第17話 フィーロのパン食堂
「いらっしゃいませ!あ、ティアちゃん。あら、今日は彼氏さんと一緒なのね。ふふ」
栗毛の店員が柔らかい笑顔を向けてくれた。
「そんなんじゃないですよ。彼は既婚者ですし。もう!」
ティアと店員は仲が良さそうで軽口を叩き合っている。そして俺たちは店員に勧められた窓際のテーブル席に座った。
窓からは足早に店の前を行き交う人たちの様子が覗ける。砦の窓から眺めているのとは違って表情までよく見える。
早めの食事に行くのかな?いや、仕事が忙しいのかもしれない。そんな想像をするだけで楽しくなる。
「お昼には少し早いから、お茶とクッキーでいいのかしら?」という店員の声に意識を戻すと、ティアに向かって頷いた。
「そうですね。それでお願いします。」
「かしこまりました。」とにっこり微笑んで店員は厨房に戻っていった。
お店の中はそれなりに広いのだが席と席の間隔が広く10人ほどで満席となるようになっている。カウンターが2席と2人掛けテーブル席が2組と俺たちが座っている4人掛けテーブル席だけでとてもゆったりとしている。でも時間帯のせいか客は俺たちしかいない。
内装はシンプルであまり飾りつけをしていない。窓際やカウンターにいくつか鉢があり花を咲かせている。店の中を観察していると、店員が戻ってきた。
「おまたせしました。私の分も持ってきちゃった。ふふ」
まずお茶とクッキーを俺たちの前に並べてくれた。そして自分の分をティアの隣の席に準備すると、そこへ座った。
「はじめまして。私はフィーロです。ティアちゃんにはよくお店に来てもらっているの。お客さんが他にいないときは、こうやってティアちゃんとお喋りしてるのよ。」
そしてまたにっこりと微笑んでくれた。フィーロはとても笑顔が似合う少し垂れ目の柔らかい雰囲気を持った女性だ。
「俺はコーヅです。異世界の日本から来ました。まだアズライトに来て1週間ちょっとなのでティアに教わることばかりです。」
「あら?あなたもニホンから来たのね。私のお茶が口に合うと良いんだけど……。冷めないうちに召し上がれ。」
すると先にティアが両手で覆うようにカップを持ちお茶に口をつけた。そして「美味しい」と呟いてカップを置いた。俺も一口飲んでみると、爽やかな後味がある美味しいお茶だった。
「確かに美味しいです。」
そんな俺たちの様子を見ていたフィーロは相変わらずニコニコとしている。
「ふふ。嬉しいわ。」
俺たちは雑談がてらの自己紹介を続けた。
フィーロはティアの3つ上。ただしどちらも年齢が非公表のため正確には分からない。でも少なくとも2人とも俺よりは年下だと思う。
このお店はフィーロが親から引き継いだそうだ。でも料理が好きだったから、元々のパン屋ではなく軽食屋にしたそうだ。でもパン屋の常連は最初だけ来てくれたが徐々に来なくなり、新規のお客さんはなかなか獲得できずに困っているそうだ。
フィーロは美味しい物を自信持って出したいという考えなのだそうだ。その代わり周辺の店に比べて少し高くなってしまっているらしい。
「何か良いアイデア無いかしら。ニホンの食堂ってどんな感じなのか教えてもらえるかな?」
この時ばかりはフィーロの顔からも笑顔が消えて真剣な面持ちだった。
「コーヅ、私からもお願い。」
俺は専門家じゃないので、と前置きした上で日本の記憶を辿りながら話した。
「日本で流行っている喫茶店のイメージは……えっと、そのお店でしか味わえないような名物があったり、面白い趣向を凝らしていたりして特徴があったり、とかかな。人気があるお店は美味しいお店だけじゃないのかなって思うな。」
フィーロもティアも黙って真剣に聞いていて、時折頷いたり、首を傾げるような素振りも見えた。話し終えた俺はフィーロに質問をした。
「ここのお店には名物や特徴って何かある?」
「うーん、やっぱりパンね。お母さんから教わったパンとお父さんが育てている鶏の卵を使った卵サンドが名物よ。」とフィーロは自信を持って答えた。
「そっか。パンと卵って感じなのか。」
俺はそう呟いて自分が作れるレシピを思い返していき、フレンチトーストに辿り着いた。
フレンチトーストはパンと卵、それからミルクに砂糖があれば簡単に作れる。持ち帰り用のお菓子ならラスクとかもありだけどね。それこそバターと砂糖を塗ってカリカリに焼いたら完成だし。
「店に砂糖とミルクってある?」
「ええ。パン作りに必要だからね。両方ともあるわ。」
「それならフレンチトーストっていう甘いデザートになるパンが作れるかも。ミルクと卵と砂糖を混ぜた液にパンを一晩浸した後、両面を焼くだけ。お好みで蜂蜜やシナモンをかけても美味しいよ。そういう料理はアズライトにあるかな?」
「うーん……私は知らないわね。」とフィーロは小首をかしげてティアを見た。ティアも知らないとばかりに首を振った。
「もしアズライトには無い料理だとすると、この店の名物にできるかもね。簡単だから今からちょっと作ってみる?」
「そんなに簡単に作れるの?」
「俺も分量はきちんと覚えてないから作り方のヒントしか教えられないけど。」
「是非お願いします。」
フィーロは立ち上がると勢い良く頭を下げた。そして「材料を持ってきますね。」と急いで厨房に戻っていった。
「本当に大丈夫なの?」
張り切っているフィーロの後姿を見送ったティアが心配そうに聞いてきた。
「うん、本当に簡単なんだよ。」
フィーロが材料を抱えて戻ってきた。その間に俺たちはお茶やクッキーを隣のテーブルに移動しておいた。
「じゃあ、まず卵を2つ割って。そこにミルクをこのカップの半分くらい。それから砂糖をこのスプーンに……3杯か……4杯くらいかな?」という俺の言葉にフィーロだけでなくティアも驚いて俺を見た。そして「4杯も?」と不満気な声をあげた。
「うん。確かそんなレシピだったけど。俺も記憶が曖昧だから減らしてみても良いよ。」
「コーヅ、この国では砂糖は高価なものなの。沢山の砂糖を使う料理だと、値段が高くなってしまうし難しいと思うの。」
何となくそんな気はしてたけど、やっぱり砂糖は高いのか。
「パンを作るときにも砂糖って使うと思ってたんだ。そうすると難しいのかな。ごめんね。」
良いアイデアかと思ったけど、砂糖が高価なのは元の世界だって昔は同じだったわけだし、仕方ないことかもしれない。
「待って!砂糖は高いけど手に入らないわけじゃないし。作り方や味が分かれば蜂蜜を使ってアレンジする方法を思いつくかもしれないから。」
フィーロはそう言うと意を決したようにボウルに卵を割ると、ミルクと砂糖を躊躇なく入れた。
ティアは何も言わずにフィーロの作業を見ていた。
「きれいに混ざるようにかき混ぜて。」
フィーロは指示通りにかき混ぜる。さすが料理人で、混ぜる手がとても早い。全体がきれいに混ざったところで顔を上げて「できたわ。次はどうすればいいかしら?」と真剣な面持ちで指示を仰いできた。
「あとはこの液にパンを両面しっかりと漬け込んで焼いたら完成だよ。俺たちの世界では一晩漬けこむといいって言われてたね。」
「え?これで終わりって……本当にこんなに簡単なの?」とフィーロが驚いた表情を見せた。
そうなのだよ、フィーロ君。これは誰でも作れる簡単スイーツなのだよ。俺はフフンというドヤ顔で応えた。
「でも、このレシピならアレンジできるかもしれない。ありがとう。」
フィーロが嬉しそうにほほ笑む。そしてそれを見たティアも嬉しそうにしている。
良かった。2人の表情を見ていると少しは役に立てたのかなと思えた。あとはフィーロにお店に出せるように頑張ってアレンジしてもらえる事を期待しよう。次に来た時にはメニュに並んでいるといいな。
「もうすぐお昼だし、お礼に卵サンド食べていって。ね?」と聞いてはいるが、フィーロは返事を待たずに「私の得意料理でここの名物なのよ。」とフレンチトーストの材料を持って足取り軽く厨房に戻っていった。
俺は隣のテーブルに移動させたお茶とクッキーをティアとフィーロの席に戻した。
「あら、気が利くじゃない。」
「仕事柄ね。」
「そう言えばコーヅの仕事の事って何も聞いてなかったわよね。ニホンで何してたの?」
「一緒に働いている人たちのサポートかな。」
俺はティアに答えながら自分のお茶を自分の前に置いた。
「へぇ、ニホンでもそういう仕事があるんだね。」とティアはお茶を一口飲んだ。すると奥からはジュージューという胃袋を刺激する美味しそうな音が届いてきた。楽しみだなと背中向きにある厨房を振り返ったがフィーロの姿は見えなかった。
「ねぇ、コーヅの世界って砂糖は簡単に手に入るの?」とティアに問いかけられて、俺は視線をティアに戻した。
「うん。砂糖でも胡椒でも簡単に安く手に入れられるよ。日本は世界中の物が比較的簡単に手に入るんだ。」
「そんな世界……素敵ね。何でも手に入るなんて羨ましい。」
ティアは夢物語を聞かされているような諦めの様にも感じられる表情を浮かべた。
そこへフィーロが卵パンと肉の添えられたサラダ、そして薄い琥珀色の透き通ったカップスープを持ってきてくれた。
目の前に置かれた温かなスープからは湯気が立ち上り、そこから食欲をそそる良い匂いも漂ってくる。だが、まずは名物という卵パンからいただくこととする。パンから覗くツヤツヤとしたゆで卵がとても美味しそうだ。
「いただきます!」
がぶりっ。……美味い!卵の味が濃くて美味しい。
がぶりっ。パンのカリッとした食感が良いな。
がぶりっ、がぶりっ。と食べ終え、勢いそのままに温かいカップスープも一気に飲み干した。
ふぅ……。
あっという間に食べ終えてしまった。そんな俺をティアが呆れたように見ている。そしてその隣ではフィーロがニコニコしながら見ている。
「卵もパンもすっごく美味しかったです。確かに名物って言える美味しさですね。」と、俺はとても満足してフィーロに感想を伝えた。
ティアは自分のペースでゆっくりと味わいながら食べている。口に出してはいないが表情を見れば美味しいと感じていることは伝わってくる。
食事を終えた俺たちは砦に帰る為に立ち上がった。
「フィーロさん、美味しかったです。お会計をお願いします。」
「コーヅさんからお金は頂けないです。ニホンのレシピを教えて貰えたんですもの。」
「駄目よ。食べた分は払います。」と大銅貨4枚をテーブルに置いた。すると「絶対にいただけません。」とティアにその小銀貨を押し戻した。その後も払う、受け取れないという押し問答を繰り返した後、フィーロはお茶と食事の代金として大銅貨1枚と小銅貨4枚を受け取る代わりに、フレンチトーストが完成したら、試食させてもらうことになった。
「コーヅ、今日はご馳走様。色々ありがとね。フィーロはいつも笑顔だけど、あれで苦労してるし悩んでるの。」
「俺の方こそ久しぶりに美味しいと思える食事ができたし。ありがとね。又来ようよ。」
「そうね、また来ましょうね。ふふふ」と含んだ笑いを俺に向けてきた。
本当はもう少し街をゆっくりと見て歩きたかったけど、午後の訓練に間に合わなくなるので大人しく砦に戻ることにした。砦の入り口では先ほどの門番が立っていた。俺は市民証を見せ、ティアは顔パス通り抜けた。
「ティアは市民証出さないの?」
「私はあまり出さないわね。何も言われないし。顔パスよ。」
ふーん、そんなものなのか。いい加減なのか、平和って事なのか。後者なら良いな。
ティアとは訓練場の前で別れて自主練に向かった。




