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カレンが場違いな声をあげても楽団は演奏を続けているし、ダンスを踊るペアたちのステップも止まらない。
夜会は男女の出会いの場でもある。一度聖皇帝に敬意を表せば、上座のことなどどうでもいいようだ。
カレンとて下座のことなど気にしない。セリオスから言い掛かりを付けられたことの方が、よっぽど問題だ。
「ちょっと、私のせいってどういうことなの?」
憤慨したカレンに、セリオスは気味が悪いくらい落ち着いた口調で問い返す。
「その前に確認ですが、わたくしがリュリュ殿に対して好き好んであんな無体を働いたとお思いですか?」
「さぁね。わかんないよ」
「”わかんない”ですと?ったく、随分な返答ですね。いいですか、大切なことだからよく聞いてください。誰が惚れた相手に対して、手荒な真似をしないといけないのですかっ。あれは不可避な状況で、そうせざるを得なかったからなんです」
「ふぅーん」
「なんですかその気のない返事はっ。そもそもカレン様があの時離宮から逃げ出さなければ、わたくしだって」
「う゛……っ!」
早く終わればという気持ちから適当な返事をしていたカレンだったけれど、何かに耐え切れなくなったかのように片手で口元を覆って小さく呻く。
セリオスが言葉を紡ぐたびに、その後の悪夢のような出来事を思い出してしまう。
オレンジ色に染まった部屋の床に散らばった衣類。乱暴に掴まれた手首。耳元で囁かれた惨い言葉。身体を引き裂かれた痛み──それらが残酷なほど鮮明に、カレンの頭の中で蘇った。
(……やめて。これ以上言わないで!お願いだから)
カレンは痛む方の手まで持ち上げ、両手で口元を覆って歯を食いしばる。額に嫌な汗が浮かんでいるのが自分でもわかる。
こんな時に限ってリュリュの義父であるダリアスは衛兵と何やら打ち合わせをしているし、義兄であるヴァーリは姿すら見えない。
セリオスといえばカレンの不調に気付いてない様子で、今度は「ここまで聞いたんだから、今度はアドバイスをしてくれ」と、耳を疑うようなことを訴えてくる。あまりの馬鹿馬鹿しさに視界がぐにゃりと歪む。
突然、空気が薄くなったような気がして、息も絶え絶えになったカレンの耳に厳しい声が響く。
「やめろ」
瞬間、セリオスは凍り付いたように固まった。
誰の声か確認する必要は無い。これほどまでに威圧的に人を黙らせることができるのは、アルビスしかいないのだから。
アルビスはぞっとするほど冷たい相貌をこの国の宰相に向けた。
「セリオス、お前は今、誰を責め立てている?」
「……あ、も……申し訳」
「痴れ者として牢に放り込まれたいのか?」
「……い、いえ」
ぶるぶると首を横に振るセリオスは、もう既に獄中にいるかのような表情を浮かべている。
「立場を弁えろ。二度目はない」
「……はい。大変失礼いたしました」
詫びるや否や、セリオスは脱兎のごとくこの場から逃げ出した。
「カレン、大丈夫か?いや……大丈夫ではなさそうだな」
ついさっき躊躇なく人を殺せるような声音を出したというのに、吐き気と戦うカレンを目にしたアルビスの表情は憂いている。
「カレン、あれを見ろ」
カレンは深く考えず両手で口元を覆ったまま、アルビスが指さした方向に目を向ける。
そこには心配そうにこちらを見ているリュリュがいて、彼女の手は退出できる合図を送っている。
カレンはリュリュに向かい小さく頷くと、首を捻ってルシフォーネを窺う。女官長は穏やかな表情で手のひらを出口に向けてくた。
暴れ回っていた吐き気がほんの少しだけ薄らいだカレンは、シュっという衣擦れの音と共に立ち上がる。
そしてスカートの裾を掴んで出口に向かおうとするけれど、ここでアルビスが呼び止めた。
「何?」
「カレン……もう夜も更けている。宮殿内とはいえ、気を付けて帰るんだ」
「……は?言われなくてもそうするけど」
「そうか」
僅かに笑みを浮かべたアルビスは、カレンから目を逸らすことはしなかった。
無視しても良かった。いや無視するべきだった。でも、カレンは気付けばこう口にしていた。
「おやすみ」
信じられないといった感じで目を丸くするアルビスに背を向け、カレンは今度こそ出口に足を向けた。
(今日、自分はアイツに何回助けられたのだろう)
カレンは分厚いカーテンを持ち上げながら、いち、に、さん……と数えてみる。でも途中で首を横に振って数えることを放棄した。
傷付けられた者に助けられた。
この事実をどう受け止めたら良いのだろうか。そういう時、どうするのが正解なのだろうか。
カレンは強く唇を噛んだ。
考えたってわからない。そんな時の対処など、学校の授業で教えてもらえなかったこら。それに知りたくなんかなかったから。




