差し伸べられる手
ジェラール様が帰ってくる三日間、私は義母や義姉に顔を合わせるたびに、実家へ帰りなさいと言われ続けた。そのうち私も義母が私とジェラール様を結婚させたくなく、他の女性と結婚させたいという本当の気持ちが垣間見えた。とても聡明な人だ。頭ごなしに怒鳴りつけて、帰るように強制するのではなく自分の意志で帰るように仕向けている。たぶんここで帰ってしまったら、義母は立場を逆転させるだろう。
『娘さんはジェラールとの結婚が嫌になって勝手に帰ってしまったのです。息子がこんなに迷惑をこうむったのだから、夫のことはお金を渡すことで解決して、結婚については無かったことにしましょう』
シナリオとしてはこんな風だと思う。そうすれば私の立場は無くなるし、父は大金を貰って口封じをされてしまうだろう。もしもそれを告発しようとしても、当の本人は亡くなっていて、権力のない父に発言権は無い。すぐに忘れ去られてしまう。
ちなみに私が離れた場合結婚するのは、ついこの前披露宴であいさつしたウィリアム公爵の娘であるという。父が元々秘書として勤めていた人なだけに、父は何も言えないだろう。だから、私がここで折れてしまったら、ヴァロア家にお金は入るけれど、私の人生はあの家でカタリナに毛嫌いされながら、両親とぎくしゃくと日常を過ごし、見ず知らずの男と結婚して、終わりということ。
次結婚する相手はジェントリか、男爵が良いところでしょうね。結婚適齢期から外れた中年の男性と結婚するかもしれない。しかしながら、ジェラール様と結婚し続ければ、私は蹴られ、殴られをされるかもしれないと示唆されている。いやいや、他の男が殴らないという理由がないわけでない。
考えれば考えるほど私がどうすればいいか分からなくなってくる。実家へ帰るべきなのか、義母と義姉に反抗してでもここに居続けるべきなのか。
居場所がない私は与えられた寝室にほとんど籠っていた。人に見せられるようなドレスもない。会話も上手くできない。私は私らしく生きることができなかった。結婚したのだから当然と言えば当然のことなのだけれど、私は社交界にも出てきたことがないのだから、どんな会話をしたらいいのか分からない。どんな仮面をかぶって、話題を出せばいいのかもわからない。体調も悪いまま、食べたものはことごとく吐いてしまう。睡眠も上手く取れない。
ジェラール様が帰ってきたときも私は眠っていた。お昼に食べた牛肉のソテーを戻してしまい、水をわずかに飲み、夜眠れなかった分、眠っていた。目覚めてからもベッドで横になり続けた。ジェラール様のところへ今更挨拶へ行ったところで、義母と義姉から何を言われるか分からなかった。きっと何か言われるとまた私は眠れず、食事は吐き戻してしまうだろう。
夕食も食べなかった。具合が悪く食べられる状態ではないと断り、ベッドに横になったまま、持ってきた刺繍をした。
空もほとんど真っ暗になってきたという時、部屋の扉がノックされた。
「どうぞ」
きっとまた義母か、義姉がやってきて、私が帰るべき理由をいくつも並べてくるに違いないと胃が痛んだ。驚いたことにやってきたのはジェラール様であった。すぐに刺繍の道具を枕の下に隠した。
「おかえりなさいませ。顔を出せず、すみませんでした。わざわざ来ていただいて」
ベッドから出ようとしたけれど、肩を掴まれ制止された。シンプルなリネンシャツを着て、ベルトを締めている。黒色の髪の間から青色の瞳をのぞかせている。椅子を引っ張ってくると、そこへ座った。
「式の後早々屋敷を空けて悪かった」
「ああ、いえ、私もただ体調を崩したばかりで何もできず」
気まずい。初夜の前に倒れて、帰ってきたときには出迎えもせず、夕食には顔を見せず。これじゃあ、嫌っているように思われても仕方がない。
「体はどうだ」
「すみません。まだよくならず。食事も戻してしまって」
「眠れているのか」
「あまり」
まっすぐに見つめられて、視線をそらしながら答えた。しばらく無言が続いていたけれど、気まずいなんてことも息が詰まるということもなかった。この人との無言の間は、他の人のように話題を探そうとする焦りや、緊張が感じられない。
「あの、私は実家へ帰った方が良いのでしょうか」
「どういうことだ」
「お義母様と、お義姉様が、私に結婚をなかったことにして、実家へ帰った方が良いとおっしゃっておりまして。ジェラール様はウィリアム家のご令嬢と本当は御結婚するはずだったということを、小耳に挟みまして」
椅子に座りながら前かがみになり、両手を組んで眉をひそめた。私は羽毛布団を抱きしめて、目線をそらした。自分では考えられず思わず聞いてしまったけれど、触れてはいけない話題だったのかもしれない。
「私なんて田舎育ちの田舎娘ですし、ソバカスもあって、芋っぽいでしょう?父に権力があるわけでもありません。あの日見たご令嬢は玉のような肌に美しい金髪でした。父親は公爵ですし、ジェラール様にはそのような方の方がお似合いになるのではと思うのです。ジェラール様がお望みであれば実家へ帰ります」
迷っていたけれどジェラール様が帰れと言うなら帰ろう。それでいい。
「その必要はない。お前には満足している」
突然部屋の扉がノックされ、身構えた。ジェラール様が立ち上がり、扉を開けるとメイドから何か受け取り、戻ってきた。トレーに乗った湯気のたちのぼるコップを手渡された。中を見るとホットミルクだった。
ジェラール様は私にホットミルクを渡したきり、背中を向け扉を開けた。思わず「あの!」と呼びかけた。彼は振り返った。
「ありがとうございます」
「ああ」
そう言って部屋から出て行った。




