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49 封印の剣

 ミコトは羽士男(はしお)を殺すことで確実にレベルアップできたと考え強い自信を持った。


 だが、羽士男の死は現実社会において保険契約における調査対象となってしまった。


 やって来た保険調査員には地縛霊を憑かせて、二度と黒霧神社(くろぎりじんじゃ)に来られないように仕向けた。


 しかし、今度はミコトがずっと学校に行かなかったことや、そんな娘と認知症の祖父では生活に困るのではないかと近所の人や氏子などが次々と訪ねて来ていた。


 今までは羽士男が上手く対応していたと思われるが、直接ミコト自身が来訪者の対応をせざるを得なくなってしまった。


 第三者から目をつけられたミコトは安易に表立って動くことが困難になっていた。

 外部から来る人間を殺害するのは簡単なのだが、余計に注目を集め動けなくなるため、ミコトは稔成と一緒に引き籠りの振りをしてなりを潜め、ホトボリが冷めるのを待つしかなかった。


 しかしそこでぼうっと待つようなミコトではない。

 彼女は地縛霊を操って、ターゲットの二人を守っている桜海神社のテリトリーを縮めたり結界の力を弱めたりして浸食していく作戦を敢行した。


 そのせいで、桜海は神域保全の仕事が増えていた。

 ミコトの作戦は桜海を翻弄させるのに効を奏していた。


 そんなとき、ミコトの投げた地縛霊がたまたま桜海祐樹(おうみゆうき)に取り憑いた。

 その頃祐樹は、顧客に勧めた証券取引で損失を出させたことにより個人責任を問われていた。

 ただ自分の資産を一部売却でもすれば補填できる金額だったのだが、地縛霊の悪念に突き動かされた祐樹は天の相続した屋敷にある調度品などを処分して凌ごうと企てたのだった。


 ミコトは地縛霊を操り、祐樹が天の兄であること、お金に困っていて、天の財産を狙っていることなどの情報を得た。


 そこでミコトは、稔成(としなり)の事を昔は骨董商だったが今は引退している老人という嘘の情報を祐樹に吹き込んだ。

 祐樹は、アンティークなどの見る目を持っているが商売気のない稔成を巧く利用しようと考え行動に移した。




 朝、食事をしている桜海の携帯に電話がかかってきた。


〈申し訳ありませんが至急こちらへ来てください。祐樹さまが…〉

「近藤さん?」

 着信時点で誰からなのかはわかっているが、いつになく慌てた様子で、いきなり用件を告げた近藤に桜海は驚いた。


〈「余計な事を!」…困ります、あの…〉

 近藤からの電話は途中で切られてしまった。


「ちょっと行ってくる」

 桜海は朝食の途中だったが席を立った。


 赤星は、

「こんな朝っぱらから?」

と、言って立ち上がり、

「どこへ?」

と、玄関に向かう桜海の背中に尋ねた。


「静岡の別宅」

 桜海はそれだけ言って出かけてしまった。



「どうしたのかな?」


 心配する赤星の肩でタマコはのんびり欠伸した。


 稔成(としなり)祐樹(ゆうき)に取り入らせることに成功したミコトは、稔成に憑依し天の知らぬ間に別邸にやってきたのだった。

 そこでミコトは、赤星(あかぼし)と同じ魔力を感じる品物があることに気付いてしまったのだ。


 近藤が急遽電話で天に祐樹の横暴を連絡したため、ミコトは天が来る前にと事を急いだ。


 祐樹にお金になりそうなものを玄関ホールに集めさせ、自分は大きな絵画を鑑定するような振りをして魔力を呈している隠された品物に近づいた。


 ミコトはこの場で正体がバレるのを避けるため、桜海が到着する前に祐樹に()いた地縛霊を外し、絵の裏に隠されていた剣は封印して、屋敷の裏手に隠したのだった。




 天が別宅に着くと、庭に利治(としはる)(たたず)んでいた。

「まだ居たのですか!? お父さん…」


(つるぎ)を守ってくれ』

 利治も慌てている。

「剣?」

 首を傾げる天に利治が叫ぶ。

『早く行け!』


 利治にせかされて家の中へ入ると、利治の次男で天の兄、祐樹とその連れらしき見知らぬ年配の男が、止めようとする近藤と揉めていた。


 天が来たことに気付いた近藤は慌てて駆け寄り、

「申し訳ありません、(たかし)様。祐樹様が強引に中へ入って来られまして…」

と告げた。


 家の持ち主である天がやって来たというのに、祐樹は全く無視して、家の中にあるアンティーク家具や調度品、装飾品など、売ればお金になりそうな物を探して、連れて来た男に値段をつけさせていた。

 恐らく一緒にいるのは骨董商の人間なのだろうと天は思った。


 遺産相続そのものに関心がなかった天がやむなく家屋敷を相続したのだから、中の家財道具や美術品などには尚更興味を持っていなかった。

 しかし、嘗て赤星家の財産だったものを祐樹に好き勝手させるつもりもない。


「あなた方、何をしているんですか、他人(ひと)の家で!!」

 天は祐樹たちに向かって大きな声で言った。


「お前には関係ない」

 祐樹は悪びれもせず、勝手知ったる元実家の中を堂々と物色して回っていた。


「警察を呼んでください」

 天は近藤に指示した。


「この家屋敷以外の骨董など、お前には関係ないだろうが」


「いいえ。ちゃんと相続の目録に、この土地、家屋及び、これに付随する調度品、装飾品、美術品など全て、となっていました。そこに勝手に集められている品物は全て僕の物です」


「何だと! 偉そうに言うな。後から出てきて弟面しやがって」


「僕はあなたの弟ではありません」


 天の一言には、祐樹だけでなく近藤も驚いた。

 本当の事だけに威力のある言葉だった。


「な、なら尚更、お前に権利など…」

「僕はお父さんの息子です。あなたは僕の兄弟ではありませんので、容赦なく警察に逮捕してもらいますから」


「俺と兄弟じゃないなら、(あや)とも違うだろうが!」


 祐樹が鋭い指摘をしたのだが、天は連れの男を睨んで問う。

「いいんですか、そこの怪しい商売人さん。あなたも一緒に逮捕されますよ?」


 ミコトは息を潜めた。

 稔成の身体を使って祐樹に目配せし、

「それは困ります。桜海様、お暇しましょう」

と言った。


「くそガキめ」

 祐樹は骨董屋と一緒に出て行こうとした。


「ちょっとお待ちください。入って来られた時には持ってらっしゃらなかったですよね? その袋」

 近藤が指摘したので、桜海が骨董商の手から袋を取り上げ、中身を確認した。

 袋には沢山の宝石類が入っていた。


「警察はまだですか?」

「先ほど呼びました」


「おい!」

 祐樹と骨董屋は慌てて屋敷から逃げ出した。


 祐樹は天に断りもなく静岡の屋敷に骨董屋を従えて訪問し、強引に金目の物を持ち出そうとしたのだ。


 桜海はひたすら呆れるばかりだった。


 ただ本当に問題なのは一緒にやってきた骨董商の方だ。

 彼はミコトが憑依して操る黒野稔成(くろのとしなり)だったのだから。


 間接的とはいえミコトは、慌ててやってきた桜海と遭遇した。


 ところが稔成への憑依(ひょうい)を桜海は見抜けなかった。

 そのことはミコトに、自分の術や霊能者としてのレベルが桜海の実力を超えたものと自信を持たせる結果となった。


 地縛霊を外しても元々祐樹が天を快く思っていなかった事が、余計な辻褄合わせが要らず、ミコトを助ける形になってしまった。


 また稔成が上手く宝石類の持ち帰りを阻止させたことで、逆に何も盗られずに済んだと桜海に思い込ませることとなったのだ。


 屋敷の外に出た祐樹(ゆうき)はふと我に返って、

「ところで、あなたは?」

と、稔成(としなり)に尋ねた。


「私はあなた様にここへ連れて来られた骨董商ですが、どうかされましたか?」

 ミコトはあまりにも上手くいき可笑しくて仕方がないのをグッと堪えて稔成を操った。


「ああ、いや。すみません」

 祐樹は苦笑いしながら財布からお金を出すと、

「やっぱりもう結構です。大して値の張る物は無いようですので」

と、断った。


 稔成はお金を受け取り、

「そうですか。また何かありましたら、いつでもどうぞ」

と嬉しそうに立ち去った。


 祐樹は駅の方へと歩きながら、

「魔が差すとは、こういうことをいうのだろうか」

と、首を傾げながら頭を掻いた。


 祐樹はそもそも、どうして骨董屋を連れて天の屋敷に来たのかがわからなかった。

 もちろん天の相続した品物を横取りできれば、と考えなくはない。

 しかし思ったとしても通常は行動には移さない。

 気づけば祐樹は正面切って天の別宅に入り骨董類を持ち出そうとしていた。

 そんな自分の無謀さに祐樹は肩を竦めた。


 一方、5万円貰って上機嫌で別れた骨董商の振りをした稔成は、祐樹の姿が見えなくなると、屋敷の裏手に戻り、隠しておいた剣を持ち去ったのだった。




 堂々たる泥棒を追い払い、桜海は大きく溜息を吐いた。


「申し訳ありません。断り切れなくて…」

 近藤は、長年仕えてきた利治(としはる)の息子に強い態度を取ることができなかったようだ。


「この宝石はどこにあった物でしょうか?」

「恐らくそれは(かつ)て祖母が持っていた宝石だと思います」

 近藤は遠慮がちに言った。


 それを聞いて天は、利治がこの家屋敷だけでなく、そんな細々とした財産までそのまま維持してきたのだとわかり改めて感心した。


「この辺りの物は後で元に戻すとして、この家のどこかに(つるぎ)はありますか?」

 天は自分の隣で心配そうに立っている利治を横目で見て尋ねた。

 祐樹たちが持ち出そうとして集めた品々の中にはそれらしき物はなかった。


「剣、ですか?」

「はい」


「さあ…」

 近藤は首を傾げた。

 天も利治を見つめながら首を傾げた。


『あるはずだ。美世子(みよこ)さんから昔聞いたことがあるんだよ。家宝の剣があるってね』

 どうも利治はその剣を見たことがないようだ。


「家の中を詳しく見てみたいのですが…」

「わかりました。その前に鍵をかけておきますね」


 近藤は玄関の大きな扉の鍵を閉め、開けていた窓も閉めて天の側に戻った。


「前に一通り中を見せてもらった時は、剣なんて目につかなかったのですが、どこかに仕舞ってあるのでしょうか?」

 天は前回の記憶を辿ってみたが、剣を見た覚えが無かった。


「もしかしたら、3階かもしれませんね。前回ご覧にならなかったでしょう」

 近藤は前回案内したとき、全く興味を示さなかった天を思い出して微笑んだ。


「あ。そうか。全部は見てなかったんだ」

 天は苦笑いした。

 ほぼ関心が無かったし、それは今も同じなのだ。


「はい。ですが、私も剣などは見たことがないのです」

 長年この家で執事として仕えていた近藤が知らないというのは不思議だ。


「念のため家の中を見てみます。その前にそれ、仕舞っておきますか」

 天は近藤が宝石を手に持ったままなのを気に留めて言った。


「いえ。つい、本当に電話をしてしまったので…」

 近藤が恐縮そうに頭を下げた。


「警察ですか?!」

 確かに天が電話しろと指示をしたのだから仕方ない。


「とりあえず、(あや)様にご連絡いたしました」

 近藤はにっこり微笑んだ。


「うわ。ひょっとしてここへ来ますか?」


「はい。夜になるそうです」

「・・・わかりました」



 天は、近藤の案内でまだちゃんと見たことの無かった3階をゆっくりと調べて回ったのだが、剣は見つからなかった。


「お腹空きませんか?」


「あ~。とっくに昼を過ぎてますね…」

 天は思いのほか長時間、近藤を付き合わせてしまっていた。

「すみません。じゃあ、ちょっと僕は外で…」


「あの! よろしければ、こちらでご一緒にいかがですか?」

「え…」


「さあ、どうぞ」

 近藤はそそくさとダイニングルームへ入り、奥のキッチンへ声を掛けた。

(たかし)様も一緒に食事をなさいますから」


「はい。準備できてますよ」

 返事をした女性がキッチンから料理の載ったお皿を両手に持って、ゆっくりとした足取りでダイニングテーブルへと運んできた。

 どこか少し暗い面持ちだ。


「妻の律子(りつこ)です」

 近藤が紹介した。


「こんにちは。初めまして」

 律子はぎこちなく挨拶した。

「こんにちは。お邪魔します」

 桜海もお辞儀した。


「妻は足の具合が良くないので、祐樹(ゆうき)様が来られた時は奥に隠れさせていたんですよ」


「そうですか」

 見れば彼女の膝に小さな地縛霊のカケラが憑いていた。

 天はそっとそれを滅した。


「あら?」

 律子が小さく驚きの声を上げた。

「どうした?」

 近藤が心配そうに尋ねた。


「急に足の痛みがなくなったわ」

 彼女は明るい表情で言った。

「おお。それは良かった」

 近藤は目を丸くした。


「あ、ごめんなさい。お昼、有り合わせですけど、どうぞお召し上がりください」

 律子はニコニコ笑顔だ。

 料理を運んできたときとは、雲泥の差だ。


 3人で食事を始めようとしたとき、天の携帯に電話がかかってきた。

聖也(まさや)…。ちょっと、失礼。もしもし?」

〈テン、大丈夫?〉

 二人には先に食べるようにジェスチャーで促した。


「うん」

〈何があったの?〉


「祐樹兄さんが、勝手に調度品を売り払おうとしてたんだ」

〈ユウキさんって、あの時の人だよね?〉


「うん」

〈で、いつ帰って来る?〉


「今夜、姉ちゃんが来るんだ」

〈それじゃ、明日?〉


「わからない。今、俺、剣を探してて…」

〈剣?〉


「うん。赤星家に伝わる家宝の剣みたいなんだ」

〈赤星家?!〉


「あ…」

〈どういうこと?〉


「とにかく、今日は帰れないから」

 天は慌てて電話を切った。

 そして俯いて両手を合わせた。

「すみません。いただきます」


 近藤夫婦は一瞬顔を見合わせたが、敢えて何も言わずに食事を続けた。



「今日、お見えになるの、速かったですね」

 ふと近藤が不思議そうに言った。


「え?」

「私がご連絡してから1時間くらいでしたから」


 東京から静岡まで、新幹線でも1時間では来られない。

 まして、駅からの交通の時間などを考えても、1時間では不可能なのだ。


「ああ。たまたま県内に居たんですよ」

 天は笑って誤魔化した。


『飛んで来たのを見たぞ?』

 天の横で利治(としはる)がクスクス笑った。


「おかげで助かりました。桜海家の方を泥棒呼ばわりするわけにもいきませんし、そうかと言ってここの物は全て天様の物ですし、本当に困りましたから」

 近藤はそう言ってお茶を飲み干した。


「申し訳ありませんね。私たち夫婦だけでは、行き届かなくて」

 律子が言った。

「私たちも老いる一方ですし、ここの管理の行く末はどうされますか? 子供たちは独立しておりますので、引き継ぐのも無理ですし…」

 近藤は自分たちがこの家を管理できなくなった時のことを心配しているようだ。


「とりあえず、警備会社に依頼しましょう。今回は兄さんだったから良かったものの、本物の泥棒や強盗には僕もここに住んでいないだけに、太刀打ちできませんから」


「そうですか。私たちも安心です」


「私たちはこのまま住んでいてもよろしいのでしょうか?」

 律子は心配そうに尋ねた。


 警備会社が管理すれば自分たちは用済みなのでは? と思ったのかもしれない。


「もちろんです。僕が近藤さんにお願いしたことですし、今後もよろしくお願いします」


 天が頭を下げると、

「ありがとうございます!!」

と、近藤夫婦は立ち上がってお辞儀をした。


 午後は早速警備会社に連絡を取り、セキュリティシステムの導入について相談し、契約を結んだ。


「これで安心ですね」

「ありがとうございます」

 近藤夫妻は警備担当者の力強い言葉もあり、ひたすら喜んでいた。


 しかし、天は複雑な心境だった。

 剣が見つからないからだ。


 夕食を3人で済ませてから、天はもう一度1人で剣を探して家の中をウロウロしていた。


「どこにあるんですか」

 天は小さな声で囁いた。


『私はこの家の物全てをそのまま維持していたんだよ? だからあまり深く考えたことはなかったんだ。美世子さんの実家の財産丸ごと私が買って守ってきたのだからね』

 利治は大雑把に丸抱えし守ってきたのだという。


「それにしても、お父さんはどうしてまだここに居るんでしょうね?」

『私が聞きたいよ』

 利治も苦笑いだ。


「まあ、じいちゃんもまだ居るから、驚かないけどね」

『じいちゃんとは、一多叔父の事だね?』


「おじさん?!」

 天は目を丸くした。


『おや? 知らなかったかい? これもまあ複雑な話だが、私の父の腹違いの弟にあたるんだよ』


 利治の話を聞いて天は絶句した。

 利治と一緒に暮らして来なかった天は、一多(いちた)利治(としはる)を同時に見比べることが無かった。

 一多の霊能力の方に関心が高かったし、能力者とそうでない者との違いは大きいのだろう、くらいにしか天は思わなかったのだ。


『何だかすまないね』

「もう、あまり驚かなくなりました」

 天は背中の汗を笑って誤魔化した。


『もうキミを驚かせるネタは売り切れだよ』

 利治が笑いながら言った。



 黒野稔成(くろのとしなり)黒霧神社(くろぎりじんじゃ)に持ち帰った剣は、憑依(ひょうい)したミコトが間接的に触れただけでも、彼女自身の手を火傷させるほどの魔力を秘めていた。


 剣は王女の愛の魔力に満ち、神々しいまでの輝きを放っていた。


 暗く澱んだミコトの魂にとって、その光はあまりにも眩し過ぎた。


「何なの!? この(けん)


 剣を手に取ることなど到底できず、稔成に命令して庭に放り投げさせたくらいだ。


 ミコトはその光を遮ろうとして、地縛霊を剣に投げつけた。

「消えた?」

 ミコトはこれでもかというくらい地縛霊を投げつけたのだが、次々と浄化され地縛霊が消えていった。


「これならどう!」

 ミコトは術で強化した地縛霊の塊を投げつけた。

 すると、剣に残っている小さな憎しみが見えた。


 ミコトはそれを増幅させながら地縛霊を取り憑かせていき、ようやく剣の光を抑えた。

 そして剣に邪悪や汚れた念を()み込ませる術を掛け続けたのだった。


 魔力の強い剣を悪の呪い(まみ)れにしたミコトは桜海をおびき寄せる作戦を立ててうっとりした。

 魔力を手に入れる下準備が整った。

 黒霧神社にミコトの高笑いが響き渡った。


 夜になり旧赤星邸の広い玄関ホールに厳かなチャイムの音が響いた。


「こんばんは。お待ちしておりました」

 出迎えた近藤が(あや)にお辞儀した。


「姉ちゃん、お疲れ様」

 天が小さく苦笑いした。


「こんばんは。遅くなりました」

 挨拶をした後、礼が後ろを振り返った。


 扉の向こうに遠慮がちに赤星が立っていた。


聖也(まさや)?!」

 不満そうな顔をした赤星(あかぼし)からの視線が天には痛かった。


「すみません。僕が礼さんに無理を言って連れてきてもらいました」

 赤星は天が怒るんじゃないかと首を竦めつつ言った。


「初めまして。(たかし)様のお屋敷を管理しております近藤と申します」

 近藤は赤星に自己紹介した。


「初めまして。赤星と申します」


「赤星?!」

『赤星? では、この人が天の兄…?』

 利治には女性に見えてしまい戸惑ったようだ。


 桜海が頷き苦笑した。


「赤星、マサヤくん? もしや姉さんの…?」

 近藤は驚きを隠せなかった。


「聖也、近藤さんは信子(のぶこ)さんの弟さんなんだ」

 天が説明した。


「叔父さん、なんですね。知らなくてすみません」

 赤星は近藤に謝った。


「仕方がないことです。姉とは長い間音信不通でしたから…」

 近藤の方が申し訳なさそうな顔をした。

 信子は聖也が生まれた時から心の病にかかってしまったので、恐らく近藤が甥の聖也の顔を見るのも初めてなのだろう。


「ところで、祐樹(ゆうき)兄さんは大人しく帰ったのかしら?」

 礼は赤星が近藤の縁者であることに少し驚きながら、本題に入った。


「あちらにまとめられている、壷と衝立、アンティークランプ、油絵、そしてこれを持ち出そうとされまして…」

 近藤は玄関ホールの中央辺りに置いてある品々を手の平で示した後で、宝石の入れられた袋を礼に渡した。


「あ~。これね」

「姉ちゃん、知ってるの?」


「イミテーション」

「へ?」


「本物は銀行の貸金庫にあるはずよ」

「え…」


「貸金庫に入れてあるのは宝石だけ?!」

「ここの権利書も一緒だと思うわよ」


 更に礼は呆れ顔で、

「目録をちゃんと見てないでしょ!」

と、天の頭を(はた)いた。


「てっ。そうじゃなくて、(つるぎ)は?」

 天は拗ねた声で尋ねた。


「剣? 剣って、あれじゃない??」


 礼が指さしたのは玄関ホールから2階に向けて延びる階段を上り切った所の壁に飾られた大きな絵画だった。


 天、赤星、近藤、そして利治(としはる)も一斉に指摘された絵を見上げた。


「姉ちゃん、あれは絵だし」

 天は呆れたが、赤星は絵を見つめて言った。


「テン、封印して」

聖也(まさや)?」


「早く!」

 赤星が叫んだ。


(たかし)、剣を使ってはいけない。愛と憎しみが表裏一体となっているから。美世子さんからの言葉を確かに伝えたぞ』


「お父さん!!」

 天には、利治(としはる)がここに残っていた理由がわかると同時に、役目を終えこの世を去ったことがわかった。


「お父さん?」

と、赤星が聞き、

「お父さま?」

と、(あや)が確認した。

 その様子から、

「旦那様?!」

と、近藤が驚いた。




(つるぎ)を使うなって…」

 桜海が皆に注目を浴びる中で呟いた。


「絵の中の剣を使うなって言われてもねぇ」

 礼は絵を見上げて言った。


「でも、封印して」

 もう一度赤星が言った。


「わかった。あの絵ごと結界張っておくから」

 桜海は絵を見つめたまま震える赤星のために結界を張った。



「あの、皆様、広間の方へどうぞ」

 近藤の妻、律子が玄関ホールで話している一同に声を掛けた。


「申し訳ありません。どうぞ」

 近藤も促した。


 広間に入ると、礼、赤星、桜海の順にそれぞれ一人掛けのソファに腰を下ろした。

 テーブルを挟んで向かい側の長いソファに近藤が座った。


 律子は全員の紅茶を用意しテーブルに出すと夫の隣に座った。


「夜分になりまして、すみません。今回は兄がご迷惑をおかけしました」

 礼が主に近藤に向かって詫びた。


「いえ。こちらこそ、(あや)様にお手数をおかけして申し訳ありません」

 近藤夫妻が頭を下げた。


「それで、窃盗未遂事件として、訴えますか?」

 礼の言葉を受けて近藤は桜海の顔を見た。


「別に盗られたわけじゃないしなぁ」

 桜海はどうすべきかわからなかった。


「どうしてお兄さんは勝手に持って行こうとしたのかな?」

 赤星は首を傾げた。


「遺言状の公開の時にちゃんと聞いてなかったんでしょう」

 礼は呆れ顔で言った。

 遺贈された桜海本人が関心を全く持っていないこともついでに指摘した。


「悪かったね」

 桜海が不貞腐れた。


「いや、そうじゃなくて、何か余程のことでもあったんですかね」

 赤星は心配そうに言った。


「何か困ったことがあったら、まずは一樹(かずき)兄さんかうちに相談すべきだと思うんだけど、何もないのよね」

 礼は祐樹からは特に何も聞いていないのだ。


「姉ちゃんには相談しないかもな」

 桜海が苦笑いした。


「わかりました。明日任意で事情聴取します」

 礼が笑った。


「そうしてくれると助かる。ここにセキュリティシステムを導入することにしたんだけど、なるべくそういう事無いに越したことないし、身内同士でトラブルになるのも避けたいからさ」

 桜海は礼に頭を下げた。


「了解しました。では、私は帰りますが、あなたたちは?」

 礼は桜海と赤星の顔を交互に見た。


「乗っけて帰って」

 桜海が言った。

「「もう大丈夫?」」

 礼が赤星に、赤星が桜海に同じセリフで尋ねた。


「近藤さん。申し訳ないのですが、僕ら以外の人は中へ入れないでください。業者など必要な立入には僕が立ち会いますので、知らせてください」


「かしこまりました」

「あなた、明日は確か、警備会社の…」

 律子が言いかけたが、

「そうでした。(たかし)様には残って頂かなくては」

と近藤が続けた。


「あ~、そうだった。仕方ない」

 桜海がソファで仰け反った。


「じゃあ、俺も」

「え?」


「俺も泊まる」

 赤星が強い口調で言った。


「わかりました。では、皆様、おやすみなさい」

 礼はさっさと立ち上がって玄関へと向かった。

 近藤夫妻は慌てて見送りについて行った。


 広間に残った赤星の申し出を断れない雰囲気に、桜海は肩を落とした。


『まあ、何か後ろめたいことでもあるのかしらね?』

 タマコが挑発するように言ったが、桜海は溜息を吐いてそっぽを向いた。


 どう話せばいいのか困っていると、広間に近藤夫妻が戻ってきたが、律子は片付けと客室の準備のため席を外した。


「近藤さん。すみませんが、この屋敷がどういう経緯で桜海家の財産になっているか、聖也(まさや)に話して頂けませんか?」

 桜海は近藤に助けを求めた。


「はあ」

 近藤は聖也の顔を見つめた。


「すみません。突然押し掛けて」

 赤星が恐縮した。


「ええと、それじゃまず、姉さん、いや、聖也くんのお母さんは元気かい?」

 近藤は遠慮がちに尋ねた。


「はい。長年(わずら)っていたのですが、奇跡的に回復しまして、今は父と一緒にアメリカに住んでいます」

 赤星が答えると、近藤だけでなく桜海も、

「へ~」

と驚いた。


「僕は色々あって、今、桜海神社で働いています」


「そうですか。…ここは昔、私の母方の実家だったんです」

「じゃあ、僕からだとお祖母さんのご実家ですか…?」


「そう。母がまだ若い頃に母の父親が事業に失敗してね。財産は全て銀行に差し押さえられてしまったらしい」

「そうですか…」


「その時、遠縁だった良一さんの家の人は助けてくれなかったらしいんだ」

「え!? そうなんですか?」


 近藤は頷いた。

「私の母は一家離散寸前に近藤家に嫁入りし、姉と私が生まれましたので、母の実家の話は随分後になって聞いたことですけどね」


 桜海は利治(としはる)から聞いていた話とほぼ一致すると思いながら聞いた。


「後に、これも縁というか、姉は良一さんと出会った。母は反対しました。でも姉は良一さんと駆け落ちしてしまったのです」

「駆け落ち…」


「それで、姉とは疎遠になっています」


 それでも、美世子さんは信子さんが頼って来たとき、力になってくれたんだと思い、桜海は秘かに感謝した。


「私は縁あって桜海家の使用人になったのですが、利治様はこの家を大切にしてくださって、ご家族で長年お住いになり、お子様方が巣立った後も別荘として維持してくださったんです」

「トシハルさん?」


「俺の父親」

 桜海が補足した。


「私は桜海家の執事として、また利治様の運転手として仕えてきました。母の話によると、利治様は母にここを譲るとおっしゃったそうなのですが、母は断ったそうです」


「どうしてですか?」

 思わず桜海が尋ねた。


「もう母は赤星家の人間ではないからと言っていました」

 近藤は苦笑いして続ける。

「実際には経済的に維持することが私の父にはできなかったのだと思います」

 近藤はこの屋敷の維持管理に必要な費用や労力をわかり過ぎるくらいわかっていた。


「ここを差し押さえた銀行というのが父さんの勤めていた銀行だったんだ。でも、昔、美世子さんのことを好きだった父さんはこの家屋敷を個人的に買い取って維持してきたらしいんだ」


「そうだったんですか?!」

 桜海の説明を聞いて近藤は驚いた。


「それで、俺ならここをそのまま維持するだろうと父が考えて遺贈したというわけさ」


「本当に有難いことです」

 近藤は自分がいかに感謝しているかを二人に伝えた。


 おおよそ話が終わったところへ、律子がやって来た。

「お泊りいただくお部屋のご準備が整いました。どうぞお2階へ」


「ありがとうございます」

 桜海が律子にお礼を言い、

「ありがとうございました」

と赤星が近藤に挨拶した。


 律子の案内で2人は2階に上がって行った。


「こちらを(たかし)様、お隣のお部屋を赤星様がご利用ください。では、おやすみなさいませ」

「「おやすみなさい」」


 翌日、早朝。

 桜海がふと目を覚ますと隣の部屋の音が聞こえた。

 どこかの扉を開けたようだ。


 桜海は自分も起き上がり、バルコニーに出る扉を開けた。

 すると、バルコニーは赤星の部屋と共通になっており、外の景色を眺める赤星を見つけた。


「おはよう。眠れないのか?」


「何言ってんの。俺、いつもこの時間には起きてるよ?」

「ああ。そうか」


「テンこそ、早起きだね」

「何となく落ち着かなくてさ」


「そう」

「うん」


「それにしても不思議だね」

「うん…?」


「だから、昔は赤星邸だったんでしょ?」

「うん。ごめん。今は俺が受け継いでる」


「別にそうじゃなくて、同じ苗字で驚いただけ」

「俺、知らないことが多いな…」

 桜海が呟いた。


「使っちゃいけない(つるぎ)も知らぬ間に相続してるわけだ」

 赤星は肩を竦めた。


「うん。でも、あれは絵だしなぁ…」


「普通に使えないよね」

「うん」


「でも、本当は知ってるんだろ? 剣の事」

 桜海は半ば確信したように言った。


「え…?」


「封印しろって言ったのは、どういうものか知ってるからだ。そうだろ?!」

 きっと自分よりも詳しく鮮明に覚えているに違いないと桜海は思って尋ねたが、赤星は何も言わない。


「もしかして…。前世にまつわる剣なのか?」


 なかなか答えられない赤星の目を見て、逆に桜海は確信した。

「山科先生の剣が、戦った姫の剣なら、もう一つは俺を刺した剣だ。そうだろ?」


「そうだよ! だから…」

 赤星が辛そうに言った。


「使われるとまた俺が命を落とすということか…」

「絶対ダメ!!」

 赤星は思わず叫んだ。


「大丈夫。結界張ったし、警備も強化する」

「俺、ヤダよ? テンとずっと一緒に現世を生きていたいんだ」


聖也(まさや)…」




 午前中、警備会社の警報システム導入の作業が行われた。

 広い屋敷なので3人の作業員が急いで装置を取り付けていった。

 3時間ほどで取り付けが完了したようだ。


「全ての出入り口と窓に装置を取り付けました。システムによる警戒中に外部からの侵入を感知し警報が鳴ります。同時に我社と警察に通報され、我々と警察官が駆け付けます。モニターや監視カメラも設置しておりますので侵入者を自動撮影します」

 責任者が説明した。


「そうですか」

 桜海はパンフレットで確認した。


「ですので、無理に侵入者と争う必要はありません」

 警備担当者もにこやかに言った。


「それは安心です」

 近藤も胸をなでおろした。


「私たちが出入りする時は…?」

 律子が尋ねた。


「ロックの一部解除が可能でして、例えば玄関のみ解除し外へ出てロックすることができます」


「「なるほど」」


「ロック専用キーは5つございます」


「では、1つは御社で」

 何かあった時に駆け付けて中に入れないのではいけないのだろうと近藤は思ったようだ。


「いえ。我社は警備のみお引き受けしますので、家の中で具合が悪くなった場合などは対応しません。あくまで盗難対策です」

 担当者が説明した。


「そうですか」

 近藤と桜海は互いの顔を見て頷いた。


「はい。しかし専用キーをどなたに預けているか、その方のご連絡先などはお伺いしておくことになります」


「わかりました」


「では一つは桜海さま。残りはどなたに預けられるか決めてこちらにご記入ください」

「はい」


 桜海は、近藤夫妻、礼と聖也の4人を選んだ。

 警備会社との諸手続きが終わり、システムの使い方の説明を受けた。

 システムの正常作動を確認後警備会社の面々は帰って行った。


「これで安心だね」

 赤星がホッとした表情で言った。


「そうかな」

 桜海は剣の謎が気になっていた。


「この警戒を破ってまで侵入したりはしないよ、いくらお兄さんでも」

「そうだな」


 4人で昼食を終えた後、桜海と赤星は帰ることにした。


「ありがとうございました」

 近藤夫妻が頭を下げた。


「こちらこそ。これからもよろしくお願いします」

 桜海は恐縮しお辞儀をした。

「お願いします」

 赤星も頭を下げた。




「今からだと急げば新幹線に間に合うんだけど」

 赤星が腕時計を見ながら言った。


「新幹線?」

 桜海が疑問に思ったのを受けて、

「え? 他にどうやって帰るの? バス?」

と、赤星が確認した。


「飛ぶ」

「飛行機? ないでしょ」

 赤星は呆れた。


「いや、だから…」


 苦笑いする桜海が言わんとすることを赤星は察知し溜息を吐いた。


「俺は飛べないし」

「一緒に…」


「うそっ」

「前にも飛んだだろう?」


「あれは舞い降りたと言うべきじゃ…」

「だからこっち」


 桜海は大通りから路地に入った途端、赤星の手を取り、姿消しをした。


「俺はどうすればいい?」

「俺から離れないこと」


「この前みたいにふんわり…」

「それは時間かかり過ぎるから! もっと速く飛ぶ」


「何かで結んどく?」

 赤星が不安そうに言った。


「そうする」

 桜海は赤星と肩を並べるようにして横に立つと二人のウエスト辺りを(しるし)の透明な紐でグルグル巻いて、先端を赤星にくっつけた。


 何も見えないが身体をしっかり固定された感じがして赤星は安堵した。

 桜海は二人を中心に結界を張った。

 桜海の結界は球形なのだ。


「一気に飛ぶから」

「うん…」


「重っ」

「ごめん」

「一緒にジャンプしてくれない?」

「わかった」


 二人は息を合わせて跳び上がった。


「1,2、3」

 桜海の掛け声に合わせて赤星も空中で跳躍した。


 赤星は不思議な気分だった。

 思わず赤星は肩を組む桜海の横顔をチラッと横目で見たがこの体験を表せる言葉は浮かばなかった。


 風を切るのは結界なので、空中を進んでも自分たちは中でストップモーションだ。

 地上に降りるときだけ、結界を薄くするようで、少し風を感じたくらいだった。


 二人はあっという間に桜海神社に帰って来た。


「凄い!」

 赤星が感心した。

「ふふふ…」

 桜海が不敵な笑みを浮かべた。


「交通費が浮いた!!」

「そこ?!」


 タマコが赤星の肩で笑い転げた。

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