第4話 テラコロル歴史書
【テラコロル歴史書】
それには世界の歩んだ歴史を初め、各種族の特徴とその物語、魔法の一般常識などが400ページに亘って綴られている。
1ページ当たり600の文字。
異世界の言葉であるのに加え、専門的な用語もたくさん。
そんな難しい本を読み始めて半年。
俺はいつの間にか1歳になっていた。
「えーっと……げっ。まだ149ページもあるのかよ」
俺は本を開いたまま寝室のカーペットの上で仰向けになる。
「はぁ。こんなに難しい本だって知ってたら、あんなことを言わなかったのに……(ボソッ)」
そう言って視界を左腕で塞ぐ。
この本との出会いは今から半年前。
俺がいつものように自室で惰眠を貪っていた時のことだった。
「あー、異世界に来たのは良いものの……することがない」
手持ち無沙汰に思った俺はやることを探すためにベッドから這うようにして降りる。
その時だった。
「うわぁ!!」
足が毛布に絡まってしまい、床に顔が衝突する。
「いててて……」
俺は鼻を摩る。
すると、生暖かいものが手にべったりとついた。
「うわぁ……鼻血か。最悪」
鼻の入り口を右手で抑えながら立ち上がる。
「どっかにティッシュは……ってそっか。この世界にティッシュはないのか」
俺は辺りを見渡す。
光沢を帯びた机と椅子。
暖かい太陽光にさらされているベッド。
床に敷かれた毛の長い青いカーペット。
そして本棚に敷き詰められた本の数々。
そこで俺は思いつく。
「本なら少しぐらいちぎっても、バレないよな?」
さっそく本棚の本を1つずつ確認していく。
これは……母さんが読み聞かせしてくれた絵本。
さすがにこれを使うのは嫌だな。
えーっと、こっちの方は……って、何でお姉ちゃんの本がこっちにあるんだよ。
まったく、片づけるのが面倒臭いからって俺の本棚にそのまま入れるなよ。
俺がそれに手をかけようとした瞬間、腕ぐらいの厚さの本が目に映り込む。
「ん? これは……? 【テラコロル歴史書】? そういえばこの前、母さんが新しい本を買ったって言ってけど……まさかこれじゃないよな?」
俺は一番下の段にあるその本を左手に全体重をかけながら引く。
本棚から本が完全に出てくると床全体に響くような鈍い音と共に横に倒れた。
「う、うわぁ、見るからにやばそうな本だな。パッと見でも300ページ以上はあるぞ、これ」
俺は一瞬、思考を巡らせる。
「はあ、しょうがないか。すまんな、母さんちょっと使わ……」
「レオン! どうしたの!?」
俺が母さんに謝罪の意を示そうとした時、お姉ちゃんが扉をこじ開けるようにして入ってきた。
そんなお姉ちゃんは息が少し上がっていた。
「あ、お姉ちゃ……」
「ちょっと!! 何ですぐに私を呼ばなかったのよ!!」
お姉ちゃんは俺の状態を見るなり自分の服で鼻血を拭き取り始める。
「お姉ちゃん、それだと服が……」
「いいのよ、このぐらい。それよりパパとママが買い出しでいない今、レオンに何かあった方が困るのよ」
あまりの正論にお姉ちゃんの目が見れなくなる。
「あら。まだ止まってないわね。しょうがない。ちょっとじっとしててちょうだい」
お姉ちゃんはそう言って俺の鼻に手を当てると、魔法の詠唱を始めた。
「大地に降り注ぎし恵みの光。与えられし恩寵を力に。光魔法発動。光回復」
すると、お姉ちゃんの左手が光り出し、温かさと痛みが鼻に巡る。
魔法か……。
俺もいつかは自分で使えるようになってみたいな。
「よし。これで止まったわね」
お姉ちゃんはふぅっと吐きながら額の汗を拭う。
「まったく、何があったのよ?」
「その……ごめんなさい」
俺はお姉ちゃんにおでこをつつかれる。
「質問の答えになってないわよ?」
ベッドから降りようとしたら足に毛布が引っかかっただなんて、恥ずかしくて言えるわけがないだろ!!
とにかく、何か別の言い訳を……。
その時、俺の目にさっきの本が入り込む。
これだ! この状況を乗り切るにはこれしかない!
「その……あの本を取ろうとしたら思っていたよりも重くて。それでその勢いで……」
俺の言葉にお姉ちゃんは頭を抱える。
「はあ。何で見てわからなかったの? 明らかにレオンには無理な大きさよね?」
「……ごめんなさい」
俺は黙って下を向く。
「はぁ。まあいいわ。でも次からは気をつけなさいよね」
お姉ちゃんはそう言って本を手に取る。
「あれ? これ、よく見たらテラコロル歴史書じゃない。レオンはこれを読もうとしてたの?」
「え、あ、うん」
「ふーん」
その言葉を最後にお姉ちゃんはピタリと動かなくなる。
何か、いやな予感がする。
あの目元が少し上がっている感じ。
わかる。俺にはわかる。
あれは何か良からぬことを企んでいる目だ。
俺は少し身構える。
「ねえ、レオン?」
「ひゃい!!」
「何をそんなにビビってるのよ?」
お姉ちゃんはカチコチに固まっている俺に怪訝な目を向ける。
「いや、何でもないです!」
「それに何で敬語……まあいいわ。それでね、先に言っておくとこの本はとても難しい本なの。だからいくら頭のいいレオンでもこれは少し苦労すると思うわ。だから……」
俺はカラカラに乾ききった口内の唾を飲み込む。
「レオンがいいって言うのなら私も一緒に読んであげるけど?」
「え?」
俺は予想外の言葉に仰天の言葉が口からはみ出てしまう。
「えって何よ?」
「あ、いや。なんでもない」
てっきり「私がレオンをきっちりみっちりこの本で鍛えてあげるわ」とか言い出すのかと思ってたよ。
ふう、怖かった。
「そう。ならいいけど。それでレオンはどうしたいの?」
「えっと俺は、お姉ちゃんと一緒に読んでみたいな」
お姉ちゃんはさっきまで不服そうにしていたが、最後の言葉を聞くと、途端に表情が和らぎ始めた。
「ふふ、ふふふ。ま、まあ、レオンが誘ってくるのなら仕方ないわ。うん、そう。仕方ないのよ」
お姉ちゃんは必死に厳格さを保とうとする。
だがそんなお姉ちゃんの口元は波打っていたため、明らかに態度が張ったりだということがわかってしまう。
俺は少し頬が上がる。
「ほら、何をボーっと突っ立ってるのよ。早くこっちに来なさい」
お姉ちゃんはカーペットを叩きながらそう口にする。
まあ、楽しそうにしてくれているし……いいか。
それにいくら数百ページあったとしても、お姉ちゃんとならすぐに読み終わるでしょ。
「うん、わかった!」
そうしてその日を境に俺とお姉ちゃんでテラコロル歴史書を読み始めたのだった……のだが……
「ちょっとレオン。何を休憩してるのよ! 私がせっかくレオンのためを思って教えてあげてるのだから、しっかりやりなさいよ」
俺はきっちりみっちりとこの本で鍛え上げられていた。
「お姉ちゃん。俺、もう無理。さすがに6時間ぶっ通しはキツイって」
「もう、レオンったら情けないわね。たった6時間で悲鳴を上げるなんて」
「いや、お姉ちゃんにとっては『たった』かもしれないけど、俺にとっては『もう』なんだよ」
ああクソ。
あの時、「一緒に読みたい」だなんて言わなければよかった。
俺は酷く後悔する。
お姉ちゃんのこういうお節介なところは一緒に暮らしていてわかっていたはずだった。
それなのにあの笑顔を前にすると断れない。
ああ。ほんと最悪だ。
すると突然、俺の下腹部にお姉ちゃんが馬乗りになる。
「ぐふぉ!」
「ほら、早く起きなさい。じゃないとこのままここに居座って呼吸させなくしちゃうわよ」
こいつさらっと殺害予告しやがって……。
それに動けねー!!
俺とお姉ちゃんとで身長と体重に差はない。
だがお姉ちゃんの押さえつける臓器が的確過ぎて立ち上がるどこか呼吸さえ思うようにできない。
ああもう、これだからスパルタ教育は嫌なんだよ!!!
そこで俺はお姉ちゃんの腿を叩く。
「ふん、ほんと情けないわね。でもいいわ。どいてあげる」
「ゲホゲホ……うぁ。やっと息ができた」
「ほら。早くしなさい」
俺は目を棒にしてお姉ちゃんを見つめる。
「何よ?」
「あの一応聞いておきたいんだけど、後どのぐらい続けるつもりなの?」
「どのぐらいって、今が夕方の7時だから……」
いや、それは「夜の」7時の間違いだろ。
「ん~後2時間ぐらい?」
あと2時間か……。
俺は心の中で顔をしかめる。
短いようで長いからな。2時間って。
それに俺がまだ子供のせいか前世よりも時間の流れが遅く感じる。
その時、お姉ちゃんが少しイラついているのに気づく。
はあ。諦めよう……。
「アハハー。わかったのだー」
そう言って俺たちはまたその本を読み始めるのだった。




