─床は泳ぐもの─
拙いと思いますが、生暖かい気持ちでお願いします。
お待たせいたしました。
ひとときのほほんとよろしくお願いします。
不定期になりますが、のんびりお付き合い
いただければ幸いです( * ॑꒳ ॑*)
王都の酒場では、市民たちが盛り上がっていました。
「聞いたか? ヴァリエール家のお嬢様が、亡くなった母親の日記を見つけて、何年もかかった研究を完成させたらしいぞ!」
「そういえば、王妃様もその石鹸で若返った話だよ。なんでも、ツルピカ発光体だったか、騒いでた男がいたよな……」
「今はまだ王様が管理するらしいが、いつか俺たちの手にも届くようになるさ。あの『もっちもち』、一度でいいから経験してみたいもんだな!」
外の世界がどれほど「納得」と「熱狂」に包まれていました。
その石鹸がまさか3歳児の発明とは、誰が気づくでしょうか。
月明かりが差し込む静かな廊下。
黒装束の男が窓から音もなく着地した……はずでした。
着地した瞬間、……両足が勝手に左右に開いていきます。
「ぬ、おぉっ……!? な、なんだ、この床は……っ!」
一歩踏み出そうとするたびに、ラードとアロエ、そして大理石粉が牙を剥きます。
男はあえなく転倒し、大理石の床の上で脂ぎった四肢をバタバタと動かし、進もうとしますが1ミリも前に進めません。
素敵に、……無様です。
「くそっ、泳げん……! 床なのに、泳げない……! 誰だ、こんな掃除の仕方をした奴は!」
そこへ夜回りのメイドがカツカツと(滑り止めの効いた特製靴で)歩いてきます。
彼女の片手には、霧吹きのような小瓶がありました。
メイドは無表情にバタつく刺客を見下ろし……。
「……ジャマ」
「ま、待て! 貴様、何をするつもりだ……!」
目を座らせたメイドは無言のまま、殺虫剤をかけるような手つきで……。
「……シュッ、プシュー、プシューッ!!」
「ぎええええええええッ!! 目が! 鼻が! さ、刺し痛いいいいいいい!!」
ワサビ酢の細かい霧が、必死に息を切らしている刺客の粘膜を直撃しました。
騒ぎを聞きつけたヴィクトールが、パジャマの上にガウンを羽織り現れます。
さらにマルクスも、呆れた様子で見ています。
「……まるでカメだな」
ヴィクトールの言い草に、マルクスは笑いながら否定ました。
「閣下、あの者にとって廊下は、泳ぐのだそうです。カメは歩くので、カメに失礼では?」
ヴィクトールは冷酷な目で賊を見下ろし、メイドに指示を出します。
「……あとは騎士団に任せる。この男は歩く事を忘れたようだ。靴や足裏に『スベスベ』をプレゼントとしろ。サービスだ」
マルクスはヴィクトールのセリフに爆笑しました。 最近のヴィクトールは、ウィットに富んでいるようです。
「セバス」
ヴィクトールが短く、しかし冷徹な声で呼びました。
「ここに……」
影から音もなく現れた執事のセバスは、白手袋に一分の隙もない服で、のたうち回る刺客を一瞥すると、礼節をもってヴィクトールに問いました。
「……この『汚物』を、移動させるという事で、よろしいでしょうか?」
「……あぁ、ただ滑り止めの靴でなければ、お前も滑るぞ?」
「お気遣い、恐れ入ります。……ですが、執事たる者、主人らの敷かれた悪戯ほど、エレガントに渡らなくては務まりません」
セバスはにやりと、冷たい笑みを浮かべました。
彼は滑る床には踏み入れません。
「……失礼」
セバスは完璧な姿勢で、迷いなくその右足を刺客の背中に乗せたのです。
「ぐふっ……ッ!」
男の肺から空気が押し出され、まるで飛び石を渡るかのように、優雅に、かつ強気の一歩で、滑るエリアを渡って行きました。
向こう岸に着くと振り返りもせず、白手袋の汚れを少し気にする仕草を見せ……。
「旦那様。……少々脂が乗りすぎております。洗う手間を考えますと、やはりワサビ酢で追加の味付けをしておくのが、正解かもしれませんね」
その夜侯爵家の廊下には、ワサビ酢の匂いと、刺客の絶望的な呻きが、長く、長く響き渡っていました。
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その日の王宮でも……。
茶会でしつこく「その美容泥の秘密」を問う隣国の公使夫人に、イザベラ王妃が冷ややかな微笑みを向けました。
「この研究は、エレーナの遺志を継ぐ神聖なものですわ。また現在は王家が保護している段階です。……これ以上、不躾な探りを入れたり、あらぬ噂を流す方には、……そうね。研究が完了した後の『優先配布リスト』から、その国のお名前を消さざるを得ませんわね」
その瞬間、公使夫人の顔が真っ青になりました。
自分一人の好奇心のせいで、自国の王族や貴婦人たちが「一生もっちもちになれない(=老けていく)」という絶望的な未来を背負わされるのです。
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薄暗い地下牢。
エドワードは無機質な冷徹な瞳に宿し、粘着粉にまみれて身動きの取れぬ密偵を見下ろしていました。
傍らに立つアルベルトも、慈悲のかけらもない低い声で「誰の差し金だ」と一喝し、侯爵家の平穏を脅かす愚か者へ逃げ場のない威圧を突きつけます。
二人の獅子は、弟に害をなそうとした者に鉄槌を下す為、なにより情報を欲したのです。
王宮で尋問を終えて、侯爵邸へ戻ってきたアルベルトでしたが、その姿は騎士訓練生のものではありませんでした。
外交官たちを欺くために、着飾った刺繍入りの豪奢な外套と宝石のついた胸飾り――そんな「チャラい貴公子風」の兄を、庭で遊んでいたレオンはじっと見ています。
「……だれ? キラキラさんなの?」
レオンが小首を傾げて放った一言に、背後で見守っていたヴィクトールとカトリーヌは堪えきれず、「ぶっ!」と吹き出して爆笑してしまいました。
「レオン、私だ! 兄のアルベルトだぞ!」とショックで真っ白になりながら縋り付く兄を、レオンはしばし観察し、「……ん? にいちゃ?」とようやく認識したものの、どこか納得のいかない顔でこう言い放ちました。
「にいちゃ、ない! ……これ、にーたま、なの!」
その日を境に、親しみを込めた「にいちゃ」から、少し距離を感じるよそゆきの「にーたま」呼びに格上げ(?)されてしまい、アルベルトは弟との心の距離が遠のいたような気がして、複雑な表情で一人静かに黄昏れるのでした。
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