第18話 天ぷらのレシピ板
自主練を終えるとその場に座り込んだ。汗が額から顎を伝い地面を濡らしていく。息が上がり、胸が苦しくて顔を上げられない。心臓の鼓動がいつもより早く耳にうるさいほどに大きく聞こえる。
今日からは自分でヒールをかける。この疲労困憊状態からいかに早くスムーズに回復できるかがポイントだと思う、と頭の中では立派な事を考えているが、周囲からは疲れ果ててぐったりと座り込んでいるようにしか見えていないだろう。実際その通りなんだけど……。
呼吸を一瞬止めて集中し「ヒール」と小さな声で唱えた。ふわっと体が少し楽になった。少し楽になると次のヒールはもっと集中してかけられるようになる。これを4回繰り返して全快することができた。
全快し立ち上がったところでショーンが近寄ってきた。
「あれ?自分で回復したの?」
「うん。上手くできなかったらショーンに頼むところだったけど。」
俺たちは部屋に戻るために、更衣室で着替えようと歩き始めた。すると「よう!」と声をかけられて、その声の主へ顔を向けた。
「ジュラル!」
ジュラルとは昨日ぶりだ。早速訓練場で俺を見つけて声をかけてくれた。
「俺も久しぶりの訓練だから辛いぜ。それにしてもコーヅの警護は楽だったなぁ。もう一度やらせて欲しいよ。」
俺が笑顔で「待ってるよ!」と答えると、ジュラルは笑顔を見せて俺の肩を叩いた。そして走って隊列に戻っていき、何事もなかったように訓練に加わった。
俺はその隊列の中にトーマスが居ることに気付いた。トーマスは隊列の先頭からこっちを見ていた。俺はトーマスに手を振った。トーマスは腕をぐっと突き出す感じで合図をくれた。俺も同じポーズで返した。
着替えを済ませ部屋に戻ると、ドアの前にはリーサだけが立っていた。
「ただいま。今日はリーサさんだけなんですね。警護ありがとうございます。」
リーサはこちらを向き、目を見開いたかと思うとまた視線を正面に戻した。そして一つ咳払いをした。
「た、ただいまサラ様は別の用件で外されています。」
俺はその答えに頷くと、ショーンを見た。
「そういえば今日行ったフィーロのパン食堂はすごく美味しかったよ。ショーンも一緒に行けるといいのに。」
「ははは。そうだね、僕も一度行ってみたいな。」
「中抜けして俺の案内や警護を理由にして一緒に行くことってできないの?」
「それはちょっと難しいかな。任務が終わってからになるね。訓練だけの日なら、陽が暮れる前に終わるから行けるよ。」
ふと、リーサがこちらをチラチラと見ていることに気付いた。フィーロのパン食堂に興味があるのかもしれない。
「リーサさんはフィーロのパン食堂って行った事ありますか?」
リーサは慌てて視線を戻すとフルフルと首を振った。
「美味しいお店ですよ。リーサさん達こそ俺の警護って言って一緒に行けないものですかね?」
リーサは視線を真っ直ぐに向けたまま小さく首を振った。
「任務の後なら行けます?」
リーサはチラリとこちらを見た後、考えるような素振りを見せたが、視線を戻してしまい答えを返さなかった。サラがいないと勝手に決めたりできないのかもしれない。これ以上は話しかけるのも迷惑かもと思って会話を切り上げた。
「じゃ、俺は部屋に戻ります。」
俺が部屋に入るとショーンも訓練に戻っていった。
俺は買ってきた魔石をテーブルの上に置いてから椅子に腰かけた。そして濃厚で美味しかった卵サンドの事を思い出して、ため息をついた。
「はぁ……美味しかったなぁ。また食べたいなぁ。」
久しぶりに心から美味しいと思えた。この世界では文句なしのナンバーワンだ。もしそんなフィーロがフレンチトーストを再現してくれたら他のレシピも思い出せる限りフィーロや砦の人に教えていこうと思う。商業ギルドを見た感じでは食材も種類が多かったから、レシピさえあれば費用感は分からないけど、作れるんじゃないかな。
これまで自分の食べたい物のために料理をしてきてて良かった。スマホを片手に作ってたから分量はあんまり思い出せないけど材料は大体思い出せる、かな?でもレシピを書き出してみたいけど、手元には書き留める為の物が何も無い。
石板なら作れるかもと思い、白い石板を作ってみた。そしてテーブルの上に置いて魔力を通した指でなぞり、黒い字が書ける事を確認した。そして簡単なレシピを書いてみた。
~ポテトフライ~
ジャガイモを細切りにして水にさらす
小麦粉をまぶす
油で揚げる
塩をかけて食べる
~ハンバーガー~
牛肉や豚肉を細かく切り刻む
塩を入れて肉をこねて丸く薄くする(卵や刻んだ玉ねぎを一緒に混ぜても良い)
肉を焼く
パンに挟んで食べる
簡単だけどレシピを言葉にする事ができた。ただ分量も絵も無いからフィーロに伝わるかは分からないけど。その時が来るまでと、石板は重ねてベッドの下に大切にしまっておいた。
砦の人たちには唐揚げとかどうだろう。唐揚げも子供から大人までみんな大好きで間違いないよね。醤油が無いから塩唐揚げになるかな。
~唐揚げ~
一口サイズに鶏肉を切る
塩、細かく切ったニンニクや生姜をまぶす(色々下味をつけると美味しいです)
小麦粉をまぶす
油で揚げる
塩やレモンをかけて食べる
醤油じゃないからいまいち味の想像ができないけど多分大丈夫だと思う。居酒屋メニュにも塩唐揚げってあったし、多分こんな材料で良いと思うんだけど。でも作ったことが無いものだからレシピを人に出しにくいよな。
あれ?むしろ材料的には天ぷらの方が良いのか。卵と小麦粉と水と塩だもんな。カラッと揚げるのは技術が必要だから難しいけど、無い材料を手に入れるよりはマシだね。もう一枚石板を作ってレシピを書いていっま。
~天ぷら~
冷やしたボウルに卵を入れてかき混ぜる。
冷たい水をカップ1杯入れて混ぜる。
小麦粉を水と同じ量入れて少しかき混ぜる。かき混ぜ過ぎない。
食材を浸す
油で揚げる
塩をつけて食べる
天ぷらはなかなかカラッと揚げられなくて何度もやったお陰で分量も覚えてた。これを廊下に貼ってみようかな。これを見て誰か作ってみてくれると嬉しいんだけど……。
そっと廊下に顔を出すとサラも戻っていて、2人から同時に見られた。
「日本のレシピを思い出したので石板に書いてみました。」
2人は何のことか分からないという表情で俺のことを見ている。
「あ、えっと。日本で作っていたレシピで、手順が簡単なものを石板に書き起こしました。これを廊下に貼っておいたら皆さんの役に立てるかなって思いまして。」
「まぁ!それは素敵な試みですこと。アズライトの食生活が豊かになりますわね。ふふふ。」
部屋を出ると石板サイズに壁を凹ませ、石板をはめ込んだ。文字が大きくないので近付かないと読めないけど、まぁ大丈夫かな。
「リーサさん、この書き方で料理の工程は伝わりますか?」
「サラ様?」とリーサが確認を求めるとサラが頷いた。
「確認します。」
リーサは石板の前に移動して少し読むと首をひねりながら俺を見た。その眉間にはシワが刻まれている。
「本当にこれだけなの?書くほどでもないと思うけど。」
「俺が覚えていられたレシピはこういう手順の少ないものだけです。日本には天ぷらを50年以上一筋で作り続けている職人も居るんですよ。でも家庭で作って食べることもありますし。そのくらい天ぷらは日本でも人気で奥が深い料理なんですよ。」
「コーヅ様のご配慮恐れ入ります。リーサ、早速食べられるように手配なさい。」
「かしこまりました。指示してまいります。コーヅ殿、作る上の注意点はありませんか?」
「油の温度くらいですかね。衣を油に浮かべた時に浮き上がってカラカラ言うくらいで揚げてください。食べた時にサクッとした感触があればバッチリです。」
リーサは油の温度、油の温度と何度か呟いた後、一礼して去っていき、すぐ近くの部屋に入っていった。
あ、このお嬢様のメイドたちはあそこで待機しているのか。サラはきっと偉い貴族の娘なんだろうけど、こういう仕事を嫌な顔せずにこなすのはとても立派だと思う。きっと親も立派な考えを持っているに違いない。だとすると、不幸な子供も見たけど、この街の人たちは幸せだと思う。
部屋からリーサが2人のメイドを連れて戻ってきた。口頭の説明だけでは難しかったかな。
「コーヅ殿、すまないが2人に説明をしてはいただけないだろうか?私ではどうにも伝わらなくて。」
俺は作り方のコツや天ぷらに合う食材を伝えた。メイドたちは熱心に話を聞きパピルス紙にメモしていた。そしてメイドたちは話を聞き終えると、そのまま屋敷に戻っていった。俺も協力してくれた2人に礼を言うと部屋に戻った。
こういうちょっとした活動でこの街の生活が豊かになると良いんだけど。今回のことが良い方向に進んだら、また何か思い出す度にレシピを書いていこうと思う。この世界でも受け入れられたら、ここのランチメニュにも追加されるかもしれないしね。それは俺のためにもなる。
水差しから注いだコップを片手にそんな事を思っていた。
それから食事までの間はヒールや魔力の基礎トレーニングを行ったり、風呂に入ったりして過ごしていた。
コンコンコン
「どうぞ。」
「コーヅ様、失礼いたします。」
サラとリーサが代わり映えしない夕食を届けてくれた。レパートリーに天ぷらが加わる日が来ることを願わずにはいられない。
「コーヅ様、私たちは今夜天ぷらを食べますのよ。」
ふふっと笑い、明日感想を教えてくれると言った。
「コーヅ殿、あんなに簡単に作れる物が本当に美味しいのか?」
リーサの目は明らかに疑ってる。それは日本だけでなく世界で愛されている天ぷらを疑っているということだ。失敬なヤツめっ。
「私やシンさんがいた日本では大人気ですよ。楽しんでくださいね。」と答えて笑みを浮かべるという大人の応対をしたけどね。
「ふーん、本当なのかしらねぇ。」と言うリーサの目はまだ疑いを含んで俺を見ている。お前の主を見習えと言いたい。……言わないけど。
俺は2人を見送ってから、いつものように一人寂しく食事を済ませると、ダラダラと過ごしてそろそろ寝ようかと思ったときだった。
コンコンコン
「コーヅ様、起きていますか?サラです。」
「ちょっとサラ様……」
リーサと揉めてるのかな?どうしたんだろう?
「はい。起きています。どうぞお入りください。」
ガチャ
「コーヅ様!天ぷらとはなんと素晴らしい料理なのでしょう!この様な美味しい料理とは思いませんでした。とても繊細で塩味だけなのに、いえ塩味だけだからこそ食材の味がとても引き立てられて美味しく、わたくし感動しました。」
「ちょっとサラ様はしたないです。」
「いいえ、リーサ。この感動はきちんとコーヅ様に届けなければいけません。」
「サラ様、このような夜更けに男性の部屋に伺うのはいかがかと思います。」
サラが天ぷらを喜んでくれている事は、これ以上なく伝わってきた。レシピを出してみて本当に良かったと思えた。思わず嬉しくなってきて頬が緩んだ。
それにしてもサラをここまで感動させる程に上手に揚げた天ぷらなら俺もご馳走になりたいな。でもそういう事を言うとまたリーサに睨まれそうだから言わないけど。
「サラさんが気に入ってくれて私も嬉しいです。でもそれは料理された方の腕が良かったのだと思います。」
「はい!本当にありがとうございました。コーヅ様から頂いたこの天ぷらはわたくしが責任もってアズライト、いえジルコニア王国の隅々まで広めてみせましょう。」
「ちょっとサラ様。本当におやめください。コーヅ殿、失礼します。」
リーサはサラを引っ張る様にして部屋の外に連れ出した。しかしドアの外からはまだ揉めている会話が聞こえてくる。
俺はこんな揉め事まで引き起こしてしまう程に美味しい罪作りな天ぷらに満足感をおぼえた。




