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散華乱舞  作者: 岩淵 笑実
本編
18/32

拾八

 明るい陽の射す庭を眺めながら、紫苑姫の表情は晴れなかった。眉間に皺を寄せて黙り込んだ彼女は、あえて目の前の麗かな景色に心を和ませまいと拒んでいるようにさえ見えた。

「勝手に、私に何も教えてくれずに何処かへ行ってしまうなんて。兄上のみならず、木葉まで……。」

 彼女の目の前で秧鶏が刃に倒れたあの瞬間が、まだ目に焼き付いている。木葉に奥の間まで連れてきてもらい、ずっと侍女たちが付き添って世話を焼いてくれているが、紫苑の身体の震えは収まらなかった。今もまだ涙のあとが残っている。

 気掛かりなのは、いつでも紫苑についてくれていた木葉が戻って来ないことだ。秧鶏の傍にいたい気持ちを汲んでしばらくはそっとしておいた。しかし侍女に再び木葉の様子を見に行かせると、何処にもいなかったというのだ。

(何をしようと……無茶せずにいてくれればいいけど。)

 ふう、と溜め息をついた紫苑の耳に、彼女を呼ぶ声が聞こえた。

「……さま、姫様。」

「あら、瀬那。志乃の様子はどう?」

 隣室に控えていた侍女の声に、紫苑は明るく応じる。侍女仲間を姫に気遣ってもらった少女は恐縮して頭を下げた。

「ありがとうございます、今は休んでおりますが、大事ございません。……姫様、楸様より、話したい事があるので差し支えなければお越し頂きたいとの言伝が参っております。」

「兄上が? 城に戻られたのね。分かりました、すぐに伺いますと伝えて。」

「承りました。」

 軽く身だしなみを整えてから広間へと向かう途中、紫苑は思わず首をかしげた。

(広間へ呼ぶなんて何事かしら? いつもそんな改まった場など使いやしないのに。)

「兄上、失礼致します。」

 訪問を知らせ、声を掛けてから広間へ足を踏み入れる。そこで初めて、来客の存在に気付いた。

「わざわざ呼びつけてすまなんだな、紫苑。こちらへ。」

 穏やかに彼女を手招きする兄の傍らに座り、紫苑はあらためて客人を見た。兄と同じ年頃の体格の良い男と、彼に隠れるように寄り添う小柄な少女。顔を上げた男の方に、紫苑は見覚えがあった。

「お久しゅうございます、玄武殿。」

「ご無沙汰致しておりました、姫。私を覚えておいでですか。」

「当然でございましょう。楸兄上の乳兄弟でいらっしゃいますし、私も幼い頃は仲良くさせていただきましたから。」

 紫苑は微笑んだ。兄たちにくっついて回り可愛がられていた、お転婆な子ども時代。楸と、今は亡き藜とともに稽古や勉学に励む何人かの少年たち。その中には玄武の姿も、常に楸の一番近くにあった。

「近頃あまりお見かけしませんでしたが、お変わりありませんのね、玄武殿。……彼女は?」

 ちらりと見て尋ねると、怯えたような目をした少女は、改めて頭を下げた。

「秋沙と申します。」

「秧鶏の妹君だ。」

 楸の言葉に、紫苑ははっとして兄を見た。

「兄君のことは、伝えて……?」

「秧鶏にいさまのことは、玄武兄さんから聞きました。」

 秋沙のしっかりした声には、か弱そうな見た目とは裏腹な芯の強さが感じられた。紫苑は頷き、少女に優しく語りかける。

「秋沙さん……秧鶏のこと、お悔み申し上げます。何と言って良いか……いいえ、私が何か言えたことではないわね。彼は私を守ったために、命を落としてしまったのですもの。」

「いえ、姫様。そんなこと仰らないでください。」

 いたたまれず目を伏せた紫苑の言葉を、秋沙は咄嗟に遮った。

「姫様をお守りすることが、秧鶏にいさまのお役目でした。にいさまは、お城に仕えることに誇りを持っていると言っていました。だから、あたしも、にいさまのしたことを誇りに思います。」

 言葉を選びながら話す秋沙の懸命な思いは、その少し紅潮した頬からも見て取れた。紫苑は微笑む。

「秧鶏は、良い妹を持ちましたね。」

 紫苑の言葉に玄武も頷き、秋沙の頭をそっと撫でた。

 そんな彼らを見ながら、楸はおもむろに口を開く。

「さて、何から話したら良いものか……。お前たちに話したい事というのは、我が父上の遺した隠し事についてだ。」

「隠し事、ですか?」

 紫苑はきょとんとして兄を見つめる。楸は紫苑と、同じく不思議そうな顔をした秋沙を交互に見ながら話の切り出し方を考えた。

「秋沙。その髪留めを見せてくれないか。」

「え? あ、はい。」

 秋沙は楸の唐突な頼みに驚いたようだが、すぐに髪を纏めていた(かんざし)を引き抜いて楸に差し出した。楸は何も言わずにそれを紫苑に渡す。受け取り、その細工を見た紫苑は、息を呑んだ。

「これは……! 一体どうしてこの子がこれを?」

「分かるか、紫苑。」

「幼い頃のことですが、覚えがあります。お祖母様が作らせたと見せて下さった物です。」

 そう言うと紫苑は、胸元から何かを取り出した。

「私が母上から受け継いだ物と、揃いの簪……。」

 紫苑は信じられない思いで、己の手にしている物を見つめていた。高価な細工物の簪は、そうそう誰でも持っているものではない。それに、二つは揃いで作られたことが一目で分かるほどよく似ていた。一方は千鳥の紋様、そしてもう一方は百合の花の紋様。

「その髪留めは、にいさまが母の形見の中から見付けた物です。」

 秋沙は小さな声で言う。楸はそれに頷き、語り出した。

「紫苑の言う通り、その簪は我らの祖母が作らせたものだ。百合の簪は、この城に嫁いできた私たちの母上に贈られた。そして母上が身罷った後、千鳥の簪が作られた。父上の新しい奥方へ贈られる為に。」

「まさか……」

 紫苑と秋沙の目が、驚きに大きく見開かれた。

「新しい奥方が産んだ父上の子供たち、それが秧鶏と秋沙。私たち四人は、同じ父を持つ兄弟だ。」

 楸の言葉の持つ衝撃を物語るように、静寂がその場を包む。暫しの間、誰も何も言えなかった。

「……千鳥殿が私の実の母ではないことは、存じておりました。」

 口を開いたのは、紫苑だった。

「生まれて間もなく身罷った母上の事は、殆ど憶えておりません。千鳥殿を母様と呼んで育ちました。母様も私を娘のように可愛がって下さった。あの優しい方が、本当に、秧鶏と秋沙の母上なのですか。」

「にわかには信じられぬか。無理もない、異母兄弟の話など今まで全く……」

「私が信じられぬのは、その事ではございません。」

 紫苑は強く首を横に振る。彼女はつと立ち上がると秋沙の傍らへ回り、驚いて身構える少女を抱き締めた。

「私を可愛がって下さったあの優しい母様が、なぜ己の実の子をこのような身の上にしたのです? 親のない子として育ち、兄や姉と親しくすることも許されず、あまつさえ私を守って命を散らすような……同じ父を持つ私たちは城でぬくぬくと暮らしているというのに! 母様はこの子たちを守れなかったのでしょうか。」

 いつしか紫苑の頬には涙が伝っていた。潤んだ目できっと兄を睨む。楸はそんな妹を真っ直ぐに見据え、穏やかに言った。

「いいや、違う。これが千鳥殿の望まれた形だった。秧鶏と秋沙が城主ではなく家臣の家柄で育つことが、あの方にとって、この二人を守ることだったのだ。」

「何故……!」

「お前はあの方の恐れたものを知らぬのだ、紫苑。陣中の手伝いに駆り出されて偶然に殿に見初められた農村の娘を襲ったのは、嫉妬という名の怪物だ。父上の手前、表には決して出なかったであろうがな。聞くところによると、かなり辛い目に遭っていたようだ。千鳥殿は、同じ怪物が己の子を蝕むことを恐れた。特に秧鶏は男子だ、争いの火種になることも危惧されていたのだろう。」

 紫苑は言葉もなく聞いていた。ただ秋沙を包む腕にぎゅっと力を込める。彼女は俯き、やがてかすれた声で呟いた。

「くだらぬ嫉妬など、この私が許しません。辛い思いをされていたなんて……あの頃知っていれば、私が母様を守ったのに。」

「紫苑姫さま。」

 秋沙の呟きに、紫苑は抱き締めていた手を放して秋沙の手を取る。

「ああ、姫だなんて。どうぞ姉と呼んで頂戴。」

「紫苑……姉さま。」

「ありがとう秋沙、可愛い妹。あなたは私が守ります。これからこの城で……」

 紫苑がそう言いかけた時、秋沙が何故かびくりと体をこわばらせた。困ったような顔で紫苑を、玄武を、そして楸を見つめる。それに気付いた楸が頷いた。

「秋沙、私はこの城で暮らせとは言わぬぞ。」

「兄上!?」

「紫苑、秋沙には秋沙の今までの暮らしがある。それをいきなり変えろとは言えぬであろう。もちろん秋沙がここで暮らすことを望めば、その用意もある。好きなようにするがいい。」

 優しく微笑む楸に、秋沙は戸惑ったように俯いた。

「あたしは……あたしは、お城じゃなく、今のまま暮らしたい。」

「そうか。」

「どうして? 何も恐れることはないのよ。あなたの母上が心配されていたようなことは、私が許さないもの。」

「俺に気を遣うことはないぞ。城での暮らしは豊かで、何に不自由することもないんだ。」

 驚いて言う紫苑と玄武に、秋沙は笑顔で首を振った。

「あたしはお城を怖がっている訳でも、気を遣っている訳でもありません。ただ、みんなと一緒にいたいだけ。玄武兄さんも朱雀ちゃんも風馬も青龍も、あたしの家族なんだもの。……紫苑姉さま、楸兄さま、ごめんなさい。」

「謝る必要はない。」

 穏やかに笑う楸の顔を、秋沙は初めて真っ直ぐに見た。遥か遠いと思っていた若殿の面差しには、彼女の大好きな兄と似た面影が確かにあった。もしかしたら秋沙自身と紫苑姫にも似たところがあるのかも知れない。

「あなたが望まないのなら、私も無理に引き留めることは出来ないわね。でも、いつでも頼って頂戴ね。」

「ありがとうございます。」

 秋沙は微笑んで、深く頭を下げた。

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