5-6 ヴァレントの思惑
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【登場人物】
ルーカン・ヴァレント:ヴァレント家当主。シシーナの事実上の裏の支配者。
夜更けのシシーナは、港の喧噪をすっかり飲み込み静まり返っていた。
その街の中でヴァレント家の屋敷、その奥にある書斎だけが、燭台の光を細く灯している。
机の上には、シシーナからソリスへ伸びる海路と、城外の開拓地フルキアを記した地図。
薄い上質のパピルス紙の上に置かれた赤い印が、いくつも重なっていた。
当主、ルーカン・ヴァレント・メルカトルは椅子に深く腰を下ろし、世にはあまり出回っていないガラス製の杯をワインで満たし、指で回していた。音はない。炎のゆらめきが、彼の頬の古傷を赤く照らしている。
「――で、リキニウス家は?」
低い声に、実行役の男が一歩進み出た。
外套の胸元をきっちり留め、無駄のない姿勢のまま答える。
声は抑えられていた。
「はい。フルキアの農家に接触した後、いまはシシーナで拠点を探しているようにございます。」
ルーカンの唇が歪んだ。
「セウェルスのバカがしくじらなければ、こんな田舎商家に気を遣うことなどなかったものを。」
声には苦みが混じる。
彼は、かつての裁判の書簡に書かれていた事を思い出していた。
――フルーメンで行われた、フルキアの土地管理をめぐる訴訟。
当時、ヴァレント家の代理人として臨んだセウェルスは、リキニウス家の若い弁護士、セクストゥス・ルーポに完膚なきまでに敗北。それ以来、ルーポは“法曹のプリンス”などと呼ばれ、フルキアというか振興植民都市の土地権利も失う結果となった。
その記憶が、今なお腹の底を焼いて離れない。
杯を机に置き、ルーカンは唇を歪めて吐き捨てた。
「そして――デキムスだ。」
炎の揺らめきに照らされたその顔は、怒りよりも冷たかった。
「昨夏の戦で何の戦果も挙げられなかったくせに、ドマ・リュカイオン様と知己を得たと聞く。我らヴァレント家の血も同様に流れたのだぞ。なぜデキムスだけ。」
実行役は沈黙を保つ。
ルーカンは再び椅子にもたれ、掌を地図に滑らせた。
赤い印を、ゆっくりとなぞる。
「フルキア、シシーナ、ソリス。……三つを繋げば交易の線ができる。だがそれは、我らが代々守ってきたこの地を踏みにじることだ。」
彼は引き出しを開け、封蝋の施された文を数通取り出すと、机の上に放った。
封蝋にはヴァレント家の印章が刻まれている。
「これを持っていけ。港の帳場、倉庫の組合、役所の連中――どこに渡すかは分かっていよう。」
実行役は恭しく頭を下げた。
「はい。かしこまっております。」
「共和国の役人が口を出すようなら、金でも握らせて黙らせろ。」
ルーカンはワインをひとなめして冷笑した。
「多少の騒ぎが起きても構わん。小さな出来事が二つ、三つ続けば、人間は勝手に距離を取る。船も、倉庫も、港もな。」
実行役は黙して頷く。
ルーカンは地図の上に掌を広げ、低く告げた。
「困ったことになる――それでいい。名前を出すな。やるのはお前だ。」
「御意。」
実行役は頭を下げ、紙を胸元に収める。その動きは機械のように正確だった。
ルーカンは目を細め、炎の先を見据える。
「リキニウス家の連中はこのシシーナの砂一粒も拾えないと覚えておけ。」
実行役は無言で一礼し、扉の外へと消えた。
残されたルーカンは杯を傾け、ひと息に飲み干す。
燭台の火がゆらめき、地図の上の赤い印が血のように滲んだ。
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