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蒼の魔術士  作者: 水前寺鯉太郎
第一章

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第18話「必要ならば」

第18話「必要ならば」


 アランが見せたのは、地図だった。

 精神に刻まれた、複数の大陸の輪郭。蒼介が存在した場所、今いる場所、そしてその外側に広がる無数の国々。言葉ではなく、映像として。マリアの目の前に、広げられた。

 蒼介はアランを見た。止めようとして、止められなかった。止める権利があるかどうか、わからなかった。

 マリアはその地図を見て、それから蒼介を見た。

 蒼介は口を開いた。

「マリア、君に伝えないといけないことがある」

「やめて」

 声が静かだった。怒鳴らなかった。その静けさの方が、蒼介には応えた。

「聞きたくない」

「聞いてほしいんだ、オレは」

「……知ってる」マリアは言った。「あなたが話したいと思っていることも、ずっと言えなかったことも、知ってる。でも」

 彼女は視線を落とした。

「私もあなたの口から聞きたかった。こんな形じゃなくて」

 石室に、沈黙が落ちた。

 アランが壁際に寄った。この場から存在を消すような、静かな動作だった。

 蒼介は何かを言おうとした。謝罪か、説明か、あるいはもっと別の何か——しかしマリアは既に動いていた。ゲートに向かって歩き出していた。

 その背中を見ながら蒼介は思った——止められる。アランの言葉は嘘だと言えば、マリアは信じるかもしれない。あるいは記憶ごと——。

 しない、と思った。もうしない。

「マリア」

 彼女は止まらなかった。

「全部話す。ここを出たら、全部」

 マリアは振り返らなかった。しかし足が、一瞬だけ止まった。

 それだけで、蒼介には十分だった。

 アランが蒼介の前に立った。

「行かせろ」

「俺にはお前を止める理由がある」アランは言った。「お前もわかってるはずだ」

「わかってる。でも彼女が一人で行った」

「……」

「お前の理由を、後で聞かせてくれ」

 蒼介は幻影を展開した。三方向から来るアランの像が石室に満ちた。アランが本物を見極めようとした一瞬——蒼介はその隙間を抜けた。

 扉が閉まる音がした。

 マリアは怒っていた。

 怒りながら、歩いていた。怒りは足を止めるためではなく、動かすためにあると、今初めて知った気がした。

 嘘をつかれた。三年間、信じていた人間に。記憶のない迷い子を受け入れた夜から、ずっと。「お腹は空いてる?」と聞いた夜から。ずっと隣にいたと思っていた人間が、自分の知らない何かを抱えたまま、ずっと隣にいた。

 それが悲しかった。怒りより先に、悲しかった。

 でも迷路は完走されなければならない。街は守られなければならない。それはマリアが怒っていても、悲しんでいても、変わらない事実だった。

 ならば動く。

 感情は後でいい。全部、後でいい。

 黒と赤のギルド門は、重かった。

 扉の前に、一人の女性が立っていた。

 血の色の外套。マブイが赤と黒に染まった、血魔女と呼ばれる術士——ロクサーナ。彼女はマリアを一瞥し、それから笑わずに言った。

「一人か」

「一人よ」

「加護は」

「ない」

 ロクサーナは少しの間、マリアを眺めた。品定めではなく、確認するような目だった。

「青と緑のギルドの走者が通るためには、条件がある」彼女は言った。「私の扉は血の誓約で閉じている。どちらかの血が払われなければ、開かない」

「法律なの、それは」

「私が決めたことではない」ロクサーナは答えた。「ジャックがこの扉を作ったとき、そう刻んだ。覚悟のない者を通さないために」

 マリアは扉を見た。古い石の表面に、細い文字が走っていた。読めなかった。しかしその文字が嘘ではないことは、なぜかわかった。

「青と緑のギルドはあなたを見捨てた」ロクサーナは続けた。感情のない声だった。「加護を剥奪した。あなたを守る者は誰もいない。それでも——」

 彼女はマリアを見た。

「そのギルドのために、死ねるか」

 マリアは答えなかった。

 すぐには、答えられなかった。

 ギルドのために、という言葉を転がした。三年間、青と緑のために働いてきた。人と人を繋ぐために、調整し、説得し、時には叱られ、それでも続けてきた。そのギルドが自分を幽閉した。加護を剥った。一人でここに来いと言った。

 ギルドは、自分を見捨てた。

 でも——ギルドは人ではない。ギルドを構成している、一人一人の顔を思い出した。薬を調合する老薬師。見習いの少年。先週喧嘩した同僚。みんなが、この街に住んでいる。

 至高の評決が発動すれば、全員が消える。

 マリアは自分の手を見た。マブイが来ない、空の手。何もない手。

 それから、ロクサーナを見た。

「必要ならば」

 声は震えなかった。

 ロクサーナは長い間、マリアを見た。

 それから、扉に手を当てた。

「——通れ」

 石の扉が、音を立てて開いた。ロクサーナは一歩、道を開けた。マリアが通り過ぎる瞬間、ロクサーナは小さく言った。

「血は要らない。覚悟があれば、それで十分だ」

 マリアは足を止めなかった。

 しかし「ありがとう」と、小さく言った。

 蒼介がギルド門に駆けつけたとき、扉は開いていた。

 ロクサーナが壁に背をもたせていた。蒼介を見て、顎で中を示した。

「行け。追いつけるかどうかは知らないが」

「彼女は何と言った」

 ロクサーナは少しの間、何かを考えるような顔をした。

「必要ならば、と」

 蒼介は扉をくぐった。

 走りながら、その四文字を反芻した。

 マリアがあの言葉を言えたのは、自分のためではなく、誰かのためだったからだ。自分のためなら——今のマリアには、戦う理由が一つ、消えていた。

 嘘をついた自分のせいで。

 走る速度を上げた。

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