第三話 剣術訓練2
「お父様、お母様」
夕食の席で、私は切り出した。
「私、剣術を習いたいんです!」
私の言葉に、父の手からフォークが滑り落ち、カランと乾いた音を立てて木製のテーブルに当たった。
「……剣術?」
驚いた顔のまま固まってしまう父。
「どうしたの急に?」
母も少し目を見開いたが、すぐにいつもの優しい表情に戻った。
「えっと……」
父の驚き方が想像以上だったが、ここで私は子供たちから聞いた話を思い出す。
「貴族たるもの、剣を取り魔物と戦うものですわ!」
少し背伸びをした言い方で、貴族らしい口調を真似てみる。
母が手で口元を隠して、くすりと笑った。
「ロベルトたちが、そう言ってたんです。貴族の子供は剣術を習い、いずれ先頭に立って戦うことは当然だって」
「……ふむ」
父が顎に手を当てて考え込む。
「確かに、貴族の子弟が剣術を習うのは普通のことだが」
「誰に教えてもらうつもりなの?」
母が微笑みながら聞いてくる。
「ガストンさんに、お願いしようと思っています」
「ああ、ガストンなら確かに適任だが……」
父が少し困った顔をする。
「ガストンは警備隊長として忙しいし、人に教えるのもあまり好まないからな」
父は私の顔をじっと見つめた。その視線は真剣だった。私も負けずに、まっすぐ父の目を見返す。
父と母は顔を見合わせて、何か無言で会話をしているようだった。
母が小さく頷く。
父が小さく息を吐く。
「ふふ、いいんじゃないかしら」
「……まあ、やってみたいなら止めはしないが」
父が肩をすくめて、苦笑した。
「ガストンに頼んでおく。ただし、ガストンが断ったら諦めるんだぞ」
「ありがとうございます、お父様!お母様!」
私は椅子から飛び上がって、両親に抱きついた。
* * *
次の日から、私の剣術訓練が始まった。
訓練場で待っていたガストンは、相変わらず無表情だった。
すでに木製の人形に向かって剣を振るっていたようで、額に薄っすらと汗が光っている。
剣を下ろし、こちらを一瞥する。
「マグナから話は聞いた。だが、俺は甘くないぞ」
「はい!お願いします!」
私は深く頭を下げる。
ガストンは小さく頷いて、訓練場の隅に置いてあった小さな木剣を手に取った。おそらく、子供用に作られたものだろう。大人が使う木剣よりも短く、軽い。
それを私に手渡す。
「まずは基本の構えから教える」
木剣を受け取る。思ったより重い。
「いいか、よく聞け」
ガストンは自分の剣を構えて、ゆっくりと動作を見せてくれる。
「足は肩幅に開け」
言われた通りに足を開く。
「剣は両手で持て」
木剣の柄を両手で握る。握り方も教えてもらう。右手を上、左手を下。
「背筋を伸ばせ」
すっと背筋を伸ばす。
一つ一つの指摘に従って、体勢を整えていく。
「……よし、その構えを維持しろ」
構えたまま、じっと立ち続ける。
最初は簡単だと思った。
でも、一分、二分と経つうちに、腕が震えてくる。足も辛くなってくる。
「……よし、下ろせ」
ガストンの許可が出て、ようやく木剣を下ろした。
腕がガクガクと震えている。
「今のが基本中の基本だ。この構えができなければ、剣は振れない」
「はいっ」
息を整える。
「次は、振り下ろしを教える」
それから一時間。
構えて、振り下ろす。
ブォンッ
ただそれだけを、何度も何度も繰り返した。
最初は力任せに振っていたが、ガストンに注意される。
「力で振るな。体の動きで振れ」
「剣の重さを利用しろ」
少しずつ、コツを掴んでいく。
「今日はこれで終わりだ」
基礎の基礎だけで終わった初日の訓練。
体中が痛い。特に腕と肩。
でも、私は満足だった。
「ありがとうございました」
深く頭を下げると、ガストンは小さく頷いた。
「明日も来るなら、同じ時間に来い」
「はい!」
それから毎日、私は訓練場に通った。ガストンから教わるのは、本当に基本的な動作だけ。
構え、振り下ろし、突き、払い。
呼吸を整えて、ゆっくりとした動きで木剣を一振り、また一振り。
それを何度も、何度も繰り返す。
一連の動きにある程度慣れてきた私は、独自の訓練方法を始めていた。
まずは魔力を使わない状態で一振りする。何度も振れば腕が重くなる。でも、これで必要最低限の筋力がつく。
次に、魔力で筋力を補助して一振り。
魔力が、私の腕に沿って流れていく。筋肉に魔力を通して、動きを補助する。
どうすれば魔力を効率的に使って体を動かせるか考え、その感覚を覚えていく。補助しすぎても無駄。少なすぎても意味がない。ちょうどいい塩梅を探しながら、何度も何度も振る。
「……」
ガストンは何も言わずに、木陰に立って、腕を組んで私の訓練を見守っている。
時々、フォームの修正をしてくれる。
「肘が下がってる」
さっと近づいてきて、私の肘を上げる。
「もっと腰を入れろ」
腰に手を当てて、正しい位置を示してくれる。
短い言葉だけど、的確な指摘。
そのたびに、私は動きを修正する。
毎日ガストンと訓練を続けることで、私は無属性の魔力をじっくり観察できるようになった。
他の属性の魔力が体の周りに留まり続けるのと違って、無属性の魔力はまるで水が砂に染み込むように、大気の中に消えていく。
――ほかの属性は色を真似て扱えるようになったけど、無属性はどうなんだろ……
訓練が終わった後、こっそり練習を始めてみた。
まず、自分の周りを漂う緑色の魔力を観察する。
――お母様の水属性やお父様の地属性は色が見えたからできたけど、無属性は……
――あっ、色がないなら『透明』という色を再現できれば。
私は自分の風属性魔力を手のひらに集めた。
そして、ガストンの透明な魔力をイメージする。その「透明さ」を、自分の魔力に重ねる。
――緑色じゃなくて、透明。
――ガストンさんの魔力みたいに、留まるんじゃなくて霧散する。
イメージする。
ガストンの魔力が霧散していく様子を思い出し、その感覚を、自分の魔力に適用する。
すると……
緑色が、少しずつ薄くなっていく。
淡く、そして、透明に。
霧散し始める。
大気に溶けていく。
「成功した……」
でも、すぐに気が付いた。
「これ、すごく疲れる」
魔力は既に、本来の緑色をした風属性に戻っていた。
「もっと練習すれば、もっと楽にできるようになるかな」
* * *
訓練を始めて一ヶ月が経った。
「やっ!」
私が木剣を振り下ろすと、隣から似たような掛け声が聞こえてきた。
「はぁっ!」
「やぁっ!」
「えいっ!」
気づけば、訓練場には私以外に三人の子供たちがいた。
ロベルト、リザ、そしてマルクだ。
四人が横並びになって、一斉に木剣を振り下ろす。
ブンッ、ブンッ、ブン、ブォンッ。
風を切る音が重なる。
「ユミナ、俺たちもまぜてくれよ!」
数週間前、ロベルトが突然そう言い出したのが始まりだった。
「強くなって、村を守るんだ!」
「私も、いざという時、自分の身は自分で守りたいもの」
リザも賛同する。
「ぼくもー!」
マルクまでも小さな手を上げている。
「でも、ガストンさんに教えてもらえるかな……」
私が心配すると、三人は目を輝かせた。
「だいじょうぶ!お願いしてみようよ!」
「……はぁ」
四人で並んだ私たちを見て、ガストンは深い溜息をついた。
腕を組んで、私たちを見下ろしているその表情は、明らかに面倒くさそうだった。
「俺は保育係じゃない」
「そう言わずにさ、ガストンのおっちゃん!」
「お願いします、ガストンさん!」
リザとマルクも頭を下げる。
「私たちも、強くなりたいんです」
「ぼくも!」
ガストンは無言で私を見た。
その視線が語っている。『お前のせいだぞ』と。
「す、すみません……」
私が小さくなると、ガストンは再び溜息をついた。
長い、長い溜息。
「……好きにしろ」
「やったー!」
子供たちが歓声を上げた。
「ただし」
ガストンの声が、歓声を遮る。
「真面目にやらない奴は即刻追い出す」
「はい!」
四人で声を揃えて返事をした。
そして現在。
朝日が昇り、訓練場を明るく照らしている中。四人が横並びで基本動作を繰り返している。
「ロベルト、足が開きすぎだ」
ガストンが歩きながら、一人一人を見て回る。
「おう!」
「リザ、剣を握る手に力を入れすぎるな」
「はい!」
「マルク、お前はまず剣を両手で持て。片手じゃ振れないだろう」
「でも、かっこいいもん」
マルクが不満そうに唇を尖らせる。
「かっこいいとかどうでもいい。基本を守れ」
「はーい」
マルクが渋々従う。
「ユミナ、そこ、肘が下がってる」
「あ、はい!」
私にも的確な指摘が飛んでくる。
ガストンは四人を相手に、淡々と指導を続けている。
最初は嫌そうだったのに、今では意外と面倒見がいい。
「俺、もっと派手な技が習いたい!こう、ビュッて回転しながら斬るやつ!」
ロベルトが木剣をブンブン振り回す。
「危ない、止めろ」
ガストンが横からロベルトの木剣を軽く押さえた。
「そんな無駄な動きは実戦では役に立たない」
「えー、でもかっこいいじゃん」
「かっこいいか……」
ガストンが少し考え込む。
「とにかく、基本を繰り返せ。派手な技は、基本ができてからだ」
「ちぇ」
不満そうなロベルト。
「ガストンさん、この構えで合ってますか?」
リザが真面目に質問する。
三人の中では一番真剣に取り組んでいる。
「ああ、いい構えだ。そのまま振り下ろしてみろ」
「はい、えいっ!」
ブンと空気を押し出す音。
「悪くない。だが、もう少し腰を入れろ。こうだ」
シュッ
ガストンが自分の木剣で実演する。
「せんせー!おしっこー!」
マルクが手を上げる。
「……勝手に行け」
「はーい!」
マルクが駆けて行く。
私たち三人は顔を見合わせて、くすりと笑った。
ガストンは無表情だけど、その眼差しは少しだけ優しくなっている気がした。
訓練が終わると、子供たちは満足そうに帰っていく。
子供たちが去った後、訓練場には私とガストンだけが残った。
ガストンは木製の人形や、散らばった木剣を片付け始める。
「……すみません、迷惑をかけて」
私も一緒に片付けながら、謝る。
「別に。あいつらなりに真面目にやっている。それに……」
ガストンが言葉を止めて訓練場の入り口を見ていた。
そして、少しだけ、本当に少しだけ口元を緩めた。
「悪くない」
小さな声で、呟く。
それが、子供たちに向けた言葉なのか、訓練そのものに向けた言葉なのか、私には分からなかった。
でも、ガストンが少し嬉しそうに見えた。
* * *
その夜、夕食の席で。
「ユミナ、最近楽しそうね」
母が微笑む。翡翠色の瞳が、ランプの光を反射して優しく輝いている。
「剣術の訓練、どう?」
「はい!とても楽しいです」
「そうか。それは良かった」
父も嬉しそうに頷く。
「それに、ロベルトたちも一緒に訓練してるんです」
「おや、そうなのか」
父が少し驚いたように目を丸くした。
「ガストンさん、最初は嫌そうだったんですけど、ちゃんと教えてくれてます」
両親は顔を見合わせて、笑った。
「ガストンも変わったな」
父が感慨深そうに呟く。
「ガストンさんって、昔は違ったんですか?」
私が聞くと、父と母は少し顔を曇らせた。
「……ああ、まあ、色々あってな」
父が言葉を濁す。
「でも、今は村のために頑張ってくれている。それで十分だ」
それ以上は聞かない方がいいと察して、私は話題を変えた。
窓の外では、満月が静かに夜空を照らしていた。




