一章:第九話
☆
時計塔地下の書斎。
ここは関係者のみが入れる場所。
ニルベルはここで時計塔の管理業務……という名の大量の資料整理をしているが、今日はその業務も放置していた。
入れたばかりの紅茶を持って、書斎の奥へと向かう。
書斎の奥は休憩室になっている。
「君も、少し休んだらどうだい?」
ニルベルが声をかけると、浮かない表情で座っている少年が顔を上げる。
「いえ……、大丈夫です」
そう答えた少年の隣では、ずっとうなされたままのエルフの少女が、仮眠用のベットに横たわっていた。
「うぅ……」
「随分とうなされているね」
「……そうですね」
「紅茶を淹れてきた。温かいうちに飲みたまえ」
「どうも」
ニルベルは紅茶の入ったカップを少年に手渡す。
しばらく間を置いてから、少年はカップを口元へ運ぶ。
遡ること数時間前。
時計塔の奥でことは起きた。
魔力の流れが歪む感覚にまさかと思ったが、異常が起きたのは時計塔ではなく、壁に触れたイーゼルの方だった。
「イーゼルさん!」
膝から崩れ落ちたイーゼルを、アルシアはすぐに抱き止める。
「イーゼル君! しっかりしたまえ!」
イーゼルの顔色は真っ青になっていた。
呼吸も浅く、目も虚で泳いでいる。
「どこかに寝かせた方が良さそうだ。地下に俺が使ってる書斎がある。そこに運んでもいいかい?」
「はい」
「よし、じゃあ案内しよう」
そうして地下の書斎まで運んで来た訳だが、運んでいる間に完全に意識を失ったらしく、それから数時間うなされながら眠り続けている。
それにしても何が起きたのか……、ニルベルは自らも紅茶を飲みながら考察を始めていた。
(あの魔力の歪み……、思い当たるのはやはり古代魔法か)
しかし、時計塔に触れた瞬間何かが発動したにしては、それによって外的な変化は起こらなかった。
(ということは物理的な魔法ではない、なら感覚に影響するなにかか……)
ニルベルは二人の方を眺める。
やはり声をかけて正解だったか、と。
「ところで……アルシア君。一つ聞いてもいいかね?」
「答えられる事でしたら」
「じゃあ遠慮なく……」
ニルベルは静かに咳払いをする。
アルシアはこちらに視線だけ向けて、紅茶を口に含んでいた。
「君達は──恋仲なのかい?」
「んぐっ……!? けほっ……」
アルシアは(たぶん)すぐ否定しようとしたが、ちょうど紅茶を飲み込むタイミングと重なってしまい、思いっきり咳き込んだ。
「チガイマス……」
「そんなベタな反応ってあるんだなぁ……」
「……っ」
アルシアの鋭い眼光が、抑えきれない笑みを向けるニルベルを突き刺していく。
「まぁあれだよ、言葉のあやだ。お互い親しい仲のようだったから、そういう仲なのかと思ったんだよ」
「……イーゼルさんに失礼なので、そういうのはやめて下さい」
「あぁ……、それは失礼した」
あくまでそういうスタンスか……と思いながら、ニルベルはさっきまでの笑みを仕舞った。
ここでこの会話は終わりかと思ったが、意外にもアルシアは話を続けた。
「イーゼルさんには借りがあります」
「借り?」
「初めて会った日に助けてもらったので……、彼女がここで目的を果たすまでは、その助けをするつもりです」
「ふむ。時計塔の図書館か。ちなみに、何を調べるつもりなんだい?」
「それは彼女が目覚めたら、本人に聞いてください。僕が勝手に話すことではないです」
「なるほどねぇ」
これは恋仲というより、さながら姫を護る騎士といったところか。
ニルベルは顎に手を当てながら、そんな事を考えていた。
「僕からも質問していいですか?」
「ん? いいだろう、聞かせたまえ」
「なぜ僕らに……声を掛けたんですか?」
「それは先程説明したような気がするが……、時計塔を訪れた冒険者をがっかりさせ──」
「……」
再び向けられる人を殺めそうな視線に、ニルベルは思わず言い淀んだ。
「わ、わかった……、そんな怖い顔をするもんじゃない」
まぁまぁと両手で宥めるようなジェスチャーをすると、少年は仕方なさそうに目を伏せる。
「アンバランスだと思ったんだよ、イーゼル君がね。君も行動を共にしているなら、違和感に気付いているだろう?」
「……まぁ、そうですね」
「一般的な人の魔力は一つの線のように見えるが、俺からは、彼女の魔力が二つの線を重ねたように見える。魔力回路になにか問題があるのかと思ったが……」
「でも魔力回路は正常なんですよね」
「そのようだね。となると……、その二つ目の余剰な魔力はどこから来ているのか」
体の魔力回路以外に原因があるとすれば、やはり先程のロストアーツのような何かか。
魔力を増幅させるような効果でもあるのか、ニルベルは思考を巡らせていく。
アルシアも同じく考えているのか、しばらく部屋には時計塔が時間を刻む音だけが響いていた。
☆
長い夢を見た気がする。
とても長い夢。
私の夢だったような気もするし、誰かの夢だったような気もする。
《物に宿る過去を見る力》のせいで、イーゼルは時折こういう事がある。
特に不意に力を発動してしまった時は、記憶が混濁する事が多かった。
(最近は落ち着いてたから、すっかり油断してたなぁ……)
ゆっくりと意識が浮上する。
うっすらと何かが見えてくる。
まだ視界はぼやけているが、薄暗い天井らしきものが見える。
(どこ……、ここ?)
何度か瞬きをした後、ようやく辺りの情報が視界から入ってくる。
時計の秒針が動くような、時を刻む音。
部屋そのものに見覚えはないが、時計塔の中のどこからしい。
「うぅ…っ、……ん?」
イーゼルはゆっくりと体を起こそうとベッドに手をつくと、指先が何かに当たったことに気が付いた。
「なにこれ……?」
そこには、黒い布のような塊が置かれていた。
そっと布の表面を撫でてみると、ほんのり温かく、上下に小さく動いているのがわかる。
しばらくそのままの状態で考えていると、不意に布の端から何かが覗いているのが見えた。
「髪……? 茶色の……」
そこまで認識して、イーゼルは布の塊から勢いよく手を離した。
「えっ! あっ……! これ、アルシアくん……?」
よくよく耳を澄ませると、小さく寝息を立てている。
(もしかして、介抱してくれてたのかな……)
アルシアは椅子に座ったまま、ベッドに頭だけを預ける形で眠っているようだった。
(どれくらい時間経ったんだろう)
イーゼルは部屋を見渡してみる。
部屋の中には、ベッド以外に物置がたくさんあり、棚の中や床の上まであちこちが本で溢れかえっていた。
(奥に扉がある……)
隣にも部屋があるのか、半開きになった扉から、少しだけ明るい光が漏れている。
扉の向こうが気になったイーゼルは、アルシアを起こさないように、そっとベッドから立ちあがろうと動いた。
まだ体が万全ではないせいか、軽く立ちくらみを起こすが、ゆっくり光が漏れる扉の方へ向かう。
ガタン……
立て付けが悪いのか、思ったより大きな音を立てた扉に驚きつつ、イーゼルはその向こう側を覗いた。
「おや……、起きたのかい?」
平積みされた本の奥から声が聞こえる。
扉の向こうはどうやら書斎になっているらしい。
本に埋もれたテーブルの方に視線を向けると、碧色の髪の上部だけがちらちらと動いているのが見えた。
「はい……、なんかたぶんいろいろとお世話になったみたいで……」
「なぁに、気にすることはない。……よいしょ」
ようやく本の隙間から顔を出した青年は、抱えていた本をテーブルに積み直し、ぐるっとテーブルを迂回してくると、イーゼルの方へと移動してきた。
「まだ顔色はすぐれないようだね。もう少し横になっているといい。お茶を淹れよう」
「あぁ、ありがとう……ございます。あの、ここは……?」
「ん? ここは時計塔の地下にある俺の書斎だ。倒れた君をここまで運んできたんだ」
「そうだったん……ですね……」
ニルベルは書斎の端にある棚の前に行き、本の隙間から茶葉の入った瓶を取り出す。
「そうだ、イーゼル君」
「はい?」
「彼には感謝しておくんだよ」
「彼……? アルシアくん?」
「あぁ、まさに鉄壁の守りだったからねっ! さすがは騎士の鑑だ!」
手で髪をかき上げたニルベルは、キラキラとしたエフェクトが飛び出しそうなドヤ顔をキメる。
「鉄壁……? 騎士の鑑……?」
真面目な会話以外は相変わらず謎の単語が飛ぶ。
だがそれにも多少慣れつつあった。
「まぁいいや、介抱してくれてたんだよね。後でちゃんとお礼しとくよ」
「うむ、そうしたまえ」
「ニルベルさんも、ありがと」
「ふむ、お礼なら是非俺とデー…」
ガタンッ……
背後から何かが落ちるような大きな音が聞こえ、反射的に二人は振り返る。
立て付けの悪い扉の影から人影が現れる。
「アルシア君。俺はまだなにも言ってないぞ……」
「僕もまだなにも言ってないですけどね」
「えぇ……私が気絶してる間になにかあった……?」
「いえ、なんでもないです」
「ちょっとした言葉遊びだよ、イーゼル君」
「そう……?」
なんとなく微妙な空気が流れたような気もしたが、イーゼルから見ると、あまり他人に興味を持たないアルシアが、相手に圧を掛けているのはなかなかに珍しい光景だった。
「イーゼルさんは、体大丈夫ですか? 随分とうなされてましたけど……」
「そんなにうなされてた……?」
静かに頷くアルシアに、イーゼルは申し訳なさそうに苦笑いしながら返事を返す。
「そっか、心配かけてごめんね。とりあえずは大丈夫。まだちょっと頭痛いけど……」
そういうイーゼルに、二ルベルは少し心配そうに声をかける。
「それなら、もう少し休んでいたほうが……」
「ううん。それより……」
イーゼルは、アルシアとニルベルの顔を交互に見た。
「二人に迷惑掛けちゃったから、ちゃんと話しておきたい事がある。私の……《見る》力のこと。」




