第15章 仲間じゃない日
大河を喪い、町は目に見えて欠けはじめました。人が消え、その人がいた記憶ごと、向こうへ持っていかれていく。
悲しみは、人を不器用にします。今回は、玄弥たちの絆が、いちばん深いところで一度ほどけてしまう、転の底の章です。
大河のランドセルは、玄弥の部屋の隅に、置いたままになっていた。
返しに行けなかった。大河の家のインターホンを、何度も押そうとして、押せなかった。お子さんは、星を見に、別の世界へ行きました――そんな説明を、信じてもらえるはずがない。信じてもらえたとして、それは、慰めには、ならない。
あれから、町は、目に見えて、おかしくなっていた。
商店街の角の、古い時計屋が、半分だけ、薄くなっていた。建物はある。看板もある。けれど、店主の顔を、誰も思い出せない。「あそこ、前から空き店舗だったよね」と、近所の人が言う。違う。先週まで、時計を直してくれる、おじいさんがいた。なのに、誰も、覚えていない。玄弥たちだけが、覚えていた。
町が、欠けていく。人ごと、記憶ごと、向こうへ、持っていかれていく。
その夜、玄弥たちは、宮下さんの店の奥に集まった。誰からともなく、集まってしまった、という感じだった。
「伊豆の、ほかの町でも、同じことが起きてます」
灯里が、ノートを広げた。けれど、その声には、いつもの早口の熱が、なかった。
「沼津でも、修善寺でも。人が消えて、記憶ごと、薄くなる。……たぶん、三島だけの問題じゃ、ないんです。伊豆ぜんぶが、向こうと、入れ替わりかけてる」
「で、大河は」
玄弥が、聞いた。声が、自分でも驚くほど、低かった。
「大河を、戻す方法は」
灯里が、うつむいた。
「……まだ、分かりません」
「いつ、分かる」
「玄弥」
澪が、止めようとした。玄弥は、止まらなかった。
「灯里。連れ戻せるって、言ったよな。あの時。連れ戻せるって」
「……言いました」
「じゃあ、方法は」
「玄弥!」
澪の声が、鋭くなる。玄弥は、ようやく、自分が、何をしているのかに気づいた。灯里は、泣きそうな顔で、ノートを握りしめていた。彼女だって、寝ずに、調べていた。それを、玄弥は、責めていた。八つ当たりだった。
「……ごめん」
玄弥は、それだけ言って、立ち上がった。
「ごめん。俺、もう、誰かと一緒にいないほうがいい」
「何、言ってんの」
「俺がいると、迷う。聞くか斬るか、迷って、足が止まる。そのたびに、誰かが、向こうに行く。大河みたいに。次は、灯里か、凪人か、澪かもしれない」
玄弥は、自分の右手を見た。あの日から、ずっと、冷たいままの手。
「だから、一人でやる。剣のことも、向こうへ渡る方法も、ぜんぶ、一人で。そうすれば、もう、誰も――」
「ふざけんな」
澪だった。
立ち上がって、玄弥の胸ぐらを、つかんでいた。
「一人でやる? かっこいいこと言って、要するに、逃げてるだけでしょ。私たちに、玄弥が壊れていくのを、黙って見てろって言うの? それ、優しさじゃない。ただの、自分勝手」
「……澪には、分からない」
言ってしまってから、玄弥は、しまった、と思った。けれど、もう、遅かった。
澪の手が、ゆっくりと、玄弥の胸ぐらから、離れた。
「そう。分からないよ。玄弥が、何も言わないんだから」
澪は、そう言って、店を出ていった。引き止める言葉を、玄弥は、持っていなかった。
残された店の中で、凪人が、ぽつりと言った。
「……おれ、もっと早く、描けてれば」
「凪人」
「大河くんの裂け目。もっと早く、感じてれば。間に合った。やっぱり、おれの絵なんて、間に合わないんだ。誰の、役にも――」
「それは、違う」
アヴァロンが、初めて、口を開いた。けれど、その声もまた、いつもの芯を、失っていた。
「役に立たなかったのは、私です。釣り合いを、押さえられなかった。……私は、守る者の一族でありながら、また、一人、守れなかった」
誰も、何も言わなかった。
慰めの言葉を、誰も、持っていなかった。みんな、自分のことで、精一杯だった。グリーフは、人を、こんなにも、不器用にする。
その夜、玄弥は、一人で、三島大社前の交差点に立った。
エクスカリバーは、いつも通り、車道の真ん中に、刺さっていた。街灯の明かりが、銀色の刃を、ぼんやりと照らしている。深夜の交差点に、人影は、なかった。
玄弥は、その剣を、長いあいだ、見ていた。
『眠れぬのか』
声がした。耳の奥ではなく、すぐ目の前から。剣の刃が、淡く、光っている。エクスカリバーの意識――エクスが、目を覚ましていた。
「……お前のせいだ」
玄弥は、八つ当たりだと知りながら、言った。
「お前が、こんなところに刺さらなければ。俺に、変な力をくれなければ。大河は、消えなかった。町も、欠けなかった。澪とも、ケンカ、しなかった」
『そうかもしれぬ』
エクスの声は、古い物語を語る、語り部のようだった。現代の言葉を、半分しか知らない、けれど、人の痛みだけは、よく知っている、そんな声。
『だが、玄弥よ。一つだけ、問おう。ずっと、お前に問うてきたことだ』
刃の光が、玄弥を、まっすぐに射た。
『汝、何を守る』
玄弥は、答えられなかった。
町を、と言いかけて、その町が、欠けていくのを、止められなかったことを思い出す。仲間を、と言いかけて、その仲間を、自分から、突き放したことを思い出す。澪を、と言いかけて――澪に「分からない」と言ったのが、自分だったことを、思い出す。
守りたいものなら、たくさん、あった。なのに、その全部を、玄弥は、今日、自分の手で、取りこぼしていた。
「……分からない」
玄弥は、地面に、座り込んだ。
「何を守ればいいのか。聞けばいいのか、斬ればいいのか。一人でやればいいのか、誰かと、いればいいのか。……何も、分からない」
エクスは、しばらく、黙っていた。
『よい』
やがて、そう言った。
『分からぬ、と言えたなら、よい。分かったふりをして剣を振るう者を、私は、長く、見てきた。あの、影の騎士のようにな』
玄弥は、顔を上げた。
『汝が答えを持たぬことを、恥じるな。答えは、一人で出すものではない。……それも、汝は、もう、知っているはずだ』
その夜、玄弥は、結局、一睡もできなかった。
ただ、ひとつだけ、引っかかっていることがあった。町から、これだけ人が消えているのに、玄弥自身は、一度も、向こうへ引き込まれかけたことが、ない。そして――澪も。あれだけ、境界のそばにいて、二人だけが、欠けない。
なぜ、自分たちだけが、残るのか。
その問いの意味を、玄弥は、まだ、知らなかった。知らないまま、夜が、明けていく。
仲間が、バラバラになった、その朝を。
ここまで読んでくださり、ありがとうございます。
「一人でやる」と仲間を遠ざけた玄弥は、それを優しさのつもりでいました。けれど澪に「逃げてるだけ」と言い当てられ、つい「澪には分からない」と返してしまう。何も言わない玄弥に、澪は「分からないよ、玄弥が何も言わないんだから」と背を向けました。凪人は「間に合わない絵」に逆戻りし、アヴァロンは「また一人、守れなかった」と沈む。誰も、慰めの言葉を持っていませんでした。
一人になった玄弥に、聖剣の意識エクスが初めて深く語りかけます。「汝、何を守る」。玄弥は答えられません。守りたいものは全部、今日、自分の手で取りこぼしてしまったから。けれどエクスは言います。「分からぬ、と言えたなら、よい。答えは、一人で出すものではない」と。
そして最後に、ひとつの不穏。これだけ人が消えても、玄弥と――澪だけが、欠けない。なぜ二人だけが残るのか。その謎が、静かに芽を出します。
次章では、バラバラになった仲間たちが、それでももう一度、隣に立つことを選びます。




