眼中になければ死んだのと同じ ①
夜も更けたが、こんな時間になっても国王に仕える兵士たちは忙しない。
この事態に他の兵士たちが戸惑わないはずがなかった。
アッシュ・グライスの逃亡。
ゼファ・フィルン・セレストの反逆。
そして、兵士たちの護りと壊滅させた青年の存在。
特に青年の存在は兵士たちを騒めかせた。
ゼファは彼のことを「シエナ」と呼んでいた。
だが、国民の名簿には「シエナ」の名前はない。
無論、顔を見た兵士たちも彼のことは初見だったし、他の兵士たちも「シエナ」の名前に憶えはない。
それはつまり、外部からの侵入を許したということになる。
中には見張り番だった兵士を責めようとした者もいたが、見張りは万全であったし、門から入り込んだ痕跡もなかったという。
それなのに、どうして侵入者がいるのか。
どこかに侵入できる抜け道があったのか。
それとも、本気で見張りの隙をついて入ってきたのか。
だが、いくら議論を重ねてもシエナに侵入を許したという失態が浮き彫りになるだけだった。
ここまで失態が続いたとならば、自分たちの身を守るには兵士同士で口裏を合わせるしか他がなかった。
これから、彼らは二つのことを全力で偽装する。
一つは、侵入者の存在。
そしてもう一つは、アッシュ・グライスの脱獄。
侵入者の介入は目撃証言が少ないため、事実を知っている兵士たちが騒ぎ立てなければ問題ないと彼らは考えていた。
それに、ゼファと繫がりがあるのなら兵士もこれ以上迂闊に手を出せない。
百歩譲って先ほど刃を向けたのは囚人であるアッシュを逃がそうとしたゼファに非があり、こちらも正当防衛と言える。
だが、それ以外のことだと、彼らはゼファに歯向かうことができなかった。
一見こちらが不利に見えるが、ゼファ側には脱獄中のアッシュがいる。
彼を匿っている限りゼファたちも派手には動けないと睨んでいた。
とはいえ、アッシュが逃げたことを隠す必要性はお互い持ち合わせているといえどもゼファたちはアッシュを外に出さなければいいだけの話だが、こちらの偽装は骨が折れる。
アッシュの脱獄を誤魔化すのに一番手っ取り早い方法は彼を死んだことにすることだ。
元々死ぬ輩だったのだから、時期が早まるには問題はない。
他の囚人を影武者にし、あの炎天下の中で脱水症状を起こし死んだことにすればいい。
幸い、彼の背恰好や髪型が似ている者がいる。
彼もどうせ死ぬのだから、殺したところでどうってことないし、地下牢獄にいる囚人はごまんといるのだから、一人くらい減ってもこちらは誤魔化しが効く。
――苦しい。
非常に苦しい。
こんな偽装なんて一時凌ぎにしかならない。そんなことこの場にいる誰もがわかっていた。
だが、アッシュの脱獄は誤魔化しきれない事実。
これだけでも欺かなければ、兵士たちの首が文字通り飛んでしまう。
兵士たちの間に緊張感が走る。面の下にある彼らの表情は全員強張っていたし、冷や汗もかいていた。
だが、無理もない。これから、国王にアッシュの遺体を確認してもらうのだ。
連れてきた影武者の死体の顔面は青ざめて頬がこけていた。
毒を飲ませたから彼の中の胃液も僅かな水分も血液も全て吐き出したからだ。
その顔は生前の面影は一切ない。
アッシュでもないが、当の本人にも見えなかった。
大丈夫だ。誤魔化せる。
いや、誤魔化し通すしかないのだ。
そう言い聞かせながら、国王が来るのをひたすら無言で待つ。
冷たい牢獄にコツ……コツ……と足音が聞こえる。
現れた国王に兵士たちは全員姿勢を正し、敬礼する。
身につけていた赤紫色のマントと薄紫の長い髪がゆらりと風に揺れ、切れ長で鋭い眼差しは迷うことなく真っすぐ前を見据える。
その威厳ある風貌に兵士の中には緊張のあまり唾を呑む者もいた。
彼こそがこのアクバールの国王であるウィスタリア・ヴァイナス・クラーレット。
父である先代の国王の意思を継いだまだ齢二十四の若き青年である。




