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旅立ちの汽車は行く

 人の一生においては本人が望むと望まざるとに関わらず、それまでの人生にピリオドを打たねばならぬ瞬間が何度かあるらしい。そして俺は今、まさにその時を迎えようとしている。卒業。人生の半分を費やして通い続けてきた小学校に背を向け、新たな人生の旅立ちを自分自身で歩むべき時が齢12にしてついに訪れたのだ。


 思えば人生の半分と言ってもそのひとつひとつを取り上げて回想していくと、まるで入学式の時に「新入生入場」として体育館から緑の絨毯をやけに高そうな服と革靴で歩いた事なんかはついこの間の出来事であるかのように思い出せる。そういえばあの服や靴は今どこにあるのだろうか。あれ以来使った記憶がないのだが。いや、一度確か結婚式に出て、その時も高そうな服を着せられたのを思い出したから、それを合わせて二回は使ったのかも知れない。


 二年生の事なんて本当にあっという間に終わったという記憶しかない。一体俺はあの頃何をしていたのだろうか。これが三年生になるとはじめが入学してきたとか、りょーくんがうんていから落ちて足を骨折したとか色々記憶も出てくるのだが。松葉杖はヴェスバーみたいで格好よく、俺も一度は骨折したいと思ったが幸いにも、これは確実に幸いにも今まで怪我らしい怪我も病気らしい病気にもかかったことはない。


 四年生の時は、まあ辛い事もあったけど俺は兄だからもっと頑張ろうと決めた。この頃はクラスの男子の間では釣りが流行って、俺とりょーくんとじゅんくんとまさくんは自転車に乗って学区から外れる西の港にまでも足を伸ばして竿を投げていた。


 例えばゆうちゃんなんかは隣の小学校のグラウンドで毎週水曜日に練習をしているサッカー部に入っているが、俺なんかは今に至るまでそういうのに入ったこともない。だから知識は別にして体感的にサッカーに詳しいとか野球に詳しいとかそういうのはないが、釣りに関してはその辺と比べるとまだ一家言持っているつもりだ。


 そりゃあ自分で言うのも何だが、俺は野球やサッカーの知識は同級生と比較しても持っていると断言できる。ただそれは紙面の画面だけの知識だ。実際の競技者からすると「で?」といったもんで、OBの業績だの球団名の変遷だのを立て板に水で語れたところで偉いかも知れないが大して凄くはない。実際にプレーする人が一番凄くて格好いいんだ。


 さて、釣りに関してだが、まあいっぱい釣り上げるためのノウハウなんてものはなく、どういう振り方が一番格好いいかとかそういう話は四年生の頃に色々と蓄積した。それで言うと、個人的に一番いいのは左手で横から振るやり方だが、これで釣れた試しは一度もない。まあ釣れたとしてもフグとかボラがせいぜいだし、俺たちにとっての釣りとは結果より過程なのだ。


 五年生になるとみんなの釣り熱もいい加減醒めて、今度はケイドロが流行った。関係ないけどドロケイはないでしょ。さて、ケイドロのフィールドは町中で、大体東は校庭、南は海、西は檻に入れられた大きくて白い犬がいる道、北はゲームなんかも置いてある駄菓子屋の西山商店がある道という風に区切られているのがいつものパターンで、この中を縦横無尽に駆け巡った。


 そういえば一回、ケイドロで逃げていたじゅんくんの足がある家の壁に立てかけてあった錆びた碇に刺さって傷を負った事があったな。すぐさま職員室に駆け込んで先生に事情を説明したが動揺していたりょーくんが「足には刺さったけどパンツは破れてなかった」などとどうでもいい情報を口走っていたな。あの碇は俺も見かけていて、「あれに刺さったら痛そうだな」とか横目に見つつ思って走り去ったのだが、まあ特に後遺症もなかったのでそれは良かった。


 それと、五年生の冬だったと記憶しているが、近くにある小高い丘にある枯れたススキを積んできて、りょーくんが持ってきたライターで燃やすというアンダーグラウンドな遊び、いわゆる火遊びも一回やったがこれはいまいちメジャーになりきらずに終わった。何か物騒だし、それなら家でゲームしてたほうがよっぽどましだ。


 そして六年生。俺たちが最上級生になったのだからグラウンドは使い放題。だからみんなでサッカーとかしまくろうと考えていたのだが、はじめがあっちに行ってしまったのでそっちの心配とかをしつつ毎日サッカーしたりグラウンドに落とし穴を掘ろうと頑張ったり、いっぱい遊べた。思い返して一番楽しかったのはやっぱり六年生だと思っている。


 それに修学旅行もあったし。関西に行った。東大寺では例の穴を俺などはやすやすと潜り抜けたのだが、まさくんはデブキャラの本領発揮で途中でつっかえたのはおいしい役回りだった。法隆寺がある地名の斑鳩という単語も「絶対読めねえだろ」という形でしっかり記憶されている。それとなんかしょぼい石の塔を見るだけ見て何もせずに移動したのも変な意味で印象に残っている。耳塚だっけ。あれは何だったのか。


 話は前後するが小学校における二大イベントが六年生の修学旅行と五年生の林間学校である事は論をまたないのだが、林間学校に関しては飯盒炊爨(ってこんなけったいな漢字だったのか知らなかった)が失敗してやけに硬いご飯だったとか、ベッドで女の子の中で誰が好きという話をまずしないと秘密の会話に加われないから適当に「一番はあやちゃん、二番はちかちゃん、三番目はのんちゃん」とその場で作り出した事とか小さな話ばかり覚えている。


 運動会や文化祭でも俺はその時その時を全力でプレーしたが、足の速さに関してはクラスでも中ほどなのであまり目立つという事はなかった。一番俊足のじゅんくんは走る時素足になっていたが、俺が試しても足の裏が痛くて走るどころではなかった。あれは俺には向いてないやり方だったな。


 その代わり俺は柔らかい肉体を持っていた。身長の割に体重も軽いし、五年生から組み込まれる組体操でも基本的に軽業をするほうだった。りょーくんなんかは砂が柔肌に食い込む土台役ばかりで痛そうだった。この時ばかりは俺がスリムで良かったと心底思ったものだ。


 文化祭では奇数の学年は楽器演奏、偶数の学年では劇というのがパターンだった。どちらかと言うと劇が本番、演奏は楽という色分けがあった。演奏は五年生の時はハンドベルをやった。赤とか緑とか音によって色分けされているのだが、中には金色とかあって、しかも奏でる音が渋いの何の。そして俺はその金色のパートを受け持ったのだが、これの出番はあんまりなかった。


 劇は、先生がどこからか入手した脚本が渡されて「この役をやりたい人?」「はーい!」と決まるのだが、俺はしっかりとその脚本を読み込んだ上で基本的に台詞が少ない役を狙って手を上げていた。しかし演技に関しては一切手を抜かない。迫真の台詞回し、大袈裟な身振り手振り。中にはやる気を見せない子もいたが、そういうのは逆に格好悪いから。しかしそれゆえに「ここの台詞は矢野浦君に読んでもらおうか」みたいな割り振りがよくなされて結局台詞は多くなったりした。


 その時その時に辛い事もあった。「なんでこうなるんだ」と泣いた事もあったし、しかられた事もあった。でも今となってはそれはすべて思い出の彼方に過ぎ去ろうとしている。俺たちは制服を身にまとって、六年前と同じように体育館の後ろから緑色の絨毯を歩いて入場した。


 舞台の前に並べられた椅子に予定通り座ると、早速卒業証書が授与された。俺の出席番号は7番なので、それまでは同級生たちが名前を呼ばれ、元気よく返事をするのをただ聞いていた。


「矢野浦渡君」

「はい!」


 そういえば、俺は今声が変わろうとしている。今までみたいな高音も出そうと思えば出せない事もないが時々苦しくなって綺麗な高音を出せなくなったりする。そんな時は最近覚えた低音の発声をするのだが、正直言ってあんまりこの声は好きじゃない。でもこいつと俺はこれからずっと付き合っていかなきゃならないんだ。それもまた大人になるという事なんだろうから。だからこの返事も思いっきり低音で答えた。我ながらうまく声を出せたと思う。


 で、市長さんの言葉とか電報を読んだりとかのあんまり重要でない場面を挟みつつ在校生による卒業生を送る長ったらしい台詞が終わった後で、ある意味本番と言える俺たち卒業生による会話劇がスタートした。


「桜のつぼみがふくらみを増し」


 のんちゃんによるこんな出だしから始まる別れの言葉は、一年生の頃から今に至るまでを時々輪唱っぽく語るというよく分からない形式だ。何でいちいち演劇みたいな言い回しをするんだろうか。まあこれが終わると歌を歌って退場。卒業証書の時は低音を使ったけどこの歌では高音へのレクイエムとして思いっきり使って歌ってやったぜ「BELIEVE」。


 もうこの校舎に近づく事さえ稀になるだろうから今のうちに目に焼き付けておいた。窓からは海が見えて、多くの漁船や時々通る巨大なタンカーにロマンを馳せた日々よさらば。後数日もすれば俺も東京に向かう。はじめは今年一年ひとりで頑張ってきたし、俺が何かできるわけでもないがちょっとした話し相手にでもなれればいいってぐらいは考えている。


 その辺の事情はみんなも分かっているので、まあ特に泣くような同級生はいなかったが「時々は還って来るん?」とか「芸能人からサインもらってこい」とかぐらいは言われた。まあ人生はこれからが本番で今はまだまだ通過点な訳だし、涙よりも笑顔で見送ってもらったほうが俺にとってもみんなにとってもありがたいものだ。


「準備は出来た?」

「うん。もう全部荷物はまとめたし、もういつでも行ける」

「時々は帰ってきんさいよ」

「うん。出来る限りはね」


 そして3月の終わり、俺を今まで育ててくれた家を出て東に向かうまさにその日が訪れた。おじいちゃんやおばあちゃんとひとまずの別れを済ませたが、これが最後じゃないから割かしあっさりしたものだった。そしてここからは自分だけで目的地へ向かう。子供料金で電車に乗るのも今日が最後になるだろう。


 まずは荷物を引きずりつつ歩いて駅まで向かう。家から出てすぐのT字路を右に曲がり国道沿いに進むと、左手にはみんなで遊んだ小高い丘が見えてくる。この道を俺は何度歩いて、あるいは自転車で進んできただろうか。とても数え切れない思い出たちを置いて、俺は明日へと進んでいく。


 駅で10分ほど待つと三原行きの電車が来るので、これに乗り込む。車窓から見える春の海はこれ以上ないほどきらきらと輝いて「忘れるな」と叫んでいるようだった。工場や船渠を越えて三原駅にたどり着き、20分ほど待つと新幹線が着く。これで岡山まで進み、岡山からはのぞみに乗り換えて、後は目的地まで一直線だ。


「おう坊主! ここ空いとるけえ座りんさい」

「いいんですか? じゃあ、失礼します」


 席は埋まっていたので通路の間に立っていたが、優しいおじさんが気を利かせてくださり、無事に座ることが出来た。強がるならばもう少し我慢できない事もなかったのだが人の好意は素直に受け取ったほうがいいので言葉に甘えて、子供のように振舞った。


「一人なん?」

「はい。この春から東京へ行くので。もう中学生になるから一人で行きたいって、自分で決めた事ですから」

「ほええ、偉いのお」


 それからもおじさんは「のど渇いたじゃろ?」とお茶を飲ませてくれたり、本当に良くしてもらった。新幹線の暖房の心地良さに気付いたら俺はうとうととして、いつの間にか大阪とか京都を越えていた。おじさんは名古屋で降りたので、俺は窓際へ移った。隣には眼鏡をかけた茶髪の、多分大学生の女の人が座った。ヘッドホンから聞いた事のない音楽が時々漏れていた。


 東へ向かっていくうちにトンネルが少なくなった。そして富士山は見えなかったが今はそれはどうでもいいか。席は新神戸で降りた人のところにうまく潜りこめたので窓際ではなかったわけだし。そして東京はひたすら人工的な建造物が続いていたのは驚いたが、ここで次の暮らしをするのだからと胸をそるほどに張って、足音をかき鳴らすようにして大股で歩いた。


 人の流れは怒涛となり、コンクリートとアスファルトで作られた海へと続いていく。こんな世界には容易く馴染めそうにないが、それでも俺はここで生きていくのだ。たった一人の弟とともに。灰色の顔と無機質な音に紛れて久々に聞いた声が耳に届いた気がした。その声に導かれるように俺は後ろを振り向くと、予想通りの顔が笑っていた。

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