↓ ↑ページトップへ
表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
PR
20/20

第20話 星の海に

 帝都ザレフィエルから王都セレーナまで、シャトルは、行きと同じくらい、ゆっくりと飛んだ。


 雲海の上、夕日の橙色が、機体の外殻を、長く染めていた。


『……ハヤマ殿』


 セラフ卿が、ふと、口を開いた。


『はい』


『昔、若いころに、私は、海を渡ったことがございます。三月かかる、長い旅でした。船の上で、何度も、夕日を見ました』


『はい』


『……あの時の夕日と、今日の夕日は、形は同じだが、こちらに伝わってくる重みが、違いますな』


『それは、年齢の違いでしょうか』


『いえ』


 セラフ卿は、白いひげを撫でながら、わずかに笑った。


『この夕日が、ようやく落ち着いて見られるようになった、ということなのでしょう』


 俺は、それ以上は、何も言わなかった。


 夕日は、やがて、雲海の縁の下に、ゆっくりと沈んでいった。






 王都に帰還した俺たちを、エリアーナは、玉座の間ではなく、城の中庭で迎えた。


 初めてドローン越しに見た、あの中庭だった。噴水と、白い石畳。彼女は、青いドレスではなく、簡素な白い夏物を着ていた。


『お帰りなさい、皆さま』


 彼女は、ガルウィン卿と、ロドリク卿と、ラウスト神官長と並んで、俺たちを出迎えた。


『陛下、ただいま戻りました』


 セラフ卿が、深く一礼した。


『皇帝陛下と、講和の枠組みについて、合意いたしました。文面の最終整理は、今後、双方の事務方が進めることに』


『……ありがとうございます、卿』


 エリアーナの目に、わずかに、光るものがあった。


 彼女は、それを隠そうとはしなかった。代わりに、彼女は、ガルウィン卿に向かって、軽くうなずいた。ガルウィン卿は、慎ましく、しかし長く、頭を下げた。


 ラウスト神官長は、何も言わなかった。


 ただ、彼の口元には、これまで一度も見たことのない、穏やかな表情が、わずかに浮かんでいた。






 その日から、季節は、ゆっくりと進んでいった。


 夏の盛り、麦の穂が、城下町の郊外で、黄金色に揺れた。


 秋が来た。市場には、果物の籠が、いつもより多く並んだ。ヘナの店には、新作の、胡桃と蜂蜜のパンが加わった。


 冬が来た。城下町の屋根に、薄く、雪が降った。子どもたちが、それを集めて、小さな雪の像をつくっていた。


 俺とクレアは、相変わらず、丘の上の拠点に住んでいた。


 艦隊の艦内資材を切り詰めていけば、あと10年は、無理なく暮らせる、とクレアが計算してくれた。10年あれば、現地の素材だけで、自給自足の体制を整えていける。


 日中は、王宮や、各地の村々を回って、技術と知識の伝授を、急がず進めた。鍛冶のハーカン親方の弟子たちは、艦内素材で作った正確な温度計を使いながら、自分たちの目を、磨き続けていた。サウェ村の井戸は、村の若者たちが自主的に組んだ「水番衆」が、月に一度、清掃と検査を続けていた。


 ハーレ村のテド老人は、冬の半ばに、家族に看取られて、亡くなった。葬儀は、村人と、若い神官たち、それから、リオが、皆、ぽろぽろと泣きながら、見送った。テド老人は、最後の数日、若い者に、畑のすべてを引き継いだ、と聞いた。


 誰もが、それぞれの場所で、それぞれの時間を、生きていた。






 冬の半ば、ある日、城に呼ばれた。


 エリアーナは、執務室の窓辺で、俺たちを迎えた。


『ハヤマ殿、クレア殿』


『はい』


『一つ、お尋ねしたいことがあります』


『どうぞ』


 彼女は、少し迷ってから、ゆっくりと言った。


『お二人は、いつまで、この国にいてくださるおつもりでしょうか』


 予想していなかったわけではない、けれども、いざ問われると、すぐには答えが出てこない問いだった。


『……正直に申し上げます』


 俺は、しばらく考えてから、言った。


『私たちは、元の場所に帰る方法を、いまだに見つけられていません。たぶん、これからも、見つかりません。ですから、私たちは、たぶん、ずっと、この世界に居ることになります』


『……そう、ですか』


 エリアーナの目には、心配と、それから、わずかな安堵のようなものが、混ざっていた。


『ただ、一つの場所に、ずっと留まり続けるのが、よいのかどうかは、まだ、分かっておりません』


『と、申しますと』


『私たちが、王都の近くに、長く留まり続ければ、この国の人々は、私たちの力に、頼り続けることになるでしょう。それは、長い目で見れば、この国にとって、必ずしも良いことではない、と考えています』


 エリアーナは、わずかにうなずいた。


『ですので、いずれ、王都の近くを離れて、もう少し遠くの土地に、移ろうかと思っています。あちこちの国を、ゆっくりと、見て回りながら――』


『……寂しくなりますね』


 彼女は、ふっと、笑った。


『けれども、お考えは、よく分かります』


『陛下』


『はい』


『離れていても、私たちは、いつでも、駆けつけられます』


『はい』


『お困りごとがあれば、いつでも、お知らせください』


『ありがとうございます』


 エリアーナは、窓の外を見た。


 窓の外には、雪の積もった城下町が、白く、静かに広がっていた。


 その白さの中に、人々の暮らしの煙突から立ちのぼる、細い、しかし途切れない煙の筋が、何本も、ゆっくりと、空に伸びていた。






 春が、また、来た。


 俺たちは、その春の終わりに、王都を離れることに決めた。


 行き先は、特に決めていなかった。海の向こう、まだ訪れていない国々を、シャトルで、ゆっくり巡っていく予定だ。年に一度くらいは、王都に戻ってきて、エリアーナに、近況をお伝えしようと思っていた。


 拠点の片付けは、ロボットたちにほぼ任せた。


 居住棟の柱には、リオが置いていった、木彫りの小さなお守りが、ぶら下がったままになっていた。子鳥の形を、ちゃんと模ろうとして、ちょっと失敗した、そういう不格好さが、かえって愛おしかった。


 俺は、そのお守りを、上着のポケットに入れた。






 出立の前夜、俺は、最後に、丘の縁に立った。


 いつもの場所だった。


 クレアが胸の内を明かした、あの深夜。


 出陣の前の、あの夕暮れ。


 何度もここに立って、王都の夜の灯りを眺めた。


 今夜は、夜空が、特に澄んでいた。


 月はまだ昇っておらず、頭上には、無数の星が、息をのむほどの密度で、広がっていた。


 しばらくしてから、クレアが、俺の隣に来て、立った。


「……星、多いですね」


「うん」


「地球から見えていた星空とは、配置が、まるで違います」


「だね」


 彼女は、しばらく、空を見上げていた。


 春の夜風が、彼女のシルバーブロンドの髪を、わずかに揺らしていた。


「司令」


「うん」


「いつかの夜、私は、自分の気持ちを、まっすぐお伝えできない、と申し上げました」


「うん」


「その答えは、まだ、出ていません」


「うん」


「けれども」


 彼女は、わずかに、空から視線を外して、俺の方を、見た。


「これからも、司令の隣にいたい、ということだけは、本当です。それだけは、誰の指示でもなく、私自身が、そう望んでいます」


「……うん」


 俺は、しばらく、夜空を見上げていた。


「俺もだよ」


「はい」


 俺たちは、それきり、何も言わずに、夜空を見上げ続けた。


 無数の星々が、見たことのない配置で、しかし、人類が地球で見上げてきた星々と、同じくらいの優しさで、瞬いていた。


 あの中のどこかに、ミネルヴァが、いる。


 ブリッジには、もう誰もいない。コンソールは、すべて自動制御に任せてある。ただ、俺たちが、いつかまた戻れるように、ずっと、開けたままになっている。


「行こうか」


「はい」


 俺たちは、丘を降りた。


 拠点の灯りが、いつものように、温かく俺たちを迎えてくれた。


 明日からは、また、新しい旅が始まる。


 その旅の終わりが、いつ、どこに辿り着くのかは、まだ分からない。


 けれども、隣にクレアがいる。


 それだけで、たぶん、この長い旅は、なんとかなる気がしたのだった。


評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。