第5話「俺の夏の三種の神器」
いつの間にか、ずいぶん暑くなった。
朝。
家を出た瞬間から分かる。
「……暑っ」
まだ夏本番じゃない。
梅雨だって終わっていない。
それなのに。
じわっと汗が出る。
車へ乗り込む。
エンジン。
エアコン。
「もう夏だな……」
いや。
まだ早いか。
でも。
確実に近づいている。
夏が。
◇ ◇ ◇
金曜日。
仕事を終える。
いつものサウナ。
身体を洗う。
湯船。
そしてサウナ室へ。
――ムワッ。
「…………」
外も暑い。
なのに俺は、さらに暑い場所へ入る。
毎年この時期になると思う。
俺は何をやっているんだろう。
でも。
やめる気はない。
汗をかく。
水風呂。
外気浴。
またサウナ。
水風呂。
外気浴。
そして3セット目。
水風呂を出る。
外気浴の椅子へ。
「…………はぁ」
気持ちいい。
冬の外気浴も好きだ。
だが。
暑くなり始めた時期の外気浴も悪くない。
身体に残った水分を、少し湿った風が撫でていく。
目を閉じる。
仕事のことが消えていく。
一週間が終わる。
ゆっくり目を開ける。
「……整った」
立ち上がる。
さぁ――。
「俺の時間だ」
◇ ◇ ◇
いつもなら。
ここから考える。
今日は何を食う?
肉?
魚?
辛いもの?
さっぱり?
サウナ上がりの身体と相談して、今夜の正解を探す。
だが。
今日は違う。
もう決まっている。
暑くなり始めるこの時期。
毎年、必ず食べたくなるものがある。
いや。
一つじゃない。
三つだ。
唐揚げ。
冷奴。
そして――枝豆。
「俺の夏の三種の神器だ」
異論は認める。
というか。
誰とも議論するつもりはない。
俺が好きなんだから、それでいい。
問題は唐揚げ。
俺は料理が嫌いじゃない。
むしろ好きだ。
だが。
一人暮らしの家で揚げ物。
油。
後片付け。
匂い。
「……無理だな」
ここだけは無理をしない。
美味いものを食べるために、全部自分で作る必要なんてない。
プロに任せるところは任せればいい。
そして唐揚げには、もう一つ重要なものがある。
温度だ。
揚げたて。
熱々。
これがいい。
サウナからの帰り道。
俺はサウナの近くの唐揚げ専門店へ寄った。
唐揚げを買う。
受け取った袋から、すでにいい匂いがしている。
「これは危ないな……」
帰りの車で一個食べたい。
猛烈に食べたい。
でも。
「我慢だ」
こいつには、家で待っている仲間がいる。
そして。
冷えたビールも。
◇ ◇ ◇
帰宅。
まず冷凍庫。
枝豆を出す。
これは冷凍。
十分だ。
最近の冷凍枝豆は普通に美味い。
無理して生の枝豆を茹でる必要はない。
解凍している間に――冷奴。
豆腐を皿へ。
ここからが大事だ。
みょうが。
刻む。
大葉。
細く切る。
ネギ。
そして――おろし生姜。
豆腐の上へ。
みょうが。
大葉。
ネギ。
生姜。
「…………」
豆腐が見えない。
「これくらいでいい」
いや。
これくらいがいい。
最後に醤油。
冷奴。
完成。
枝豆。
完成。
そして――。
「主役」
買ってきた唐揚げ。
袋を開ける。
「…………っ」
香り。
まだ温かい。
いや。
十分熱い。
間に合った。
皿へ盛る。
唐揚げ。
冷奴。
枝豆。
並べる。
「…………」
完璧だ。
派手じゃない。
高級でもない。
だが。
俺にとっては――。
「夏だな」
まだ夏本番じゃないけど。
◇ ◇ ◇
冷蔵庫を開ける。
ビール。
冷凍庫からグラス。
キンキン。
これだ。
――プシュッ。
トクトクトク……。
泡。
黄金色。
もう待てない。
ゴクッ。
ゴクッ。
ゴクッ。
「っはぁぁぁぁ……!」
サウナ上がり。
暑くなり始めた夜。
そして冷えたビール。
「反則だろ……」
さて。
どれから行く?
枝豆?
冷奴?
いや。
決まっている。
唐揚げだ。
一個。
手で持つ。
まだ熱い。
「いただきます」
ガブッ。
――カリッ。
「…………っ!」
衣。
肉汁。
塩気。
油。
まだ温かい。
間に合った。
そこへ――。
ビール。
ゴクッ!
「っっっはぁ!」
これ。
これだよ。
唐揚げ。
ビール。
誰が最初にこの組み合わせを考えたんだ。
「表彰したいな」
二個目へ行きたい。
だが。
待て。
今日は三種の神器だ。
次は冷奴。
箸を入れる。
豆腐。
みょうが。
大葉。
ネギ。
生姜。
全部まとめて。
パクッ。
「…………うま」
冷たい。
さっぱり。
唐揚げの油を、一度リセットしてくれる。
みょうが。
大葉。
生姜。
香りが次々に来る。
「薬味ってすげぇな……」
そして。
ビール。
ゴクッ。
枝豆。
プチッ。
塩気。
豆の甘さ。
またビール。
「…………」
唐揚げ。
ビール。
冷奴。
ビール。
枝豆。
ビール。
そしてまた唐揚げ。
「強い」
この三つ。
強すぎる。
誰が主役でもいい。
全部主役だ。
気がつけば。
ビールは空。
「…………さて」
だが。
夜はまだ終わっていない。
グラスいっぱいに氷。
カラン。
カラン。
ウイスキー。
そして炭酸。
――シュワァァァ……。
「二回戦だ」
ハイボール。
ゴクッ。
「っはぁ……」
ビールとは違う。
炭酸。
ウイスキー。
こっちはこっちでいい。
少し冷めてきた唐揚げ。
それでも美味い。
ハイボール。
合う。
冷奴。
合う。
枝豆。
当然、合う。
「万能だな、お前」
ハイボールに話しかける。
返事はない。
いつものことだ。
◇ ◇ ◇
皿が少しずつ空になっていく。
唐揚げ。
残り一個。
枝豆。
あと少し。
冷奴。
薬味まで綺麗に食べた。
「…………」
満足だ。
腹いっぱいというほどじゃない。
でも。
十分。
これがいい。
昔なら。
唐揚げをもっと食べていた。
そこから締めのラーメンくらい行けたかもしれない。
今は違う。
唐揚げ。
冷奴。
枝豆。
それだけで。
「最高じゃん」
グラスに残ったハイボールを飲む。
窓の外から、少し生温い風が入ってくる。
もうすぐ夏だ。
暑いのは嫌いじゃない。
いや。
仕事中は嫌いだ。
汗もかく。
営業で外を歩けば地獄だ。
でも。
夏には夏の楽しみがある。
冷たいビール。
冷奴。
枝豆。
そして熱々の唐揚げ。
「今年も来るな……」
夏が。
最後の枝豆を口へ放り込む。
ハイボールを一口。
美味いは正義。
そして――。
「夏は、これでいい」
俺の夏は。
三種の神器から始まる。




