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回想:恋人

 わけもわからないまま、私は峰内士と名乗る男に「飼われる」こととなった。

 あれよあれよという間に、高そうなマンションの高そうな部屋につれてこられる。ドラマでしか見たことない情景に感動する間もなく、峰内さんから風呂に入るよう指示された。彼が脱衣所の扉を背に見張っていたので、初対面の異性の前で服を脱ぐ羽目になった。

 身体を洗いながら、必死の思いで頭の中を整理する。あの峰内という男は、若い女の子が好きなのだろうか?これから何をさせられるのか、分かった上で受け入れる心の準備。やはり『現役女子高校生』というのは、男性にとって性欲の対象としてブランド的な位置づけなのか。どんなに冷静に取り繕っても、混乱する脳内はまとまらない。女子高校生が性被害に遭う事件って多いもんな、まさか当事者になるとは思ってなかったな。向き合いたくもなければ、知りたくもなかった現実。あぁ、援助交際とかパパ活とか売春とか、関わらずに生きていきたかった。でも生きるために贅沢は言えない。生きていれば良いって、こんなにハードルが高いんだ。いや、むしろ低いのか?

 思考がグチャグチャなまま風呂を出ると、バスタオルで雑に身体を拭かれた。ドライヤーで髪まで乾かしてくれたことに「サービスが良いな」と暢気なことを思う。水気がとれたのも束の間、タオル一枚でベッドルームに投げ入れられた。

 わかっていた展開とはいえ、ついにと思うと体が強張る。身震いする間も与えられず、上着を脱いだ峰内さんが覆いかぶさってきた。顔に触れ、頭を撫でて、髪の毛を弄り始める。

「カナタ………」

 ボソリと、峰内さんは誰かの名を呼んだ。焦点の合わない瞳に、私は映っていないらしい。以降ずっと、彼はボソボソと「カナタ」の名を呼びながら私を抱いた。処女喪失の現実を受け止めることで精一杯だった私は、彼が誰を呼んでいるのか気にする余裕もなかった。

 とりあえず────『家守博』は『カナタ』の代わり、らしい。

 しかし峰内さんは、次の行為からその名前を口に出さなくなった。まさかと思いつつ「気遣いはいらない」と言ってみたものの、「そういうんじゃねぇ」と一蹴されて終わり。私が『カナタ』さんを知るのは、もっと後の話になる。



 性行為を強いられる以外は、これといった脅威のない生活が続いた。私の身体には価値があるようで、暴力は殆どなかった。怒鳴られはするが、あとは強く押されたり腕を引っ張られる程度。今のところ、身体に傷跡は一つも残っていない。

 食事は朝昼晩きちんと出てくるし、戸棚のお菓子も定期的に補充される。パソコンとスマホは禁止だけど、テレビとゲームは自由。漫画とラノベも、試しに要求してみたら買ってきてくれた。着替えも用意してあり、家電も全て最新式、床のホコリはロボット掃除機が勝手にやってくれる。

 監禁されていることを忘れるぐらい、非常に快適な生活環境だ。

 あてのない私に逃げる気などないのだが、監視する峰内さんの目は厳しくも怯えているようにも見えた。特に窓やベランダに近付くと、露骨に嫌な顔をして怒鳴りつけてくる。しかし私は私で「換気がしたい」「外の空気が吸いたい」を考える余裕が生まれていた。外に出られないから、中の生活水準をより上げてやろうと小さな野望を抱いていたのである。


 峰内さんの帰りが早かった日に「ベランダには出てもよくない?」と、あえて軽い口調で聞いてみた。しかし、彼は露骨に不機嫌な態度をとる。

「堂々と逃げようとは大したタマじゃねえか。」

「そんなつもりじゃないよ、何階だと思ってるの。」

 今にも殴りかかってきそうな剣幕に縮こまりながら、ハッキリ弁明する。ここで口籠ったら、さらに疑われかねない。監禁生活の中で得た、峰内さんとの会話のコツ。

「部屋の換気をして、日光に当たりたいだけだかたらさ。」

 目的を口にして、他意は無いアピールをする。しかし峰内さんの表情は固いまま、むしろなにか焦り始めている。

「チッ、どうだかな。」

「なんでそんなに────」

表情を歪ませていく峰内さんがなんだか心配になって、彼の腕へ手を伸ばした。

「うるせぇ!!」

 掴もうとした両手が、勢いよく撥ね退けられる。私はバランスを崩してしまい、倒れ際にテーブルの角で頭をぶつけた。めちゃくちゃ痛いと思いながら額に手を当てると、ぬるぬるしたものがまとわりついた。自分の血でベッタリ汚れた手と、全身を震わせて立ち竦む峰内さん、それぞれを交互に見る。

「飼われてる分際で意見するんじゃねぇ!!」

 峰内さんの息は荒く、肩が上下している。私を睨む目は血走っており、握りしめた拳は震えている。何かを叫びたいのか、唇をわななかせている。

あまりにも必死な峰内さんに、何を怖がっているのだろうかと思った。

「────なんか、可哀想だね。」

 ぽん、と直感で出た言葉が口をつく。馬鹿にしたともとられかねない表現だが、峰内さんは目を見開いて固まったまま。表情には何を言われたのか理解できない、疑問の色がありありと浮かんでいた。怒鳴られなさそうなのをいいことに、私は続ける。

「何がそんなに怖いのかわからないけど、ものすごく怖いことがあるんだよね?見ていて、すっごく可哀想。」

「可哀想?俺が?」

「うん。」

 大きくうなずくと、峰内さんは眉をひそめる。思ったことを整理せず口にしたせいか、彼の疑念を深めてしまった。怪訝な顔のまま、峰内さんが私の目の前で膝をつき顔を覗き込んでくる。

「他人を騙して金を巻き上げて、文句を言われりゃ殴る蹴る、弱い立場の人間につけこんで利用するようなことをしてるのに?」

「それが仕事なんでしょ?」

「普通の人間は足を洗って離れたがる仕事を、率先してやってるのに?」

「でも抜けようとしたら殺されるんでしょ?」

「俺が罪悪感持ってやってるとでも思ってんのか?」

「赤の他人を傷付けることに罪悪感はなくても、仲間を切り捨てることに罪悪感はあるんじゃない?」

 息を飲む峰内さんに、私は「これだ」と直感した。彼自身も何かに気付いたようで、不安そうに目を泳がせている。

「そっか、あなたは、裏切られるのが怖いんだね。」

 指摘すれば、峰内さんの方がビクリと震えた。その反応に納得して、無意識に何度もうなずいてしまう。

 仲間に裏切られたくないし、仲間を裏切ることもしたくない。

 私は無理やり連れてこられた立場だけど、結果的には今日まで安定した生活を確立した。それを止めようとすることは、彼にとっての裏切りになる。だからあんなにも、私が外に近付くことを恐れていた。裏切られたくないから、その可能性を潰そうとしていた。つまり峰内さんにとって私は、既に赤の他人ではなく「裏切られたくない相手」だということ。

 理由がわかれば、聞いてあげようという気にもなる。

 譲歩の言葉を言うより先に、峰内さんの口から嗚咽が漏れる。ハッとして彼の表情を窺うと、ぽたぽたと涙が零れはじめていた。

「ずっと誰かに、そう言って欲しかった。」

 今までの高圧的な態度が嘘のように、覇気の無い口調。私はまた「うん」と頷いて、彼の手を取る。

「同情、して欲しかった。」

「うん。」

「ガキの頃からこうして生きてきたから、辞め方なんて知らない。辞めたくもない。」

「うん。」

「仲間のいる場所から離れたくない、居場所を奪われたくない。」

「うん。」

「でも、そのためには、裏切ったやつは、殺さなきゃいけなくて。」

「うん。」

「毎日毎日、今日まで仲間だったやつを、明日は殺すことになるかもしれない、って。」

「うん。」

「それだけが………………ずっと、怖い。」

「そっか。それは、怖いね。」

「────うわ、あ、ああああ………!!」

 子供の様に泣きだした峰内さんを、思わず抱き締める。途端に両手でしがみつかれて痛かったが、気にならない。

「あぁ、あああっ………」

 私の手は、自然に彼の頭を撫でていた。よしよし、と。子供をあやすように、なだめるように、慰めるように。まるで、親が子を安心させるための行為。次第に峰内さんの身体から力が抜けてきて、甘えるように頭を私にあずけてくる。

「頼む、もう少し、このまま………」

 小一時間、彼は私に頭を預けていた。

 その時の私は、彼の母親にでもなったような心持ちだった。屈強な、他者を傷付けるために鍛えられた身体。彼はその体で、自分の心を必死に守ってきたのだ。やがて寝息を立て始めた男の頭を撫でていると、どうしようもない庇護欲を駆り立てられる。

「大丈夫、大丈夫だよ。」

 何の気なしに口をついたのは、根拠のない虚ろな言葉。わかっているのに、言わずにはいられなかった。

「私がいるからね、大丈夫、大丈夫。」

 女子高生が、成人男性の頭を撫でてあやしている。滑稽なおままごとだとわかっていても、私は真剣だった。

「私が、あなたを裏切らないから。」

 私と士くんが“恋人同士”になった日の話。


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