第八話 歌舞伎町の裏の裏通り01
ジーナと分かれた六堂は、大通りから入り組んだ細い路地を通って、裏道に歩を進めた。
繁華街の店が出すゴミが積もるように置いてあり、ダクトから出る生暖かい風が臭い。表通りとは一変して、暗く、不気味さを感じさせるビルの裏の、そして更に裏通り。そこにいる連中は、時折危ない目で六堂を見てくる。
「さてさて、ここらしいな…」
歌舞伎町界隈にいる、昔のツテを頼りに、ロディの“いるらしい場所”を更に絞り込んだ六堂。
怪しげな看板が並ぶような、少し物騒なところだろうと予想はしていたが、それを通り越し、まともな人間なら寄り付かなそうな“もっと危険そうな場所”であった。
わざわざそんな場所まで来て、スカを喰らう可能性が高いというオチもありうる。ロディが実際にいるかは怪しく、いたとして室富の手掛かりが得られるかもまた怪しい。それを思うと思わずため息が出た。
やってきたそこは古く、小汚いビルだ。一見すると廃ビルに見えるが、一応電気がついてる。とはいえ所々しか点灯しておらず、むしろ暗い箇所の方が多そうだ。
屯してるのは、悪以外いないだろう。
所有しているのは違法な不動産を扱う黒い組織だろうか、所有者不明の曖昧な物件かもしれない。
場慣れしている六堂とはいえ、こういう場所は好きではない。とりあえず期待せずにロディのいるらしい部屋に向かう。絞り込みが正しければ、このビルの三階の一番奥の部屋だ。
錆び付いた金属の階段を上に向かい歩いて行く。カン、カン…と周囲に響く足音。
二階の廊下では、立ちながら互いに体を弄り合っている男女がいた。男の相手は売春婦だろうか。
「この階の奥らしいが…」
一番奥の部屋に向かって廊下を歩くと、瓦礫やガラスを踏む音が暗い廊下に不気味に響いた。
辛うじてついている蛍光灯は、チカッチカッと音を立てて点滅していて、今にも切れそうだ。
奥の部屋前に立つと、ドアをノックした。ゴンゴンと鈍い音が廊下に響く。
しかし誰も出て来る様子はない。ここまで来て、不在なのだろうか?それともスカか。
「何だお前」
もう一度ノックをしようとした時、隣の扉から男が出来て、六堂に凄んだ声を立てた。
「にいちゃん、ここはお前さんが来る所じゃねえ。酔ってましたじゃすまねえぜ」
男は脅すようにそう言い、捲って見せた上着の下には拳銃が見えた。
しかし男は、ふと訝し気な顔で六堂を見つめた。
繁華街のネオンが、微かに照らす六堂の姿に、男の口調は一変した。
「あ、あんた…蒼の…ダンナじゃ!?」
六堂はそう言われ、目を細めて男をよく見た。見覚えのある顔だ。
「合田…合田史智か?」
「やっぱりダンナですかい?」
六堂だと知るや、男の態度が急に弱々しくなった。
合田 史智。裏社会の人間で、小物扱いされている。といっても、それは戦闘において強くはないという意味で、頭はそこそこ切れる。裏社会で独自のネットワークを持っていて、密輸の仲介や、闇の運送業を手配出来る強みが、彼の専門。そして交渉も得意と来ていた。
数年前、六堂に対して詐欺紛いの取引きをして殺されかけたが、役立つ情報を提供したために辛うじて生き延びたという過去があった。
「どうして、蒼のダンナがここに」
「おい、その呼び方は…」
六堂は口元で人さし指を立てた。
「へへへ、そうでしたね。今はもうダンナは堅気でしたね」
合田はごまするように手揉みする。しかしその顔は引きつっており、昔、相当に手酷くやられたことが窺えた。
「すみませんね、突然、大声出してしまって。たまに酔っぱいとかホームレスが紛れ込むこともあって。ダンナ、元気でしたかい?」
六堂は合田の肩に手を乗せ、彼の話を止めた。
「合田ぁ、お前との再会はとっても嬉しいが、立ち話に華を咲かせるほどの仲だったっけ?」
更に顔を引きつらせ、こくりと黙って頷く合田。
六堂は親指でロディの住処だというその部屋のドアを指した。
「ここにロディって男がいるか?」
「…どこでそれを?」
「昔のメンバーからちょっとな」
(それなら当然か)と納得した合田は、六堂が裏社会に身を置いていた当時に組んでいたメンバーが優秀なのを知っている。
「で、本当にここが住処か?ただの留守か?それとも見当違いか?」
合田は少し間を空けた。
「ロディさんは確かにここを拠点にしていましたが、もうこの数日戻ってねえですよ」
「何だって?」
「仕事でしばらくここを空けることは、よくある話しなんですが…」
どうやら合田はロディとは知った仲らしい。
「お前、ただのお隣さんってわけではなさそうだな」
「彼の武器の調達やらを、少し手伝ってます。この部屋を用意したのも俺です」
「雇われているのか?」
「時々、頼まれれば。最初に会った時には何もせず、ポンと100万ほどくれましてね、今後の手つけだって」
裏で武器の調達をする際、合田はこの界隈でも足の付きにくいルートを持っていた。ただ、時々都合で人を騙すくせがあるので今ひとつ信用はない。
「…長く空けているってことは、仕事か?」
「いえ、それが…」
合田は頭を掻きながら、口を吃らせた。
「どうした?」
視線を逸らし、誤魔化そうとする合田に、六堂は自分の顔を近付けてじっと見つめた。
そんな合田は苦笑いをするばかり。
「ロディさんのことは迂闊に喋る気にはなりませんよ…。極力彼のことを目立たせないように苦労してきたんスから。ダンナはロディさんに何の用なんですか?」
「少し聞きたいことがあっただけさ。いないってなら、又いる時に来るさ」
合田に背を向け、立ち去ろうとした六堂。
「…ロディさん戻らないかもしれないですよ」
「何?」
合田の意味あり気な発言に六堂は足を止めた。
「戻らないって?」
「あの人、ずっと大きな件に足を突っ込んでたんスよ。特に目立たないようにしてたのも、そのせいで…」
「大きな件って?」
六堂は合田の話しを遮るように尋ねた。
「庄司エンタープライズのことを調べていたんです…」
「庄司だって!?」
六堂は思わず大きな声を出した。
室富のことを聞きに来たはずが、まさかこんな所でもその名を聞くとは思いもよらなかった。
「ダンナ、庄司エンタープライズが何かしたんですか?」
「俺も今調べているんだよ、庄司について」
「何ですって?まさかそのことでロディさんに会いに?」
「いいや、ロディが庄司について調べているとは知らなかった」
「じゃあ何を…?」
「俺が知りたいのは、“ある男”のことさ」
合田は訝しげな顔をした。
「…男?」
「何か知っているのか?」
「いやね男と言えば、ダンナより前に男が一人、ロディさんを訪ねて来たんですわ。どこでロディさんの居所を掴んだのか警戒しましたが、いないと知るやすぐに帰ってしまって。黒眼鏡を掛けた、凄みのある奴でしたよ。三日前だったかな」
“黒眼鏡”にピンと来た六堂は、警察でプリントアウトしておいた室富の顔の写った紙を、合田に見せた。
「この男か?」
紙を見た途端、合田は頷いた。
「そうです!ええ、ええ、この男ですわ」
渡辺の話はビンゴだった。実際にロディに会う必要が本格的に出てきた六堂は、合田に迫った。
「どこに行ったか知らないか?」
「さあ…。誰なんです、そいつ?」
合田の質問を受け流し、室富の写った紙を折ってポケットにしまう。
「お前には関係ない、気にするな。それより、ロディは一体庄司エンタープライズの何を調べていたんだ?戻らないかもしれないってのは、どういうことだ?」
合田は煙草の箱をポケットから取り出した。箱を差し向けられたが、六堂は頭を横に振る。
煙草をくわえ、火の点きの悪いライターを何回かシュッ、シュッとする合田。やっと火が点き、煙草を深く吸って煙りを吐き出すと、止まっていた口が動き出した。
「…ロディさんが最近受けた電話が不振なもので」
「電話?」
「そう。俺の役目で、ロディさんの通話記録は残らないようにしてるんです」
電話で裏の交渉や仲介をする時の、合田のお決まりの手だ。どこか別の部屋を借りて中継機を設置し、そこで電話を受けているように見せ掛けるのだ。
「誰からの電話だった?」
「株式会社ハイウェーブというところの社員です。名前は竹下と言ってましたが、まあ偽名でしょう」
「ハイウェーブ?何の会社だ」
「調べてみたら、資本金一千万のごく小さな株式会社だということが判りまして…。警備関係の製品を販売するのが業務の主だとかで」
「どうしてその会社のことを調べた?」
「ロディさんの存在を極力目立たなくするのが俺の役目です。つまり」
「関わった相手のこともよく調べる…か」
「ええ、そうです。でも今回は他に理由があって…」
「どんなだ?」
合田が煙草を口から離すと、吹き出した煙が天井の闇へ向かってへ立ち昇った。
「…控えめに言っても、ロディさんは腕がいい。殺しも戦闘もプロだ。大抵はそんな腕のいい人間と接触をするのは、まぁ黒い組織か、大きな企業です」
「そうなだな。だがハイウェーブは…」
「そう。小さな会社。それだけじゃない。どうやってロディさんの存在や、接触方法を知ったか、それが気になりましてね、調べたってわけです」
「で、何か判ったのか?」
合田は短くなった煙草を、地面に落とし、踵ですりつぶした。
「…ハイウェーブがあるという場所に行ったら、そこには何もなかったんです。空き地でした」
「どういうことだ?」
「更に調べたんですが、つまりそこに会社が存在していることにはなっていましてね」
六堂は目を細め、小さな声で言った。
「…幽霊会社か」
合田は肩を上げ、軽く頷いた。
「そこは、確かにハイウェーブという会社が借りている土地だし、資本金があるのも本当。それにどういうわけか、毎月ちゃんと損益が出たように金が動いている。でも実際にそこには何もない」
「簡単なことではないだろう、小さいとはいえ株式会社だ」
「そう…。だから、ダンナ、この件はあまり踏み込まない方がいい」
唐突に合田は六堂に助言した。その顔はお調子者のものではなく、真剣であることは見てわかった。
「他に何を知った?」
「ハイウェーブは庄司エンタープライズの子会社です。わからないようにいくつもの巧妙な方法がとられてましが、間違いない」
六堂は一瞬、自分の耳を疑った。
庄司エンタープライズを調べるために、室富を追ってここに来たというのに、また庄司の名にぶつかった。調べている事件は自分が思っているより、遥かに大きいことを嫌でも感じざる得ない。
「ハイウェーブは、庄司エンタープライズが裏の人間との窓口にするためのトカゲの尻尾です。問題があれば何の証拠もなく、霧のように畳んで消えているでしょう。調べても行き止まり、俺ぁ危険を感じました」
合田は新たに煙草をくわえ、火をつけた。煙草をくわえたまま、口の隙間から煙りを吐き出し、腕組みをする。
「…この一ヶ月、ハイウェーブから接触のあった三人、いや四人の人間が命を落としているんですよ」
「誰だ?」
「狂犬の異名を持つ黒木、島野組の木口、そしてジャッド兄弟……」
六堂はこれらの名前に聞き覚えもあったし、中には顔を合わせたことのある者もいた。皆、この街の裏社会では有名人た。
「ニュースにもならなかったようだが」
その言葉に合田は吹き出した。
「皆、社会のゴミですからねえ。死んだって警察もロクに捜査しねえですよ」
「それはもっともだ」
「ハイウェーブが接触してきた理由は知りませんがね、腕に憶えのある全員があっさり殺されているんですから」
「つまり、ロディもハイウェーブとの接触後に戻らないから死んだと思うわけか?」
「ええ、そうです。何より、ロディさんはもともと庄司のことについて調べていたわけですから」
六堂は手で顎摩りながら、室富、ロディ、庄司という全く繋がらないパズルのことについて頭を悩ませた。そして合田に名刺を手渡した。
「これは?」
「俺の今の仕事の名刺だ。携帯番号書いてるだろ?もしロディが帰ったら、連絡をよこせ」
合田は顔を前に出すように頷いた。
「それとな、お前少し禁煙しろ」
ロディは意図的に庄司エンタープライズの“テリトリー”に入り込んでいたことは判った。室富との繋がりはどういったものか全くわからないものの、二人とも庄司エンタープライズに繋がることは間違いなく、これが手掛かりになるであろうと思われた。
ーーさて、次はどうしたものか…
ビルの階段を下りながら悩んでいると、ポケットの携帯電話が振動した。着信はジーナからだ。
「どうした?」
『Sorry、浦林がやられた』