第2話 城壁の街
光学迷彩を展開したドローンは、城壁の上をふわりと越え、街の上空に滑り込んだ。
ブリッジの大型スクリーンに、その視界が鮮明に映し出される。石畳の通り、軒の低い家々、洗濯物の干された中庭。煙突から立ちのぼる薄い煙。荷車を引く黒い馬。小さな子どもが井戸の縁に座って水桶を覗き込んでいる。
「思ったより人が多いな」
「中規模の街と推定されます。人口は推計で五千から八千」
クレアが補足する。
ゲーム内のシミュレーションでは、似たような中世風の街並みを何度も見てきた。だが、こうして「実物」として見ると印象が違う。建物の壁の継ぎ目には汚れが染みつき、屋根瓦は色がまばらで、傾いだ煙突もある。誰かが何十年もかけて修繕しながら住んできたのだとわかる、そういう質感がある。
「映像の精度、すごいね」
「ドローンは小型ですが、光学性能は本艦と同等です」
クレアは抑揚なく言う。誉めたつもりだったのだが、彼女にとってはただの仕様の確認らしい。
ドローンが市場と思しき広場に降りていく。屋台が並び、人がひしめいている。野菜、果物、干し肉、布。人々の服装は、現代の祭りで見るような中世風の衣装そのものだ。羊毛のチュニックに、革のベルト。靴は革か布。鎧をまとった兵士らしき男もいる。腰には剣。火縄銃のようなものは見当たらない。
「火薬武器は確認できないね」
「ええ。冶金技術は鉄器の段階。建材は石、木、煉瓦、漆喰。動力は人力、畜力、水車、風車。文明レベルは、地球のヨーロッパ中世前期から中期に相当します」
クレアの分析を聞きながら、俺は屋台の野菜に視線を落とした。じゃがいもらしきもの。玉ねぎ、にんじん、キャベツ。明らかに地球の野菜と同じだ。果物の籠にはりんごとぶどうらしきものが並んでいる。
「植物まで地球と同じか」
不思議な惑星だ。
「司令、看板の文字を見てください」
クレアがスクリーンの一部を拡大する。木の板に黒い染料で書かれた、見たことのない文字。曲線の多い、流麗な字体だ。地球のどの言語にも一致しない。
「読めない。読めないよね?」
「読めません。サンプルが集まればおそらく解析は可能かと」
「じゃあ、やってみよう」
クレアによると、初歩的な言語解析であれば数日程度で可能だろう、と。わずか数日。現実だとこうはいかない。星間文明にまで発展したゲーム内の超科学のおかげだ。
「観測を続けよう。住人に気づかれない範囲で」
「了解しました」
光学迷彩を展開したドローンは、屋根の影や煙突の陰に身を寄せながら、市場の音と映像を黙々と記録していく。
観察を始めて三日目の朝。
俺はミネルヴァの士官食堂で、合成プロテインのスクランブルエッグもどきと、合成コーヒーをテーブルに並べていた。
味は悪くない。ゲームの設定上は「栄養完全食」とされていて、これだけで生きていけることになっていた。ゲーム内のチャットではディストピア飯のように言われていたけど。
向かいの席にクレアが座る。彼女のトレイには、俺と同じスクランブルエッグもどきと、ミルクティーが一杯。
「いただきます」
クレアが手のひらをあわせてから、フォークを取った。
ゲーム時代、サポーターのキャラクターたちは食事をとらなかった。設定上、栄養補給用のチューブで艦内の生命維持システムから直接エネルギーを得ていることになっていた。しかし、転移してから――というか、ここに来てから、クレアは普通に食事をとるようになった。本人いわく「何かを口にしないと、エネルギー残量が減っていくような感覚がある」のだそうだ。
ヒトと同じだ。
ゲームのキャラが人になった、ということか。それとも俺が、超リアルな仮想世界に入り込んだのか。おそらく結論は出ないが、一つだけ言えることがある。クレアと俺は、同等の存在だ、ということ。プレイヤーとキャラクター、あるいは人間と仮想人格、といったものではなく。
俺が「上司と部下」のようにクレアと接しているのは、ゲームの延長で、というだけではなく、それ以上踏み込むのを内心、恐れているからなのかもしれない。現実世界では恋愛経験ゼロだったし、変に意識すると、どう接していいのか分からなくなりそう。
「ところで、言語解析、どれくらい進んでる?」
「単語レベルで六割。文法は概ね把握できました。あの街の言語は、屈折の多い語形変化を持つ古典的な構造で、地球のラテン語系と類似性があります」
「じゃあ、そろそろ翻訳器が使えそうだね」
「明日の朝までには初期バージョンを構築できます。ただ、方言や敬語表現の習得には時間がかかります」
「とりあえず喋れるなら十分だよ」
彼女は小さくうなずいて、ミルクティーを一口飲んだ。指先が、カップの取っ手の角度を几帳面に整える。仕草の一つひとつが丁寧で、見ていて落ち着く。
午後、ブリッジに戻ると、メインスクリーンに惑星表面の地図が表示されていた。三日間の観測で、ある程度の地理が判明しつつある。
地図の中央が緑の線で囲まれている。南北100キロほどの細長い領域。その北寄りに、最初に発見した城壁の街と、もう一つの大きな街――おそらくは首都――が描かれていた。
「この領域が一つの国家と推定されます。国境は山脈と河川によって自然に区切られています」
自然的国境。山脈や河川といった自然の地形がそのまま国境となる。中世的な世界ならそれが当然だろう。
「総人口およそ百二十万。農業中心の社会。穀物、果樹、家畜の生産が主体。冶金、織物、製紙の工房が首都および中規模都市に分散しています」
百二十万。地球の中世国家なら、決して大きい方ではない。
「平和そうな国だね」
「街の人々の表情、市場の活気、武装兵の数の少なさから判断すると、内政は安定していると思われます」
クレアの淡々とした分析を聞きながら、俺はスクリーンを眺める。緑に囲まれた小さな国。どこかに似ている気がする、と思って、ようやく思い当たる。中学生のころ、地図帳で見た古い時代の中部ヨーロッパの小国に。
「司令」
クレアの声に、わずかに緊張が含まれる。
「西部国境、山脈の西側に、軍勢らしき集団を確認しました」
スクリーンが切り替わる。山岳地帯の上空から撮影された映像。緑の谷に沿って、灰色の帯のようなものが伸びている。ズームすると、それは行軍する大軍だった。
馬。槍。盾。旗。
中世を舞台にしたゲームや映画でしか見たことのないような光景が、確かにそこにあった。
「規模は?」
「歩兵およそ二万、騎兵三千、輜重兵と工兵を含めて、全体で三万弱。装備は鉄製武具と弩を主体。火薬武器の所持は確認できません」
「三万かあ……」
俺は思わず椅子の背にもたれた。三万の軍勢というのは、中世の感覚ではおそろしく大きい数字だ。
「進路は、東?」
「はい。先ほどの城壁の街、つまり観察対象国の方向です」
クレアは少しだけ俺を見て、また視線をスクリーンに戻した。
「お祭りの行列、ということはなさそうですね」
冗談を言ったのか、それとも本気で確認したのか、判別がつかない口調だった。たぶん、半分くらいは冗談なのだろうと思うことにする。
「うん、たぶん違うね」
俺はもう一度、スクリーンの灰色の帯を見つめた。
平和そうな国。穏やかな市場。井戸の縁の子ども。
その国に、軍勢が向かっている。
「観測、続けよう」
「了解しました」
ブリッジには、ドローンの送ってくる微かなノイズだけが、しばらくの間、流れ続けていた。




