第五章
モニターの中で、法被を纏った集団が荒々しく神輿を担ぎ上げ、空に向かって叫んでいる。その激しい躍動に、駆は思わず目を細めた。
「……これが、かつての祭りか」
「ええ、そうです。駆様が地下の工場で配管を磨いていた頃、地上ではまだ、こういう『儀式』が細々と続いていたのですよ」
背後から、静かな声が響いた。いつの間にか部屋に入っていた冴子だった。彼女は結衣の隣に並び、手慣れた仕草で駆のカップに温かいお茶を注ぐ。
「冴子さん、この映像のこと、詳しいの?」
「ええ。アーカイブの隅っこに隠されていたデータですから、普通は誰も見向きもしません。でも……そうですね、私たちが教わった『効率的な生活』とは、対極にあるものですよ」
冴子はモニターの神輿を指差した。
「あれはただ重い物を運んでいるのではありません。街の守り神を担ぎ出し、その重みを共有することで、自分たちが『独りではない』ということを確認し合う行為です。誰かが倒れそうになれば誰かが支え、全員で声を張り上げる。その一瞬だけは、身分も才能も関係ない……ただの『群れ』に戻るのです」
「群れ……」
駆は呟いた。地下では、個人の能力は「修理の精度」や「処理速度」という数値で測られる。個体としての価値がすべてであり、誰かと重なり合うことなど、計算ミスを招く要因でしかなかった。
「なぜ、そんなことをする必要があったんだ? 疲れるだけじゃないか」
冴子は少しだけ寂しそうに、けれど慈しむように笑った。
「疲れるからですよ、駆様。人は完璧に満たされている時には何も求めません。でも、肉体が疲弊し、限界を迎えた時、人は初めて『隣にいる誰か』の体温を求めるのです。祭りは、あえて疲労を共有することで、効率を度外視した『絆』を捏造する魔法だったのです」
冴子は映像を一時停止させた。画面には、泥だらけになりながらも最高の笑顔を見せる若者の顔がアップで映し出されている。
「この笑顔、今の特区の住人には作れません。私たちは『正解』を教えてもらって生きていますが、彼らは『正解のない狂気』を自分たちで選んでいましたから。……駆様が先ほど、この部屋の環境をハックしてくださったのも、ある種の『狂気』ですよ。効率を求めるなら、そんなことをする必要はないのですから」
駆は自分の指先を見つめた。特区を支配する冷徹な論理の裏側で、自分は確かに、結衣と冴子という「個人的な熱源」を守るために、システムを壊し続けている。
「効率よりも、体温……か」
「そうです。祭りとは、人間が生きているという『エラー』を、大勢で確かめ合う場所のことでした」
冴子の淡々とした説明は、駆の中にあった「ハッキングの正当性」を、より深い確信へと変えていた。祭りという名の非効率。それこそが、この管理社会に対する最もエレガントな抵抗の形なのかもしれない。
結衣が駆の手をぎゅっと握りしめる。駆は小さく頷き、もう一度モニターの中の太鼓の音に耳を澄ませた。
翌朝、駆はいつものようにインフラ管理センターの端末に向かっていた。画面の向こうには、昨夜の「ハッキングの痕跡」が、完璧なルーチンワークとして偽装されて残っている。
「昨夜は……居住区の環境制御に、わずかな負荷変動があったようだな」
不意に背後から声がした。榊だった。彼は駆の端末のログを覗き込むこともなく、ただ背後に立って冷ややかな視線を居住区のモニターに向けていた。
駆は心臓が跳ね上がるのを抑え、平静を装ってキーボードを叩き続けた。
「……微細な気圧変動の補正です。最近、居住区の住人から、空調による微かな不快感を訴える報告が散見されましたので」
「ふむ。細かい気配りだ」
榊は短く答え、それ以上は追及してこなかった。駆は好機だと直感した。この冷徹な男すら、駆の「最適化」という名目の嘘を信じている。ならば、逆の論理を組み込むべきだ。
「榊さん。……一つ、提案があるのですが」
「言ってみろ」
駆は画面に、昨夜解析した「祭り」のデータの一部を表示させた。もちろん、それは「狂乱」としてではなく、「集団の代謝活性化」という論理に翻訳してある。
「住人の幸福度が、一定のサイクルで飽和し、緩やかに停滞しているようです。データの効率を追い求めるあまり、精神的な代謝が落ちている。……そこで、かつて『祭り』と呼ばれた、集団的な熱量放出イベントをシミュレーションしてみるのはどうでしょうか」
榊は眉をひそめ、興味深そうに画面を覗き込んだ。
「祭りだと? あれは非生産的な愚行の象徴だ。何のためにそんな過去の遺物を引っ張り出す必要がある」
「生産性を上げるためです」
駆は即座に言い切った。
「彼らは今の管理に『不満』があるわけではありませんが、かといって『熱狂』もしていない。ただの停滞です。祭りで一時的に『管理の外へ出た』と錯覚させれば、その後、再びシステムの中に帰ってきたとき、住人は以前よりも深い従順さと満足感を得るはずです。いわば、これはシステムのメンテナンスの一部です」
榊は沈黙した。彼の瞳には、駆という天才プログラマーがもたらす「効率向上」の魅力と、秩序を乱すことへの警戒心が渦巻いていた。
「……つまり、制御下にある『擬似的なカオス』を作れと言うのか」
「はい。完璧な秩序の中に、あえて意図的な『ノイズ』を混ぜる。そうすることで、システムの稼働効率は逆に上昇します」
榊はしばらくモニターを眺め、やがて薄く口角を上げた。
「面白い。君の計算はいつも、私の想像を少しだけ超えてくるな。いいだろう、小規模な居住区で試験的に許可する。ただし、君が責任を持って管理しろ。システムを停止させるような致命的なバグを起こせば、その時は……わかるな?」
「もちろんです」
駆は頷いた。
榊は「システムをより強固にするための手法」として承諾したが、駆にとっては、これで堂々と「街に祭りを復活させる」正当な理由ができた。
駆は端末を叩きながら、内心で小さく冷笑した。システムの一部を壊さずして、システムそのものに自分たちの遊びを「推奨」させる。これで、結衣たちの生活に、また一つ「本物の熱」が戻ってくるような気がした。




