第2話 目覚めの時
この真っ暗な空間を彷徨い始めてどのぐらいの時間が経ったのだろうか。
俺は死んだ。坂口勇は電車に轢かれて死んだ。
何も感じない。まさかそれが、これほど心地良いものだとは思わなかった。ずっと水の上をプカプカと浮いているような……そんな心地よさだった。
(死後の世界は思ってた感じじゃなかったけど、これはこれでいいな)
すべてから解放された気がした。ありのままの姿でいられる気がした。何も考えなくていい気がした。
もし天国や地獄があるのなら俺はそんなところに行きたくない。ただこうして……ずっと彷徨っていたい。
だが、そんな時間は思っていたよりも早く終わりを迎えることになる。
『ーーグチ。ユウ・サカグチーー』
突然、脳内に老人の声が響いてくる。
(ん? これは……声?)
途切れ途切れになっていてよく聞こえない。
耳を澄ます。
『ユウ・サカグチ。目覚めるのだ』
今度は、はっきりと聞こえた。気のせいではなかったようだ。
『お前さんには成し遂げてもらわないといけないことがある』
(成し遂げる……? 俺はとっくに死んでるのに何を言ってるんだ? こいつは。それに何で声が聞こえるんだ?)
疑問が次から次へと溢れ出てくる。だが、老人はそんな俺を気に留めることなく一方的に話し続ける。
『《勇者》と血を分かつ者よ。<勇者>に選ばれし者よ。【勇者】の意思を継ぐ者よ。今こそ、目覚めの時だ』
(目覚め……? おい、待て。それってどういうーー)
俺の視界は真っ白な光に包まれ、意識を失ってしまうのだった。
***
窓から差し込む優しい日差しがまぶたを照らす。
空気がおいしい。爽やかな風が頬を撫でている。
あまりの気持ちよさに自然と目が開いた。
「あうあー。あうういあ……あえ?」
声がおかしい。それにまともに話せない。
瞬きをするとさっきまで霧がかっていた視界が一気に鮮明になる。
(こ、ここは……?)
木でできた天井。そこには照明がなかった。
光沢を帯びた机と椅子。その上にはロウソクが置かれており、かすかにロウが垂れている。
本棚に並ぶ、たくさんの本。どれも見たことのない文字で書かれていて読めない。
(俺はさっきまで駅に居たはず……)
なかなか状況がつかめない。
(確かあの時、ホームの端に立ってて昔の写真をーー)
飛んでいく写真を掴もうとして線路に落ち、そのまま電車に轢かれたこと。気づいたら真っ暗な空間に飛ばされていて、しばらく彷徨っていたこと。変な声が脳内に響いてきたかと思えば視界が真っ白な光に包まれたこと。完全に思い出したのだ。
(俺は……間違いなく死んだはず。あの時の体がバラバラになる感覚だって覚えてる。まさか、あの状態から生き残ったのか? あ、ありえない……)
電車に轢かれて生き残った人間なんて聞いたことがない。そんな俺にとってこの状況は異質中の異質だった。
状況を整理しようと頭をフル回転させるが、一向に納得のいく回答が見つからない。
いつもの癖で顎に手を当てる。
(あれ? 手が……やわらかい。それに弾力もある)
俺の手は血管が浮き上がっていてかなりゴツゴツとしている。この小さくて脂肪たっぷりの手とは真反対の手だ。
冷たい汗が額を通り過ぎる。
ゆっくりと手を前に持っていくと、そこには……赤ん坊のような手があった。
電車に轢かれて死んだこと。老人のあの発言。そしてこの手。すべての点がつながった。
俺は確信する。
『「転生」したのだと』
(まさかこんなことが現実にあるなんて……)
正直な話、頭がまったく追いついていなかった。「転生」なんていう現象はアニメや漫画の世界でしか聞いたことがない。だから「転生」というものは空想上のものだとばかり思っていた。でも今は違う。俺はそれを身をもって体験しているのだ。
あのまま死ぬものだと思っていた。あのまま死んで地獄に行き、苦しい罰を受けるんだと思っていた。だから死んだ後のことなんてこれぽっちも考えたことがない。
(この先、どうすればいいんだ? 突然転生して、何をしろって言うんだ。前世で思い遺したこともないし、夢なんてものもないぞ……)
人生の支えがないと生きていけない。常に誰かに、何かに依存していないと俺は頑張れない。これは今まで「○○のためだ」とか言って頑張ってきた弊害だ。
(本当に……どうしよう。転生したことだってまだ受け入れられていないのに……)
その時、部屋の扉がキィーと高い音を立てながら開いた。かすかに人の頭が見える。だが、首があまり動かせないせいでよく見えない。
「 」
「 」
小声で何かを話している。声の数は2つ。1つは男性の声で、もう1つは女の子の声だった。
男性の声はとても若々しく自信に満ち溢れていた。なんだか心が穏やかになる。
女の子の方は静かに話しているつもりだろうが、ところどころに元気さがにじみ出ている。とても可愛らしい声だった。
2人の足音がこちらに近寄ってくる。思わず寝たふりをした。
「 」
聞いたことのない言葉だ。だが声が温かい。悪いことは言っていないと思う。
「 !」
元気な声が聞こえたかと思えば途中で切れてしまった。
モグモグともがいているような声が聞こえる。
何となく何が起きているのかがわかる。自然と頬が緩んだ。
「 !」
女の子がまた騒ぎ出した。ドンドンという一定のリズムが床に響く。
男性の大きなため息が聞こえた。
(楽しそう……)
そんな気持ちで心がいっぱいになっていた。俺はさっきまでの不安感を忘れ、目を開ける。
赤髪の男性と女の子。男性は頭を抱えていて顔が見えなかった。女の子の方は瞳を大きくさせて俺を見つめている。
(めっちゃ目が合ってる……)
なんとなく目を逸らす。
「 !!」
女の子が男性に声をかける。男性は俺を見る。目の合う俺と赤髪の男性。彼の目は限界まで開いていた。そして、その目は吸い込まれそうな水色をしていた。
俺はまた目を逸らす。
(待って待って待って! 2人とも日本人じゃないじゃん! それにあの女の子……。マジで何これ?)
全身に心音が響いている。
「 」
突然体がふわっとしたかと思えば、俺は男性に抱きかかえられる。
手はゴツゴツとしていてマメもできていた。だが、お父さんの温もりというやつのおかげか、さっきまでの緊張が徐々に収まり始める。
「 」
温かい笑顔を見せている。久しく感じていなかった家族の温もりだ。
男性は俺の頭を撫で始めた。
(き、気持ちいい……)
俺はそのまま身を任せる。
すると、
「 !」
女の子が両手を伸ばしながら何かを言っている。
男性は少し引きつった笑いをする。だが、女の子の圧に押し負けたのか、俺を彼女の腕の中に移した。
俺は少し不安だった。だが、意外にも女の子は抱っこが上手だった。
キラキラとした視線を俺に向けている。
「 」
女の子が俺の頭に頬をこすらせてくる。
少し鬱陶しかったがこの気持ちもわからなくもない。だから少し、我慢してあげた。
だが、しばらくしても彼女は頬を擦り続けていた。
(……さすがに長い)
軽く女の子の顔を押しのけた瞬間、目に1本の光が直撃する。
(まっぶしっ!!)
目を力いっぱい閉める。
「 」
女の子は何かに気付いて少しモゾモゾと動く。
さっきの光が消えた。ゆっくり目を開けると、女の子は左手に「赤い花の髪飾り」を持っていた。
(あの髪飾り……)
一瞬、とあるものに見えたがすぐに気のせいだということに気付く。
女の子の顔を覗き込む。
「 ?」
(やっぱり、似てる……)
雰囲気を初め、顔、声、仕草、そして髪飾り。どれも俺の「知り合い」とそっくりだった。
(そうか……俺が転生した理由って、そういうことだったんだ……。神様は俺にやり直すチャンスを……)
本能的に親指をしゃぶる。
(……わかったよ。俺、今度こそうまくやってみせるよ。ありがとう、神様。俺にやり直すチャンスをくれて)
女の子は俺に笑いかけている。そんな彼女の後ろを太陽が照らしていた。とても、綺麗だ。
「面白い!」
「こういう話が好き!」
「この先の展開が気になる!」
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