第2話 死後の世界
白い壁、白い天井、白い床。
台座の上の椅子に座る一人の少女は目を閉じていた。
「トト」
死神に呼ばれた少女は顔を上げる。周囲には誰もいない。
目を覚ました少女は整った顔立ちでやっぱり白い服に身を包んでいる。
「トト」
少女は面倒くさそうに息を吐きつつ、いつもと同じ返事をする。
「今日は?」
「1」
「で?」
「18」
「は?18?」
少女は思わず耳を疑った。
それもそのはず。此処へ来るのは同情すべき可哀想な可哀想な善人だった人間だけで、その多くは虐待を受けていた子供や、不運なことに死んだ赤子だ。18歳とは珍しい。
少女の口角が上がる。
「意思は?」
「あるっぽい」
「いいね、男?」
「女」
「なんだつまらん」
「…仕事だ、諦めろ」
「諦めた。早くして?」
死神からの返事はない。
少女は「楽しみだね」と一人呟いた。
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「…ん〜……ん?」
目を開けると白い部屋で、白い服の女の子が偉そうに椅子に腰掛けていた。
「おはよう。気分はどう?」
「……あ、うん、元気」
咄嗟に挨拶を返しつつ、今のは元気そうじゃない返事だったなーとか思ったのは気が動転してしまっていたからかもしれない。
少女は気にした様子もなく「面白い」と言って、目を細めて笑っている。
うん、誰かな。この美少女。
答えに困って、愛想笑いでごまかす。
とりあえず、さっきまで何をしていたのか思い出そうと必死に頭を働かせていると突然声がした。
「トト、仕事」
驚いて周囲を見渡しても私と少女以外には誰もいない。
少女は気にも留めない様子だ。
混乱していると、少女が楽しげに説明を始めた。
「私は神です。今の声は死神。貴方は死人。此処は生死の狭間の部屋で、転生か消滅を選ぶ場所で、選択期限は7日間。どっちにする?」
少女の言葉でなるほど私は死んだのかと納得する。
「じゃあ消滅でお願いします」
「え?」
「え?」
神さんはなぜか口を開けて固まっている。
今度は私が言い訳を始める番だった。
「いやだって、やっぱお兄ちゃんがおらんなんて無駄かなと思って…って、あれ?違う?そういうことじゃない?ちょっと、固まってないでよ!」
言い訳を聞かせても神さんはフリーズしたままで不安になったが、ちゃんと喋ってくれた。
「え、っと…まず死んだ気分は?」
「え、割といつも通りで快適…」
「……それは良かった」
「ありがとうございます…え?」
「…私は神ですけど」
「あ、私は霧林 結衣でした。初めまして、神さん」
「あぁ、初めまして…」
「それで、消滅の件ですけど…
「あ、それでしたら、是非もう少し時間をかけて…てえぇええおい!!!ちょっとタイム!!!!!」
私の目の前にいたはずの神さんはそれだけ言い残して姿を消した。
「……帰りたいなぁ」
呟いた言葉は空しく響き、暫くの正座待機が確定した。
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やばい。変なのが来た。
ちゃんと一般教養のある死者が此処に来ると、大抵は自己の死を認められずに騒いだり泣き喚いたりする。
……そのはずが、なんだあいつ。
神に縋る人間を冷ややかに見下し、優越感に浸るという予定が台無しだ。
「久々に喋れる奴だったのに…」
小さく呟くいたのに死神は目ざとく聞き分けたらしい。
…チッ
そいつの気配に舌打ちすると、渋々姿を現した。
「頼むから働け」
「疲れた」
「ふざけるなよ…」
「黙れ」
「 」
「そもそも、神さんってなくない?神木さんとか、神谷さんとか、神崎さんじゃないんだよ?わかってるのかな?ねぇ、わかってるのかな!?!?」
「……あぁ、うん。神様万歳」
「そうそう。我らが主の肩書きなんだから“様”を付けて平伏すのが当然でしょ?あーもう嫌い。主を侮辱するなんてあり得ない!思わない?思うよね?思うでしょ!?!?」
「まぁ、うん。さんは不自然…」
「でしょ?と、いうことで、お前が行け、死神。私の代わりに仕事して。さよなら」
「は⁉︎ ちょっ…
死神が何かを言い終わらないうちに別次元へ飛ぶ。
あんな人間に付き合ってられない。
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うん、とっても落ち着いてきた。
何もないけど何もないから安全で平穏で静かだ。とってもいい感じ。
…とか思ってたのになぁ
何故か黒い穴を目の前にしている。
穴は徐々に人型に形を変え、ひとりでに話し始めた。
「初めまして。お初にお目にかかります。私が死神です。先ほど神様が仰ったことは事実でございます。もう一度説明が必要ですか?」
存在を完全に認識し、得体の知れない恐怖から解放される。
黒いそれが喋り出した時は少し焦ったけど、害は無さそうで安心した。
「初めまして、霧林 結衣と申します。繰り返しの説明は不要です。転生か消滅かを選択できるとのことでしたよね?消滅でお願いしたいのですが…」
「少し!あともう少しでいいので、考え直していただきたいのです」
死神は私の言葉を遮って言った。
「聞いてください。現在、地球への転生は比較的平和かつ便利な世の中とあって人気です。しかし文明の遅れた世界への転生には消極的で、地球以外への転生者の数が減少しています。地球は地球で人口減少傾向にありますし、地球に転生できないことを理由に消滅を望むものも出始めました。新たな精神体の創造が精神体の消滅に追いついていないのです。我々は7日間の説得を義務付けられています。7日間この部屋に居続ける苦痛に耐えかねた時にはどうぞ転生の御決断を!!!」
「あー、うん笑」
ちょっと笑っちゃった。
いや、もうなんていうか、熱意が凄すぎて笑うなって方が無理だ。
「…真剣に頼む」
こちらの気も知らないで念を押す死神にやっぱり笑いが止まらない。
「くくく…わかってます。わかってます。わかってるんやけどー、あーもう、ちょっと待って、ちょっと笑 喋んないで!面白すぎ笑笑 腹筋崩壊するから!!!死神さんの物腰が柔らかいとか知らないって笑笑 どんなホラーやて笑笑」
「 」
笑いが収まるまで死神さんは黙っていてくれた。
良い人だ。あ、人じゃないのかな?わからんけど笑
「あははっ、ごめんなさい笑 なんか面白くって」
「いや、別にいい。無駄に下手にでた私が愚かだった。それよりも転生を…」
言いかけた死神の言葉を遮る。
「いいよ、そんな消滅したくてしたくて堪らない訳じゃないもん。でもさ、転生するにあたってちょっといい事があってもいいと思うんよね」
敬語でなくなったことには無関心の死神さんは、私の言葉に一喜一憂してみせる。
その様は見ていて微笑ましいものだけど、今ここは交渉の場だ。ぐっと堪えて死神を見る。
「…優遇はできない」
死神は悔しげに告げた。
「神様は不公平だとほざく人間がいるのは知っているが、神の力は個人の偶然や運にまで及ばない。簡単な理屈だ。我ら天界人が主に仕え、主の力を借りて生と死を司っている。我らが主こそ貴様らのいう神だ。主にはできても、我らにはできない。それだけだ。すまない。優遇はできない」
優遇はできないということ以上に興味惹かれる言葉があった。主こそが神だと死神はそう言った。
「それは、さっきの神さんも天界人ってこと?」
死神は私の言葉に頷いて続ける。
「主は神の忠実な僕として死神を、人を裁く者として神を作った。私は死神1010。1010番目の死神だ。そして、さっきのは神1010。1010番目の神だ」
そこで一度言葉を切った死神は大きくため息をついて愚痴をこぼした。
「三者三様の人間を平等に裁くため、神にはそれぞれ性格がある。神1010は感情的で情に厚い。この部屋に来る同情すべき人間を相手にするためだ。ちなみに罪深い人間の相手は理性的で無慈悲な者の役目だ。必要な事とはいえアレでは仕事にならんがな。トトはただの気分屋だ。全く…」
「へぇー、死神も楽じゃないね」
「まぁな。それでも人間よりは楽をしていると思うがな」
「えー、そんなのわからんら」
「いや、いつも見てるからわかる」
「あ、やっぱ見下ろせたりするん?」
「あぁ。こうやってな」
死神が横を向いた。
死神の視線を追って横を向くと映画館のスクリーンみたいに下界が映し出されていた。
「あー、案外見上げる仕様なんやね」
「そうだな」
鼓動が早くなっていく感覚がした。
地球だ。人間がいる。
「…ねぇ」
「?」
「これ、お兄ちゃんに会える?」
「…諦めろ。お前は死人だ。人間には会えない。できるのは一方的に見ることだけだ」
下界の映像が消えた。外の喧騒も消えて、白色の平穏が訪れる。
死神が消したらしい。
「そうだったね。ごめんなさい。もう間違えないから、もう一度お兄ちゃんを見せて」
死神は何も言わなかった。
映像はどこかの国から日本へ移り、お兄ちゃんの部屋を映し出した。
布団が盛り上がっていて、お兄ちゃんが寝ているのがわかる。
「…今って夜なの?」
「あぁ。精神体には睡眠は不要だから眠くないだろうがな」
「うん、眠くない」
「 」
死んだ人間に掛ける言葉はそう簡単に見つからないのだろう。
規則正しい寝息の音だけが響いた。
「ねぇ」
「なんだ?」
「転生してもいいよ」
「それは、助かるが…」
「ん、わかってる。優遇なんて要らない。これから期限までの7日間、ずっとお兄ちゃんを見させてくれたら、一番不人気の転生先に転生してあげる」
「…は?え、正気か?」
「だめ?」
「いや、此方は構わんが…」
「じゃあいいら?」
「…いや、しかし一番不人気の転生先となると人外になる可能性が高いが?」
「平気」
「文明は進んでいないだろうなぁ」
「そうだね」
「狩猟採集の生活」
「いいね、健康的」
「産まれてすぐ死ぬ運命かも」
「また会えるね」
「差別対象になるかもしれない」
「どうでもいい」
「…どうでもよくはないだろ」
死神は観念したようで続けた。
「まぁいいならいい。その話乗った」
「うん、ありがと」
「それはこちらのセリフだ。寛大な心遣い感謝する」
死神はちょっとの間隣でお兄ちゃんを眺めていたが消えた。
飽きたかな?
気を遣わせたのかな?
部屋にはまたお兄ちゃんの寝息の音だけが響いた。
いつもよりゆっくりとゆっくりと時間が流れているように錯覚する。
7日間のうちの1日目が終わろうとしている。