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婚約者に裏切られたので、子爵令嬢から王妃付き侍女にジョブチェンジしてみた  作者: 雉間ちまこ
第2章

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第52話

「英明なる木漏れ日マーシャリィ・グレイシス嬢と我が(つるぎ)キース・ミラーに栄光を」 


 私はキースにエスコートされながらホール中央に進み出、階上にいるエルに対して深いカーテシーを行ってからキースと向かい合いホールドを組む。

 やってきました、私の特例親善大使としての大仕事。グラン国の歓迎を意味する夜会で主賓である大使をお披露目するという理由で最初に踊る、これは慣例でもあった。

 ここ10年ほど夜会から遠ざかっていた身だ。ライニール様と特訓したとは言え、表情には余裕の微笑みを浮かべているものの、内心ドッキドキである。


「俺様に身を任せておけ」


 私の動揺を悟ったのか、キースが囁くように言う。


「……大丈夫よ」


 と答えたけれど、とてつもなく強がり以外の何物でも無い。


「全く、素直に甘えるということを知らないのか?」

「そう言われても、簡単に甘えられる性格をしていないの」


 我ながら捻くれていると思う。残念なことに私が素直に甘えられる相手は、我がグレイシス家メイドのメアリだけなのだ。それにキースが私を案じてくれたものだと分かっているけれど、相変わらずのその俺様節を聞くとどうしても反抗したくなるというか何というか、うん、キースに甘えるとか生理的に無理。絶対に無理!


「大丈夫って言ったら大丈夫なのよ。特訓は嘘吐かない!」


 ライニール様が言っていたもの。頭で覚えるより、体に染みこませた物は絶対に裏切らないって。グラン国での特訓の日々を思い出し、私は自分に強く言い聞かせてリズムに合わせて一歩踏み出した。キースのリードのおかげもあって、ほらタイミングはバッチリ。


「特訓っておま………、ふむ、悪くないな」


 そうでしょうとも、とキースを見上げてどや顔でステップを踏む。

 特例親善大使に任命されてから、ずっとライニール様の男性恐怖症克服という名のダンス特訓を受けて来たのよ。まだ男性に対しての恐怖が酷い時の遠慮も配慮も容赦もない、ないないづくしのダンス指導。相手はライニール様だって分かっているのに、頭の中には『怖い』で一杯。手も体も震えて思い通りに動けず、情けなくて恥ずかしくてどうかなりそうだったのを必死に堪えて、心を無にするよう頑張ったのよ。何も考えなくても、体が動くように鍛えたの。今でもあの時を思い出すだけで心臓がきゅってなる。トラウマレベルで。

 その時に比べたら、男性恐怖症を克服し、キースにホールドされても何の症状も出ない今、失敗なんてするわけがないのよ。グラン国代表として情けない姿を見せるわけにはいかないし、何より失敗を知られたときのライニール様が怖い。


「キースこそ転ばないでよ」

「はん、俺様の足さばきに驚くなよ?」


 鼻を鳴らしたキースがぐんとスピードを上げる。


「ちょ…っ!」

「挑発したお前が悪い」


 私の抗議はキースの楽し気な瞳に一蹴された。調子に乗りすぎた、と悔やむ暇すら与えられず、キースのリードで踊らされて大慌て。私の内心と裏腹にホールからわっと歓声が沸き起こってしまい、中途半端には止まれない。


「覚えておきなさいよぉ!」


 そう小さな声で叫んだ非難は歓声に消され、私を見下ろしながら華麗にステップを踏むキースがそれはもう楽しそうに破顔した。悔しい、きぃ!

 もうそれからは必死も必死。足を縺れさせるなんて私のプライドが許さなかった。絶対に転んでなんかやらないし、キースに体を任せたままだなんて以ての外。ライニール様との血反吐を吐くかと思った特訓の成果を見せてやろうじゃないの。この俺様野郎に一泡吹かせてやる。


「やるな」

「それ程でもぉ、おほほほ!」

「ははっ」


 余裕そうに笑いやがって、本当に腹が立つ! グルッグル、タッタタタ、スタタタァンと軽快にリズムを踏み、私はキースのリードに併せて踊る。あくまでも慌てず、優雅に魅せるように。


「ここがグラン国で、相手がダグラス様だったら、足の甲、踏み抜いて、やったのに!」


 振り回されて途切れる台詞、それは賞賛交じりの嫌みである。下手ではないものの、それなりに踊るダグラス様の足なら遠慮無く踏み抜けたけれど、キースは腹が立つくらい上手かったものだから踏み抜く隙がない。


「またダグラス・ウォーレンか」


 キースがしかめっ面で言った。


「な、によ。私、そんなに、ダグラス様の名前、出してる?」


 どんなに頑張って優雅に魅せても、体は正直だ。息の切れた返答にキースは片眉を上げた。


「出している、というか気になるだけだ」

「え、なぁに、嫉妬でもしているの?」


 ぷぷぷ、と挑発げに含み笑うとぺしっと額を叩かれる。


「ちょっと!」


 こんな場所で気軽に叩かないでちょうだい。そしてリードを外さないで。転ぶでしょ! せっかく特例親善大使として堂々とした姿を印象づけているのに成功させているのに、私の努力を無駄にしないで!

 キッと睨んだのが効いたのかどうか、キースは足を緩めてくれた。


「で、ダグラス・ウォーレンはどうなんだ?」

「え、何が?」


 こちらは息を整えるのに忙しいというのに、ダグラス様がどうとは何のことやら。


「だーかーら、ダグラス・ウォーレンは麗しいのか?」

「⁉⁉⁉」


 ダグラス様が麗しいのか? ですってぇ⁉ 特例親善大使の仮面を吹き飛ばしそうなほどの衝撃である。ダグラス様に麗しいとか、最高に似合わない言葉過ぎて思わず目眩が起きそう。堪えた私偉い。思わず褒めちゃう。でもその後直ぐに襲ってきたのは堪えきれぬ笑いの発作である。


「ふっふふ。ダグラス様が麗しいのか、ですって? ふふ、麗しくは、えぇ、そうね、全くないわ、ふふふ!」


 強く激しく、心の奥底から断言するわ。ダグラス様が麗しいとかあり得ない。むしろ麗しいダグラス様だなんて、それはすでにダグラス様じゃない。いっそのこと気持ちが悪いレベルである。


「そんなに笑うほど不細工なのか?」

「まさか」


 さすがにそれは即座に否定だ。だって天使のような、いいえ、間違いなく天使以外の何物でもないリアム君の血の繋がった父親だもの。ダグラス様要素が皆無とはいえ、リアム君の血に不細工というものは混じっていない。断言するわ。


「まぁ、そうね。一般的に見れば精悍な男性だと思う……わよ?」


 少し疑問系になってしまったのは許して欲しい。ってほら、ダグラス様だしねぇ。でも、ご婦人ご令嬢止まらず、男女問わずグラン国民に人気のがあるのは事実。実際に王宮で行われる公開訓練では、女性の黄色い悲鳴だけではなく、野太い暑苦しい歓声を何度も聞いた事があるのだから、男女関係なく好まれる男性なのだとは思う。ただ、私にはそう見えないだけで。


「それじゃ、俺様に匹敵する程の容姿端麗である人間の中にダグラス・ウォーレンは含まれていない、ということか?」


 俺様に匹敵…、とは思ったものの敢えて追求はすまい。


「匹敵も何もキースとはタイプが違うのよ」


 端麗な容姿の持ち主で思い浮かんだ人達の中にダグラス様はいなかったのだから間違いではないけれど、ダグラス様が格好悪いとか不細工とは、そういう話ではないのだ。

 どう答えれば良いのか頭を悩ましている内に舞踏曲が終わりを迎えた。私は頭を切り替え、キースとお互いに礼を交わし、そしてクワンダ国女王陛下に深々と頭を下げた。

 満足そうな笑みを浮かべたクワンダ国女王陛下が大きく拍手を送ってくれたのが見え、私は微笑み頭を上げる。途端にホールにいる方達から盛大な拍手が降り注いだ。

 このグラン国を歓迎する夜会での大仕事を一つ無事に終わらせたのだ。優雅に微笑んだ顔して、内心は安堵の嵐である。

 拍手が鳴り止むと、新しい舞踏曲が鳴り響き始め、パートナーを伴い男女が次々に踊り出す。もう私は踊る必要は無い。むしろ出し切ってしまった。さっさと退きたいとキースの袖を引っ張るが、帰ってきたのは悪戯気なキースの視線だ。次も踊るのか?とわざと問いかけているのだ。誰が踊るか、馬鹿! 


「で?」


 で? じゃないわよ。もう一曲踊る気なのかと肝を冷やしたじゃない、もぅ。えっと、何だっけ? あぁ、そうそう。ダグラス様の話ね。


「あれよ。ダグラス様をそういう目で見たことないのよ、私」


 ダグラス様に対して異性に感じるような、格好良いとか素敵とかそういう感想を抱いたことが一切合切ない。


「昔はね、頼りになる大人の人だと思っていた時期もあったわよ。廃村でも話したでしょう? 何度も助けられてきたもの」


 思い出すのも恥ずかしくなるくらいに未熟だった私が、自分を見直す転機となったのは間違いなくダグラス様とのあの出来事と受けた叱咤だ。そうなのだが、


「どうしてかしらねぇ。不思議なんだけど、最近は血の繋がらない弟のようにしか見えなくて」

「弟だと?」

「そう。しかも出来の悪い弟」


 年上のダグラス様が兄ではなく弟なのは実兄がいるせいかしらね。


「あぁ、そう考えるとキースもそんな感じだわ」


 第一印象は吃驚するくらい色気たっぷりな美形だったけれど、もうどんなに格好付けようが私の目にはそう映らない。むしろ格好を付けられる度にいたたまれない気持ちにすらなる。色気むんむんさんなんて仮名も一瞬だけだったわね。

 それと同じように、ダグラス様が私の前で気取った態度をしたら「ヨクデキマシタネー」と生暖かい眼差しをプレゼントする自信しかない。ほら、二人ともとっても似てる。


「お前なぁ…」

「そんな怖い声出さないでよ」

「どう聞いても良い意味じゃないだろうが」

「怒らない、怒らない。親しみを感じているって意味では悪くはないでしょう。ほら、無駄に麗しい笑顔を振りまきなさいよ」

「無駄言うな」


 だって私に効かないのだから無駄だもの。それに踊り終え私達に向けられた視線は大分減ったものの、こちらを窺う気配は皆無ではないのだ。いつ話しかけようか、と様子を見ているのがひしひしと感じ取れる。ほら、その無駄な色気で牽制してちょうだい。


「それにしても、これだけ人が集まると香水がちょっと辛いわね」

「は?」


 人を良いように扱いやがって、と言わんばかりのキースを余所に私は軽く鼻を押さえた。


「別に話を変えたいわけじゃないわよ。本当に辛いの」


 先ほどまではダンスに一生懸命すぎて感じなかった匂い。だけど、息を整える為に深呼吸をすると一気に感じた。身だしなみとして香水を付けている人が多いとは言え、胸のムカつきを覚える不快な匂いが鼻につく。


「こんなものだろ?」

「えぇ…」


 こんなに臭いのに? 10年間、夜会から遠ざかっていた弊害なのだろうか。そう言えば、グラン国での夜会でも同じように思ったのを思い出す。


「妊婦でもあるまいし、少し過敏になっているんだろ。何か飲み物でも飲むか?」


 れっきとした未婚女性に対して、なんてことを言うのよ、もう。まぁでも、ここで喧嘩するわけにもいかない。


「そうね。出来れば水が良い……って、あら!」


 素直に頷いて水を求めて給仕を探すと、キースの背後から豊かな銀色の髪を靡かせながら向かってくる美しい女性に瞳を奪われた。間違いなく私を見て笑みを深めた美女に、不快に感じた匂いも渇いた喉もなんてことは無い、些事も些事。私の胸は歓喜で一杯に。


「アイリーン様!」


 思いがけず親善大使の仮面が外れた私は、満面の笑みで銀髪美女の名を呼んだ。


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