第3話 届かない理由
朝の光が、まだ眠たそうな商店街をやわらかく照らしていた。
店の戸を開けると、ほんのり甘い香りが鼻をくすぐる。
(この匂い、やっぱり好きだな)
奥では、父がすでに仕込みをしていた。
無言で手を動かすその背中は、昔と変わらない。
私は軽く挨拶をして、店先の掃除を始める。
その合間に、ポケットからスマホを取り出した。
——昨日の投稿。
画面を開く。
いいね 12
「……ちょっと増えてる」
思わず、口元がゆるむ。
たった12。
でも、昨日の「1」よりはずっと大きい。
(見てくれてる人は、いる)
小さく息を吸い込む。
よし、と気合いを入れて、次の投稿を考え始めた。
昼過ぎ。
店の中は、相変わらず静かだった。
カラン、と引き戸の音がして、常連のおばあちゃんが入ってくる。
「こんにちは」
「いらっしゃい」
父が短く返す。
いつものやり取り。
いつもの光景。
私はその様子を、少しだけ離れたところから見ていた。
おばあちゃんは栗きんとんを一つ買い、満足そうに帰っていく。
——それだけ。
扉が閉まる音が、やけに大きく響いた。
父がこちらをちらりと見る。
「それで」
腕を組む。
「客は増えたのか」
「……これからだよ」
できるだけ軽く答える。
父はふん、と鼻を鳴らした。
「そんなもんで来るなら、苦労しねえ」
言い返したい気持ちはあった。
でも、言葉は出てこなかった。
(……分かってる)
スマホの中の数字と、この店の静けさ。
その差は、思っていたよりもずっと大きい。
夕方。
少し手が空いたタイミングで、私はカウンターに肘をつきながらスマホを見返していた。
写真は悪くない。
光も構図も、ちゃんと意識してる。
文章だって、丁寧に書いた。
(じゃあ、なんで……)
答えが出ないまま、画面をスクロールする。
——そのとき。
店の外に、人影が見えた。
スーツ姿の男性が、店の前で立ち止まっている。
見覚えがあった。
(……また来た)
私はため息をついて、外に出る。
「何してるの?」
声をかけると、びくっと肩を揺らした。
西園寺和也。
あの“ズレた正論コンサル”だ。
「……あ、いえ」
少し気まずそうに視線をそらす。
「様子を、確認に」
「入ればいいじゃん」
「……いえ、その」
一瞬迷ったあと、小さく頷く。
「……失礼します」
店の中に入ると、和也はどこか居心地悪そうに立ち尽くした。
父は一瞥しただけで、何も言わない。
完全に“空気扱い”だ。
私は苦笑しながら、スマホを差し出した。
「これ、見て」
「……はい?」
画面には、ここ数日の投稿が並んでいる。
和也は真剣な表情でスクロールし始めた。
数秒の沈黙。
やがて、ぽつりと口を開く。
「……露出自体は、増えています」
「でしょ?」
少し身を乗り出す。
「ただ——」
その一言で、空気が変わる。
「導線がありません」
「……導線?」
「見た人が“来る理由”が弱いんです」
淡々とした口調。
でも、その言葉はまっすぐ刺さった。
「写真も文章も悪くない。ただ、行動に繋がらない」
私は何も言えなかった。
正しい。
たぶん、すごく正しい。
でも。
(それだけじゃない気がする)
「来たい奴は来る」
低い声が、横から落ちた。
父だった。
いつの間にか手を止めて、こちらを見ている。
「余計なこと考えなくていい」
「……」
空気が、重くなる。
和也は何も言えず、視線を落とした。
私は、その間に立たされる。
理屈と、想いのあいだで。
(来たい理由……)
ふと、記憶がよぎる。
——母の笑顔。
「ありがとうございます。よかったら、またいらしてくださいね」
和菓子を受け取ったお客さんが、ほっとしたように笑う。
あの空気。
あの安心感。
(……あれだ)
胸の奥で、何かが繋がる。
「……足りないの、たぶんそこだ」
「え?」
和也が顔を上げる。
私はスマホを握り直した。
店の外に出る。
夕方のやわらかい光が、古びた看板を照らしていた。
シャッターの傷。
少し色あせた文字。
でも、不思議と嫌いじゃない。
カメラを構える。
カシャ、と音が鳴る。
そのまま、新規投稿を開く。
指が、ゆっくりと動いた。
『岐阜の小さな和菓子屋、米菓堂です。
父は無口ですが、毎朝4時から仕込みをしています。
この栗きんとんは、昔、母が好きだった味です。』
一度、読み返す。
(……これでいい)
送信ボタンを押した。
数秒。
画面を見つめる。
いいね 0
「……まあ、そんなもんか」
小さく笑う。
そのとき。
——ピコン
通知音。
「……え」
画面を覗き込む。
いいね 1
コメント 1
指先が、少しだけ震える。
コメントを開く。
『なんだか、あたたかいお店ですね。行ってみたいです』
「……」
言葉が出ない。
ただ、胸の奥がじんわりと熱くなる。
「……ふふ」
思わず、笑ってしまった。
「ゼロじゃないどころか——」
画面を見つめる。
「“来たい”って言われた」
その一言が、何よりも重かった。
振り返ると、店の中から和也がこちらを見ていた。
さっきとは違う顔。
少しだけ、考え込むような表情。
(ストーリー……?)
そんな声が、聞こえた気がした。
店の奥では、父がいつも通り手を動かしている。
何も変わらないようでいて。
でも、きっと——
何かが、少しだけ動き始めていた。




