主婦の執念と、包丁さばき由来の手際のよさが評価された結果である気がしてならない。肉屋のおじさんには「変な主婦」と呼ばれる。これはもうその通りすぎて反論の余地がない。香草売りのおばあさんには「よく笑う娘」と呼ばれ、面倒な貴族には一度だけ「身の程知らず」と言われたこともある。もっともその面倒な貴族は後日、自分の従者より先に私へ「角付き山羊は煮込みと焼き、どちらが良いと思う」と真顔で食材相談をしてきたので、人間というのは空腹になると驚くほど階級意識が柔らかくなるらしい。


森を抜けて市場のある小さな街へ向かいながら、私はこの家のことを考える。


考えたくないわけではない。ただ、考えはじめるとだいたい献立より厄介だから、後回しにしてきただけだ。けれど最近は、さすがにそうもいかなくなってきた。床下へ続く階段、古びた鍵、どこへ繋がるのかまだ確かめていないもうひとつの扉、納戸の壁に一度だけ浮かび上がった見知らぬ文字、そして雨の日にだけ井戸の水面へ映る、うちの庭の上空とはどう考えても違う空。便利だから使っている。楽しいから行っている。それで一年何となくやってこられてしまったけれど、どうも家のほうは私のそういう「まあいっか、夕飯に間に合えば」の態度を、いつまでも許してくれる相手ではない気がしている。


家が相手、という言い方もだいぶ変だ。


でも実際あれはただの建物というより、黙ってこちらを観察して、頃合いを見て何かを見せてくる類の意思めいたものを持っている気配がある。少なくとも気のせいで片付けるには出来事が多すぎた。私はそこまで鈍くないし、そこまで図太くもない。いや、図太さには少し自信があるけれど、それでも薄々わかる程度にはおかしいものはおかしい。


わかっている。


わかっているのに、私は今日もなお今夜の献立を優先してしまう。


なぜなら主婦だからだ。


主婦という生き物は、謎の古代文字を見てもまず「これ、夕方までに解読しなくても煮込みには支障ないわよね」と考えるし、異界の門がぎい、と不穏な音を立てても「いま開くの? できればゴミ出し終わってからにしてほしいんだけど」と内心で苦情を入れるし、世界の秘密らしきものが台所のすぐそばに転がっていても、その前に「まな板の漂白、今日やっときたいのよね」と現実的な予定を差し込む。世間一般が想像する理想の主婦像に、異世界出入りと魔獣肉の下処理が含まれているかどうかは知らない(たぶん含まれていない)。


けれど少なくとも私はそういう人間で、たとえ家の秘密が底知れなかろうと、井戸に知らない空が映ろうと納戸の床が口を開こうと、最後にものを言うのはだいたい「今夜なに食べる?」なのだった。


そしてたぶんそれは笑い話みたいに見えて、私が私でいるためのいちばん大事な正気でもあるのだと思う。


街の門が朝靄の向こうにくっきりと姿を現したころ、見張り塔の上で鐘が鳴った。


市場が開く時間だ。


最初に反応したのは、門の脇で荷をほどいていた肉屋だった。厚い前掛けを腹の前で結び直し、台の上へ骨付き肉をどんと置く。その重たい音を合図にしたみたいに眠たげだった通りが少しずつ熱を帯び、昨日のうちに干しておいた香草の束が軒下で揺れている。塩を詰めた麻袋の口がほどかれ、果実の籠からは甘酸っぱい香りがこぼれては、屋台の火床では串肉の脂が炭へ落ちながらじゅっと白い煙を吐いた。


人の流れも、たちまち太くなる。


値を吊り上げようとする商人の声。負けろと食い下がる女房たちの声。昨夜の依頼で儲けたらしい冒険者の笑い声。車輪を石畳に取られた荷車引きの舌打ち。革鎧、鉄鍋、毛皮、薬草、焼けた肉、馬の汗。いくつもの匂いと音が境目もなく混ざり合いながら、朝の門前を一気に市場の顔へ変えていく。


私は肩を軽く回し、買い物籠の持ち手を握り直してつい頬をゆるめた。


いい一日になりそうだ。


もちろん、目当ての食材が無事に揃えば、という条件付きではあるけれど。


けれど、そのときの私はまだ知らなかった。


我が家の納戸の床下でひっそり口を開けているあの階段が、街まで近道できる便利な買い出し通路などという、そんな可愛らしいものではなかったことを。あれはもっと厄介で、もっと物騒で、うっかり油断すれば私の平凡で平和で、それなりに愛着のある専業主婦生活を煮込み途中の鍋ごと盛大にひっくり返しかねない秘密へ続いていたのだ。


そんな未来を知るはずもない私は、市場へ向かう足を少し速めながら、今日の蜜根草は東門側の店で香りの強いものを選ぶべきか、それとも中央広場の婆さんのところで少し安く譲ってもらうべきかをわりと真剣に考えていた。


問題は、甲殻猪の味つけである。


黒胡椒をたっぷりきかせ、表面を香ばしく焼いてから肉汁ごと皿に盛るのもいい。けれど味噌と酒でしっかり漬け込んでおけば、あの硬い繊維もほどよくほぐれ、夫が好きな濃い味に仕上がるはずだ。副菜には青みの強い葉物をさっと茹でて添えるか、酸味のある小さな実を刻んで口直しにするか。そこまで考えたところで私は自分でもおかしくなるくらい機嫌よく空を見上げた。


青い。


雲ひとつない、見事なくらい青い空だった。


ああ今日はきっと、よく狩れて、よく仕込めて、夫が帰宅して一口目を頬張った瞬間に「うまっ」と言ってくれる日になる。


そのためなら魔物の一匹や二匹くらい、どうということはない。


まあ、献立の段取りを崩さない範囲でなら、三匹までなら許容できる。


専業主婦ですから。


ええ、主婦ですが何か。


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