表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
22/22

黒皇子の恋・番外編【秘書官は笑って見守る】【黒皇子は口づけをやり直す】【皇国の闇も自慢したい】

・このお話はフィクションでファンタジーです。

・【皇国の闇も自慢したい】には残酷描写があります。閲覧にご注意ください。

 【秘書官は笑って見守る】


 書籍と重厚な机が目を引く落ち着いた執務室で、ディザレック皇国の皇太子ジルクライド・セル・ディザレックが静かに書類を片付けていた。同じ室内には側近のニックスと護衛のローウェルがいたが、そちらもただ黙々と職務を遂行している。

 昼食を終えて午後の穏やかな空気に眠気を誘われるような静寂は、廊下から響いてくる女性の靴音に乱され、執務室前で止まった足音に顔を上げたニックスと注視するローウェルの目の前でドアが勢いよく開かれた。


「ジルクライドお兄様!」


 執務室に乱入してきたのは第四皇女リスティラだ。皇妃譲りの豊かな金髪の皇女の皇王と同じ茶色の快活な瞳が、今は怒りの感情に染まっていて顔を赤く染めていた。


「ジルクライドお兄様! 信じられないわ! アイシャ様がかわいそうよ!」


 はつらつとした声で身に覚えのない文句を言ってきた妹を無表情で見つめていたジルクライドだが、とにかく淑女の仮面をかなぐり捨てて仁王立ちする彼女の話を聞くことにしたのかペンを置く。


「なんのことだ?」


 机の前に仁王立ちする少女は、興奮に顔を赤く染めながら鼻息荒く主張した。


「とても素敵な思い出だと思ってアイシャ様に初めての口づけの話を聞いたの! そうしたら移動中の宿屋で、アロイス様に見せつけるようだったって。お兄様はもっと素敵な方だと思っていたのに、がっかりよ!」


 この後、ローウェルはその場にいなかったウェイドにジルクライドの様子をしみじみと語った。『人って予想外の衝撃的な出来事があると、本当にペンをポロリと落として固まるんだな』と。

 そしてジルクライドはローウェルの言葉通りに手に持っていたペンをポロリと落として固まり、そのまま頭を抱えた。だが衝撃を受けた兄にリスティラの追撃は続く。


「わたし、初めての口づけは素敵な場所で、二人きりで、愛の言葉を(ささや)かれながら、見つめあって、そっと優しくするものだと思っていたの。恋愛小説でも盛り上がる場面だし、なんでも初めてってずっと覚えているものでしょう? それなのに……アイシャ様が可哀想だわ」


 それまで強気に睨み付けていた彼女は、語尾をかすかに揺らしてうつむいた。


「やっぱり男性は閨教育があるから口づけも閨の一環としか考えないのね。女性をその気にさせるための手段だと思っているんだわ」


 これから恋をして愛を(はぐく)むであろう彼女からの非難は、完璧とうわさされるディザレック皇国の皇太子を打ちのめす。あわあわ、はらはらとどうしていいのかわからないローウェルと、にやにやと笑うニックスは二人のやり取りを止めることがなかった。


「い、いや……そのように考えたことはない、が」


 かろうじて反論らしきものをしたジルクライドに、くるりと背中を向けた妹が肩を震わせながらつぶやく。


「やっぱりロマンティックな口づけなんて、物語の中だけなのね……」


 そっと歩き出すリスティラだが、にやにやと笑うニックスに笑いながらウィンクして退室していった。

 その後の沈黙に誰も身じろぐこともなく部屋の空気は凍ったままだ。数分経ったころ、いつもはてきぱきと物事を進めるジルクライドがぽつりとつぶやく。


「ニックス、ローウェル。お前たちは婚約者と口づけをしたことがあるか?」

「まぁ」

「はい」

「どういった場所で、どんなふうに……」


 なにを聞きたいのかがわかってニックスはローウェルと顔を見合わせた。ニックスはジルクライドの心境も理解できるし、友人が悩み、解決するために話を聞きたいというなら助けてやろうかと思えてくる。身じろぎしない友人二人を見返しながら、手に持っていた書類を置いてジルクライドの正面に立った。


「私の場合はカテリーナ様が亡くなられたと連絡が来て、会いに行ったときです」


 いきなり重い話を持ち込んだニックスにローウェルは体を揺らして驚く。オードリー・バルフォア侯爵令嬢はニックスの婚約者だったが、ジルクライドの前婚約者カテリーナが亡くなったあとは皇太子妃の第一候補になっていた。もしジルクライドが早くに動いてアイシャを見初めなければ、おそらく親世代の重鎮によってニックスとオードリー嬢の婚約は解消されて彼女はジルクライドと結婚していただろう。

 カテリーナが亡くなったと告げられたニックスは、何も考えつかないまま真っ青な顔色で真っ先にオードリーに会いに行っていた。


「彼女に会って、カテリーナ様が亡くなられたと告げて、そこから言葉が続かなくて……」


 当時の苦しい想いを思い出して遠い目をすると、それでも甘い思い出にふっと視線を緩ませてほほ笑んだ。


「なにも言わずただ涙を流す彼女を抱きしめて、そのまま。もしかしたら殿下の妃になる可能性があるからと拒まれるかと思いましたが、彼女も黙って受け入れてくれました。私は愛されているな、と実感しましたよ」

「ちょっと待て。お前には訃報と同時に妃探しを他国にておこなっていると言ったはずだが?」

「アイシャ様のようにちょうどよく、しかも殿下に気に入られる女性がすぐに見つかるとは思っておりませんでしたので」


 その時の正直な感想を笑いながら告げると、ジルクライドは目をそらしてローウェルを見た。


「ローウェルはどうだった? いや、言いたくないなら無理をすることはないが」

「私は……」


 (あるじ)からの要請に、近衛の制服で着痩せして見える筆頭護衛騎士の青年が、顔を赤くしながらしどろもどろに答える。


「彼女の成人の誕生日に、彼女を大聖堂に誘って誓いの口づけを。私はいつ死ぬかもわからぬ身だがそれでもいいかと、そんな私なのに彼女を手放したくないから誓わせてほしいと懇願しました」

「周囲に人は……」

「「もちろん二人きりでした」」


 ニックスは撃沈した皇太子の黒髪を見下ろしながら仕方がないとため息をついた。二人の婚約は急遽まとめられて告知されたのだ。二人が心を通わす暇もなかったし、おそらくひとめぼれをしたジルクライドの気持ちをアイシャに伝える暇もなかったのもわかっている。

 それでも――


「アロイスの前で口づけとかないわ~」


 ローウェルが気を使って言わないでいたというのに、完全に気を抜いたニックスの発言で、ジルクライドは再び頭を抱えたのだった。








 【黒皇子は口づけをやり直す】


 皇都アンドルーズの夜空に浮かぶ白き皇城は、今宵一段と美しく輝いていた。

 ディザレック皇国の心臓部、皇族方が住まう巨大な城の優美な姿に、普段見慣れている皇都の住民でさえ感嘆のまなざしを向ける。白の外壁と光沢のある灰色の屋根を照らすのは、色のついた照明だ。今日は薄い紫で、皇王主催の夜会が開かれていることが一目でわかる上に、幻想的な姿は皇国民のみならず他国にまで広まり、わざわざそれを見に観光に来る者までいるほど。


 とはいえ城の外がどれだけ変わろうとも、夜会の会場では花やカーテンに紫が使われている程度で皇国の貴族たちも普段通りだ。今日の夜会は定例なので他国の要人を招くこともしていないし、今のところ不穏な案件もないので、若い貴族を中心にそれぞれが楽しんでいた。


 もちろん結婚したばかりの皇太子夫妻も出席して人々の話題をさらっているが、主に皇太子妃のドレスのデザインや夫妻の公務の予定などが主である。ちなみに公務予定が話題に上がるのは、いつ子供を作るのかを予測するためだ。未来の皇子と同じ年齢の子供を作りたいと思う貴族は多く、そのために婚姻を急いだ家もあるという。


 それを聞いたアイシャが森の王国とは違うのだと感心していたのでジルクライドが詳しく聞くと、王国では王族の婚姻後、一年経っても妊娠の兆しがないとあらぬ噂が立てられるらしい。子を孕めぬ妻は欠陥だと思われることもあるのだとか。


 ジルクライドはそれを聞いて逆に首を傾げた。『子供は女性一人で作るものではあるまいし、子ができぬ責任の半分は夫にもあるかもしれないだろう』と。そして続けざま『第一子が皇位を継ぐとは限らないし、男女どちらでも皇位に就く可能性はあるのに、なぜ男子ばかりを望むのか理解できないな』とつぶやいたら、なぜか愛しい妻から優しい口づけを贈られて、そのまま部屋に連れ込んだのは記憶に新しい。その日の晩餐会をすっぽかしそうになって、あとからヒューズにめちゃくちゃ怒られたが気にもならなかった。


 さてそんなジルクライドも今日は久々に緊張していた。

 衝撃のリスティラの突撃から数週間。さんざん頭を悩ませ、友人たちに相談をして、最後にはリーサ嬢などの女性陣にも意見を聞いて計画を立てたのだ。

 すでに婚姻も初夜も済ませた相手だが、どうにかして口づけのいい思い出を作りたいと思うのはアイシャを愛しているからだ。小さな体で背筋を伸ばして自分の隣に立ち、皇太子妃の仕事だけでなく自分に気遣う姿に惚れない男はいないだろう。


 今日の夜会は皇太后陛下の生誕祭だ。主役は皇太子夫妻ではないし、事前に皇王夫妻にも話は通してある。二度のダンスを終えてある程度の社交を終えたジルクライドは、アイシャに悟られているなと思いつつも彼女をそっと会場の外に連れ出した。


「……」

「……」


 沈黙がいやではない。一緒にいて当たり前だし、会話が続かなければ気まずいということもない。これからどこに行くとか、なにをするという話もしていないのに、腕に添えられるたおやかな手が全幅の信頼をもって添えられているのもうれしく思う。


 普段は入ることのない人気のない場所は、静寂に包まれていてひんやりしていた。階段を上りドアを開けた先には、白い月が輝く夜空に淡く紫色に光る皇城の尖塔が浮かび、広場を見下ろす大きなバルコニーに連れ出すと腰を引いて抱き寄せる。


「アイシャ・フェアクロフ・ディザレック」


 腹に力を入れて彼女を見下ろす。

 月に照らされたアイシャは既婚者らしく黒髪を真珠の髪飾りとシルクで織られた繊細な模様の飾り紐で複雑に結い上げ、耳には同じく真珠のピアスとアメジストの耳環が光っていた。


 ドレスは外に出ることが分かっていたので、大きな襟のついた紫のベルベットの上着に金糸の豪華な刺繍が施され、体にあったラインで太ももの上辺りまでを包んでいて、上着の下から広がる白い光沢のあるスカート部分の細かいドレープが美しい。

 上着の刺繍の精巧さと重厚さが目を引くが、風に揺れる肘から長く伸びる金と紫のレースや大きな襟の間で揺れる白い真珠の軽やかさは、アイシャの可愛らしさによく似合っていた。

 青い瞳が自分に向けられる心地良さに鼓動を速めながら、ジルクライドは黒手袋に包まれた左手を彼女の頬に添える。


「一年前の今日、王国で初めて会った時からお前を愛している。俺は王としてこの皇国を守っていくが、俺の心は約束とともに生涯お前だけに捧げよう」


 そういって口づけようと顔を近づけると、アイシャの長いまつげが下りて自分を映していた瞳が隠れ、そのかわりピンクに近い口紅が塗られた小さな唇が少しだけ開かれる。

 そっと触れ合うような口づけを二度、三度繰り返してから、ここは甘い雰囲気優先と欲望をねじ伏せて顔を離せば、羞恥に顔を染めた愛しい女性が腕の中にいた。ぐらりと揺れる理性をどうにか保ちつつも、もう一度口づけようとしたジルクライドにアイシャがほほ笑みながらささやく。


「わたくしは婚姻前にジルにされた口づけをすべて覚えています。貴方がいつでも最上級の愛情を注いでくれたからこそ、わたくしは恐れることなく貴方の妻になれたのです。場所や雰囲気は関係ありません。貴方が求めてくれる、ただそれだけでわたくしは勇気づけられたの。ジルクライド・フェアクロフ・セル・ディザレック皇太子殿下。約束と一緒にわたくしの心も受け取ってもらえますか?」


 アイシャからの告白に顔が赤く染まるのがわかる。不意打ちに近い愛の言葉に、さすがのジルクライドも我慢できなくなって愛しい女性を抱きしめた。


「……リラ、か。秘密を漏らしたのは」


 アイシャの肩に顔を埋めてぼそりと妹の愛称をつぶやくと、少しずつ思考が戻ってくる。


「ちゃんとお兄様に口づけのやり直しをさせますからね! と元気いっぱいに教えてくださいました。そしてこんな美しい場所で、うれしい言葉と素敵な思い出をありがとうございます」


 楽しそうに笑う細い体を抱きしめたまま、アイシャにはかなわないと本気で思う。それでも婚姻前の余裕のない口づけを最上級の愛情だと受け取ってくれていた妻に、ジルクライドは濃い愛情で目を赤く染めながらもう一度優しく口づけたのだった。








【皇国の闇も自慢したい】


*****(残酷描写注意です)*****


 大きな祭典でしか使用されない皇城の大きなバルコニーで抱き合う皇太子夫妻を、周囲から複数の視線が見つめていた。

 その中の一つ、ジルクライドの側近のグレンは装飾を省いた黒の騎士服で闇に紛れながら、普段からは想像もつかないほど鋭い視線で警戒していた。二人の部下が動いた気配がしたが大きな動きはなかったので、関係のない小物でも引っかかったのだろう。


 警備する側からすれば多数の人間が出入りする夜会で、わざわざ警備の薄いこんな場所に来ることは反対だったのだが、ニックスやウェイド、リーサ嬢が乗り気だったこともあってグレンも協力することにした。

 普通これだけ離れていれば会話など聞こえないものだが、職業上唇の動きを読むこともできるし耳もいいので、二人がどんな会話を交わしたのかわかっている。護衛対象が夜会に戻る姿を見守りながら、グレンは小さくため息をついた。


「いいなぁ。俺もジェマとの思い出を自慢したいけど……アレはさすがにまずいか」


 手に持った小さなナイフを遊ばせながら、茶色の髪を風で揺らした青年が空に浮かぶ月を見上げる。たたずむ姿は平凡な青年なのに、浮かべる笑みはどこか闇を孕んでいた。


 グレンはディザレック皇国の暗部の一部を統べる一族の息子だ。パストン子爵家には子供が五人いてグレンは三番目だが、子供を作れる体で生き残った男子は自分だけだった。それから子爵家の嫡男となり、同業であるイングラム伯爵家の長女ジェマと婚約したのは五年前だが、彼女が好きで心を通わせていたのは子供のころから。


 初めての口づけは十歳を過ぎて毒を体に慣らしている最中で、過剰に反応する毒で生死をさまよい、血を吐いて苦しんでいたときにジェマからしてくれたのだ。


『グレン、死なないで。私になにかできることはない?』


 涙を浮かべて冷えた自分の手を握る幼い彼女が可愛すぎて、そのまま天に召されるかと思ったのは内緒だ。そのどさくさに紛れて『最後かもしれないから、口づけてほしい』とお願いした当時の自分は、本当に賢かったと今でも思う。今その話をすると彼女は真顔になって暗器で殺しにくるのだが、そんな照れ隠しの行動も可愛いと思ってしまうあたり、グレンは本気でジェマを愛しているのだ。


 口づけてくれたあとに、自分の血で濡れた彼女の唇を見ただけで鼻血が出たのも二つ目の内緒。驚いた彼女が人を呼んで、駆け付けた親父に興奮して鼻血を出したことがばれて本気で殴られたが、痛みを感じなかったくらい幸せだった。


「はぁ、ジェマの可愛い顔が見たい。護衛(これ)が終わったら会いに行こうかな」


 明け方になるだろうがイングラム家の警備なら系統の違いで潜入するのは容易い。愛しい彼女が眠るベッドに潜り込み、暖かな身体を抱きしめて眠れたら仕事の疲れも吹き飛びそうだ。

 夜会会場から外れて野外で励んでいる若い恋人たちの男の尻に針を投げ飛ばしながら、闇に紛れた平凡な青年は足音一つ立てずに消えていった。


 このお話がここまで続いたのも、読んでくださる皆さまのおかげです。

 ありがとうございました。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
[一言] この作品が好きすぎて、電子書籍を購入させて頂きました。ジルクライドとアイシャのラブラブっぷりとか、側近の皆様の苦労話とか、続きがあれば大変嬉しいです。 はー、面白かった!
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ