026:SNS情報戦
朝、家の中はいつものように慌ただしい空気に包まれていた。
ナンシーはキッチンでフライパンを動かしながら、もう片手でスマホを滑らせていた。
動きに無駄はない。慣れている。
ジェシカは食卓でトーストを齧っている。
スマホに目を落とし、気怠そうにしていた。
リリーはミルクボウルを前に、スプーンを握ったまま歌っている。
シリアルは渦を描きながら沈んでいた。
ジョージは家の外。
リッジラインとローグの点検を終えたばかりだった。
ドアが開く音。
振り返ると、リリーがナップサックを背負って駆けてくる。
勢いがよすぎて、靴が浮いた。
その後ろからジェシカ。言葉はない。
リリーが不意に立ち止まった。顔を上げる。
「……あれ?」
小さな指が空をさす。
ジョージの目も、反射的にその後を追った。
電線を指差していた
ジョージは何も言わず、その視線の先を追った。
電線にぶら下がるスニーカー。
昨夜、黒いパーカーの男が投げたものだ。
「おくつが引っかかっている!」
リリーが驚いたように言い、目を丸くする。
「なんであんなところに?」
ジョージは答えに詰まった。
が、答えるよりも早く、リリーが先に結論を口にする。
「ねぇねぇ! だれかがおくつをなげてあそんでたら、ひっかかっちゃったのかな?」
純粋な推測。疑問も警戒もない、ただの子供らしい発想。
ジョージは一瞬スニーカーを見上げる。
それから穏やかな声で答えた。
「そうかもしれないな」
リリーは「ふーん」と呟きながら、再びジョージの方を向いた。
「とれなくてこまってるかもね」
「そうだな」
ジョージはそれ以上は何も言わなかった。
スニーカーを視界の端に留めながら、リリーの手を軽く引く。
「行くぞ」
「はーい!」
リリーは素直に頷き、後部座席へ駆け込んでいく。
ジェシカも無言のまま乗り込む。電線にも興味を示さなかった。
ジョージは最後にもう一度スニーカーを見上げた。
それから何事もなかったように運転席へ乗り込んだ。
エンジンをかけると、リッジラインの車内に低い振動が伝わる。
ミラーを確認。ギアを入れ、車を静かに発進させた。
学校へ向かう、いつもの朝。
だが、ジョージの頭には、あの黒いパーカーの姿がまだ焼きついていた。
◇
2人を送ったあと、ジョージは近くのスーパーの駐車場にリッジラインを停めた。
静かな社内。
スマホを取り出し、潜入用アカウントへ切り替える。
ターゲットは、クラブ・ドミニオンの元スタッフ。
DMを送る。狙いは情報。足取り。裏の動き。
使うのはΩRMが用意した偽のアカウント。
表向きはライター、バー経営者、セキュリティ関係者――どれもAIで丁寧に作られた偽装プロフィール。
投稿もすべて、生成された過去だ。
ジョージはSNSの検索窓にいくつかのワードを打ち込む。
[クラブ・ドミニオン][辞めた][最悪][クソ]
──反応あり。
店を辞めたばかりの元スタッフが数人。
中には怒りをぶちまける者もいれば、黙って傷を晒すだけの者もいた。
ジョージは3人を選び、DMを送る。
1人目:バーテンダー(@MixologyJay623)
投稿:
客層がマジで最悪だった。
スタッフに手出すクズばっか。
上も知らん顔。限界で辞めたわ。
DM:
こんにちは、突然すみません。
クラブ業界をリサーチしているライターです。
ドミニオンに関する投稿、拝見しました。
よければ、お話を伺えませんか?
2人目:ホステス(@VelvetRisa77)
投稿:
店のマネージャーが最悪。
給料未払い、セクハラ放置、女の子泣かせて平気。
もう無理。
DM:
こんにちは。投稿を拝見しました。
クラブ業界の実態を調べており、現場で働いていた方の声を集めています。
少しだけでも、お話聞かせていただけませんか?
3人目:ボディーガード(@IronSentinel87)
投稿:
俺に金払わず、こき使おうとした。
ふざけんな。舐めすぎなんだよ、あの店。
DM:
どうも、突然失礼します。
セキュリティ業界の調査をしています。
元ボディーガードの方の視点で、ドミニオンの話を伺えたら助かります。
スマホを膝に置く。
すぐに返事が来る保証はない。
ジョージは一度、息を吐いた。
背もたれに体を預ける。
上着のポケットからプロテインバーを取り出す。
包装を破り、無造作に齧る。
固いチョコレートの甘さが、口の中に広がった。
味はどうでもいい。
栄養。それだけで十分だ。
助手席のカップホルダーから、ブラックコーヒーを取る。
ダイナーで買ったもの。
まだ温い。
ひと口。
喉を通る温度と苦味が、神経をゆるく叩いた。
──待つしかない。
奴らが動くのを。